2023年01月25日

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その4 越ヶ浜の集落の痕跡を想像する


その3から続く

日峰山、小神子、越ヶ浜、大神子への経路を含む山域全体を理解できる地図を作成してみた。

赤線…日峰山山頂から北東へ延びる尾根筋から大神子へ降りる踏み跡
赤線…日峰山山頂から北東へ延びる尾根筋から越ヶ浜へ降りる踏み跡
赤線…遊歩道のもっとも下がった地点から沢沿いに越ヶ浜へ向かう踏み跡
桃色……遊歩道(阿波の道・讃岐の道・伊予の道・土佐の道をつなぐ階段の道)
緑…小神子と日峰山から灯台への尾根筋からのトラバース道(遊歩道/越ヶ浜方面)
空色…日峰山山頂から灯台へ向かう尾根筋の散策路(展望所や石像あり)
オレンジ破線…小神子から大神子までのトラバース道がかつて存在した可能性(わずかな痕跡あり)
hinomine_area.jpg
(国土地理院電子国土から切り出した地図に平井吉信が書き込み)

国土地理院地形図で描かれているもう1本の遊歩道を横切るトラバース道は廃道(道の痕跡がわずかに入口にあるのみ)である。地理院の地図にも誤りはあるし、かつての地形や地勢が変化してもそのまま残されていることがある。

けれどここに何らかの人為的な痕跡(家屋、田畑など)があったなら、そこから東の山裾と沢をなぞるように海へ出るルートがあった可能性は想定できる。地形図の点線はかつての名残で現在は痕跡を見つけるのが困難となっている

それではここにあった人為的な痕跡とはなんだろうか。真ん中の沢沿いに平坦を感じる地形があり、遊歩道から外れて足を踏み入れてみると石垣が沢と直角に連続していることを確認。見た目は砂防ダム(コンクリートではなく石垣だが)である。
DSFT6611-1.jpg

DSCF9195-1.jpg

DSCF9201-1.jpg
そこでこの施設(工事)は何のためにあったかを考えていくこととする。見た目で明らかなように自然が形成したものではなく人の手によるものである。


(1)沢筋にあることから砂防の床止め工
床止め工とは砂防ダムのようなものでコンクリートを使わない時代に石積みで行ったと想定。その目的は下流や護岸を守る治水にある。
ところが下流は越ヶ浜であるが、その手前に湿地(荒れ地)がある。3つの沢を集める湿潤(家がじめじめしてカビが生えてたまらないだろう)で海風をまともに受ける場所に家屋があったとは考えにくい。よって治水の床止めではない。普段は水はわずかしか流れない沢でも大水時には一変するものだが、所詮は集水域(流域)が小さいので治水目的ではない。

(2)棚田もしくは段々畑
沢筋といってもこの場所は涸れ沢であり、棚田(段々畑)の跡ではないか。というのも「平坦を感じる場所」と書いたように、もともとはある程度の平坦な場所が崩落した土砂で埋まったのではないかと考えた。

20年以上前にはじめて小神子からのトラバース道をたどったとき、確かに廃屋(作業小屋かもしれない)があった。それがこの真ん中の沢沿い(★印付近)ではなかったかと記憶している。それが近年はまったく見かけなくなった。

その理由としてこの沢筋で崩落があったと記憶している。その崩落で廃屋が流されたが埋まったか。いずれにしてもそのときの土砂が棚田(段々畑)の痕跡を埋めてしまったのではないか。
ところがそれから年月が経ち、沢の澪筋を水が流れて堆積した土砂の一部を流したとすれば、このような痕跡となるのではないか。廃屋比定地の周辺でやはり人為的な地形と石積みがある。
DSCF9189-1.jpg

DSFT6503.jpg

ここからはさらに不確かな推論となる。小神子地区には水利が良くないためか水田がない。そこで水の得やすいこの場所で棚田をつくって集落の食糧としたのではないか。そのときの農機具の置き場所(納屋)、作業小屋、もしくは人が住んでいた可能性も捨てきれず、なんらかの建物があったのではないか。ぼくが二十数年前に見た廃屋はそれではないか。

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

徳島市と小松島市から近いのに無人の渚である越ヶ浜とその周辺はまったく忘れ去られていたが、21世紀になって遊歩道ができて歩きによる接近ができるようになった。

かつて徳島市から小松島市にかけての沖合には地震で沈んだ島(お亀千軒)があるといわれる。昭和の時代には、鳥居が沈んでいるといって海中の探索をする人たちがいた。父は根井鼻を通り魔と呼んでいた。

大神子は病院やテニスコート、バーベキュー場、フィールドアスレチックがある静かな保養所。かつて徳島藩蜂須賀家の保養所が勝浦川河口南岸にあったという(いまのスーパー銭湯のあたりか)。

越ヶ浜はこのブログで探索したとおりかつての人為的な痕跡はあるけれども現在では無人の渚。

小神子は静かな里海の集落で集落を見下ろす丘には、海を眺められるレストラン、やがては一部上場企業の保養所に変わり、いまではそれもなくなって廃れてしまった。

歴史がどうであれ里海の記憶はここにあったのであり、(地権者のご理解もあって)21世紀の私たちが立ち寄れる場所となっている。そのことを記しておきたい。
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 里海

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その3 日峰山山頂〜灯台〜小神子トラバース道へ

その2からの続き

数日掛けてこのエリアの探索により、これまでわからなかった地形や踏み跡を把握することができた。まちの近くにこんな場所があると改めて良さを確認できた。

今回は日峰山山頂から灯台までの尾根をたどりながら、灯台周辺の展望を愉しんだあと、再び尾根を戻る途中で小神子へのトラバース道へと降りていく道をたどる。トラバース道は越ヶ浜へも通じる遊歩道と交わるので、越ヶ浜を見て遊歩道から尾根へ戻る道程。歩けば1時間少々かもしれないけれど、そこはゆっくり歩いてみたら?

この散策路は人とすれ違うことが多い人気のみち。山頂からは急に下るが(帰りは登り返す)ほどなくなだらかな椿の咲く尾根筋となる。
DSCF9139-1.jpg

DSFT6558-1.jpg

DSFT6555-1.jpg

ツワブキらしい葉と落ちた椿花
DSCF9142-1.jpg


休憩所を左に降りていくと菱形に一周する遊歩道(阿波の道→讃岐の道→伊予の道→土佐の道)へ。右は灯台へと伸びる尾根道。まずは灯台へ。小神子からのトラバース道は阿波の道と讃岐の道の間と、伊予の道と土佐の道の間をつないでいる短絡路ともいえる
DSCF9144-1.jpg

灯台に向かう尾根
DSFT6566-1.jpg

DSFT6568.jpg

DSFT6569.jpg

DSFT6577-1.jpg

DSFT6583-1.jpg

ゆるやかな起伏を灯台まで向かう。灯台は空に映える。このまま元根井漁港へ降りていけるのだが、きょうは小神子へのトラバース道をたどるのでここで引き返す
DSCF9147-1.jpg

DSCF9150-1.jpg

子どもの頃おいしい紅茶をいただいた喫茶店/レストランは追憶の彼方に
DSFT6587-1.jpg

引き返すとまもなく右へ降りていく道がある。これが小神子の集落上部から派生するトラバース道と合流する
DSFT6579-1.jpg

尾根から北へトラバースしながら下る途は小神子の集落の上部からのトラバース道と出会いそのまま遊歩道/越ヶ浜方面へと水平移動する
DSCF9158-1.jpg

DSFT6597.jpg

小神子の集落に近いせいか竹林が茂る。イノシシの寝床があるとしたらこんな場所だろうが、痕跡は見いだせない
DSCF9160-1.jpg

岩を切り拓いた場所
DSCF9162-1.jpg

椿の季節 落ちた花と芽を出した若木 通る人のほとんどない道に生命力のやりとり
DSCF9171-1.jpg

小神子からのトラバース道は越ヶ浜へと降りられる遊歩道(阿波の道と讃岐の道の間)に出る
DSCF9176-1.jpg

讃岐のみちをいったん降りて越ヶ浜をめざす。道ばたに東屋がある
DSCF9181.jpg
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 里海

2023年01月23日

アグネス・チャン「ぼくの海」 帰る場所がなくなっても……


アグネス・チャンが「ひなげしの花」でデビューしたときは衝撃だった。
歌い出しの躍動するスタッカートのリズム(ものまねのネタにされた)とサビのレガートの対比。透明感あるメゾソプラノの声で♪の間をスラーでつなぐと天使が降りてきたみたい。鈴虫の声のようにキュンと通り過ぎて、首をかしげる所作、腕を上げて掌をひらく動作と相まって歌とか立ち居振る舞いがそのままの芸術となる。17歳の女の子にしか歌えない時分の花。

初期の歌でぼくが好きなのはシングル2枚目の「妖精の詩」。冒頭のリズムの刻みは春を感じて土から虫が出てくる(啓蟄)、そよ風がノックする電子ピアノに誘われて彼女の声が降りてくる。「春がめぐりきた印です」の暗示。繰り返しながら降りていく音型、「太陽のガス灯を星の靴履く少年が磨き出す」なんて詩的な表現。スラーで結ぶアグネス節は魅力的。ぼくがスミレを好きなのは春がめぐりきた象徴を感じるからとしても、この楽曲は恋の芽生えとともに春の訪れを待つ心にも届く。その次の「草原の輝き」が春の甲子園の入場行進曲となった年は部員11人の山間部の公立校が準優勝したことを忘れない。

あと好きな曲を何曲か挙げると、「白いくつ下は似合わない」。デビューから3年後の11枚目のシングルで荒井由実作詞作曲。歌唱は格段に進歩して日本語の心の綾を描いていく。ひたすら歌唱の海に心を委ねる。デビュー当初の物珍しさでなくヴォーカリストとして聴いている。

松本隆、吉田拓郎による18枚目のシングル「アゲイン」もいい。目をつぶっていてもわかるマイナーにむせぶ拓郎節の旋律は諦念さえ漂いつつ物語を紡いでいく。
「点になる蒸気機関車 霧晴れてあなたが見えた」

松本隆の作詞も映画のよう。短調から転調しながら降りてきて空気が変わる。なんて良い曲なんだろう。ためらいと決意が胸を打つ。

CDでは次のベストがおすすめ。


入手が難しければこちらでも。


実はこのままでは終われない。アグネス・チャンの曲でとても好きな作品があって、それがいずれのベストにも収録されていないのだ。それは1980年の23枚目のシングル「ぼくの海」(B面は同曲の英語版で「Children of the Sea」でアグネス・チャンの作曲(英語版は作詞も)。この楽曲は戦争(内戦)で故国を船で脱出するボードピープルの旅立ちをうたう。父親が戦死し母親とともに新天地を夢見る母の祈り、子どもの願いであり、海の向こうにはきっとしあわせがあると信じている。

もういくつ寝たら 海がなくなり
走りまわれる 浜辺に着くかな
今夜は100まで 星を数えるよ
明日昇る太陽 今日より大きいさ

1980年の日本は(香港も)政変とはほど遠い平和を謳歌していたが、彼女の視点は別の世界に思いを馳せていた。親しみやすい旋律でありながらその楽曲にも似ていない感じ。切なさがこみ上げてくる。

切なさだけでない、ひとすじの希望が込められている。希望もしくは未来を信じようとする決意とでも。ぼくもともに祈りたい。

We are the children of the ocean
We are the children of the sea
海の向こうに きっとあるね
しあわせが しあわせが


追記

もう一度この楽曲を聴きたいと思っていたら
(ぼくが調べた限りでは配信音源もない)
なんとCDシングルがタワーレコードで復刻されている。
(もし現在の彼女が歌ったとしてもこの世界観を体現できるだろうか。時分の花はそのときだけ咲いているというのも哀しい現実かも)
2曲目はかつてのシングルの裏面と同様、英語版である。
オンデマンドのCD-R受注生産であるが取り寄せは可能である。もちろん正規音源。
https://tower.jp/item/5672969/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%B5%B7

DSCF9449-1.jpg
posted by 平井 吉信 at 20:16| Comment(0) | 音楽

2023年01月22日

脈絡のない庭 時間の積み重ねで「なっていく」空間


庭をていねいに理路整然と造形するのも手だが、いつのまにか生えてきた、もらいものの苗を空いている場所(とはいえ日照や水やりなど特性は考慮する)に植えたりしている。
お陰でネギが生えてきたり(なぜ生えてきたか意味不明)、ノギクがいつのまにか定着したり(ノギクではないのだが種類がわからないのでそう呼んでいる)、ヒイラギと桃が競演(饗宴でもある)したり。まあ、画を見ていただいたらこんなものかと。

スミレ好きを知っている人からいただいたもの ニオイスミレかな?
DSCF9244.jpg

葉の陰で心細げに咲いているのでレンズを向けて良いかどうか迷った
DSCF9254.jpg

11月25日に初めて咲いてから2か月。ノギクがドライフラワーのように立ちすくむ。これも美だ
DSCF9267.jpg

説明は要らないでしょ。猫の額ほどの庭でも小一時間はひなたぼっこで愉しめる。
DSCF9258.jpg

DSCF9274-1.jpg

DSCF9287-1.jpg

DSCF9295-1.jpg

DSCF9298-1.jpg

DSCF9302-1.jpg

DSCF9307-1.jpg

DSCF9308-1.jpg

DSCF9316-1.jpg

DSCF9320-1.jpg

DSCF9321-1.jpg

DSCF9336-1.jpg

DSCF9351-1.jpg

雑多、無秩序に見えるなかにもなんらかの意識(人間ではなく植物)が見えたりする。生態系や多様性というと誇大表現だけれど、さりとて放置と手入れの合間で「なっていく」景色。
それが強固な造形になることを、宝暦年間につくられて手を入れられながら3百年近く現存する吉野川第十堰が教えてくれる。

(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 11:29| Comment(0) | 家の庭

2023年01月14日

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その2 踏み跡をたどる〜

その1から続く

GPSを持っていないので紙とシルバコンパスを道具に、実際に歩いて地形観察を行いながら記したものである。小学生の頃から国土地理院の2.5万と5万を集めていた地図マニアなのでGPSはなくても散策の実用性には問題ないと考えている。

コース全体は低山の海岸性の明るい照葉樹の森が主役で人工林(植林)はほとんどない。傾斜の強い部分と平坦な部分、岩の露頭が現れて充実感がある。ところどころに海(紀伊水道、大神子、越ヶ浜)が眺められる場所があり、それらも地図に記しておいた。標高はカシオのプロトレックで読み取った値を日峰山山頂での実測値から補正を行って求めたもの。なお、写真は2023年1月上旬の数日間の記録をまとめたもので時刻や天気は異なる点にご留意。
kosigahama.jpg
(電子国土のデータに平井吉信が追記、加工)

日峰山山頂(191メートル)は山頂直下駐車場から徒歩5分にある。駐車場からだと汗もかかない登山
DSFT6469-1.jpg

今年初のスミレ(タチツボスミレ)
DSCF9084-1.jpg

山頂から東の灯台へ向けて尾根沿いを下っていく。道中では仏像が随所に配置されていてミニ八十八ヶ所の雰囲気
DSFT6472-1.jpg

DSFT6479-1.jpg

小松島湾と市街地を見下ろす「みなと展望台」を過ぎてほどなく展望所がある。その手前で海に降りる階段の遊歩道がある。菱形のコースは阿波の道、讃岐の道、伊予の道、土佐の道と名付けられている。
DSCF9090-1.jpg

現地の看板。水平に延びるのが日峰山の尾根の散策路。菱形が遊歩道。その真ん中を突っ切るのがトラバース道
DSCF8956-1.jpg

遊歩道の阿波の道と讃岐の道の境に小神子からのトラバース道が接続する
DSFT6482-2.jpg

小神子から遊歩道までのトラバース道は比較的歩かれている雰囲気。ただし夏場は蜘蛛の巣やら虫に悩まされそう
DSFT6486-1.jpg

小神子からのトラバース道と遊歩道の合流。このまま奧へ遊歩道を進むとほどなく遊歩道と分かれてまっすぐに進むトラバース道が現れる(次写真)
DSFT6492-1.jpg

阿波の道から讃岐の道へのつなぎ目に竹に囲まれたトラバース道がある。遊歩道は下へ下って伊予の道(越ヶ浜)方面へと向かうがトラバースはそのまま竹藪を直進する
DSFT6496-2.jpg

遊歩道(讃岐の道)へ降りずにトラバース道を行くとこんな竹藪の小径
DSFT6498.jpg

トラバース道が沢を横切るあたりで崩落の痕跡
DSFT6501.jpg

トラバース道の上手に人工的な段差。棚田か集落の痕跡か。二十数年前に廃屋を見たのはこの沢がトラバース道を横切る付近ではなかったか?
DSFT6503.jpg

トラバース道は再び西の遊歩道と出会う。上へ行けば土佐の道経由で日峰山尾根筋の散策路へと戻る。下へは伊予の道経由でもっとも高度を下げて反転して登るのが讃岐の道。さらに阿波の道をたどって日峰山尾根に戻る。遊歩道を横切るトラバース道を進んでみたが、この先で崩落したのか消滅。おそらくは大神子方面へ向かうトラバースとなっていたのではと推測
DSFT6506-2.jpg

遊歩道がもっとも下に降りた場所。ここから沢沿いに渚(越ヶ浜)へと向かう
DSFT6511-2.jpg

DSFT6514.jpg

沢を渡り左岸を行くと荒れ地に出る。沢は荒れ地(湿地)へとしみこんで海へは通じていない
DSFT6520-1.jpg

沢を再びわたって山沿いを行くと渚(越ヶ浜)に出る
DSFT6522-2.jpg

小神子から越ヶ浜まで海伝いに行くことは危険
DSFT6259-1.jpg

DSFT6261-1.jpg

越ヶ浜の真ん中あたりで西南西へ上がっていくルート。紀伊水道展望所がある尾根筋へと向かう
DSFT6256-2.jpg

越ヶ浜の夕暮れ
DSCF8825-1.jpg

DSCF8832-1.jpg

少し上がって海側が開けた場所で越ヶ浜をもっとも近くに見られる。浜の北端は見られないが、真ん中から南端が手に取るように見られる。季節の良い時期にここでおにぎりを食べたら気持ちいいだろう
DSCF9100-1.jpg

赤テープを目印に尾根沿いに高度を上げていく。照葉樹の森を快適に歩ける
DSFT6240-1.jpg

DSCF8903.jpg

DSCF8906.jpg

DSCF8914.jpg

途中で大神子方面への分岐がある(上へと上がる際は右へ)。この場所を左(小神子方面)へ探りを入れるとトラバース道の名残を発見。
DSFT6530-2.jpg

尾根筋の上のほうに紀伊水道展望所と名付けられたヤカンのある伐採地がある。
DSFT6629-1.jpg
この場所へは日峰山山頂直下の駐車場から歩いてすぐの場所である。展望所直下に越ヶ浜が見える。距離が相当ありそうだが、展望所のある尾根からの下りでは半時間程度の散策である。
DSFT6544-1.jpg

尾根をさらに下ると第二展望所がある。
DSCF9120-1.jpg

第二展望所からはやや近づいて見える。この場所は崖の上にあるので足下に注意
DSFT6183-1.jpg

大神子から張り出す大崎
DSFT6187-1.jpg

ここから北東へ大神子へ向かって降りていく。急坂なのでロープがあるが、三点支持を心がければ特にロープを掴まなくても可能
DSCF9112-2.jpg

急坂が終わると平坦な開けた地形となる。越ヶ浜から日峰山北東尾根に上がる道から右へトラバースする道と合流する。大きな岩場がある。ここが第二展望所の直下と推察する。
DSCF9110.jpg

DSCF9107-1.jpg

大神子へ向かって降りていく道で一度小さな丘を登り返す。そこに東側が開けて小神子方面が見える。天然のベンチが設けられている。
DSCF9118-1.jpg

あとは北北東へ向かって降りていくと大神子南端の岩場へと出られる。降りるところにロープがあるが、ここも特に危険な箇所ではない。万一滑り落ちても大けがをするような場所ではない。降りたところが小さな石ころの渚となっている。大神子海岸はまだ岩を超えていくことになる
DSCF8985.jpg

DSCF8992.jpg

DSCF8994-1.jpg

DSCF8996-1.jpg

紀伊水道展望所から見る大神子と大崎
DSCF8811-1.jpg

DSCF8818-1.jpg

日の峰神社の夕暮れ
DSCF8838-1.jpg

散策路を通して自然度が高い里山/里海を体感できる。公有地、民有地を問わず、自然破壊、ゴミ放置は行わないでこの土地を静かに訪れて里海の記憶を追体験することは価値がある。
なお、今年度になって小松島市内では市街地にイノシシが出没して噛まれるなどの被害が出ている。けれどこの山域ではイノシシの本通し(けもの道)、アシ(痕跡)は見られなかった。
生態系としては良好に見受けられるが、都市に囲まれた狭い山域ゆえ生息できる個体数に限りがあるのだろう。モグラの痕跡は多く見られたし、猿の目撃例はあるようだ。カラスとトンビはよく見かけるし、野鳥の好きな方は探す楽しみがあるのではと推察。
日峰山一帯は都市の近くで味わえる里山の魅力を見せてくれる山域である。
posted by 平井 吉信 at 15:27| Comment(0) | 里海

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その1 序章〜


県都の徳島市から小松島市にかけては大神子小神子(おおみここみこ)の名で知られる海岸がある。北から南へ徳島市の勝浦川河口から半島となった大崎地区を回り込むと大神子海岸、いくつかの渚を経て小神子海岸、小神子からは根井鼻をまわると元根井漁港と小松島港がある。
area.jpg
(国土地理院「電子国土」から引用した地図を加工)

大神子も小神子も行政区域では徳島市大原町である。大神子は徳島市からのみ、小神子は小松島市からのみアクセスできる。大神子も小神子も山を超えてたどり着く行き止まりの地区で、大神子と小神子の間には車道はなく無人の渚があるのみ。

小神子と大神子の間は徒歩でたどる人も希な場所である。ぼくはかつて小神子から山伝いに奧へと延びるトラバース道を見つけてこの方面を「奧小神子」と呼んでいる。
奧小神子は奥飛騨、奥道後と同様に地域を表すもので地名ではない。本ブログでも「越ヶ浜」が正しいとの指摘をいただいており、その名称が適切と思われる。越ヶ浜の地名は国土地理院の地図に記載はなく、大原町の住所一覧にもないが、町名の記載がないのはよくあること(ぼくの生まれた町の名も地図にも郵便住所にも載っていない)。

子どもの頃から小神子はよく遊びに行った。元根井漁港から山ひとつ超えて降りていく(自転車では行きも帰りも汗をかく。特に下りは注意)と小神子の渚に出る。この地区には別荘があり、昔からの住人のほか、閑静な住処を求める人たちが移り住んでいる。
小神子を見下ろす丘は小松島湾と港が見える丘でもあり、かつてここにはレストラン(喫茶店)が営まれていた。祖父の友人だそうで、ぼくも何度か連れて行ってもらえた。ここでいただいた紅茶がとびきりおいしかったことを鮮明に覚えている。

いつの頃からかレストランは閉鎖され、この土地を買い取った富士ゼロックス社が社員向けの福利厚生施設(社員専用の保養所)に改装して活用していた。一般公開はされていないが、勝浦川についての勉強会を社員向けにやって欲しいとのご要望をいただいて講師として訪問したことがある。居心地の良い施設だったとの記憶がある。その富士ゼロックス社も近年になって資産売却の候補となって手放された。いまは誰が所有しているのかわからないが、娯楽施設があるようである。

施設の直下には岩礁が複雑に入り込む根井鼻(ねいのはな)があり、親父からは行ってはならないと釘をさされていた。父はこの場所を「通り魔」と呼んでいた。これが一般的な名称なのかどうかは不明。子どもが行くのは危ない場所ということでは確かに頷ける。岩伝いにたどっていく途中で滑落は大いにあり得るが、子どもの冒険心をかきたてる場所でもあり、ぼくもこっそりと通り魔の岩場を訪れたことがある。小神子の沖合には松が生えた岩があり、一本松と呼んでいた。レストランのオーナーの方に誘われた祖父とともに小舟で一本松まで来たことがある。風呂屋のタイル絵になりそうな風景である。国土地理院の地図では一本松は雉子岩と記されている。

峠を越えて小神子に降りる途中から北へ向かう山道を見つけて歩いた。山の中腹をトラバースするその小径は集落を俯瞰しながら北へと続いており、それをたどっていくと廃屋があった記憶がある。その辺りで日峰山からの沢に遭遇し、沢を下っていくと湿地(荒れ地)に出たと記憶している。国土地理院の1/25000でも荒れ地の標記のある場所の先には海があるが、荒れ地には背丈より高い藪が生い茂り、潮騒は聞こえども波間を見ることはできなかった。この体験は二十年ぐらい前のことであり、その渚が越ヶ浜とわかったのは近年のことである。

その後、日峰山の192メートルの山頂から東へ向かって尾根沿いに延びる散策路から北斜面を降りる遊歩道が整備された。尾根から降りていくものの渚へは行かず、菱形のように折り返す。その四辺形には阿波、讃岐、伊予、土佐にちなんだ名前が付けられている。

〔参考〕日峯大神子広域公園(公益財団法人徳島県建設技術センター)
http://www.toku-eta.or.jp/park/h_sogo/
→ この地区の散策路は平成15年)2003年)以降に順次整備されたと記載があるので、ぼくが最初に小神子からのトラバース道をたどった時点(おそらく2000年前後)では散策路(遊歩道ミニ四国八十八ヶ所箇所と記されている)はなかったことが確認された。
http://www.toku-eta.or.jp/park/h_map/
→ この地図には小神子方面からの散策路が記されている。ここに記されている道は行政が整備したものだが、今回ぼくがたどる道は古くから(もしくは近年になって)この道を整備された民間(おそらくは地権者)によるものである。小神子の北に位置する海岸は「越ヶ浜」と記されている。
h_map_d.gif

越ヶ浜に人は住んでいない。この荒れ地は沢の水が集まる湿地になっており、もしかしてかつて田んぼがあったのではないかとも想像する。小神子から延びるトラバース道から沢へ降りるあたりで廃屋を見た記憶があるが、いまは廃屋も見当たらない。いずれにしても日峰山を南西にひかえて紀伊水道を臨むこの地区(越ヶ浜)へは小神子から入るのだ。

日峰山についても記しておこう。国土地理院では日峰山ではなく芝山と記されている。しかし小松島市民でも芝山と呼ぶ人はほとんどいない。かつて四万十川を国(建設省)は渡川と名付けていたが地元では誰もそう呼んでいなかった。官製の地名にはこのようなことはよくある。

日峰神社がある場所が日峰山の山頂と思っている人も少なくない。ここの標高は165mである。そこから東にはさらに高いピーク(191.4m)があり、ここが日峰山の山頂である。
この山頂の直下にも駐車場があり、車と徒歩で容易に山頂にたどりつける。この山頂近くに紀伊水道を見下ろす展望所が近年になって整備され(紀伊水道展望所と名付けられているが民間の有志が開かれたものと推察)、ここを拠点に越ヶ浜や大神子へ歩き始めることとする。

この一帯を整備された方は地権者もしくは地権者の了解を得た有志かもしれない。いずれにしてもこの場所に愛着を持って大切にしておられることが伝わってくる。そのお気持ちを尊重して生態系を毀損したりゴミを捨てることなく歩きたい。

この正月はコロナの猛威を受けて外出は控えた。その代わり、この山域の踏み跡をたどって地形図に落とし込んでみるのを課題に設定した。次項からはそれを具体的に記してみよう。

posted by 平井 吉信 at 15:04| Comment(0) | 里海

2023年01月06日

ルンルンは「花の子ルンルン」から ゆめと希望を未来に渡すために


家に帰りたくなる理由ができた。地元のレモンで漬けた自作のレモン酒ができたので。
これを飲めると思うと渋滞の道すら鼻歌まじりとなる。レモン酒は梅酒と違って仕上がりが一月と早い。そのままストレートでぐいぐい飲める。喉の渇きを感じたのできょうは水で1対1に加水してみた。炭酸割だと天然のレモンスカッシュ風低アルコール飲料になる。とにかくつくってよかった。

こんな気分を「ルンルン気分」です―と表現するよね。
実はこの言葉の語源が1979年のアニメ「花の子ルンルン」にあるとご存知ですか?
もう40年も前のこと。当時の流行語で死語となった言葉は少なくない。「ナウい」「オニュー」「マジ」「フィバる」などがそうだろう。

ところがところが、東映アニメーションが公式チャンネルで「花の子ルンルン」の第1話を公開しているではないか。
https://www.youtube.com/watch?v=TcgLxXkITOA

絵の美しさはもちろんだけど、例えばこんな感じ。
(ネタバレ注意)第1話では列車で花探しの旅に出た主人公のルンルンが沿線で起こった民家の火事を見つけて列車を止めて消火を呼びかけるが、列車はそのまま行きすぎる。そこでルンルンと乗り合わせた一人の青年が列車から降りて火を消そうと奮闘する。

民家は若夫婦と子どもの家だった。ルンルンと青年が危険を省みず救出作業の真っ最中に、発車したはずの列車が戻ってきて大勢の乗客がバケツリレーを始めた。みんなの協力で民家の火を消し止めることができたため犠牲者は出なかった。ルンルンは乗客たちと再び汽車に乗るが、青年は汽車に乗らずその場を離れる際に花の種を若い夫婦に手渡して去って行く。

花の種は燃えてしまったけれど
美しい花が咲いたじゃありませんか。
みんなの心のなかにね、あの娘のお陰で。


青年はそう言ってこの種を蒔いて列車から見えるようにしてくださいと若夫婦に手渡す。
それはバーベナの種であった。

時が過ぎて沿線に咲き誇るバーベナの花。
そして花ことば「赤いバーベナ(一致協力)」で締めくくる。

うーん、昭和の女の子たちはこんな良質のアニメを見ていたんだな。

おっと、汽車が出発する前に線路に咲いていたスミレを撮影している青年を見てうれしくなった(なぜって? 聞かない、そんなこと → 令和になってもこんな人があなたの身近にいるかもしれませんから)。

この場面はさりげないけど深い意味が込められている。路傍の花にもいのちが宿り、その輝きに見せられ、列車に踏み潰されないよう移植する若者の行為。生物学的にも線路は環境圧(環境によって生息域が制限されること)を受けてほかの植物が生育できない場所に花を咲かせるスミレの特性をよく理解している制作者の手によるもの。すごいなとため息。

この青年が手にしているのが一眼レフであり、ニコンFのようにも見える。少女向けアニメでありながら細かい造形にまで手を抜いていない。いったい昭和ってどれだけ貪欲に未来への投資をいまの自分たちの手仕事を重ねて紡いでいたのだろう。そんなゆめと希望を紡ぐ努力を引き継いでいけないものだろうか。
posted by 平井 吉信 at 23:28| Comment(0) | 生きる

2023年01月02日

大晦日から元日のとくしま植物園

コロナの第8波が猛威を振るうなかで、外出には細心の注意が必要。少なくとも人混み(特に室内)には行かれない。残念だけどコンサートも避けた方が良いかもしれない。

そこで近所のとくしま植物園を散策する。野外で密にならないのでマスクは不要だけれど、マスクをすると鼻腔が冷えずあたたかいので。

特に何もないけれど、何もないのがここの良さ。歩きが主でときどき歩みを止めて植物を見たり撮影したり。日の光を浴びつつ黄昏を実感しつつ。大晦日も元日も来てしまった。近くて心を預けられる場所だから。
DSCF8671.jpg

DSCF8676.jpg

DSCF8680-1.jpg

DSCF8698.jpg

DSFT6108-1.jpg

DSFT6109-1.jpg

DSFT6117-1.jpg

DSFT6125-1.jpg

DSCF8747-1.jpg

DSCF8752-1.jpg

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro、フジX-T2+XF23mmF1.4 R)



posted by 平井 吉信 at 14:41| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年01月01日

新年だから愉しい話題を サモア島の歌を知っていますか? 


青い青い空だよ雲のない空だよサモアの島とこなつだよ♪という歌は聴いたことがあるでしょう。

子どもの頃に聴いてからこの歌が好き。何が好きかって、繰り返しの多いポリネシア語圏を彷彿させる単純な日本語の歌詞。歌いやすく親しみやすい旋律、楽天的だけど素朴な歌詞。
ところが後半はなぜこんな旋律(和声)になるのだろうという不思議な進行。子ども心に音楽理論はわからなくても、単純で素朴な前半と、どこが切れ目なのかわからずたたみかける後半の対比に惹かれた。
「風が吹く」でほんとうにそよ風が感じられる。「波間をゆく」で和声を先送りにして「船出を祝い無事を祈る」がカヤックに揺られる漕ぎ手の存在が波間に浮かぶよう。そしてその帰りを待ち受ける人々の気持ちを「みんなの声が追いかける」と描く。
声が追いかけるとはどんな情景を指すのかわからないけれど、言葉の意味を超えて言葉の音(韻)が暗示するのは、人々が広場を行き交う光景、そして誰かの言葉を誰かがつないでいく存在承認(心理学の言葉)。「誰かが帰ってきたよ」「ああ帰ってきたね」「よかったね」「よかったよ」と。歌詞と音楽が一体なった奇跡の音楽といっても言いすぎではないと思う。

YouTube上にもいくつかあって聴いてみたらとても好きになった演奏があった。それが東京少年合唱隊の演奏。

テンポが小気味よい。急がないゆったりしすぎない。ウクレレが伴奏に入っている。少人数の歌唱で透明度が高く、無理に統率を取る必要がない。必要に応じて独唱と合唱、ユニゾンと和声、オブリガートやエコーのような表現を織り交ぜ、手拍子が温もりを醸し出す。歌も編曲も伴奏も良し。

CDで購入しようと思って探したらあったのだけど、この曲だけで良いのでダウンロードを探したらOTOTOYとmoraにあった。OTOTOYはロスレス(非圧縮形式)が選べる。ぼくの環境(Windows 10+JRiver Media Center+asio4all+タイムドメインライト)では音質が明確に違う。視聴もできるのでOTOTOYのWebサイトを以下にご紹介。もし購入される方は、音源の形式をプルダウンで「wav」形式を選択するとCDと同等となる。
https://ototoy.jp/_/default/p/81583

CDでも良かった。価格が900円で30曲も収録されているので。でもこれはここ近年でもっとも安い。普段は2千円前後である。



20代の半ば、南太平洋へ出かけてみようと思った。頭のなかにサモア島の歌があったのは間違いない。そこで行き先を西サモアにしようとしていたが、どういうわけかフランス領ポリネシア(タヒチ)になった。
それは「南太平洋の音楽」と題して民族音楽専門のノンサッチレーベルが録音していたこのレコードを聴いてから。当時この方面に直行便はなく、ニュージーランドとフレンチカレドニアを経由してタヒチ本島のファアア国際空港に降り立った。


南太平洋は陸がない海域に珊瑚礁の島々が点在する(珊瑚礁がない島もある)。冒険家たちの胸を熱くしてゴーギャンの心を捉えたポリネシア。危うく強制送還されかかったり、飛び込みで民宿を探し、市場に買い物に出て半月ほど自炊したこともあれば、セスナをチャーターしてマーロン・ブロンド所有の鳥の楽園(テティアロア島)に渡ったり、フランス人の観光客と素潜りを競い合って(20メートルぐらい)潜水病になりかけたり、南十字を見ながらファレ(かやぶき屋根)で寝ていたら近くの民家から母親が赤ん坊をあやす声にしんみりしたり、島をレンタサイクルで廻ったり、現地で調達した地形図で島の山脈に分け入ったり、現地の同年代の男女と無人島にピクニックに出かけたり,
夜に行われる地区の若者たちのタムレ(踊り)の練習に参加したり、現地の子どもたちと折り紙を教えながら遊んだり…。地球は友だちって感じ。そのときの様子は「南太平洋」のタグからどうぞ。当時の写真はミノルタX700とMDロッコールのポジで撮影したもの。

できないことなどなく、やりたいことがやれた時代だったかもしれないのは、沈まない太陽、日出ずる国、Japan as No1、世界の経済大国といわれた時代だったことも後押ししたかもしれない。金融機関や証券会社にまとまったお金を預けておけば1年でちょっとした旅行へ行く資金が増えた時代だったから。

2023年1月1日、サモア島の歌が人々の心に愉しげな歌を響かせて心を軽くしてもらえたらと願って。

タグ:南太平洋
posted by 平井 吉信 at 21:51| Comment(0) | 生きる

謹賀新年 引き続いてコロナ対策を

神棚、仏壇、荒神棚の清掃の後、産土神社への参拝。
新たな御札をいただいて神々への祝詞、先祖への読経。
この流れは一生変わることはない。

産土神社はここ数年で(コロナ前と比較しても)もっとも混雑していたので写真は撮影していない。
御札を3種類求めて近くの伊勢神宮を御分霊されている皇大神宮へも参る。
いかなる私的な願い事はしないで、ただ神々の弥栄を祈る。
そこから平安の世を希めるのではないかと考える。

きょうは久しぶりに親族がやってくる、というので朝は立ったまま茶漬けを流し込んで準備にかかる。まずは部屋の換気対策から行った。
・エアコン、サーキュレーター、空気清浄機の清掃箇所を清掃、そして空調の流れを設計する
・飲食机(清拭。コロナ対策というよりは普段使っていないので)

普段は家族といえでも黙食が基本。時間帯をずらせるのであればずらす。家庭内でも会話は極力控えている。

2020年頃のブログにも書いているが、コロナは収束しないと考えて人生設計を行うべき。2002年のSARS、2012年のMaaS、2019年のSARS-CoV-2(新型コロナ)とコロナ流行の間隔が狭まっており、COVID-19についてはCOVID-23と呼称してもおかしくないほど2019型から変異している。

厚生労働省は意図的に数字を操作していると思われるが、mRNA型ワクチンの効果が出ていないとぼくは見ている。ぼくの周りでもワクチン4回接種で2度感染した人が複数いる。ワクチンでは感染症を防げないというのが大方の見方だろう。それでも重症化は防げるとされているが、場合によってはワクチン接種が仇となって重症化する危険(サイトカインストーム)もありえる。ぼくも3回目からは接種を見送っている。

懸念される疾病を持たなかった知人数人がコロナで亡くなった。元気な姿を直近で見ているだけに信じられない思いである。

「マスクをはずそう」などと言わないこと。後悔しても知らない。福島第一原発は想定外ではなくわかっていたのに対応しなかった怠慢(犯罪)であった。想定しうることに対しては対策を行っておくべき。数少ない想定外は隕石の落下による事象だが、隕石の規模によっては生命は助からない。毎日を生ききることで後悔のない生き方をするのが唯一の対策。

うちで行っているコロナ対策は以下のとおり。
・マスクは良さそうなものを何種類も買って良いと思ったものはまとめ買い。次のロットでは製造工場や仕様が変わる可能性があるので。4人家族では最低720枚(半年分)、余裕があれば1500枚(約1年分)のマスクを備蓄しておこう。密な場面に遭遇するときは2枚重ねにするのも方策。
・アルコールは容器で買ってふんだんに使えるようにしておく。高濃度アルコール(食品添加物仕様)で3千円台で買える5リットル缶がおすすめで小出しにして使う。容器はPETボトルなどは溶けてしまうのでアルコール耐性のあるものに限る。食品添加物仕様とは食品に使えるもので、弁当の食中毒防止やまな板、包丁の減菌に使える。ただし高濃度アルコールはプラスチックや家具には使わないように → 変色変質の怖れがある。https://shop.dover.co.jp/collections/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC-%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BC77/products/133691085
・車のハンドルは毎日水拭きする。革巻き仕様にアルコールは使えない。ハンドルは有力な感染源ではないかと疑っている。
・携帯電話やスマートフォンも毎日水拭き。素材によっては高濃度アルコールが使えるものがあり、近年のものはほぼアルコール耐性仕様となっている。
・スーパーなどで購入した食品はすべて水洗い。紙パッケージであれば高濃度アルコールで清拭(容器にシミは残るが人にあげるものではないので構わない)。
・食事は黙食。もしくは時間帯をずらして食べる。コロナはほとんどが空気感染(エアロゾル感染)であり、飲食の場面と家庭内が主要な感染源と考える。
・CO2センサーで室内の二酸化炭素濃度を測定して700ppmを超えないように運用する。サーキュレーター(DCモーター仕様で1万円程度がおすすめ。うちで使っているのはケーズデンキで購入した山善製YAR-AD234。1万円前後で1年中稼働させている。羽根が大きいほうが静かで風量も大きい。この機種は23センチ径と大きいため、静かで風力が大きい。売れているアイリスオーヤマ製は羽根径が15センチと小さく、可動部が多く小型であるなど設計に無理がある(同社の製品は便利を訴求するが耐久性に劣る製品が多い)。ぼくの事務所は約20坪と広いが、書類が多いためカビが生えやすいので空気の流れをつくりだすため24時間365日稼働させている)。
 → 後継機はYAR-AD236のようだ。
 https://book.yamazen.co.jp/product/fan/entry-9860.html
・空気清浄器は気流の溜まりやすい場所で換気を補完する。高性能機よりも普通にHEPAフィルターがついて時間当たりの処理能力が高いものがおすすめ。ただしイオン機能(プラズマクラスターなど)は健康を害する怖れがあるため使わない。
・人間は外から帰ったら鼻うがい。これにはどこでも入手できる使いやすい製品がある。リンクを張っておくので同じメーカーでも異なる仕様の製品と区別すること。なお、専用液がなくなったらぬるま湯に塩を少々入れて使うと良い。専用液は香料や添加物が含まれるので使いたくない。自作の場合、塩分濃度は適当で良いが、こだわる人は0.9%で。体液と浸透圧が同じなので沁みない。
https://www.kobayashi.co.jp/seihin/hna_s/
・極力外食を避ける。ぼくは2020年4月以降の外食は一桁の回数である(弁当持参で車内か野外で食べる)。飲食店の行うべき対策も何度か書いてある。国のガイドラインは実態にそぐわず参考にならないので。

これぐらいのことをどこの家庭でもやってもらえたら数ヶ月で感染症は収束できるはず。忍耐のない方が「マスクをはずせ」と主張するがそれではコロナが長引くだけ。自分も感染してひどい目に遭う(運が悪けりゃ死ぬ)。それでも良ければはずしてください、ではない。他人も巻き込むから。好き勝手ではなく、誰かを守る人の道。

コロナの流行で良いことはひとつもないが、ひとつだけ果実があるとすれば、コロナへの備えが将来やってくる新たな感染症への備えとなり得ること。地球温暖化と熱帯雨林への破壊(進出)が止まらない限り、コロナのみならず、マラリヤやデング熱などの熱帯の風土病や未知のウイルスが次々と温帯地帯にまで上がっていく。そうでなくても風邪やインフルエンザの予防にも貢献している。

いまの工夫が未来へつながると考えたらコロナは決して悲観するだけではない。
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 15:03| Comment(0) | 防災・感染症・サイバー攻撃対策