2022年12月29日

高知県物部川流域の物語 @「川歌」と舞川小学校、A上韮生川(かみにろうがわ)と笹渓谷温泉



高知県東南部の山間部は四国のもっとも奥深い場所。そこを流れているのが物部川。紀伊水道側へ流れる那賀川とともに急流渓谷の河川である。

青柳裕介さんのマンガ「川歌」はぼくが持っている唯一のコミック(全7巻)。物部川支流舞川の分校へ新米教師が赴任してくるところから、しばてん(河童)と人間との物語が始まる。

川歌での舞川分校の生徒は12人と設定されている。このモデルとなったのが舞川小学校だろうか。それとも林業が盛んな頃は舞川小学校にさらに分校があったのか。

けれど舞川小学校もやがて廃校となり、近年はキャンプ場として活用されていたらしいが、それも休業となっている。春の訪れとともに現地を訪れて確認したいものだ。

◎舞川小学校/舞川キャンプ場の情報
携帯の電波が入らない、薪があって五右衛門風呂に自己責任で入る、近くの川の水が冷たい…などとても素敵な場所ではないか。
https://www.navitime.co.jp/poi?spot=00004-39151900032
https://www.ogiiin.com/old/maikawa.html
https://haikyo.info/s/14998.html
http://havanero.seesaa.net/article/144288132.html
https://www.mlit.go.jp/river/kankyo/main/kankyou/machizukuri/utsukushiimizube/pdf/88-392111-03.pdf
https://plaza.rakuten.co.jp/sairacing/diary/200808210000/
http://henro.gozaru.jp/20-haikou/02-g/kouti/18-maikawa/18-maikawa.html
http://shgogo65006854.livedoor.blog/archives/2809645.html

物部川に南から注ぐ支流が舞川、北から注ぐ物部川水系最大の支流が上韮生川(かみにろうがわ)。三嶺〜矢筈山の南斜面の深い森をくぐり抜ける四国の極めつけの清流で上高地の梓川も遠く及ばない。

上韮生川を遡り西熊渓谷の堂床キャンプ場からさおりが原、カヤハゲを経由して三嶺に至り、西へ向かって西熊山、天狗塚へと稜線を経由。そしてカンカケ谷、フスベヨリ谷を下って戻る三角形が四国の白眉の山ルート。
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友人の河原君(高知大学ワンゲル部)に「ちょちょいのちょいの登山」とだまされて8時間歩いたが、それは経験したことのない充実感であった(このときぼくはスニーカーであった。奴も登山靴を持たないぼくに合わせてジャージにスニーカーと軽装)。

どこまでも深い原生林(後年訪れた屋久島の原生林に匹敵するかさらに深い)、さえぎるものない笹の稜線をゆく雲の上ごこち、野趣あふれる沢の渡渉、生息する動植物の営み、そして西熊渓谷/上韮生川の清涼さは生涯忘れることはないでしょう、とaikoならいう。

天狗塚からさらに西には矢筈山というブナが点在する山がある。アプローチは上韮生川から左折して笹渓谷方面へ入るのだが、この渓谷沿いに笹渓谷温泉があった。

ここは若夫婦が湯守をやっていて料理も出している。選ばれた音楽が小さな音量で聞こえてくる美術館といった趣。そんな素朴だけれど気配りの行き届いた清楚な建物。入湯料を払って掛け流しの温泉に入れば、檜の湯船から手を伸ばせば届きそうな沢。森に包まれながら湯に浸る気分。すると外から「湯加減いかがですか?」と声をかけていただく。

残念ながらこの温泉もここ10年ぐらいだろうか、廃業された。親しい人にしかこの温泉の存在を伝えなかったのは、知る人ぞ知る場所であって欲しかったし、店主ご夫妻もあまり宣伝して欲しくないとお考えであったかもしれない。この雰囲気が好きになってもらえて慎重かつていねいな運転を辛抱強くできる人でなければ紹介できないと思っていたのも事実。2022年も終わりになってご夫妻のおだやかなお人柄とともに笹渓谷温泉を思い出す。
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遠くなっていく昭和の名残のような場所だけど、四国の大切な1ページとして記しておきたい。
タグ:物部川
posted by 平井 吉信 at 15:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年12月17日

凍てつく夜空に月の光 ドビュッシーとベートーヴェンの音楽


ふたご座流星群が終わって凍てつく冬の寒空。大松川沿いの真っ暗な道を自転車の灯火だけを頼りに帰路に着いた中学時代。学校の屋上には五藤光学製20センチ屈折赤道儀があり、それを観望しての帰りだったかもしれない。

この頃からドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲)は好きだった。
クラシック音楽が好きそうに見られるけれど、そうではなくて好きな作曲家の作品が好き。時代は関係ない。

年末だから第九ではないのだがベートーヴェンについても話題を。ベートーヴェンの最高傑作は「英雄」と思う。作曲されたのが1804年で今年で218年が経過する。ハイドンやモーツァルトを聴くと雅な古典(教養)だなと思う。マーラーやブルックナーを聴くと後期ロマン派(はまりたくない。ま、ブルックナーはいいけど)に括ってしまう。それなのにベートーヴェンはいまも生きているようだ。

ロックやブルースが好きな人、ヒップホップやラップが好きな人が聴いても世界に没入できる可能性がある。そんな音楽はベートーヴェンぐらいだろう。なかでも英雄は最後まで止められない。魂の輪郭があるとすればどこまでも膨らんでいく宇宙の開びゃくのような快感。ほんとうにそうだよ。

そしてドビュッシー。10代のぼくはアンセルメ/スイスロマンド交響楽団の「牧神の午後への前奏曲」に入り浸っていた。ベートーヴェンとは天と地ほど違う音楽だけれど、ぼくのなかではたったいま生まれた音楽がぼくのなかでさらに囁き始める、といった趣。そしてサンソン・フランソワのドビュッシーのピアノ選集を聴いていた。

冬の凜とした夜空に思いを馳せて「月の光」が奏でられると、どこまでも空間に煌々とまどかなる光輪がさんざめく。音楽ってこんなに広がるものかと。ドビュッシーの天才が匂い立つ。

動画投稿サイトで見つけた「月の光」を見つけた。演奏者は野上真梨子さん。目を閉じると遙か銀河の月世界に誘われる。月は清らかだけれど、決してなよなよしない凜としている。だから月の光にも過剰なロマン(人間の表現)を求めない。例え作曲者の音符に書かれていたとしてもピアニシモがピアニシモしすぎないし、フォルテもピアノを底まで鳴らしきる必要はない。かといってムード音楽ではない。表現を超えた静けさが必要だ。野上さんの演奏はぼくには理想の抑揚だ。
https://www.youtube.com/watch?v=6NIdECGkXgA

それにしても朴訥でふくよかなこの音色はどうだろう。楽器は1911年製のフランスのプレイエルが使われているようだ。アルフレッド・コルトーがショパンを弾いていた楽器と同じかもしれない。ダイナミックなヤマハやくすんだきらびやかさを持つベーゼンドルファーなどと違う音色に聞こえる。

ドビュッシーは必ずしも標題音楽とはいえないのだけれど、「月の光」の醸成する空間はたおやかでまどかで光がみなぎるきらびやかさ、けれど静寂という音世界。フランソワやベロフの演奏よりも良いと思ったので野上さんのCDを探したが未発売のようだ(YouTube音源のみ)。

野上さんはベートーヴェンのピアノソナタ作品101も演奏している。
運命や第九のベートーヴェンとは違う、でもベートーヴェンらしい憂いと愉悦が感じられる。
このソナタの曲想には精緻でダイナミックなピアニズムは似合わない。ツイマーマンは好きなピアニストだけどおそらく合わない。ぼくがピアニストなら、やや早めのテンポで、強弱はあまり付けず、モーツァルトのソナタのような接し方で、シューベルトやブラームスを無造作に流すような。要は感じているけれどさりげなく繊細すぎない調子で。まるでベートーヴェンが(若き日の)ヨゼフィーネを回想しつつ(不滅の恋人といわれた)アントーニアに接するように。

ピアノはスタインウェイのようだ(これもプレイエルで聴いてみたいような気もするが)。
誰が弾いても美しい曲で彼女の演奏で作品101に浸ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=yW-hdU7O_fY

そうか、きょうはベートーヴェン生誕252年と1日だったな。
posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 音楽

2022年12月14日

師走の午後 鬼ヶ岩屋へ出かけた(牟岐町) ヒトとケモノとの遭遇に思いを馳せる

かつてこの山の麓に鬼ヶ岩屋温泉があった。
もともと町営施設であったが、国道55号線から少し入っていること(道路はゆったりとしていて行きやすい)から客足が遠のいた。
その後は民間に指定管理で委託されていたが、2事業者が運営を担うも赤字解消が困難で施設は休業となって10年が経過する。

町営だった頃は入浴料が1,500円と高く、そのため比較的空いていた。
(ホテルリビエラししくいも入浴料は1,500円であった。バブル後はまだ人々の懐が潤っていたのだろう。ぼくも高いとは感じなかった)
付近に人家は皆無でしかも沢沿いの野趣あふれる露天風呂(対岸は人が入っていけない山の斜面)に浸かっているといのちの洗濯の心地がした。屋内には川のように流れる風呂がある。
ぼくと友人の河原君は(頻繁に行かないけれど)ここを気に入っていた。
ただし彼もヒマラヤのトレッキングや南アルプスの2週間(もちろんデポあり)縦走などを経験している山屋なので、温泉に入る前に鬼ヶ岩屋山へちゃちゃっと登って汗をかいておくのである(といっても汗は出ないが)。

きょうは午後から鬼ヶ岩屋へ行くこととした。温泉の駐車場に車を停めてしばらく車道を歩く。やがて耕作放棄の棚田の一角で出る。マチュピチュのような場所である。
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ふどの地区を流れる橘川上流の里山を見下ろしながら、その支流の沢沿いに少しずつ高度を上げていく。
やがて沢を横切り、高度をさらに上げていく。
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途中で炭焼き小屋の跡がある
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この辺りはケモノ(イノシシとシカ)の気配が濃厚。特に沢沿いには水を飲みに降りてくる。沢の下流には田んぼがある。登山道を横切る獣道が目に付く。それとともに登山道が掘り返されている。
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おそらくこれが今年最後のスミレとの出会い。これは返り咲きのシハイスミレ。小さな群落がある。花の持つ気品にしばしときを忘れる。
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峠(チョウシノタオ)を過ぎるとロープにつかまりながらの急登が続く。落葉樹の葉で地面がすべるのだ。尻餅を付く程度で危険はない。
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山頂直下の大きな岩が横たわる区間。鬼ヶ岩屋の語源もこの山容にある。
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ぼくはそれまで使ったことがなかったが、熊よけの鈴を買ってみた。それが山でどのように響くかも試してみたいと思った。鈴はモンベルで購入。澄んだ高音で耳あたりが良い。

歩き始めは小さな音と思ったが、これは車道のため。凹凸がある登山道ではそれなりに音が遠方まで到達するようだ。対ケモノという意味もあるが、見通しの利かない場所で登山者を脅かさない意味もあると思う。

鈴や笛は効果があるという意見と効果がないという意見がある。また、熊やイノシシの対処法についても一部では見解が分かれている。数週間前にうちの近所でイノシシが出没し、怪我人も出るなどしばらくは市民が警戒態勢となった。市街地といっても隠れる場所はいくらでもある。例えば線路沿いの藪など。出没後数日は目撃情報があったが途絶えた。おそらく市街地と郊外を分ける国道55号を深夜に超えて山に戻ったのだろう。車を夜遅く駐車場に止めて降りるときは奧をチェックしたりしたものだった。

地球温暖化と里山の荒廃で獣害が増え続ける。熊やイノシシへの対応策については専門家ではほぼ固まった見解があるので、ぼくなりにまとめてみた。
・鈴や笛でこちらの存在を知らせる(基本)。利かないという意見もあるがそれらは例外。
・渓流沿いでは鈴は聞こえず、見通しの悪い場所では笛が効果的。
・笛については熊が嫌がる周波数がある(高域か)。また、笛のなかの玉が雨天で動かなくなったり低音で氷結することがある。笛はフォックス40マイクロなど玉レスの笛が全天候型で安心。
・河原の広い場所では見通しが良いため相互に気付くことが多く釣り人が襲われることは少ない。ただし源流部の釣りでは互いに音が聞こえないことから出会い頭の遭遇はあり得る。
・主に襲われるのは山菜採りである。特にネマガリタケは熊の好物であり、人間にとっては高く売れる山寨であることから見通しの悪い藪の山菜採りで遭遇して襲われることがある。
・四国ではツキノワグマが少数生息しているのみであり、一時は絶滅が危惧されていた。近年はやや生息数が回復しているようである。
・熊は雑食だが、四国のツキノワグマの食べ物は木の実や植物がほとんどと考えられる。そのため食害に遭うことは考えにくい。大半は人間の存在に気付かせれば向こうから逃げていくと考えられる。ただし子連れの母熊は近寄らない、刺激しないことが肝心。
・熊の接近時には気合い(声による威嚇)が有効とされるが、母熊にはかえって攻撃の意図が伝わって逆効果となることもある。しかしそれも熊と人間の距離による。もちろん個体差もあるが、熊は基本的には人とのリスクを避けようとする行動を取る。
・東北や北海道では過去に重大な熊害が発生している。その場合は鹿の駆除後の死体や牧場の牛を襲って肉の味を覚えている。場合によっては人が襲われて食害にあった場合は同じ個体が人間を食糧と見なして襲う場合が多い。このような場合は熊鈴や笛の効果は未知数。しかし一般的には鈴、笛は依然として有効な熊よけとなる。
・熊スプレーは有効であるが、事前にテストをして、安全装置の外し方や風の影響を考慮した有効な射程距離を把握しておくことが必要(公称10メートルでも射程距離は3メートル程度と考えておく)、風上に立たないこと、できれば目を保護するグラスをかけていることなど。
・熊は執着するので熊に奪われた食べ物やリュックは奪い返さない。
・低く大きな声で威嚇することは勇気がいるが、熊に距離を詰められる前に行っておくことは有効。ただし熊は人の感情を読むことができるので恐怖心が表情や声に出ていると逆効果。
・熊が距離を詰めてくるときは所在なさげに近づいてくる。攻撃可能な圏内に入る前に声で威嚇し、さらに侵入してきたら熊スプレーの用意をする、もしくは迎撃態勢を取る。
・迎撃態勢とは、頭を隠して防御に徹する姿勢か、武器や木切れ、ストックなどを持って応戦する。応戦とは熊の弱点である鼻や顔などに攻撃を加える。防御と攻撃のどちらがよいかは一概に言えず熊の個性、間合いなどの状況、遭遇者の度胸や力量などによる。ただし後を向いて逃げたり怯えた叫び声は無意味(避けるべき)。声を出すなら威嚇する強い姿勢で前のめりの感情がにじみ出ること。この威嚇に押されて熊はそれ以上踏み込まず退散することがある。
・熊とは目を合わせる。負けない気持ち、逃げない気持ち、こちらが有利という平常心で視線を送ること。
・イノシシは鈴や笛で存在を知らせて距離を取る、静かに観察するのが原則であるが、こちらに突進してきたら、近くにイノシシが到達できない高さの岩や木があって時間的に対応できるようならそこに移動する。もしくは木の陰や障害物に身を隠す。間に合わなければリュックなどを膝前へ降ろして下半身と脚を防御する。寸前でかわすことも試みる。
・子連れのイノシシは熊同様に襲ってくる確率が高くなる。

基本となる対応は普遍的であるが、変則的な要素をどう判断して対応するかである。こうすればこうなるはず、の思い込みではなく状況を洞察して冷静に行動すること。そのためには知識だけでなく、そこに至るまでの状況を総合的に判断するなど現場での経験、場数も必要だろう。

距離3メートルで遭遇したニホンカモシカ(神山町)。
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知らない人は遠目で熊と間違えそうだ。カモシカは鹿ではなく牛の仲間。ニホンカモシカは保護されているので人に撃たれることはない。そのためか遭遇したどの個体も人間を見てすぐに逃げない。人間への好奇心があるのかもしれない。こちらも笑顔で声をかける。カモシカも人を襲うことはない。

春と秋にはよく通う砥石権現。ツキノワグマの生息が確認されている。
https://www.youtube.com/watch?v=dBLLzTCTX1I

砥石権現周辺の森 愉しくて仕方がない山歩き 森の生き物がどこかで人間を眺めているのだろう
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勘場山、権田山山系でも熊の糞を何度か見かけている。野生の動物をよく理解し、尊厳と慎みを持って山へ入ることである。

追記
在りし日の鬼ヶ岩屋温泉の写真が出てきた。館内の写真は関係者の許可を得て撮影している(清掃中)
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posted by 平井 吉信 at 21:48| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年12月11日

再訪 四国のみち 日和佐 高齢者でも歩きやすい


前回ここに来て、コロナで外出がままならない高齢者を連れてきたら喜ぶのではと考えた。
道は平坦だが、上り下りはあって適度に足腰を使う。危ないところはないが、高齢者はわずかな段差で転ぶため、2本のストックをもたせて要所では介助すれば問題ない。
ということで日和佐城に車を置いて歩き始めた。

木漏れ日の差す樹間のこみちは潮風が心地よい。
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大浜海岸を見下ろせる休憩所で大喜び。おにぎりをほおばっていた。
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展望台までの折り返しとする。
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今年はカマキリが多いような気がする。表情に迫ってみた
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道中でセンブリを見つけた。かつて煎じて胃腸薬に使っていたらしいが、いまでは希少種なのでそのようなことをしてはいけないしする必要もない。
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シハイスミレの葉と重なっていて不思議な見え方
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高知までムラサキセンブリを何度か見に行ったことがあった センブリの花は色を問わず好きだ
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アカテガニが遊歩道の斜面に顔を出すとおもしろがって立ち止まって見ていた。
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コロナ下で足腰が弱りがちな高齢者でも安心して歩ける場所としておすすめ。
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タグ:日和佐
posted by 平井 吉信 at 14:43| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年12月10日

庭のノギク(園芸種)


庭に自生しているノギク(園芸種)を撮影。
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(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro手持ち)
posted by 平井 吉信 at 23:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年12月08日

冬のひだまり 室戸岬

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(海に面した岩場に自生するアゼトウナ)

日だまり(陽だまり)と書こうとして思いだした。
近年生まれた女子に「陽葵」(ひまり)という名前が増えているという。新聞記事で見たと思うが、ぼくはこの字が読めなかった。男子では「陽翔」(はると)が多いそう。画数が多いこれらの漢字を備品やノートに書くのだろうか。
(名前をけなしているのでなく、個性的であろうとして画一的になっていくInstagramの世界のような窮屈さを感じる)。
いずれにしても「陽」を求める人々の心がいまの冷たい世の中を表しているようだ。

コロナは収束することなく、ほかの熱帯の風土病なども侵入しつつ感染症は変異が進んでさらに脅威が増していく。地球温暖化は立ち止まることなく進行して激甚災害の日常化をもたらす。食糧や水の欠乏は絶望的な未来の姿。国の財政は枯渇寸前というのにいまだにばらまきを行う。庶民の生活はますます苦しくなるのに行うべき対策は行われない。その反面、既得権を持つ(発言力のある)者や組織は秩序や負担の公平性をふりかざすが、その実自らの権益をなりふり構わず守ろうとする。

人々の幸福とは何か? それをどうつくるべきか? それが土台になって国が栄えていくとしたら、やるべきことは見えてくる。いまのような複雑で無意味な制度や施策の羅列、そして誰かの救済に名を借りた利権(救済者の皮を被った略奪者)が跋扈することは許さない。政党政治や肥大化した行政機関は廃止して一人ひとりが社会の一員として自覚できる単位で動かしてみる実験をやってみたらどうだろう。

自分のことではなくても切っても切り離せない歪んだ社会が重くのしかかってくるとき、ふと行きたくなる場所が室戸岬。道路が良くなっているので2時間少々で行けることもある。逃避行かもしれない。でもこの重さを自覚できるうちはそうではないと信じたい。
(四国の森、川、海はそんな場所だね)

今頃の室戸岬へ行っても何か特別なものはないけれど、岩場にはアゼトウナが咲き乱れ、海沿いの散策路に沿ってシオギク(日本では四国の東南部のみ)がびっしりと埋め尽くされ、ハマナデシコが冬の殺風景な渚に思いがけず花火のような存在感を放つ。よく見るとそこにはこの世のものとは思われない原色のオオキンカメムシが越冬の居場所としているかもしれない。
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室戸阿南海岸の冬の岩場で見ることができるシオギク やはり本場は室戸岬だ
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室戸岬は断崖ではなく岩場の海岸線とところどころの小さな渚からなる。その遊歩道は樹木のトンネルをつくる。SNSの好きな人が自撮りする場所だろう。
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ジオパークらしい地球の活動の痕跡を見ることができる
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クワズイモの大きな葉に驚くだろう
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大気はどんよりとしているが、海は雲の切れ間を映して蒼く明るくきらめく場面と碧灰色に沈む日常を繰り返す。一年中変わらないように見えるサボテンの花やアコウの枝振り、自然がつくる樹木のトンネルを抜けて潮風を浴びればそれが冬の室戸岬。



タグ:室戸岬
posted by 平井 吉信 at 23:23| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年12月06日

また見つけたベートーヴェン ああこれもベートーヴェン 


年末は第九というけれど、思いがけず第九に出会った。
音源は例の動画投稿サイト。
Beethoven- Symphony No. 9 - Jordi Savall with Le Concert des Nations (complete symphony)1:07:39
https://www.youtube.com/watch?v=FwDo7MdaxhA
(DW=ドイチェ・ヴェレが録音したと思われる音質も極上だ)

指揮者は、Jordi Savall (ジョルディ・サヴァール)、オーケストラは、Le Concert des Nationsという。古楽器を中心とした編成のスペインのオーケストラのようだ。

指揮者の名前もぼくにはなじみがなく、スペインのオーケストラでのベートーヴェンも初物。ところが第1楽章を聞き始めるとそのまま最後まで聴き通してしまった。

古楽器(ピリオド楽器)でのベートーヴェンは、ノリントンやジンマンなどがあって、ぼくもそれぞれ全集のCDを持っている。ベートーヴェンの9つの交響曲は10代の頃から魂の近くに感じている音楽なので、フルトヴェングラーやワルター、ベーム、ムラヴィンスキー、チェリビダッケ、C.クライバーなどの往年の巨匠、スイトナー、ブロムシュテット、シュミット=イッセルシュテットなどの中堅(かつての)、若手ではラトルなど、変わったところではシューリヒトのアナログレコードの全集(田園と英雄が聞きたくて全集を買ったのだ)などもある。

カラヤンの第一と英雄のCDがある。これは2003年2月22日にドイツ連邦共和国総領事館の副総領事ヴィリ・シュペートさん、広報担当翻訳官の大谷恵子さんをお招きしてドイツのビオトープの勉強会を開催したことがきっかけとなった。打ち上げの席でシュペートさんにベートーヴェン愛を語っていると(大谷さんのの通訳を介して)後日、ドイツ国の資料とともにいただいたもの。250年のときと距離を隔ててなおベートーヴェンの音楽は人々の心をつないでいる。
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さて、サヴァールの演奏について。サヴァールの演奏は理知的で淡々としているように見えるが、オーケストラの団員は熱演だ。古楽器を使っているので縦の透明度が高く、思いがけず対旋律が浮かび上がっては消えるけれど、そこに関心しているのではない。テンポは早めだが、おそらく近年のベートーヴェン研究の成果だろう。ベルリンフィルやシカゴフィルなどでは重厚なテンポでも音楽が持つが、編成の小さい古楽器オーケストラでは早めのテンポが採られることが多い。それでも伝統的な厚みのオーケストラを聞いた後でも違和感がない。音楽の立ち上がり、立ち下がりが早く、切れ味が鋭い。しかしそれを売りにしているわけではない。オブリガードの存在感でピリオド楽器だと気付かされるけれど、何度もいうけど違和感がない。

まあアレグロ・マ・ノン・トロッポの第1楽章、第2楽章のスケルツォはオーケストラの特性から良いだろう。でもアダージョ・モルト・エ・カンタービレの第3楽章はどうだろう?と思いつつ、第3楽章が始まると、テンポは早い。この楽章は現代オーケストラの厚みのあるカンタービレが良いのではと思うけれど(あの時間が止まったかのようなフルトヴェングラーのように)、室内楽のように音楽が精妙に息づいて天国の木霊のように明滅する。ああ、第2主題……。これ、実演で聴いていたらたまらないだろうな。

第4楽章はもっとも高揚する。ベートーヴェンの音楽もそうだけど、この演奏もそう。合唱も小編成で透明度が高く、ソロの4人も申し分ない。相変わらず音の出し入れが巧みな伴奏と控えめなコーラスだが、物足りなさは感じない。節度がきいているのに熱を帯びているとでも表現すべきか。全合奏では会場の底まで鳴り響く。熱演としか。指揮者は淡々と振っているが楽団員はベートーヴェンが乗り移ったかのようで。ミサのような美しさと透明度にどこかへ旅だってしまいそうだ。

このコンサート(ライブ)は2021年に開催されている。絶叫しないコロナ下でのベートーヴェン。そのように見えて天使の訪れのような終楽章に隠された人間の熱がほのかに確実に体温を上げていく2021年のベートーヴェンなのだ。

買うしかあるまい。青年ベートーヴェンの忠実な肖像画がジャケットになっているこの全集も。
ぼくはこれだけで生きていける―、そう思えたのだ。

第1〜第5まで(YouTubeには英雄と第5があり、これらもすばらしい)


第6田園〜第9まで


YouTube
英雄
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章

第5
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
posted by 平井 吉信 at 23:57| Comment(0) | 音楽

2022年12月03日

水の丸高原のいちごの物語 夏いちごの菓子は上品な甘さに浮かぶ酸味の心地よさ(みかもん)


徳島県西部の東みよし町役場(三加茂)から剣山系へ向けて南下すると
徳島の避暑地、四国の軽井沢といわれる深淵地区に至る。

ここには広葉樹の名所、落合峠があり、そこから東へは矢筈山、サガリハゲ山、石堂山へと至る。
西をめざせば、前烏帽子、烏帽子山方面、さらに稜線をたどると祖谷の名峰、寒峰への道程となる。
(ぼくはかつて落合峠の麓から寒峰までの路なき往復13時間の道程をたどったことがある。これまででもっとも過酷な登山のひとつ)
深淵川沿いの風景は確かに避暑地の雰囲気に浸りながら俗化されていない良さがある。
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深淵地区の入口となる桟敷峠を北東にたどれば、標高1千メートルの水の丸高原が広がる。
ここには空中散歩の拠点があり、イチゴとトマトの名産地である。
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水の丸高原の南に風呂塔(ふろんと)という変わった名前の山がある。整備された駐車場から山頂までは半時間の森散策が愉しい。水の丸地区を訪れたら行くべき場所である。
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水の丸高原に戻り、さらに東へ進めばやがて下りに転じ、土々呂の滝を経由して半田そうめんの里(つるぎ町半田地区)に至る。下りの道は細く里山らしく枝分かれしているため、ナビがあっても迷う可能性がある。
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この里山が半田そうめんを育む半田盆地である
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きょうは水の丸高原のいちごの話題を掘り下げてみよう。
ここの特徴は6月から12月までの暑い時期に採れる夏いちごである。
その品種はサマーアミーゴという。
いちごを食べて酸っぱいという感覚はほとんどないだろう。
でもこのイチゴには酸味がある。雑味がないので酸味が尖っている。その酸味に負けないイチゴの味が立ち上がる。濃い味のイチゴである。

このイチゴを使ったサンドが、国道192号線沿いのみかもん(直売所)で販売されている。
すでにいちごのロールケーキが有名で、わざわざ遠くから買いに来られる人が多い。
聞くところによると、あの「霧の森大福」を開発された方が監修されたとか。
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そして2022年12月、試作を重ねてイチゴサンドを販売することとなったので試食させていただいた。おいしい洋菓子は世の中にあふれていて、おいしくない菓子を見つけるのが難しいぐらいだけれど、上品な甘さに浮かぶ酸味の好きな方には真ん真ん中のストライクである。

いちごサンド 商品名 朝採れいちごのブリオッシュ(予定)
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ぼくは1つ食べて魅了された。大好きな六花亭の菓子(マルセイバターサンドなど)も、1個食べたら、もういいかなと思うのだけれど、これはもう1個続けて食べたくなる。吸い込まれる軽さのおいしさである。生クリームも上質感があるが、いちごジャム(もちろん地元産)を混ぜてある。
商品名は、朝採れいちごのブリオッシュ(予定)、販売価格は1個320円ぐらいを予定されているとのこと。

上品な甘みに浮かぶ酸味の口福といいたいサマーアミーゴのいちごサンドはおそらく今月で販売終了となり、1月ぐらいからはいちごの品種がアスカルビーに変わって販売されるはずである。こちらはどんな味に仕上がるか愉しみ。

徳島市内から1時間半ぐらい、池田、三加茂、美馬方面をめざすドライブがてらお越しになられてみては? 直売所めぐりがお好きな人なら、吉野川南岸の川島、少し山に入って美郷、北岸では脇町、美馬などにある。吉野川ハイウェイオアシスも高速道路に乗らなくても一般道から無料でアクセスできる。ラピス大歩危まで足を伸ばせれば曲風園のお茶など山城町の特産品も手に入るので丸一日を楽しめるだろう。

追記
今回のいちごのブリオッシュ(いちごサンド)については試作の検討段階が続いており
現時点では販売の目処が立っていないとのことです。
動きがあればお伝えします。
いちごのロールケーキは好評販売中です。

手づくり菓子工房みかもん
0883-82-3580
〒779-4703 徳島県三好郡東みよし町中庄1447
[営業時間] 9:00∼17:00
[定休日] 火曜日(祝日の場合は営業)
https://mikamonroll.com/


posted by 平井 吉信 at 14:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草