2022年09月25日

3時のおやつの代わりに近所の山へ行く


休日といってもやりたいことがたくさんあって、なかなか順番が回ってこない。
ようやく本日のタスク20番目ぐらいにやってきた山へ行く時間。
時計は15時にさしかかろうとしているが、いつものこと。

コロナのいまは登山者が下山してからが山を愉しむ時刻と思っている。
近所の山でもあり、勝手知ったる場所で遭難などほど遠い。
(それでも携帯電話や液体絆創膏、食糧と水、ビバーグ用のシート、ヘッドランプなどを持っている。すべて合わせても数百グラムだろう)

中津峰山は徳島市最南端かつ最高峰(773メートル)。ただし標高は小松島市の郵便番号と同じなのがおもしろい。登山口はふもとから、如意輪寺から、途中の林道から数カ所、さらに勝浦町側の星の岩屋ルートなどいくつもあるが、もっとも頂上に近い広い駐車場に置いてここから向かう。

歩く距離はしれているが、午後の遅い時間であっても
日の光が樹木や植物をいきいきと照らすのはこのルートのみ。
こんな天気ですからね
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登山口の沢に降りてみる
水の表情に沈黙する
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水たまりにはオイカワなのかカワムツなのか
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登山口から登り切った台地が牧野ヶ原(と勝手に呼んでいる)
平坦な森に針葉樹(植生ではない)と広葉樹、その樹間の植物の豊かさを見れば
牧野博士なら気に入っただろうと思ったのでそう名付けた。
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いいでしょ、牧野ヶ原
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牧野ヶ原を抜けると登りになる
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今度は針葉樹の森が右手に現れる。これは人工林だが枝打ちができている
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次は里山らしい雑木のトンネルが続く。なごみの散策
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小さな赤い花が点々と咲いている ママコナ
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中腹の展望台 双眼鏡 飛行機雲の3点セット
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まだオータムグリーンとはいえない濃き緑
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けれど空は秋まっさかり
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いいねえ
(結局山腹で森を見ていたら退屈な山頂へ行く気がなくなった。それもよいではないか)
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タグ:中津峰山
posted by 平井 吉信 at 23:26| Comment(0) | 山、川、海、山野草

毒を吐くことで徳を積めないけれど


無力感。といっても無気力とは違う。
どっちを向いてもため息と怒りと落胆。

・困窮している人たちに行くべきお金が別の不要なもの(国葬、かつての布マスクなど)に消えていく(政治・行政)。

・世界の各地で屁理屈をでっち上げて都合の良い解釈を力で押し通す。その影で多くの他国民、自国民が嘆きながら消えていく。

・わかっているだけでも千人近い感染者を出した阿波おどり。そこからさらに感染を広げ(追跡不能)そして後遺症に苦しみ亡くなった方もいるだろう。ちゃらちゃらと賑わいを求めて実施を決めた行政や関係団体の当事者はどのように罪を償うのか。当日の映像を見ると不織布のマスクすらしておらず、これは感染の予行演習か。しかもクラスターは発生していないそうだ。飲食店で3人が感染してもクラスター、阿波おどりイベントで千人が感染するのは非クラスター。戦前ののんき連に始まり、娯茶平連、天水連、藤本連などに受けつがれた阿波おどりも2022年に自ら歴史に背を向けるように消滅。四宮生重郎さんが生きていたらなんと言っただろう。ぼくも連で踊ったことがあるが、いまの阿波おどりのフォーメーションのような団体競技や動きを止める演出、手を高く画一的に挙げる踊りなど見ていているとため息が出る。Dancing is actually celebrating of your spirit。本能でしょ、踊りって。踊りそのものを比べても郡上踊りやおわらに品格も情感も遠く及ばない。あちらはショーではなく踊り手と観客の区別がなく同じ時間を共有できている。ぼくは一生阿波おどりを見ることはないと思う。

・つみたてNISAやiDeCoに熱を上げたって意味ないよ。所得増えず、産業衰退、物価高騰の円安であなたの資産は国際的に大きく下落している。貿易赤字が続くなかで円安が何を意味するか? 日本の経済はこの30年で回復困難なほど低迷している。その原因をつくったのは誰? 金融緩和は景気を支えるためというが、それならその政策を続けているのに企業の業績が回復しないのはなぜ?企業の業績が振るわないのは内需が拡大しないから。低金利をいくら続けても無意味。金融政策だけでない抜本的な経済対策を前提に金利は上げていくべき。金利を上げると経営が危うい企業はどうなる? いや、金利の影響は売上高比でせいぜい数%。それ以上に売上高経常利益率を増やす。そのための内需拡大。

・ぼくが生きている限りマスクをはずす時代は来ないと思う。SARS-CoV-2は手強い。ワクチンは後追いでどれだけ接種率が上がっても感染率は下がらない。それなのにコロナ慣れして浮かれる人たち。感染症が終息しないことは専門家ならもうわかっているはず。だって根源の原因がなくならないから(だからといって悲観などしていない。対策を取れば良いだけ。コロナ蔓延を前提に社会のしくみを調えていくよう政治がリーダーシップを取るべき。対策を行ってコロナが終息すればそれはそれで万々歳じゃないか。今より悪くなるというシナリオでやっていくこと。想定外という言い訳は東電で聞き飽きた。想定できたことだから。

・地元を見ても使われないことが明確な駅をつくるとか、集まって決めたことを覆すとか、そんなことばかりのローカル政治家たちにうんざり。論理的思考と感性と人間らしい感情で政治をしようよ。

権力で独裁的に支配することで誰が何の得をするのか? だれのためにやっているのか?
国家とか政党とかが人々の輝きを葬ろうとしているのなら要らないな、そんなもの。
きちんと課題設定をしようよ。いま取り組むべき問題は何かって? 
そうでない問題に取り組むのなら、そのためにどれだけ時間や資源や人生がムダになるか。
ぼくが政治家ならめざすべきことはたったひとつだけ。人々の幸福感をつくること。

はあ、多少の毒を吐き出さないとやってられない。次はさわやかな投稿にするから。

posted by 平井 吉信 at 22:23| Comment(0) | 生きる

2022年09月24日

晩夏の湿原 歩くほどに立ち止まる

黒沢湿原に通い出して何年になるだろう。
池田町内の人に勧められて行ってみたらますます行きたくなる場所になってしまった。
季節を変えては訪れ、時代は移り変わりながらそこにある風景は変わらない。
これは2022年の八月の終わり頃の記録。

サギソウという植物は鳥が羽ばたく姿の擬態のよう。
地に足が着いた植物は自由に空を飛ぶ鳥に憧れたのではと思っても
そのような意志が植物にあるはずはなく。
もしかしてなんらかの意志(情報伝達経路や感覚器官からの情報を処理する能力)、
もしくは人間の意志を感応することがはあるのかもしれない。
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植物にこちらが意志を持って接しているとそうかなと思える瞬間がときどきあるので。
稀少な植物が「ここにいるよ」といわんばかりに誘導されるような経験とか、
愛でる気持ちが伝わって共鳴しているような感覚とか。

かつてここに自生していたサギソウは全滅したといわれるが
地元の子どもたちが栽培して定着させたもの

エゾミソハギ
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この昆虫にはお手上げ まるで手がかりが掴めない
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さあ歩き出そう
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この木が心に残ってしばらく見ていた 湿原にあるので近寄れないけれど 湿原に影を落とす木陰の涼しさ 
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名前の由来がわからないけれど タチカモメヅルという
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さらに歩みを進める
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湿地には白いスイレン
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この植物の形態も複雑だが美しさがある ミズトンボ
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宇宙人のようなリアルさでいまにも動き出しそうな気がした ツクツクボウシの抜け殻か
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映画のロケに使われた小屋
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湿原の光と水が立ち止まらせる
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高さが3メートル近いコオニユリは見たことはない 二個体が競うように並んでいる
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途中でさまざまな植物に遭遇するけれど一期一会 これからもそのままで
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道はなおも続く ぼくは歩き続ける
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湿原をあとにする
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We will meet again (Queen Elizabeth II)
連邦の人々に寄り添った長き人生の終焉に限りない祝福を。

タグ:黒沢湿原
posted by 平井 吉信 at 20:03| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月19日

台風情報チェックリスト(再掲)


四国では台風が接近しています。
台風情報を集約したブックマーク集を以下に置いています。

台風情報チェックリスト(本文のみ)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/184340384.html
ご活用ください。
posted by 平井 吉信 at 20:45| Comment(0) | 生きる

2022年09月18日

ある漁港の昼下がり 明るいけれどのどかでもあり

仕事で立ち寄った県南部のまち。
そこにあるのは日本の漁港とは思えない風景。

ラテン的(地中海)なのか、アドリア海なのか、リアス海岸的(フィヨルド)なのか。
でもよく見ると山の上に城(天守閣風)があるので。
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日和佐港の昼上がり。
posted by 平井 吉信 at 13:03| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月17日

桜坂 ガリレオ 観音経 KOH+(そして桜坂の輪廻)

テレビは30年以上使っているSONYのトリニトロンブラウン管(プロフィール15インチ)。
現在も骨董品ではなく普段使いだが、テレビを見ることはほとんどなくなった。
番組がつまらないから。人々を幸福にするようなメッセージを伝えていきたいと願っているけれど、映像を見るにしてもインターネット経由でパソコンで見ている。

例えばNHKプラス(見逃し番組が期限付でインターネットで配信される無料サービス)で、Songsで福山雅治と柴咲コウが出演した番組が配信されていたので見てみたらこれがよかった。

ホスト役の大泉洋(ああ鎌倉殿!)が福山(龍馬伝)、柴咲(直虎)の両名を迎える構図から始まる。最初は大河の主役をこなした二人のやりとりから始まってそこへホスト役(大泉カットイン)がやりにくそうに入ってくる間合いのオープニング。

大河としては龍馬伝は歴代でも失敗作と思っている。主役の福山さんが肩に力が入っていて楽しめない。龍馬を演じるのではなく、龍馬が福山を演じるでよかったのにと思う。誰がやっても相手が大物だけに位負けするが、歴史人物の龍馬に会ったことはないが、彼には理想主義と現実の狹間を際どく渡っていく真剣勝負の遊びといった魂の解脱が感じられる。ある意味では福山さんの地の部分と似ているとも思うのだ。いまの彼なら龍馬伝を愉しんでやれるのではないか。

今回の短い番組で彼の話術のおもしろさに感嘆した。笑わせようとしゃかりきになるバラエティ出演者たちと違って、自分がクールでいるがゆえに(それゆえいっそう)次の瞬間のオチへみごとな虹をかけられるのだろうね。かつて日曜夕方のFM番組だったか運転中に聞くともなく聞いていたことを思い出した(ぼくは番組中の彼の語りのものまねができる)。

大河としては失敗作ともいわれる直虎だが、ぼくはおもしろいと思っている。もちろん柴咲さんの魅力が大きいし、俳優としての存在感を極めつけに打ち出した高橋一生が忘れられない。大河では直虎の勝ちといったところ。

直虎で印象に残っているのは、観音経を唱える場面で彼女が旋律をつくって謡いとしていたことだ。どのような場面だったか覚えていないが、里山の風景で画面が引きとなってこだましていく美しさに浸った。このブログでもぼくは祝詞や読経を日常的に行っていることを触れているけれど、実は観音経を謡のように読んでいる(観音経とは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」で普段はその要約版「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」)。

観音経を奏上していくと何度も現れる「念彼観音力」というフレーズに、観音という他力(宇宙の真理)に溶けていく心地がする。「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」まで来ると、自分が消えて天上から響く声を他人の自分が聴くような不思議な心地がする。「種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」の下りではいつも勝手に右手が天に向かって動き、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」で祈りが極まる。
「滅除煩悩炎」で再び空間を切るように手が動いてピークアウトする。その後に続く「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」はフォルテのあとの静かな歌い出しのように張り詰めた静けさに包まれ、コーダに向けて静かに結ぶ。

読経しているとどこからか旋律(謡い・歌舞音曲)が舞い降りてくる。それが観音経の力かもしれない。柴咲さんも同じ体験をされたから自然に出てきたのではないか。
この楽曲は「直虎」のサントラにも収録されていうが「謡い経」として1曲のみの配信で買える。


この二人はご存知「ガリレオ」の主役で近々新作が上映されるという時期。
湯川教授は福山雅治以外はできないだろうと思えるはまり役。それまでの定番だったサスペンスや刑事物の押しつけられた正義感が窮屈かつ退屈と感じた(「相棒」ですら楽しめないのだ)。
湯川教授は数式(論理思考)を信じて淡々と行動するけれど、そこに彼なりのモノサシがある。それは道徳とか倫理観とも違う本能的な心の動きだが、そこを隠してクールを装うのが魅力的なのだ。

ガリレオからのスピンオフで柴咲コウとともにKOH+というユニットを結成しているが、Songsの番組中ではユニットの歌を披露。「KISSして」が愉しかった。その他の楽曲も魅力的で音声だけでもすばらしいが映像が加わるとさらに印象が深まる。いつまでも見ていたい。

CDのみ


CD+DVD


番組では桜坂を3人で3声(オクターブユニゾン+長3度)でさらりと歌うとくつろぎの時間が流れた。
桜坂は福山雅治の世界観が凝縮された楽曲で、桜坂が特定の場所を素材にしているとしても、桜の咲く頃に誰かと肩を並べて歩いたみち、という普遍的な状況に置き換えられる。その普遍性(普通の良さ)が魅力ともいえる。

桜坂は柴咲コウもカバーしている。Amazonプライムでどちらも聴けるが、人肌のぬくもりを飾らず誰にでも普遍のメッセージを届ける福山オリジナル桜坂は低回する節回しが聴き手を揺さぶる。楽曲を桜色に染めて黄昏の空気感を浸透させていく柴咲桜坂もすばらしい。

関係のなさそうな連想がつながった。実におもしろい。

大泉洋も含めて3人のやりとりがなごむのは自分をさらけだしつつ他人を不快にさせないことが自然体でできるからだろうね。
いまの時代の楽曲がつまらないのは音楽をやる人間の責任ではないかもしれない。自分が幸福を感じていないと誰かに幸福感を届けることなどできないでしょう。社会を変える一歩は自分ができることから始めることだけれど、あるべき姿をいつも思い描き続けること、そしてそのことを発信していくこと。この拙いブログに存在価値があるとしたらそこしかない。
posted by 平井 吉信 at 12:29| Comment(0) | 音楽

2022年09月16日

じんわりと濡れた森に立ちこめる水踊る音 多重録音のように耳に残り川沿いを歩く


夏休みが終わってから、夏休みを回想する。
それはもっとも近い夏とは限らない。

あれやこれやと考えるうちに、海山川へ入り浸ってときどきまちの図書館に立ち寄りつつ
あっという間に夏休みが終わった少年時代まで遡ることがあるかもしれない。

具体的な場面は出てこないのに、思い出色という目に見えない色彩を帯びた「夏休み」のこと。
それなのにあのときこの場所じゃなければ、あの人でなければ…と
特定の場面や人のことが毎日何かの瞬間に思い浮かべて切なくなるような。

それまでの二ヶ月、晴れと雨を繰り返しながらも同じ「夏」であったのに
夏休みが終わって半月しか経たないのに急に涼しさを感じる朝こそ、
夏の終わりの景色が秋の始まりと多層的に重なりつつ遷移していることに気付く。

季節が移り人も去って逝く。
去りがたいのは夏の心象風景に生きている人々。

人恋しくなるのは人のいない場所に出かけたとき。
季節の変わり目で森に包まれた川に出かけてしまう。
この場所も新緑の萌え色から深みが増して緑のコクを感じる。

長い前文にいつも辟易しながら読んでいただける方々のために
森に包まれた川の湿度感を届けたい。
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河畔林がつくる小さな木陰の清涼感
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湿潤な森に包まれて目に飛び込んでくる一つひとつの存在に呼び止められる
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初々しいハスノハカズラの実。宝物を見つけた気分
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沢が流れ込む合流点はさらに湿度が高いのに冷気を帯びて涼しい
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流れを上流へとたどるのは思い出を遡るようだ
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おもいがけないひろいもののようなオオナンバンギセル
ということは付近に生えているのはススキということになる
渓流沿いで見たのははじめて。たいがいは高原、草原で見かけるものだから
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適当なところで折り返すと時間軸が過去から現在に戻る感じ
そうか水の流れは心のタイムマシンだったのかと
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なぜか柴咲コウの歌が耳に響いている。この湿度感、じわりと寄り添う密度感、彼女の歌はいつも風が吹いているようだ。
posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月13日

なつかしい道


虫取り網と竹細工の虫かごと水筒を持って
麦わら帽子の半ズボンの少年が誇らしげに歩む
杉や松の林を縫うようにうねる道

あそこを曲がればどんな景色が待っているのだろう
何があるのかな あの空の向こうに

ときめき どきどき わくわく 少しの不安
少年の日はなつかしく
短い夏を駆け抜けた
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posted by 平井 吉信 at 00:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月11日

九月の海 The September Wind


南四国では9月から10月ぐらいが泳ぐのに最適の季節。ほとんど毎月のように同じ海で実際に水に入って確かめてみた。確かに2月は寒かったが。
夏休みでは泳ぐのは8月上旬まで。クラゲが増えてくるから。
さらに盆は土左衛門に足を引っ張られるので水に入らないというのもある。

ところが9月になると状況が変わってくる。
水温は暖かいのに水の透明度は格段に上がる。海水温が上がった今はどうかわからないが、クラゲはその頃には離岸していたように思う。
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夏が終わっても、まだ終わらない夏を引きずる心が波のようだ。
音楽は松岡直也の「The September Wind (You're Romantic) 九月の風」でどうぞ。


(フジX-T2+XF23mmF1.4 R、クラシッククローム)

追記
土左衛門と盆に関しては日和佐町史にも記述があるようだ。
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/43/4330.html
タグ:大砂海岸
posted by 平井 吉信 at 01:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年09月06日

雲ときどき飛行機雲


夕方 植物園に行って空を眺めた

休日であっても仕事や家事をして一段落したら夕方。
だったら近くの植物園を歩いてみようとやってきた。

見たかったのは雲。
夕焼け小焼けでなくても雲はサイダーのようでもありレントゲン写真のようでもあり。
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丘の上まで行って降りてくるともはや影はなくなっていた。
光が柔らかくまわって花はいっそうあでやかに見える。
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おや 飛行機雲が月のそばを伸びていく。
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雲は蒼の水墨画を浮かべたよう。雲は動いていくがぼくは立ち止まって動けない。
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posted by 平井 吉信 at 00:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草