2022年08月24日

もう動かないクロスジギンヤンマ 車でくつろぐトノサマバッタ


県道沿いを走っていて広い場所に何か落ちていると気付いて車を停めた。
ギンヤンマかと思ったが少し違うようだ(クロスジギンヤンマと判明)。
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見つけたときは仰向けでアリを払いのけようと脚を動かすこともあったが
見ているうちに動かなくなった。
この個体には外傷はなく寿命をまっとうしたように見える。
そしてアリを通じて土に還ろうとしている。
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出かけようとしてリアウインドにバッタがいるのが見えた。
トノサマバッタである。
脚の屈伸運動を行っている。これはおもしろい。
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人間のほうを見ているが飛び立つそぶりはない。
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バッタは鏡面のようなガラスに映る自らの姿を愉しんでいるのだろうか。
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タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 12:36| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月23日

コロナ下では省エネに反してもエアコンは内気循環で使ってはいけない&マスクを取ったらアウトの場面


阿波おどりと盆が終わってから徳島の感染症は連日過去最悪を更新し続けるなど著しく悪化している。盆前までの徳島は感染者数は全国でも低いほうから3〜4番であったが、盆後は人口10万人当たりの発生数が全国3〜5位となっているので阿波おどりが要因であると推察される。

報道写真や映像で見る限り踊り手の対策は不十分で感染は起きて当然の状況であった(現に多数の方がクラスター感染してしまった。踊り手は開催の犠牲者ともいえるが、このことは予測できたことで自らの意思で参加しなかった人も多かっただろう)。

多数のマス集団が熱気を帯びて移動すれば野外といえでも感染者のエアロゾルをマスクごしに吸引することになる。従って観客も多数感染されたことだろう。開催によって盆明け後の経済活動にも影響が出た。言葉は慎重でなければならないが、開催が誤ったメッセージを発して社会を分断してしまったともいえる。

とにかくいまは身近に感染者が多数いるのが現状。気になって電話をしてみると感染者には共通点がある。悲壮感がなく明るい声で応答される(自らを鼓舞したり心配させまいという思いもあるのだろう)。
とはいえ体調が急変するのがCOVID-19。もはや当初のSARS-CoV-2から変異が重ねられている。

専門家などの知見を合わせると感染対策(特にマスクの効能)はこんなところではないか。
・マスクは不可欠の感染予防策である。感染者とそうでない人が混ざっていても双方が不織布のマスク(できればサージカルマスク)をしていれば感染のリスクは少ない。
・ただし感染者がマスクをはずしたなら、マスクを付けた感染していない者も感染することがある。マスクは感染予防としてはもっとも有効であるけれど、感染者がつけていればウイルスの放出を防ぐ機能があること、感染者が近傍にいてエアロゾルが存在するときはマスクはリスク低減にはなるが、外からの侵入を100%防ぐことはできないということ(それでも付けておくべき)。
・マスクをはずす場面とは飲食のとき。従って感染予防の見地からは飲食は野外で行うことが望ましい。もしくは相当の換気が行われている店舗を必要短時間で利用するが、その場合でも感染者がマスクをはずして飲食する場合があるので感染のリスクは残る。
・訪問や面談では相手に飲み物を出さないのがエチケット。出されたほうも手を付けない。
・公共交通機関はなるべく避ける。感染者がマスクをはずして飲食を行う可能性がある飛行機や新幹線、特急列車など。普通列車はそれらに比べると飲食はしないうえにローカル線では特にドアが空いている時間が相対的に長くなるのでリスクは低減される。

夏場なので公共交通や自動車のエアコンの運用についてひとこと。
参考までにJR四国の特急うずしお(高松〜徳島)でのCO2センサーの測定値を掲載する。
測定器はNDIR(非分散型赤外線)型のCO2センサーでキャリブレーションを行っているもの。
測定日は2022年7月7日、車両は最新の2700系。その測定値は1000ppmを優に超えている。
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(撮影時は手持ちとしているが、身体から50センチ以上離して計測している値である。この測定器は色によってモニタリングができる。青は700ppm未満、黄色は1000ppm未満。赤は1000ppm以上に設定している。コロナ下ではビル管理法の基準は安全ではないと考えている)

コロナ感染とは直接関係がないが、換気の基準とされるビル管理法での1000ppmを超えていることに留意。コロナでは世界的にどのぐらいの換気(CO2濃度)を行うべきかは定量化されていないが、さまざまな文献を当たった結果の基準値を自分なりに設定してみた。その値は最低でも1人1時間30立米の換気、できれば50立米以上を確保することが望ましいと考えている(JR特急での計測値からは1人1時間30立米未満なのは明らか。JRでは6〜8分で空気が入れ替わるとしている)。

CO2濃度は乗客数(乗車率)に比例するとして、暑い日は冷房が内気循環モード主体に運用されている可能性があると推測している。おそらくはマニュアルなどでのエアコン運用の細則はなく、現場(車掌)の判断に委ねられていると推察される。乗務員は乗客のみならず自らの感染を防ぐことにもつながるので乗車時の現場の判断として外気導入モードを基本とすることを組織内で検討してみてはどうだろう(夏場は多少暑くてもコロナ下では外気導入モードで運用すべきと思っている)。

これは自家用車のエアコンにもいえる。フルオートに設定すれば外気が暑い時期は内気循環で作動する可能性が高い。そこでフルオートは解除して(温度設定はできる)外気導入でエアコンを動かす。これによってコンプレッサーが動く時間が増加するので燃費はやや落ちるが、感染リスクを減らせるので試みる価値はあると思う。

なお、内気循環の副作用はほかにもあって内気循環で長く動かすと二酸化炭素濃度が上昇して判断が鈍りがち、ひいては居眠り運転につながる怖れがあることも指摘しておきたい。ぼくはトンネル内と極端に排気ガスを浴びる状況(整備不良のトラックの発進時など)で一時的に内気循環にするが、基本は外気導入のみとしている。

追記
CO2センサーの値は低いほど感染リスクが低くなるのは当然だが、この数値を下回ったら安全という基準は存在しない。だからといってビル管理法の基準に準拠するというのはウイルス感染に対して合理的とはいえない。従って1000ppm越が安全か危険かという議論は意味がないが、自己判断でそれぞれが自分のいのちを守るために考えて行動すればよい。
ぼくの事務所(仕事場)ではビル管理法の半分の基準500ppm未満で運用している。これは野外(410〜450)とあまり変わらない値となっている。
タグ:JR
posted by 平井 吉信 at 21:58| Comment(0) | 新型コロナウイルス対策

2022年08月20日

蒼い川からひまわりへ ひまわり畑でつかまえて 地元の人の愛を感じる(勝浦町沼江)


蒼い川から2.5km上流の河原で今年(2022年)からひまわりが育てられている。まちおこしグループ「かつうらを美しくする会」のみなさんがつくられたもの。特徴は勝浦川右岸の雑草が茂る河川敷を整地して種をまいたもの。ただそれだけではなく、通路(迷路仕様)が設けられ、両側にひまわり畑が割れて大海原を歩く大魔神の心境になれる。

場所は勝浦町沼江の柳原バス停が目印。森を抜けて直線道路が続くあたり。車も数台停められる。
夕方に仕事を終えてその足で向かった。今回が初めてである。

到着は17時過ぎ、ここのひまわりは東を向いているので西日が逆光となって太陽を縁取るコロナのような輝き(写真を撮るならスマートフォンでは逆光となるので手持ちのデジカメを持っていったほうがいいと思うよ)。でもぼくはこの時間が良かった。
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農薬を使われていないのだろう。昆虫が多いのがうれしい。主に見かけるのは蝶や蛾、そしてトンボ、ミツバチなど蜂の仲間。ただし夕方出かけたにも関わらず蚊は皆無であった。
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ミツバチは足に花粉だんごを付けている
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特に羽が黒くてひらひら舞うように翔ぶハグロトンボがもっとも多い。ひまわり畑を舞う姿は優美で幽玄を感じる。まずこれが見物。
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沈みゆく太陽とともにひまわりと太陽のつくる光の園と呼びたい光彩が次々と万華鏡のように現れる。
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太陽が雲に隠れると写真では違う色彩が現れる(カメラの色温度は太陽光に設定しているのでこうなる)。
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今年見たひまわりのなかでもっとも心を動かされた。その理由は企画実行された人たちの思いが感じられたから。東から西へ向かう(川は西から東へ流れるので下流から上流へということになる)ひまわり畑で散策路が分岐し、それがときどき行き止まりになる。そこで立ち止まる、振り返る。

すると別の光線やら別の角度からひまわりを見ることになる。さっきは気付かなかった植物の存在、虫の営み、そして光の園と呼びたい太陽とひまわりの繰り広げる光彩。ここからは川は見えず空は見えるが、ひまわりに囲まれて人とひまわりの一体感を覚える。おとながそう感じるぐらいなので特に背が高くない子どもだったらどうだろう(もっともぼくも背の高い子どもだけれど)。
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それは来る人への物言わぬおもてなしであり、遠くウクライーナへの思慕すら感じられる。万感を込めたひまわり畑の光の園(というコンセプトを描かれたのだろう)をご準備された方、ありがとうございます。

(追記1 写真撮影のヒント)
青空を背景に夏の思い出を撮りたい人は10時20分〜11時40分ぐらいの間で。今回のように光の光彩を愉しみたいのなら16時50分〜17時35分が潮時。

(追記2 フジのレンズについて)
今回は主としてXF23mmF1.4 RとXF60mmF2.4 R Macroの2本で。23ミリは逆光をものともせず先鋭な画像、それでいて人の心のふるさとを朴訥と描くような画像をもたらしてくれる。
一方の60ミリは逆光ではフードを付けてもコントラストが著しく低下するけれど、その写り具合を見ながらわずかに画角を変えると光の園が目に映し出され、心が動いてシャッターを押す感じ。このレンズはどんな画家でも描けないアウトフォーカスをやわらかくにじませながらも輪郭を失うことなく立体感を持って描く。こんなレンズはフジのなかにも他社のなかにもそうないよね。
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posted by 平井 吉信 at 12:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年08月16日

蒼い川


このところ夕立を伴う天気のときは斜めから薄雲を見るせいか、夕暮れが千変万化を見せる。
この日もいけるかなと近所の川まで来たが、そのまま空が暗くなっていく。
こんな日もある。
川は深沈と蒼く瀬音を立てる。
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帰ろう。
シバテン(河童)が川で遊ぶ時間だから邪魔をしてはいけないのである。
posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

ペルセウス座流星群 満月下で見えたけれど条件悪し


13日は深夜に部屋から寝そべって大流星を見た。
14日はさらに条件が悪化したが、月が雲に隠れがちとなる間に天頂付近で写真撮影を行ってみた。
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ベランダに蚊取り線香と三脚を立てて野外イスから空を眺めた。
肉眼では流星を認めたが、写野には写っていない。しかし星と流れる雲の静止画約100枚を擬似的につないでみた(動画ではなく連続した静止画)。



(フジX-T2+XF23mmF1.4 R。満月が邪魔をするので、微光星を拾いつつ空のコントラストを落とさないためにこれ以上の広角は使えない)
タグ:流星

祖霊供養と人混み回避、読書と歴史を直視する静かな盆


コロナが身の回りにあふれたことが実感できる。身辺や仕事先、近所の店の長期臨時休業でうかがい知ることができる。仕事で打ち合わせをキャンセルした人がいた。この人は3回ワクチンを接種していて感染症対策も知っている人だった。それが1週間ぐらいして電話があり、感染していたとの連絡。どこで感染したか見当が付かないそうだ。

コロナは生命の危機に直結する感染症でインフルエンザとは異なるというのが医療関係者の共通の見解である。人が密集すれば野外といえでも飛沫感染の怖れがあるので阿波おどりもよさこいもやらないほうがよいが、どうしてもやるというのなら観客なしが前提だろう。
踊り子は不織布マスクを付け、かけ声なし、笛などの吹奏楽器は離れたところからのPAも視野に。野外であればこれで感染の危険度は下がる。踊り手も仕事や家庭での立場、状況を顧みれば何が大切かはわかっているはず。

その一方で阿波おどりを心待ちにしている人のために動画配信(ライブ)を有償で行い、その収益に行政が開催費用相当を上乗せして観光関連の宿泊施設、飲食店、交通機関などに分配するという案もある。来年はそのような開催方法も含めて検討してほしい。

ぼくは決して悲観していないが、これまでのCOVID-19の動向を見ていると、ワクチン接種率や集団免疫の獲得よりも変異の速度が速い。時間の経過とともに感染症はむしろ悪化しているように見える。公衆衛生の意識がある日本で世界の感染者の2割を占めている(世界人口70億人に対し1億人なのに)。ある意味ではイベント開催どころか非常事態宣言が出されてもおかしくないと思うのだが。

もっとも留意すべきは空気感染対策、ずばりいえばマスク装着である。マスクを付けると体調が悪化するという人もいるが、感染はもっと怖い。後遺症がどれだけ残存するかは誰にもわからない。1位マスク、1位換気、3,4はないという対策順位。身近なところで付け加えるとしたらスーパーで買い物したら品物を家で洗っていますか?(紙パッケージもふやけるけれど洗えないことはない)。

連日、終戦記念日を迎えて戦争のドキュメンタリーをNHKで放映している。ガダルカナル、インパールを振り返るたびに大本営と軍の上層部に強い憤りを覚える。牟田口中将に至っては晩年になってイギリスの元中佐との手紙のやりとりで、敵から作戦を評価してもらえたとの思い込みで作戦を正当化している。一方で大本営は作戦の責任を否定するなど責任の所在があいまいで上の命令に服従という論理で玉砕していく。情報収集や情報セキュリティを高めることなく相手を過小評価、地形や兵站を検討することなく多くの兵隊、現地の民間人、相手兵士も含めて死に追いやった事実は消えない。

広い視野を持てない井の中の蛙、上から発表されたものを疑いもせず鵜呑みにする危険は、いまの自公政権が支持される状況と変わらない。おかしいこと、間違っていることに蓋をして国民に見せないようにしていることは戦前と変わらないではないか。
読書では、赤木雅子さんの「私は真実が知りたい」を一気に読んだ。恨みつらみだけでない、相手への思いやりも感じられ、どこかで自分を客観的に見つめながら、悩みながらも前へ進める意志は夫のため、夫と同じような境遇を作り出さないための祈りであると感じた。

今年の盆は、歴史を静かに振り返りつつ、いま起こっていることを見つめながら、夜は空を眺め、昼は人混みには行かず、先祖の霊をなぐさめる数日であった。

菩提寺の盂蘭盆会は今年も感染症によって中止となった。それで良いと思う。代わって御札をお送りいただいた。仏壇と墓を清掃し、御札を祀りつつ祖霊を迎えたので読経する。

開経偈
般若心経
観音経(偈)
十三仏真言
光明真言
大師宝号
祈願文
回向

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父をはじめ身近な祖先のみならず、過去の戦争、いまの戦争にも思いを馳せつつ過ごす盆。

posted by 平井 吉信 at 00:17| Comment(0) | 生きる

2022年08月13日

港町の夕暮れ 夏の入道雲やちぎれ雲は劇的に ときにほのかに染まる


駅前には広場があり、そこから幾重にも放射状に広がる道があった。逆に見ればここは収束点。広場の前は京阪神の航路があった場所(旧港という。後に北に新たな港=新港に移った)。船の待合室は鹿鳴館のような瀟洒な建物でハイカラ館とも呼ばれていたが、ぼくが子どもの頃にはユーレイ屋敷と呼ぶようになっていた。さらに昭和の終わりを告げる頃に廃線となり、やがて航路も廃止となった。

往時を知らない人には信じられない話だが、かつては四国の東玄関と呼ばれ、紙テープに見送られて多くの人が旅立った。ちくわ売りのおばさんもいた。鉄道は10数両を連ねて高知、高松、松山へそれぞれ直行する準急列車(今でいう特急)があったらしい。駅は広大な保線区、車両基地でSLが格納されていた。駅近くの踏切は車両の入れ替えなどで頻繁に遮断機が降りる。それは人の手でハンドルを回して上げ下げしていた。保線区内には石炭の貯蔵庫もあった。桜並木やバッタやコオロギがいる野原は鉄道の敷地内であったが、子どもが虫取りをするぐらいは大目に見てくれた。蚊に噛まれて痒いことをかゆいことを除けば1メートル四方に数え切れない虫がいる楽園だった。


昔話をしても仕方がないしぼくも年寄りではない。すみません。前置きが長すぎました。
写真はこちらです。かつての旧港と呼ばれた神田瀬川沿いの場所です。
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梅雨明け後の夕立を伴う天気の日はとにかく雲と黄昏が美しい。燃えるような光は最後の審判のようだし、ほのかな残照にもためいきのような情熱を感じた。これで終わりかと思ったら最後に予想外の朱に染まった。
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、フジX-T2+XF23mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 14:23| Comment(0) | 徳島

ペルセウス座流星群 うお座に大流星 目撃者はいますか?


8月12日の深夜から13日の未明にかけてが2022年のペルセウス座流星群の極大となっている。翌日が土曜日ということで流星群を見ようとしたが、薄曇りと金曜日の仕事疲れで部屋から網戸越しに灯りを消して見ることにした。

窓からは東南の空が見える。窓の中央に木星の輝きがある。木星は射手座の守護星。しばしその瞬きに浸ろうと寝っ転がってほんの数分のできごと。

2022年8月12日、25時25分(8月13日、1時25分)、うお座を横切り木星の近くを薄雲をものともせずつんざくように大流星が流れた。北(天頂)から南(地平)へと流れたので輻射点から散在流星ではなく群流星は明らか。木星の光度から遙かに明るく、マイナス6等以上ではないかと見積もった。音はせず流星痕も認められなかったが、天の裂け目から鋭いマグマのような閃光だった。残念ながら写真は撮っていない。

薄雲と満月の光芒のせいか周囲に2等級以上の輝星は認められなかったため、星座早見で星座を確認したところ、うお座と判断。

四国東南部でほかに目撃された方はいますか?

日本天文学会編による星座早見。大流星が流れた時刻の星夜を再現
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いま欲しいのは渡辺教具製作所によるこの星座早見。主な星雲星団や恒星のスペクトル型まで記載されている。この早見盤が平面ではなく湾曲したものだったらさらに良かった。



お椀型はこちら。南天の歪みが少なくなる。天空を平面に展開するとどうしても南天で星座が横に広がってしまう。お椀型でも歪みは残るが平面よりは少ない。学校で見ていた懐かしさを覚える人もいらっしゃるのでは?






天球儀では空間の歪みは解消されるが、地上(特定の緯度経度)から眺めた星空が想像しにくい。プラネタリウムは半球に投影するのでとても優れた再現方法だときどき眺めてみたくなる。
徳島ではあすたむらんどと阿南市科学センターにあるね。

あすたむらんど徳島のプラネタリウム
https://asutamuland.jp/instits/planetarium/

阿南市科学センターのプラネタリウム
https://www.ananscience.jp/science/planetarium/planetarium.html


追記(小咄)
若い頃、友人知人を誘って(知らない人もたくさん来てくれた)流星群を見る集いをやっていた。ブルーシートに寝っ転がって、夜食も食べたりしながら寡黙に、ときには星そっちのけでおしゃべりをしながらも空を眺めたもの。

流星群なので流れるときは1時間に数十個はみられる。せいぜい1秒未満の刹那に誰もがねがいごとをかける。

ある流れ星の瞬間、若い女性の声で「カネオトコケンコウ」とのつぶやきが聞こえた。誰かが「いまつぶやいたのは誰?」と叫んだ。たいがいは小さな声か口のかたちの願いなのだろうけど、ふいに流れた明るい流星に思わず声(本音)が漏れたのだろうと推察。

富と異性運は理解できる。けれど女性も30歳前後になると健康が願い事に入ってくる(少しずつ調子の悪いところが出てくるんだろうね、肩こりとか腰痛とか)3番目だけれど。庶民のささやかな、いや、実利を追求した現実的なねがいごとに「そうなのか」と頷いた。

でもそんなのどかな時代からすると、いまは自分のことよりももっと大きな枠組みやら社会のあり方を変えていく必要がある。その一方で一人ひとりの生活を尊重する公助の充実が前提。

国は要らないこと(布マスクの配布や補助金やら国葬やら)はするけれど、切羽詰まった人は救わない。貧しい家に生まれた子どもは一生かけてもスタート地点の遅れは挽回できない。少なくとも教育だけは同じ機会を提供するのが国家の役割。そのことが国の経済力を高めたり社会的費用を低減したりすることにつながるのに。つまらんものにカネを使って必要なものに使わない政府を選挙以外にも見つめて声を挙げていかないと。
タグ:流星

2022年08月11日

心のオアシスのようなギタリスト 朴 葵姫(パク・キュヒ) 雲に浮かぶ夢見ごこちの音色


このギタリストは何度か聴いていた。でもAmazonプライムで楽曲を見つけて聞きこんでみたのだ。

技術は飛び抜けているが、ギターを弾かず音楽はギターを包むように内へと凝縮されていく。音色は温かい、線は細くない、響きに溺れない、効果は狙わない。セゴビア、イエペス、ウィリアムズ、ブリームなど欧州の著名ギタリストの誰とも似ていない。

ギターの楽曲はスペインやブラジルなどのローカル色が豊かなものが多いが、彼女は一度ばらして再度彼女の調子で組みたて直す。そのため聞き慣れた楽曲でもどこかリズムやフレージング、強弱が異なって別の楽曲のように聞こえる。東洋人のぼくにはなぜかしっくり来る。
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子どもの頃、親父が持っていた中出阪蔵や河野賢などの手による手工ギターをつま弾くことがあった。中出の表板はドイツ松、裏板はハカランダ(当時は南洋材がまだ入手できた)。重厚でつややかな音色。河野は杉の表板にローズウッドではなかったか。こちらはやや明るく粒立ちが良かったと記憶している。

中学の頃の愛聴盤は、ビートルズやキャンディーズやアリス、中島みゆきなどではなく、ギターの楽曲。特にヴィラ=ロボスの5つの前奏曲が好きで、ヤマハのCA-400プリメイン、シュアーのMMカートの付いたベルトドライブのレコードプレーヤーYP-311、スピーカーは20センチ2ウェイのNS-430。これらは白木の仕上げで当時流行していたパイオニアやトリオ、テクニクスなどのシステムコンポと違って、普及価格帯のバラコンであったが音楽を上品に聴かせる(色づけなくというとわかりやすい)装置であった。しかもNS-430はアッテネッターがなく低域の反応が極めて早い。そのため歯切れの良さはその後に購入したどんなスピーカーも上回った。(残念ながらいまのヤマハのプリメインにはCA-2000やA-2000の遺伝子は受けつがれていないように感じる)。

この装置で中学生がヴィラ=ロボスを聴いているのであった。あれから幾年月、韓国の若い女性ギタリストがヴィラ=ロボスをレパートリに下げて録音したアルバムを聴いた。「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」と銘打たれたアルバムには前奏曲の2番と5番が収録されている(1番をどんなふうに演奏するのだろうか興味がある)。

彼女は決して弦を弾(はじ)かない。ギタリストやピアニストならついこう弾きたくなる。それぞれの固有の楽器を切れよく響かせたい。でもそれをやると、楽器の嫌な面、飽きやすい側面も見えてくる。

彼女はそうではなく、音色はギターとともに音楽がその場にとどまり、聴き手の感情もそこに寄り添う感じ。内へ内へと紡がれる音の原画だけれど、しんねりむっつりしないし退屈もしない。音の響きは決して内向的ではなく外へと波紋を広げていく。さりげないけれど息の長い抑揚、それがもたらすうねりを感じる。もっとも近い日本語の言葉ひとつで表すと豊かさかもしれない。さらに装飾が許されるならば、ゆりかごのような揺さぶるリズム感、楽曲との独白感、心に湧き上がるおだやかな白い雲とでも。

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ぼくがもっとも好きなのは「Saudade(サウダーヂ)−ブラジルギター作品集−」



初めて聞く人はアルハンブラの思い出(これもていねいに弾いている)の入った「FAVORITE SELECTION」



美しい佳曲を味わいたい人は「Harmonia -ハルモニア-」



技術のキレとしっとりと濡れたような表現が両立する「スペインの旅」


コロナで家でいる機会が増えた人へ。心のオアシスのようなギターの音色はいかがですか?
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(写真は8月のあすたむらんど)
タグ:ギター
posted by 平井 吉信 at 00:22| Comment(0) | 音楽

2022年08月08日

ひまわりの咲く国、森を風が吹き抜けるエストニアから歌姫Mari Kalkun


ひまわりは日本固有種ではないけれど、もはや日本の風物詩。
子どもの頃からひまわりが好きで、双葉から本葉が出てすくすく伸びて大輪の花を咲かせる姿を毎日眺めていた。牧野富太郎にはなれないけれど、牧野少年に負けず劣らずの好奇心と生涯に渡る植物への思いは変わらず。

ひまわりといえばウクライーナ。2月に侵攻が始まって6か月目に突入した。これほど長期化するとは想像できなかった。意のままにならなければ国を挙げて威嚇(武力に訴える)する。国益と称して世界のあちことで人間のつまらなさを見せつけられている。

信者を集めては食い物にするカルト集団と自民党との関係が少しずつ明るみに出ている。今回の選挙の前によく考えて投票すべきと書いた。国民をむしばむ政治勢力に投票してどうするのだろう。目覚めよ、国民(の趣旨で記事を書いた)。
NHKが政権の暗黒部をまったく報道しないのはどうしてだろう? 自公政権の闇など見ないふり。ぼくはNHKの受信料の支払いを多くの国民がボイコットしてみてはと考える。権力になびいて忖度しているのはNHKだけではないけれども。
とにかく旧統一教会は明らかな反社。関わりのあった議員は政党を問わず辞任すべき。だって十万円程度の給付金や補助金でも反社会勢力でないことを誓約している一般国民の感情からは有り得ない。

ニュースを見ていると感覚が麻痺してくる。世界のどこかで似たような光景が繰り広げられる。しかしテレビ(パソコン・スマートフォン)のスイッチを切れば縁も切れる。食事は何をつくろう(食べよう)、今度の休みはどう過ごそう?などと日常に戻れるから。もしかしたら心の痛みに気付いていないふりをしているのかもしれない。それは一種の自己防衛反応。

音楽の話題を。
それはエストニアの音楽。まずは国の話題から。
バルト三国のうち、もっとも北に位置するエストニアは北欧のIT先進国で日本が手本とすべき国。国民がIDを持ちながらも個人情報を管理するのは国ではなく本人という先進性。国土でもっとも高い標高は3百メートル少々と平原の森に覆われた大地。

そのエストニアの森や湖を感じさせる音楽がMari Kalkun(マリ・カルクン)。
https://www.youtube.com/watch?v=rQ0debTEu7o

エストニアの少数民族の言葉(volu語)で歌われた大地を潤す雨への感謝の歌である。民族楽器のカンネルの弾き語りの楽曲は素朴だけど心に風が吹く。カンネルはエストニアの琴のような古楽器で指で弾くし弓でこすることもある。

「風」の正体は、風土と人間の一体感、それが歌の原点。森のざわめきや湖の静けさを感じさせてくれるから。

上記の動画で中間部で演奏者による声の掛け合いがある。まるで野生の鳥や獣が互いの存在を確かめ合うよう。エストニアが独立したのはソ連の崩壊のとき。エストニアの人々はそれまで禁じられていた民族音楽を、声を合わせて歌うことで心を通わせて静かな独立を果たしたという。ぼくはMari Kalkunが日本に来たら聴きに行きたい。

上記の動画の楽曲が収録されたCD(Vihmakono)を発注したのが春先だったが、ウクライーナ情勢の影響からか数ヶ月が経過して入荷することはなかった。さらに調べてみると、彼女のCDのライナーノートを書いている東京の小さなCD店があり、そこに取り扱いがあることを知った。この店については以前にも紹介したことがある。この店はジャンルは問わないが特定の音楽を深く紹介しているコンセプト志向。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187188689.html

いまの時代に手づくりの情報で、流行とは相容れないけれど琴線に触れる音楽を1枚1枚紹介している。
https://shop.ameto.biz/

ようやく届いたCDに浸っている。エストニアの森と風を感じる、と書くと情緒的に過ぎる。でもここにはコード進行とかAメロとかサビとかの言葉とは無縁の人類が自然に歌するようになった頃からの遠い時間の風が吹いている。ホモ・サピエンス初期の歌とヨーロッパ大陸の片隅の古楽器、民謡と現代の音楽が境目なく溶け合ったともいえる。

(情報提供)
音楽だけを聴きたい人はmoraの配信がある。
https://mora.jp/package/43000033/A66520/

エストニア語の和訳や歌の世界観などの解説が読みたい人は配信ではなくパッケージで(輸入盤と国内盤があるが国内盤がお勧め)。国内盤のCDで新品が入手できるのはこの店だけ。
https://shop.ameto.biz/?pid=31510541

最新盤「Ilmamõtsan」(邦題:森の世界の中で)はまだ入手できる。視聴してみるとこちらも良かった。いや、さらに純化されている。こちらも必聴。目の前にMari Kalkunがいるようだが、素材を磨いていくとオーディオ的な快感とはまた違う生々しさになったという録音。豊かな音空間が部屋に浸透し心に沁みてくる。


大好きなひまわりを少しだけ。
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ひまわりといえば、斉藤由貴の「風夢」で名曲「砂の城」「12月のカレンダー」に続いてA-4に収録されている。これも名曲。いやこのアルバムでもっとも光っている。


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空はツナガッテイルことをわずれない
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posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 音楽