2022年06月21日

疾走する今宵の銀河鉄道999 愉しませるね


なんだか気分が高揚しているときに、突然聞いてみたくなる音楽がいくつもあるのだけれど、ゴダイゴのこの曲もそう。

ライブではさらに早く疾走する音源が残されていてとても良い感じ。音楽が好きな人たちが愉しみながらやっているよね。
https://www.youtube.com/watch?v=SzEsyg0W5Vs
(ゴダイゴの解散ライブらしいけれど悲壮感など微塵もなく、エンターテインメントに徹することができるプロの集団という感じ)

でも勢いだけじゃない。子どもの頃のぼくはこの曲がうまく歌えなかった。そりゃ、あんなコード進行はこの曲以外に見かけないでしょ。移調と半音階を織り交ぜながら一本の線路のようにうねりながら流れていく。そして凄さがわからないぐらいさりげなく歌っているから。

タケカワユキヒデって日本人なのか外国人なのかわからなかったよ、当時はインターネットなんてなかったし(鼻にかかる日本語の発音が独特で帰国子女かなと思っていた。でもこの声と節回しが魅力なんだよね)。バンドの演奏もすばらしい。抜群のリズム感はスタジオ録音でもはっきりと刻まれている。

夢を求めて宙に旅立つ少年の憧れと野心が旋律に乗ってどこまでも昇っていく。哲朗とメーテルのあの長い長い列車は子どもの頃、近所を走っていた。えんじ色の旅客車両を十数両従えて小松島駅から阿波池田駅へと向かっていたよ。

ガンダーラもよかったね。ほろほろと異国情緒に揺れながら限りない憧れの音織物は類似の音楽がない感じ。たまにトレイに載せてみるゴダイゴのCD、今夜はひさしぶりに聴いた。
posted by 平井 吉信 at 00:51| Comment(0) | 音楽

2022年06月18日

急傾斜地の猿飼集落 お堂、小学校分校、そして貞光川を見下ろす休憩場所(つるぎ町端山地区その3)


再度、国道438号を剣山方面へ向かうが、国道から右折して鳴滝という名瀑を横切るように急傾斜地を縫うように高度を上げていく。
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鳴滝の少し上流には名勝土釜(どがま)がある
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めざす猿飼地区は急傾斜地で暮らしが営まれている地区である。
猿飼地区には端山小学校の分校(休校)があった。民家が固まった場所に学校もある。道幅の狭い猿飼地区で車を唯一置けそうなのが小学校の運動場。
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かつて子どもが通った端山小の分校
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小学校から少し上に新田神社という神社がある。
社とともに地区の人が集まるお堂があるのがつるぎ町の特徴かもしれない。
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分校から下には急傾斜地のそば畑がある。途中には展望台があるが、私有地であるため、そばの花咲く10月頃以外は一般公開されていない。柵越しに展望台とそこから見える谷底(貞光川)を撮影してみた。
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道沿いにあったザクロの花と実。子どもの頃好きだった果実。樹になっているのを見たことがありますか?
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猿飼地区がよくわかる動画をひとつご紹介。この動画は外国人向けに英語で作成されているが良いコンテンツである。

Unique Cycling Tour Japan - A New Life Abroad in Tokushima Japan
https://www.youtube.com/watch?v=gNb2edw55n8

この動画の最初と終わりに出てくるのが猿飼地区と農家の方(西岡田ご夫妻)である。
道の駅に立ち寄ると、動画のなかでも出てくるかずや製菓の菓子が置いてあった。
これは、ふるさと団子。原料は餅粉、きな粉、砂糖、塩のみ。
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この町並みから潜水橋を渡るという構図が待ち受けている。地区の親水度が高い現れ
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潜水橋の先にある旧貞光の町内はうだつの町並みに今年になって新たな取り組みが生まれた。
(ブロンプトンのツアーの新たな目玉となるでしょう)
それは、地元の旧家、折目邸をいまによみがえらせる取り組み。
折目邸 https://www.orimetei.com/

折目邸では、旧家の折目さんから運営を任された北室淳子さんが半田そうめん食堂の運営と宿の管理を行う。にし阿波における画期的な取り組みなので、北室さんからお話を聞けた段階で公開しようと思う。

つるぎ町端山地区の三部作で紹介したこれらの場所は近接している。鳴滝や土釜、温泉まで含めれば一日行程となるかもしれない。独創的な雰囲気の良い場所ではないだろうか。

〔参考〕
徳島県が「にし阿波お勧めビューポイント100選」と称して選定している場所のうち、5箇所を掲載したことになる。猿飼集落の近傍では以前に掲載した吉良のエドヒガン桜がある。

つるぎ町内の選定箇所は以下のとおり。
猿飼のソバ畑
家賀集落の民家
天の岩戸神楽(松尾神社)
白村集落
於安パーク
土釜
岡見堂
家賀の高地傾斜地集落(望郷乃丘)
天の岩戸
東福寺山門
蜂須神社と蜂須崖
桜づつみイルミネーション
鳴滝
貞光太田から美馬橋方面の眺望
旧柴内小学校
貞光二層うだつの町並み
旧永井家庄屋屋敷
織本屋
桜堂とひょうたん桜
吉良のエドヒガン桜
奥大野のアカマツ
赤羽根大師のエノキ
土々呂の滝


(ということで、ロイヤル古林さま、こんな感じでいかがでしょうか?)
posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

どのようにたどり着くのか? 断崖にすがりつく蜂須神社(つるぎ町端山地区その2)


Google地図を使えば場所の特定ができるし行き方もわかる。ところが蜂須(はちす)神社だけは行き方がわからない。ご住職も言われていたが、ほとんどの人が迷うそうだ。

橋を渡って宮平の集落を端山小学校(休校)に向かう途中で、車があらぬ方向へ向きを変えた。急坂を登り切ると突然視界が開けて貞光川へと下る道が現れる。呆気にとられる瞬間である。地図が読める人ほどぴんと来ない(頭の二次元と現実の三次元が同期しない)。でもこの道は大雨の頃は水没するのではないか。
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道に迷って私有地に入り込むなど在所の人に迷惑をかけないよう蜂須神社までの行き方を書いておこう。貞光川沿いを北から南へ向かっているとする。

@国道438号を南下して木綿麻温泉の標識が見えたら右へ旋回する新道から離れて旧道へ直進
A分岐から500メートルで右手に見える橋を渡る
B橋を渡ると左右に分岐のある丁字路を左へ
C丁字路から170メートルで右へ上がる急坂を上がる
(蜂須神社は川沿いにあるのでまっすぐ川沿いに走りたくなるが、端山小学校で行き止まり)
D道なりに急坂を登り切ると右ヘアピンカーブがあって貞光川へと下りていく(一本道)
E川沿いに進むと蜂須神社前の空き地が見えてくる(1〜2台分)
(帰りはUターンするが、車輪を路肩に落とさないよう注意)

ようやくたどりついた貞光川沿いの断崖に埋もれるようにその神社はある。
ご祭神は八千矛命だそうだが、由来はわからず、なぜこんな断崖と水没リスクのある場所にあるのか。
新道がトンネルを越えると左手にチラリと見えるが、新道ができる前までは地元の人以外に存在すら知られることはなかっただろうと思える。
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神社の屋根には落石と思われる痕跡がある。ヘルメットがあったほうが良いが、上を気にしながら短時間で切り上げる
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この道はおそらく行き止まりだろう。
中国の桂林(行ったことはないが)に例えられそうな風景を背に国道438号まで戻っていく。
posted by 平井 吉信 at 22:28| Comment(0) | 山、川、海、山野草

サツキと庭園の東福寺 裏返しの景観も見事(つるぎ町端山地区その1)


つるぎ町は吉野川から貞光川を遡って剣山へ向かう土地である。貞光町、半田町、一宇村が合併してつるぎ町となったもので、新しい町名に違和感がないのは剣山にゆかりがあるから。

つるぎ町はかつて大蛇やツチノコの目撃情報がありテレビ局が入るなど話題を提供してきた。剣山にはアーク伝説やら邪馬台国の研究を行う人もいれば、鳴門秘帖や阿波狸列伝の舞台ともなった神秘の霊山でもある。
さらに旧一宇村は巨樹の里として知られており、町がモニターツアーを行ったこともある。近年では急傾斜地での農業の営みが世界農業遺産に認定された。
https://www.town.tokushima-tsurugi.lg.jp/docs/294781.html

旧半田町内でつくられる半田そうめん手延べ製法でつくられた太めの麺で小麦の風味を堪能できる。このように、おもてなしと神秘が同居するのが、つるぎ町の良いところ。

剣山へ向かって貞光川を遡る最初の入口と呼べる場所が端山(はばやま)地区。貞光川を見下ろす高台に木綿麻(ゆうま)温泉があり、川沿いには急傾斜地が広がっている。

まずは貞光川左岸に位置する東福寺を訪問。ここには樹齢250年以上といわれるサツキの古木や庭園がある。寺では精進料理を提供(要予約)している。山中の寺では車を停める場所に難儀するものだが、ここは広い駐車場が用意されており、山道が苦手な人でもアクセスが容易となっている。

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駐車場では観音像が見守る
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手水鉢で浄めようとすると、あじさいが浮かべられている。花のいのちは短いが、せめて人々の心をなごませよとのご配慮。
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左手にはギンモクセイの古木(金ではなく銀)。ギンモクセイは初めて知った。
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不動明王を本尊とする真言宗の古刹である(もちろんご本尊は本堂にある)
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枯山水の庭。背後にイチョウの巨木がある(写真には写っていないが)
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サツキの古木がある庭を垣の外から見ているとご住職が出てこられた
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あいさつと世間話の後、ご住職のご案内でサツキの庭を寺院内から拝見する幸運に恵まれた
窓枠ごしに見ていると(行ったことはないが)京都の瑠璃光院を連想
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もっと近寄ってみた。すると、どうだろう
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裏手にある泉水の庭もご案内いただいた。山野草が咲き乱れる場所のようで、いまの時期はユキノシタが群生
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親身で飾らないご住職のおもてなしに心を動かされた。貴重な文化財のご説明を伺っていると貞光川を見下ろす山深き真言宗の寺院として地区の安寧を願うとともに、忌部神社の別当として千二百年を超える歴史をまといつつ、地域の文化を気負うことなく自然体で担っておられる印象を受けた。そういえば近所のガキ大将が三日間の修行に行かされたと聞いていたが、ここの「三日坊主」であったのかと。貞光に東福寺あり!
(このあと、道がわかりにくいことで知られる蜂須神社まで先導いただいた。恐縮というかありがたいというか、ご住職の沖田憲信さまのお人柄ゆえ。ありがとうございます)

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posted by 平井 吉信 at 22:16| Comment(0) | 山、川、海、山野草

ハナショウブの庭(那賀川町)


渓流の河畔林や苔むす寺の話題が続いたので華やかな話題を。
那賀川町の住友さんが期間限定で公開されているショウブの庭を見に伺った。
この庭もここ2年は一般公開を取りやめていたが、今年はひさしぶりに見せていただけるとのこと。
混み合わない平日の昼間に少しだけ立ち寄った。
(近くの八坂神社を臨時駐車場とされている)
晴れた昼下がりののどかなひととき。
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posted by 平井 吉信 at 12:05| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年06月06日

森に包まれた渓谷


たびたび訪れている。それも随分と長い期間に及んでいる。ここには数ヶ月に1度やってきて浸る場所としている。それはこの場所が渓流沿いの河畔林に包まれているから。

人と会うのはまれである。沢の音、虫や鳥、カジカの声、渓谷を渡る風。しかも平坦な流れが続いている。よくある階段状の落差が続く渓谷ではないし砂防堰堤もない。
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posted by 平井 吉信 at 21:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

感染症への備えは恒常化したのでは


コロナの3回目のワクチン接種も終わったが、発熱も倦怠感も腕のかゆみなどもなく、翌日には山へ行った。副反応が出ないのは基礎体温が高めであることも原因では?と考えている(36度台後半)。

そろそろマスクを取る時期に来ているのだろうか? 
ぼくはそうは思わない。今世紀中にマスクなしの生活に戻ることはないと予測してそのための対策を行っている。その根拠はパンデミックの根源的な原因が変わっていないから。それはヒトやその家畜が熱帯雨林へ進出して未知のウイルスや風土病によって感染し、移動によって免疫のない感染症として全世界に拡散するという構図に変化がないこと。

つまり熱帯雨林の開発により生態系が破壊され続けるかぎり、ヒトは未知の病原体との接触はなくならず、人の移動がなくならない限り、免疫のない感染症は数十億の個体が密集するヒト族を直撃する。さらにヒトの社会活動が引き起こす温暖化が気温の上昇を招いて悪循環を加速させていること。

日本でも2014年に代々木公園で蚊の媒介によるデング熱が確認された。日本でもこのまま気候は亜熱帯モンスーンに突き進んでいくため、ブナ林は西から消えていくだろうし、農作物も高温に強い品種改良が求められ続けることだろう。陸だけでなく海も海藻が枯渇して磯焼けが進むなど深刻な状態である。さらにそこに巨大台風やらゲリラ豪雨が頻発するようになっている。

かといって家にこもっているわけにはいかない。もし国民の一人ひとりが模範的な感染対策が実行できたら社会生活は注意深くだがコロナ前に近づけることができる。その前提のひとつがマスク着用である。マスクを付けることで皮膚の状態や体調が悪化する場合を除いてマスクは付けておきたい。野外でマスクをはずせる場面もあるという専門家会議の提言は間違っていないが間違ったメッセージとして受け取られないかが懸念される(ぼくも海山川ではマスクはしていない)。

COVID-19によるSARS-CoV-2が数年後に収束したとしても、第二第三の感染症や風土病が流行する土台ができてしまっているという認識で社会生活を組みたてていく必要がある。その際に科学的な根拠が見えない感染防止策やかえって有害な可能性がある対策についても認識しておく必要がある。

優先度の高い対策は以下のとおりと考えている。
(1)換気(全熱交換器などによる常時換気を推薦。換気扇では換気が不十分で快適性も損なわれる。ただし煙や油煙の発生する場所=飲食業など=では空気清浄機は無意味で全熱交換器はフィルター交換の頻度が高くなるので第1種換気=機械吸気&機械排気=を主力に)
(2)マスク(野外で密集していない場面では外せる可能性あり)
(↓ここからは優先度が下がる)
(3)空気清浄機(換気の補完としての役割。HEPAフィルターの付いた4〜5万円クラスを空気が淀みがちな場所や人の密集する場所の近くに設置。ただし人体に悪影響があり得るイオン機能は使わないこと)
(さらに優先度が下がる)
(4)アルコールによる手指消毒(顔に触れない人や手を洗って食べる人にはさほど重要性は高くない)
(5)間仕切り(アクリル板など。ただし飛沫核感染には効果がない)

コロナをきっかけに感染症への備えは恒常化したと考えている。そのことを受け止めて生きていく。


posted by 平井 吉信 at 20:07| Comment(0) | 防災・感染症・サイバー攻撃対策

2022年06月04日

田植えを終えた樫原の棚田(上勝町) 過ぎた日の思い出ではなく未来のあるべき姿を照らす場所として


1996年に学術会議の全国大会を徳島で開催することとなった。この大会は水郷水都全国会議・徳島大会と呼称し、元首相夫人の三木睦子さんを大会長に、徳島大学の2人の教授を代表幹事に置き、アメリカを代表する学者や全国の実務担当者を集めるなど千人規模の大会となったもので、徳島新聞でも前後数週間にわたって特集が組まれた。ぼくはその事務局を担当し、企画、各方面との調整、資金管理(調達と支出管理)、事後の報告書作成やらで明け暮れた1年であった。

大会の前日に全国から集まった参加者に、地元と日本旅行の協力を仰いでエクスカーションを設定した。そのなかのひとつが上勝町で全国棚田百選にも選定された樫原の棚田をめぐるというもの。地元で活動していた谷崎勝祥さんらにご案内いただいた。谷崎さんは樫原の棚田が全国棚田百選となってからもさらに情熱を注がれ、棚田の百姓として生涯を駆け抜けられた。

お誘いを受けて三体の月を見に行ったのもこの頃。これは年に1回、東の海から上る月が三体に分かれて見えるという言い伝え。秋葉神社の裏手の山頂に陣取り、地元のみなさまの寸劇(「綾姫伝説」を題材に樫原在住の竹中さんが凜々しい綾姫に扮しておられた)なども感劇しつつ夜明けを待った。この日は三体の月は見られなかったが、地元の方々と夜更けまで語り明かした。

後に町長になられた笠松和市参事や役場職員でごみゼロの推進者東ひとみさんと出会ったのもこの大会開催をめぐっての打ち合わせがきっかけとなった(笠松参事からは「地元に相談もなく!」とお叱りを受けたのであるが、その後は意気投合して自宅に呼ばれるまでになった)。このお二人はいつも理念を語りながら行動されていた。無念にもひとみさんは五十代半ばで早逝されたが、日本初の「ゼロ・ウェイスト宣言」に向けて地道に精力的に、地元密着&世界視野で行動するなど高い志と精力的な言動が後に続く人たちの道標となった。当時町内のごみゼロを推進する団体の事務局長だった坂野晶さんが2019年の国連ダボス会議で共同議長を務めたことも記憶に新しい。現町長の花本さんも実務能力が高い優れたリーダーである。

つまものをビジネス化した「いろどり」の考案者で(株)いろどりの横石知二さんは不眠不休で上勝での実践を通して日本の農業のあり方に提案をし続けている。農業問題は大規模化や法人化などでは本質的に解決しない。専業農家が楽して暮らしていけることと、小規模の兼業農家が続けていける社会の合意とそのためのしくみが不可欠と主張されている。同感である。

この問題の根底には食糧安保、治水利水と生態系保全、さらには経済や暮らしの質にも直結するので農家の支援という狭い視野で捉えるべきではない(農家が採算が取れる価格で米を販売したら茶碗一杯がいくらになるだろうか? それではつくればつくるだけ損をするという米作りを続けなければならないのだろうか? 国は儲からないから減反せよと2022年でも言い続けているが、有事の際はどうするのだろうか?)。

まずは勝浦川最大の支流旭川流域の田んぼから。小学生の頃、尺のアメゴを釣った場所だ。
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これは2007年10月撮影だが、旭川と河岸段丘上の棚田を俯瞰したもの。樫原の棚田はここからも見えないさらに上にある
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上勝バイオ前から樫原の棚田が最短距離だが、民家や生け垣を縫うように急角度で上る道筋はSUVではきついだろう(山道に慣れない運転手や全幅1.8メートル超えの車は避けた方がいい。その場合は役場の裏手からのルートがいいだろう)

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樫原の棚田へ上がってみると、棚田に水が張られていた。
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前ページでゆこうの酒を紹介したが、そのラベルの1枚がほぼ同じ構図であることに気付いた。写真を撮る人なら見過ごさない構図なのでこれまでも無数の写真が存在するだろう。付近の観望ポイントには棚田を賞賛する写真家たちが名前を連ねた看板があり、地元の写真家に混じってジョニー・ハイマスの名前もあった。
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サロン的な写真では棚田(里山)は伝わらない。何年か時間を過ごすなかで見えてくるものがあると思う
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さまざまな場面が去来する。谷崎さんや地元の方々を思い出しつつ棚田をあとに、次の会議の場所へ向かった。
posted by 平井 吉信 at 13:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草