2022年04月23日

北国へ帰りそびれたスミレ これからも四国でいられるよう 四国でいて欲しい


讃岐山脈(阿讃山脈)は標高数百メートルから1,000メートルの山々が県境を東西に連なり、そこを何本かの国道、県道が山脈を横切るように香川県と徳島県を南北に連絡している。これより北に高い山がないため、冬は北西の季節風が駆け抜ける。

讃岐平野のところどころには丘陵とため池、富士山のようなこんもりとした円錐形の山を絶妙に配する自然がつくりだした里山庭園の趣がある。この地勢のなかで盆栽文化が発展してきたことも頷ける。

里山から一部はブナ林までが分布するこの地域は山野草の種類の豊富さが特徴である。3月下旬から4月下旬にかけていくつか見てきたものがある。

まずはスミレの仲間から。
日本固有種のような学名が付いているコスミレだが東アジアにもあるという。ある種の華やかさを備えている(3月下旬)。
DSCF7402-1.jpg

丸い葉と可憐な白を基調とするのはアオイスミレ。葉が葵のようなことから名付けられた。シハイスミレと同様、早春のスミレ。
DSCF7427-1.jpg

DSCF7440-1.jpg

DSCF7444-1.jpg

DSCF7449-1.jpg

見たことのない大きな葉を持つスミレがある。以前に県南部の平地で見かけて意外に思ったオオタチツボスミレの葉と判断。雪が降る寒冷な地域のスミレだから。
DSCF7414-1.jpg

つぼみを付けた花柄を見つけた。あと2週間ぐらいで開花するかもしれない
DSFT1563.jpg

ユキワリイチゲ、セリバオウレンも群生している
DSCF7418-1.jpg

DSCF7408-1.jpg

ふもとに下りてくるとナガバノタチツボスミレが群生
(この場所の群落は特に花弁の色調と紋様が美しい)
DSCF7479-1.jpg

DSCF7483-1.jpg

DSCF7493-1.jpg

.。'.*.'☆、。・*:'★    .。.・'☆、。・*:'★
  .。'*・☆、。・*:'★     .。・*:'☆
 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

ときは流れて4月中旬、明るい広葉樹の森が連なる稜線を歩く。
DSFT2073-1.jpg

フイリシハイスミレが登山道の脇に点在する
DSCF8878-1.jpg

DSCF8870-1.jpg

前回この山域で見た葉はやはりオオタチツボスミレであった。葉が丸く大きい。背が高い。花の雰囲気もタチツボスミレと少し違う印象がある。
DSCF8925-1.jpg

DSCF8926-1.jpg

それにしても北海道や日本海など豪雪地帯のスミレがなぜ四国の一角に咲いているのか? かつて氷河期の終焉を迎えたころ北へ帰りそびれたのだろう。剣山で見られるツマトリソウなどもそうかもしれない。

この場所(数メートルしか離れていない)にはタチツボスミレの群落もある。なかにはタチツボスミレのなかに1輪だけオオタチツボスミレがある場面も。
DSCF8936-1.jpg

DSCF8937-1.jpg

それなのに両者の交雑(ムラカミタチツボスミレという)は観察されない(どちらも固有の形態を明確に保っている。もし交雑があるとすれば、背の高いオオタチツボスミレよりもさらに背が高くなるはず)。
根拠のない推論だが、交雑種のムラカミタチツボスミレが現れるためには相方のタチツボスミレが北国特有の特徴(山陰型、日本海型など)を備えている必要があるのではないか。

オオタチツボスミレ、見ていると気持ちが和む。
DSCF8940-1.jpg

DSCF8946-1.jpg

DSCF8956-1.jpg

DSCF8958-1.jpg

DSCF8967-1.jpg

DSCF8986-1.jpg

おおらかで伸びやかだけど、葉の曲面やら背が高くてしなやかな造形が佳い。オオタチツボスミレは北国へ帰りそびれたけれど、ブナの森と同様にあと数百年はこの地で種をつないでほしい。温暖化を食い止めなければ生態系は壊れていく。ヒトの役割と責任は重大だ。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

庭のパンジーとクロバスミレとスミレ 半年の移り変わりを刻む


11月中旬に近所の方からいただいた色違いのパンジーが4株。それぞれ1輪か2輪の花を付けていた
DSCF3063.jpg

1月5日、雨に打たれ
DSCF4375-1.jpg

2月17日には雪に埋もれ
DSCF5511.jpg

3月中旬になって花が増えてきた
DSCF6631.jpg

同じ頃、クロバスミレが開花
DSCF6660-1.jpg

3月下旬 クロバスミレの花が増えていく
DSCF7372-1.jpg

ナガバノタチツボスミレのようだ
DSCF7377-1.jpg

4月に入ってクロバスミレが満開となる
DSCF7814.jpg

しかし4月中旬を持たずクロバスミレの花は終わり
パンジーはますます増えていく
DSCF8504.jpg

DSCF8652.jpg

4月19日、スミレが満開となる
(知人宅にあったシクラメンの鉢から生えてきたものを鉢ごといただいて定植したもの)
DSCF9236-1.jpg

DSCF9210-1.jpg

クロバスミレは種を付け始めた(花期約2週間。北米原産でそれほど園芸種として強化されたわけではないのだろう)。
DSCF9224-1.jpg

アマリリス?が開花
DSCF9219-1.jpg

タカサゴユリが伸びてきて 葉裏には緑色のクモ
DSCF9223-1.jpg

植木鉢のアロエのすきまからムラサキカタバミ
DSCF9335-1.jpg

キキョウが伸びていく
DSCF9227.jpg

4月23日、咲き始めて半年を経たパンジーは桃の木の下でいまだ盛りのまま
品種改良された園芸種がこれほどまでとは
DSCF9283-1.jpg

ふと目の前に舞い降りてきたツマグロヒョウモン(距離30センチ)
DSCF9285-1.jpg

パンジーを渡り歩きながら
DSCF9296-1.jpg

地面を歩いて行く
DSCF9309-1.jpg

DSCF9314-1.jpg

スミレ(自生)は最後の一花が咲いて(花期約10日)
DSCF9319.jpg

一足早く花期を終えたスミレがパンジーの前で、また来年とでも…
DSCF9332-1.jpg

小さな庭のスミレ族の暮らしぶりを見ているぼくも同じくこの庭でときを刻む。

タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 12:21| Comment(0) | 家の庭

2022年04月21日

スミレの交わるところヒトあり 遍路道のスミレたち


県南部の遍路道で見かけた。
いや、スミレに目が止まったのではなく桜が咲く里山の風情に惹かれたのでクルマを停めた。
すると足元にスミレが咲いていた。その一角だけ密度高くスミレが集まっている。

アカネスミレのような色彩を感じつつコスミレと同定。コスミレといっても小さいわけではない。
コスミレの学名はViola japonicaで、japonicaとあるが日本固有種ではなく東アジアで見られるという。
変移が多くときに同定が困難となることもある。これはコスミレで間違いないだろう。
DSCF8689-1.jpg

DSCF8692-1.jpg

DSCF8695-1.jpg

DSCF8697-1.jpg

DSCF8703-1.jpg

DSCF8711-1.jpg

その近くで見つけた個体がこれ。花弁は白を基調に紫がかる。
花弁も中心部もぼってりとしている。まるで記憶にはないし図鑑でも見たことがない。
全体に厚ぼったい。まるでわからないが、コスミレの変移の範囲ではないかと推察
DSCF8707-1.jpg

DSCF8707-2.jpg

さらに近くにはシロバナナガバノタチツボスミレ。これも初めて見た。美しい
DSCF8706-1.jpg

DSCF8713-1.jpg

DSCF2678-1.jpg

タチツボスミレが密集している。葉は小さめで花は大きめ。よく見かけるタチツボスミレではなく、コタチツボスミレに近い感じ。もしくは山陰型とか日本海型といわれる氷河期の生き残りのタチツボスミレに近いのかもしれない。
DSCF2665-1.jpg

色の淡い個体があった。炬は白いが花弁は薄紅を帯びた白。シロバナタチツボスミレに近いタチツボスミレ。
DSCF8659-1.jpg

これらのスミレたちはほんの数メートルの距離にある。交雑が起きても不思議ではない。
ここが遍路道にあたることから全国から集まるお遍路さんが種子を運んでくるのかもしれない。
スミレの生息域を拡げるのに、アリやヒトも役に立っている。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月15日

海を見下ろす丘にスミレの群落 桜の夕刻と翌日の朝に


温帯モンスーンから亜寒帯にさしかかる日本には世界でも有数のスミレが自生する。
それは世界でも稀な多様な気候、地形、それらの複合作用の生態系、そして人間が関わる里山の暮らしがあるからである。
川とスミレについてのテーマが多いな、と思われる方、そのとおりです。
だってそれが日本が日本たる本質と思うので。
(ここまでは前投稿と同じ。そこから脱線して語ってしまった)
DSFT1802--1.jpg

スミレに戻そ、スミレに。スミレそのものというよりスミレが生息する風土こそ日本の強みだから。

3年前までは県外からの投稿が半分近くあった。実際に仕事でまわったついでに撮影したものが多い。でもコロナ下ではそうも行かなくなった。

すると家から10分シリーズ、もすこし長く30分シリーズ、1時間ちょっと、ぐらいでブログが廻っている。
今回のスミレは家から10分シリーズ。いやこれまで知らなかった、こんなスミレの楽園があったなんて。コメントはいいから早く見せろって。はいはい。語っているうちにどんどん脱線していくので。今回は奮発していくからね。

まずは斜面のシハイスミレ、フイリシハイスミレ
濃いピンクと濃い緑の葉に白いストライプでぐっと迫る。
DSCF8248-1.jpg

DSCF8252-1.jpg

DSCF8256-1.jpg

おっと、スミレに見とれているうちに日が暮れてしまった。それでもフラッシュで撮る。勝手知った山道だから暗闇でも平気。
DSCF8268-1.jpg

DSCF8276-1.jpg

DSCF8281-1.jpg

DSCF8300-1.jpg

この山に多いナガバノタチツボスミレが群落を形成する。
DSCF8313-1.jpg

DSCF8301-1.jpg

DSCF8305-1.jpg

ああ、時間が惜しい。太陽アゲインということで翌朝、仕事の合間を縫って再び。
やっぱり天国だね、ここは。ナガバノタチツボスミレとフイリシハイスミレの混生の賑やかさ。
DSCF8341-1.jpg

DSCF8349-1.jpg

DSCF8350-1.jpg

DSCF8355-1.jpg

DSCF8357-1.jpg

DSCF8365-1.jpg

DSCF8368-1.jpg

立派な葉だこと
DSCF8391-1.jpg

ナガバノタチツボスミレ
DSCF8396-21.jpg

DSCF8425-1.jpg

DSCF8432-1.jpg

DSCF8437-1.jpg

太陽に祝福されたフデリンドウ
DSCF8417-1.jpg

陽光を照り返すヤマザクラ。
DSCF8443-1.jpg

DSCF8447-1.jpg

ともに万華鏡のようだね。
タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 21:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

徳島には豊かなものがありすぎて


温帯モンスーンから亜寒帯にさしかかる日本には世界でも有数のスミレが自生する。
それは世界でも稀な多様な気候、地形、それらの複合作用の生態系、そして人間が関わる里山の暮らしがあるからである。
川とスミレについてのテーマが多いな、と思われる方、そのとおりです。
だってそれが日本が日本たる本質、四国や徳島の本質と思うので。

意外にも徳島はユリやスミレの種類の多様性は特筆もの。
海だって瀬戸内海から大河の砂が吐き出す海底の紀伊水道、そして太平洋まであるので海の魚の多様性も全国有数。
さらに雨が多いことにかけては南紀と四国東南部が双璧。深い森とそこから流れ出す良質の川に恵まれる。

そこでそれぞれの地区で川による野球を行うとして四国チームを編成してみた。
ちょっと負ける気がしない。いや、まるでほかの地区は土俵が違うという質の違い。
実際に全日本でオーダーを組んでみた。

1番 海部川
2番 沙流川
3番 長良川
4番 吉野川
5番 四万十川
6番 仁淀川
7番 那賀川
8番 熊野川
9番 錦川

DH:釧路川、信濃川、天塩川、江の川
代打の切り札:那珂川、筑後川、川辺川(球磨川)
代走:狩野川 魚野川


その結果、豊富なミネラルを宿した土から良質の野菜が採れる。
香酸柑橘だって、ゆず、ゆこう、すだち、阿波すず香、さなみどりとこれまた美味さわやか。
米だけはもしかしたら他の地域に及ばないかもしれないけれど、産地でなく生産者単位でいうとひけを取らない。

いやはや、徳島には何もかもありすぎてどこを訴求してよいのかわからない。その魅力をひとことのカタカナ(フレーズ)で表現すると「ミネラル・ヒーリング」。
これは1999年に著した「南阿波海部の新しい波〜エコツーリズムによる地域づくり」(国会国立図書館に蔵書)の核心となっている概念。それをアウトドアとしてコンテンツにしたのが「南阿波アウトドア道場」(初版を企画監修して現在は第3版がWeb上に掲載されている。第4版も計画されている)。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/FAQ/docs/00031554/


野田知佑さんが住んでいた日和佐町を例にとっても、海、川、暮らしとも一級品。
鳴門を例にとれば、渦潮、美術館、鳴門鯛、なると金時、レンコン、ドイツ館、一番札所、エクシブとありすぎて何を訴求してよいのやら。

そんなときあれもこれもではなく、特定の誰かのこんな場面で共感してもらえそうな物語を紡ぐというコンテンツの作り方が必要だよね。
posted by 平井 吉信 at 20:48| Comment(0) | 徳島

由岐のまちなみと海を見下ろすときのゆりかご(貝谷峠のブランコ)


遍路道は峠を越えていく。阿南市福井町貝谷と由岐町田井とを結ぶひとのみち。
途中にある峠からさらに海を見下ろす台地にブランコが地元有志のみなさんが設置された。

海を見下ろすブランコといえば同じ海部郡で牟岐町の出羽島を思い出す。
→ 出羽島 アートが島の非日常が人々を結びつける

由岐I.C近くから案内板に従って峠をめざす
DSFT1295.jpg

竹林に覆われた遍路道、途中から雑木が混じるようになる
DSFT1299.jpg

DSFT1308.jpg

DSFT1313-1.jpg

ほどなく松坂峠にさしかかる。展望はない。仏像と石碑がある。
DSFT1325.jpg

DSFT1324.jpg

ここから貝谷峠まで700メートルとある。
DSFT1382-1.jpg

雑木林を抜けていくと三叉路に出る。開けたほうへ行くと海を見下ろす台地に出られる。
DSFT1355-1.jpg

ブランコは2本の木と金属ポールの補強を土台にしている
DSFT1375-1.jpg

海に向かって飛び出していけば、近くに由岐の漁師町と田井ノ浜のある集落に近づいていく。
DSCF6590-1.jpg

DSCF6608-1.jpg

DSCF6609-1.jpg

posted by 平井 吉信 at 20:20| Comment(0) | 里海

2022年04月13日

ネコのイラストが入ってマスクが収納できる手作りのトートバッグはいかがですか?


今回はエコバッグ(トートバッグ)のご紹介を。

徳島市在住の福島宏子さんは数年前のとくしま創業塾をきっかけに起業された方で、咽の保湿を目的に就寝時に息苦しくならないマスク「おやすみマスク」を考案して実用新案を取得されている。これはご自身の親の介護に際して必要性に迫られて開発したもの。どこかに外注することなく本人が1枚1枚手作り(ミシン使用)されている。

しかしその後のコロナ禍で(そもそも目的が違うのだが)布製のおやすみマスクは売れなくなった。もともと裁縫など手先が器用で、人々がどんな場面に困っているかを日常から観察されているので、今回は新たな用途のエコバッグ(商品名「キャット・トート」をつくることとした。
RXM05653-1.jpg

まず目を引くのはねこのイラストがあしらわれているデザイン。柄は6種類ある。表面は麻混というのは特徴。裏面はウレタン生地で多少の濡れに対応できる。
RXM05662-1.jpg

RXM05663-1.jpg

さらに特徴的なのは、買い物の後、カフェに入って一時的にマスクを収納しておくケースが付いていること。
RXM05655-1.jpg

マスクケースを持ち歩く人は意外に少ないように思われる。服のポケットやポシェットなどに入れる場合、なかに入っているものと触れないようにマスクを隔離したい、という場合にうってつけ。また、このマスクケースは取り外して使うこともできる。要はトートバッグとデザイン、生地が一体となっているところが特徴である。

「キャット・トート」の仕様は以下のとおり。
・猫のイラスト6柄を採用(柄の指定はできないかもしれません)。
・表の素材は綿50%、麻50%。
・裏の素材は撥水性と適度な伸縮性を持つウレタン生地
・上部にファスナーなど閉める仕様ではなくネギなどの長いものも飛び出るかたちで収納できる。
・肩掛け式
・マチ付で底部を補強
・紐はジーンズ布でアクセント及び生地の強度を上げている。しかし厚くなりすぎず肩に掛けたときにごわごわしないように配慮

RXM05656-1.jpg

RXM05659-1.jpg

〔販売法〕
・イベントでの展示販売(5/15の「アクアチッタ」予定
・オンライン販売 
・工房での直販

価格は1,500円(+税)を予定されている。
お問い合わせは福島宏子さんまで。
https://www.instagram.com/nekookan518/

RXM05665-1.jpg


posted by 平井 吉信 at 21:55| Comment(0) | くらしとともにあるモノ

ダムができる前の大歩危小歩危がどんな光景であったか 桃源郷のような源流域がそのままここにあったはず(吉野川源流〜大歩危小歩危)


野田さんは、「日本の川を旅する」(モンベル復刻増補版)で1963年頃に大歩危小歩危で潜ったとき、水の余りのきれいさに陶然となったという。20〜30メートル先にアユやアマゴが見えたこと、水温が高く一日中遊んで夜は近くの小学校の宿直室に止めてもらったことなどが最後のページに綴られている。

川が好きな人なら源流域はどこの川も同じぐらい水が澄んでいると思うだろう。それは違う。
ぼくが始めて吉野川の源流を見に行ったとき、やはり水の透明度、美しさに驚愕した。四国の川の源流を見慣れているぼくですらそうだった。それは、水晶の切り口のような断面、この世でもっとも美しい空色(水色)の絵の具でも描けないと思えるような。


例えば仁淀ブルーの極致といわれる安居渓谷もコバルトブルーではあるが、あの色とも異なる。
写真はまだデジカメがなかった頃に吉野川源流をポジで撮影してスキャンしたもので原版の良さは伝わらないかもしれない。レタッチもしていない。

yoshino01.jpg

yoshino02.jpg

yoshino03.jpg

吉野川は源流からほかの川とは違う。ここから194kmの水の旅の始まる玲瓏な大河の趣を持っている。源流については徳島県在住の(故)荒井賢治さん、川ガキ写真家の村山嘉昭さんに良いカットを見せていただいたことがある。これだけでも独立して写真集として出版していただけないかと思っているぐらいである。

吉野川源流はなんと数キロ流れて最初のダムに水を貯められる。長沢ダム、大橋ダム、早明浦ダムと山間の峡谷を次々とダムがせき止める。早明浦ダムから流れ出した水が汗見川などの支流を集めて多少息を吹き返して四国山地の横谷(先行谷)となった地形が大歩危小歩危である。

ダムができる前の吉野川の上流部、いまの早明浦ダムのあたりと思われるが、水没してしまった場所に桃源郷のような流れがあったと高知県佐川出身の作家、森下雨村が記した四国の川の随筆「猿猴川に死す」で書かれていた(四国の川が好きな人は必読!)。


こちらでも触れています
https://www.soratoumi.com/river/enko.htm


かつて四国放送のローカル枠で17時45分から短い旅行商品の紹介番組が放映されていた。
「徳バスサンデーツアー」である。大歩危小歩危から鳴門までが映し出され、吉野川の渓谷の動画に目を見張らされる。早明浦ダムができる前の映像だろう。渓谷の水は緑がかることなくどこまでも空を映して澄んでいる。

背景に流れるのはコール・ポーター作品のYou Do Something To Meのムードオーケストラ調の楽曲。演奏者や動画の存在を知りたくて徳島バスに問い合わせてみたが、当時のことがわかる人は退職しているらしい。知りたいけれど手がかりがない。四国放送に残されていないかな? 

ダムができる前の大歩危小歩危はどんな光景だったか。源流の水は生まれたままの無垢な表情でが人があまり住んでいない嶺北の渓谷を東流し、本山町あたりでようやく里に出るも、再び渓谷となって今度は北流して大歩危小歩危となる。

あの源流の水がそのままスケールアップして大歩危小歩危を流れていたに違いない。野田さんが潜って感じたのはダムができる前と記されているので、このサンデーツアーの映像のような川、すなわち信じがたい空色をしていて別世界の穢れなき表情を持って(断じてコバルトブルーのように緑がかっていない)、白い岩肌を滔々と流れていただろう。

もしあの光景が残っていたなら一生に一度は見ておきたい場面として世界中から観光客を呼び寄せただろう。そして新緑や紅葉など四季の変化を感じていたいと思える光景だっただろう。
徳バスの動画については著作権も切れているはずで誰かがもし録画やデジタルアーカイブでお持ちであればYouTubeにでも投稿して報せて欲しいと思わずにはいられない。

ダムの老朽化(インフラのメンテナンスの問題は橋梁などですでに始まっている)、人口減少と経済活動の持続的な低迷で利水の意義は薄れつつある。22世紀や23世紀の子孫へ思いをはせれば洪水防止なら山林の生態系保全が最善の方法であることも疑いない。いまならダムの撤去も地域活性化の選択肢となり得るのであればとも思うが、自然の復元(ミチゲーション)は容易ではないし費用もかかる。それでもかつての大歩危小歩危を見たいと願わずにはいられない。もし復元することができたら、1年間は仕事を辞めて川のほとりに住んで高価な器材も導入して後世に記録として残したい思いがある。


参考
高知県の山間部には川がある 仁淀川の支流の物語 上八川川 安居渓谷
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186086096.html

四国の川を綴った名著「猿猴川に死す」が復刻されました!
https://www.soratoumi.com/river/enko.htm

早明浦ダムに沈んだ村(1994年に現地を取材して書いた文章、「四国の川と生きる」から)
https://www.soratoumi.com/river/sameura.htm

未来の川のほとりにて―吉野川メッセージ(仲間とともにつくった単行本)
posted by 平井 吉信 at 11:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年04月12日

背の高い子ども かつてそうだったことを覚えていますか?(野田知佑さんを回想する音楽選)

川のほとりで本をめくるのはいつもやっていること。
こないだの投稿では電子インク(電子書籍)を礼賛したけれど、
川風に吹かれているときは紙の本が良いような気がする。

ほら、この本。
「日本の川を旅する」(野田知佑)
DSFT2050-1.jpg


文庫本の初版が出たのが1985年。以来入手が難しくなっていたようだけれど
野田さんと親交のある辰野社長のモンベルから復刻発刊された。
その際に2018年にツーリングを行った「川内川再び」が追加されている。
本所の最後のページには吉野川の大歩危小歩危について触れられている。
日本の川の良さに触れたあとで、「川で遊び、川を好きな人間をたくさん作りたいと思っている」と結ばれている。増補ということであるが、これが単行本として書かれた野田さんの最後のメッセージではないか(吉野川源流については次投稿で触れておきたい)。

そして海部川の河原で読んでいる。
日本の川が無頓着無関心な人の手で元に戻らない破壊が進行している歯がゆさと
子どもの頃の川遊びを切ないまでに追体験しているようで。

それは18ページに記されている。
「自分の腕を信頼して毎日何度か危険を冒し少しシンドクて、孤独で、いつの野の風と光の中で生き、絶えず少年のように胸をときめかせ、海賊のように自由で―」

川下り、川遊びの心象風景として川がとうとうと流れていく。
言い換えれば、背の高い子どもの心が軽やかに舞っていくような。

ぼくはこの本の世界観を表現する音楽(アルバム)を3枚上げてみたい。



「ライフ・サイズ」(中谷隆博)
このアルバムはほんとうに名作。角松敏生がプロデュースした1996年の作品。中谷さんは野田さんと同じ熊本出身の九州男児だが、音は角松的なシティサウンド。それでも有明海に小舟を漕ぎ出してカサゴを釣るコミカルな歌もある。

ところがところがアルバムの楽曲は粒ぞろいで「当時のファッショナブルなシティポップなのね」の先入観を持たずに聞いて欲しい。ぼくはこのアルバムには歌心を感じる。声は声で軽やかで伸びやかでそれでいて軽薄でなく声に溺れない地声の魅力を感じる。

ぼくは数百回聴いているけれど、ついつい運転中にアルバムの再生ボタンを押してしまう。
ファンキーな楽曲が3つ続いた後、4曲目「君を忘れない」がかかる前には心を静めて待つ。するとソロシンセがなつかしい響きを奏で、女性コーラスに導かれて「思い出の扉を開けたら君がいる」と始まる。そして「あの頃のぼくたちはおとなになった。離れ離れの愛はもういまでは遠い物語…」と続く。

年月が流れていまでは名字が変わった憧れの女の子への回想、一つひとつの場面が走馬灯のように蘇る。それぞれにそんな体験があるだろう。ぼくは胸が熱くなる。これは決して都会の雑踏でなく故郷のなつかしい陽射しに包まれた音楽。洗練された楽曲に思いが溢れて止まらない。

5曲目「シェリー」、そして6曲目の「ラスト・メッセージ〜星の王子様が帰る日」でほんとうに大切なものは目には見えないと追憶の彼方に。8曲目の「カサゴ」で熊本弁でのユニークなやりとり、10曲目でまあ、きょうはこんなところです、とでもいいたげに円満に音楽が閉じられる。

当時はあまり売れないまま廃盤となっているけれど、「プラスティック・ラブ」や「真夜中のドア」が見直されているいま、アルバムとしての品質感は(東京が主体となっていない地方色のある楽曲に歌の魂を込めたという点で)それらを上回る。山下達郎でもこれに匹敵するのは「ライド・オン・タイム」や「ARTISAN」ぐらいだろう。廃盤だけれど騙されたと思って中古を手に入れてみて。できればCD復刻(配信でもいいけど)を望む。中谷さんがお読みになられていたらお伝えしたい。「良質の音楽を求める人は必ずいます。売れたかどうかなど関係ありません」。

ところでどうしてこのアルバムを知ったかって? それはこのアルバムがいいよと教えてくれた女性がいたから。彼女の夫が川に人生を捧げるほど無類の川好きだったから。夫婦とも野田さんと親交が深かったから。そして彼女も九州の出身だから。




「BOY](石川セリ)

少年時代や夏を回想させたら井上陽水や石川セリだ。なかでも石川セリの1983年発表のこのアルバム。軽やかな楽曲と綿あめのようなふわふわの声(声がいいよね)、ポップスに浸りたいと思ったらこのアルバムの右に出るものは知らない。

80年代の音楽はいまではシティポップなどと後付けでラベリングされているが、商業主義で深みがない、メッセージ性に欠けると思う人もいるだろう。そんな音楽も少なくないけれど、日常の場面が音楽の衣を身にまとってマイクロスコープで拡大してカレイドスコープで覗き込むトキメキ感は21世紀になってから見当たらないでしょ。それは日本という国が1980年代を境に下りをひた走りしていることとも無関係でないように思う。時代を諦めたようないまの時代の歌に魅力を感じないのは時代背景も影響している。

セリさんのこのアルバムをひとことで言い表すなら、背の高い子どもたちの日常が掌の上で漂う愉悦感。ぼくはこのアルバムを聴いていると旅に出たくなる。ハワイでもスペインでも中東でもいいけれど。

「トール・チルドレン」から「夏の海岸」へと続く流れで、人生がこんなふうに過ぎていくといいな(及びその実感)が汲めども尽きない永遠の泉のように湧き出してくる。同時期のあの大御所女性歌手よりも好きだ。





最後は吉野川の源流から河口までを思い起こさせる音楽を。
「Summer」(ジョージ・ウィンストン)

野田さんだったか、ニコルさんだったかをお招きしたイベントで、徳島の写真家、荒井賢治さんの撮影した吉野川にぼくの撮影したコマを加えて吉野川を紹介する文章をつくり、スライドに合わせて自らナレーションを行い、背景に伴奏させた音楽。ちなみに吉野川源流は5曲目「Lullaby」、第十堰は2曲目「Loreta And Desiree's Bouquet 1 And 2 」、竹林とかんどり舟は1曲目「 Living In The Country」、河口干潟は最後の曲「 "Where Are You Now"」。

水のある自然を即興で描いた心象風景(ぼくのなかでは)ジョージ・ウィンストンの傑作。生も聴きに行った。これまでにもっとも聞きこんだ音楽かな。



野田知佑さんを偲んでこの3枚を聴いた。いま気付いたけれど、共通のテーマは「少年」かも。
おとなはだれもが子どもだったけど、そのことを忘れずにいるおとなはいない。
でも、背の高い少年は天空の川を下っている。


posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 音楽

2022年04月10日

SNSはやっておりません


TwitterやInstagramなどのアカウントを教えて欲しい、フォローしたいなど私信でお問い合わせをいただくことがたまにあるのですが、SNSは手がけておりません。

理由は生きていることを愉しみたいから。時間を自分の思うように使いたいからです。

「映える」写真を投稿して誰かの承認を得る動機はありませんし(すでに社会は認めてくれていると思います)、誰かと比べて自分の相対位置を確認することに関心がありません(人と比べる必要がありますか?)。スマートフォンは持っていますが、必要なときに電源を入れるだけで普段は使っておらず、必要なときに必要な発信が行えるブログが自分に合っているからです。

さらにこのブログのような投稿内容をSNSで伝えられそうになく、むしろ読み手が都合の良い部分のみの引用を行ったり、読解力のなさから来る誤解を招く怖れがあったりするでしょう。

人生の限られた時間を、やりたいこと(仕事と遊びの区別なく)に集中したいし、大切な家族や家事分担(料理、掃除、家の修理などはかなり負担しています。スーパーの買い出しはほぼ毎日など)があります。時間を自らの意思で主体的に使いたいし、その結果起こることは受け容れていくという態度です。あるがままで十分でしょう。

ただし誰かとつながる経路としていのちの糧、生きがいにしている方もいらっしゃいます。その方にとってはSNSは幸福の泉となっているはずです。またウクライナでの戦争犯罪や災害時のように拡散と共有が欠かせない場面もあるでしょう。一人ひとりの幸福感、そのための手段は異なるのでSNSを否定しているわけではありません。
posted by 平井 吉信 at 10:40| Comment(0) | ブログのご説明