木頭村(現那賀町木頭地区)は徳島県の最深部にある。
村役場(現那賀町木頭支所)から徳島空港までは約100km、2時間半。混んでいたら3時間はかかる。
ところが高知空港までは約70km、1.5時間で到着する。しかも渋滞はない。
国道195号線の徳島側(那賀川流域)は曲がりくねっており、車線のない区間もあれば台風で不通になることもしばしば。ところが県境の四つ足峠を越えて高知側(物部川流域)に入るとハイウェイの様相で快適に下ることができる。徳島道(高速)ができる前は国道195号線が徳島市〜高知市間の最短ルートであった。
徳島県内に限れば県内最大の河川は那賀川である。剣山山系の南斜面の水を集めて北川(那賀川源流)と槍戸川(坂州木頭川)が蛇行しつつ紀伊水道へ向かう。北川は木頭村で南川(みながわ)と出会い、さらに下流で坂州木頭川と合流して急流となって海をめざす。鷲敷ラインの辺りでの水量と水流の早さは目を見張るものがある。

かつて玄さん(ぼくが渓流釣りの師匠と思っている森口玄七さん)が若い頃、南川支流の湯涌谷などに入山したとき、昼なお暗い原生林が生い茂る渓相に怖さを覚えたという。那賀川上流域は南紀と並んで日本でもっとも雨が多い地域で年降水量は4000oを越える。木頭から木沢にかけては四国では数少ないツキノワグマの生息域で、ぼくもまだ新しい糞を見たことがある(権田山)。権田山の東のピーク、平家平はかつて登山者が登頂すると話題になるほどの難関であった。
ぼくが木頭村との縁を深めたのは1996年。当時の木頭村は細川内ダム反対運動に村を挙げて取り組み、その先頭に経っていたのが藤田恵さん(木頭村長)である。その藤田村長から藤田堅太郎さん(助役)に面通しされることになる(同姓であるがご親戚ではないと伺っている)。




助役はダムに頼らない振興策として立ち上げた株式会社きとうむらの実質的な責任者であった。業績が芳しくなかったのか議会からも追求を受けていたという。心労のなかで懸命にお仕事をなさっていた誠実な方であったが、お会いして数週間後に助役は自ら命を終えられた。ぼくは天を仰いだ。
その後、村長からのご要請できとうむらの監査役に就任。村議の田村好さんをはじめとする地元の方々にはひとかたならぬご厚情をいただいた。工場長の株田茂さんがその後に村議となられ、中川公輝さんのご支援もいただいた。(株)きとうむらは食品ビジネスに経験豊富でぶれない理念を持っておられる日野雄策さんが社長に就任されて経営が軌道に乗った。日野社長のご尽力には感謝しかない。
木頭村では、大阪から教師を辞めて移住された玄番隆行さん・真紀子さんご夫妻(真紀子さんは「
山もりのババたち―脱ダム村の贈り物」という著書を出版されている)や、きとうむら社員の栗原広之さん・ガナさんご夫妻と親しくなり、村内のご自宅へ遊びに出かけたことがある。
いつだったか、村の夏祭りにも参加したことがあった。
場所は、和無田八幡神社だったか木頭中学校のグラウンドだったか。
中央にやぐらを建てて歌い手と太鼓などの伴奏のなか
踊りながらやぐらをぐるぐる廻る。愉しかった。
祭りといっても都市近郊ではイベントになっているが、木頭の夏祭りは木訥としていて一体感がある。
見る人全員が踊り手となる。
やぐら以外は真っ暗ななか、繰り返す動作、反復する律動、ちらりと見える横顔。
いつしか恍惚状態になる。祖霊を慰める盆踊りは現世の人々の再会の場でもある。
(ショー化した阿波おどりやよさこいでは踊り手と観客に分かれるのでこのスイッチは入らない)。
写真は郡上おどり。郡上八幡を訪れたのが祭りの日だったが、いまでも「かわさき」や「春駒」は踊れる気がする。

だから村の中心部の出原地区、和無田地区、そして北川地区にかけてのメインストリート195は素通りできない場所なのである。
ダム問題で国と闘う木頭村を側面からご支援いただいたのが神奈川県在住のジャーナリストの
まさのあつこさん。同い年の彼女が万感を込めながら理路整然とした文章で社会に投げかける真摯なメッセージの深さは突き抜けている。ある政治家の政策秘書をされていたときも法律が国の基準となっていることから法令づくりに邁進されていた。この国が失ってはならない方である。
ぼくも内閣に提出する質問主意書の原案を作成したことがある。質問主意書とは国会議員が内閣に文書で質問する公式書類で、縦書きで最後に「右これを質問する」などと括る。これについては内閣が公式見解として答弁書を作成して回答を行うもの。
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ときは流れて2022年2月。
そんな回想をしながら久しぶりに木頭地区へ出かけてみようと思ったのは村内の集落の近くで福寿草(自生)が咲いていると聞いたから。
福寿草といえば、随分昔に那賀郡のある山に咲く福寿草を見に行きませんかと呼びかけてツアーを何度か行ったことがある。
山名を伏しているのはその後この山から福寿草が盗掘により絶滅したからである(近年ではわずかに復活しているらしい)。盗掘は厳罰に処すべき。失われた生態系の価値を金銭に置き換えると人間ひとりの一生の収入(罰金)などでは賠償すること叶わぬ価値あるものだから。
ビジネスではないがエコツーリズムという言葉が一般的でない頃から出羽島などの観光地ではない場所に人を募っては出かけていた。当時はSNSもメールもなく、紙媒体と口コミで人を集めていたが、毎回20人を越える同年代の若者が集まった。とある山ではここから2組のカップルが生まれてその後結婚された。
福寿草はスプリングエフェメラル(雪に閉ざされる早春に咲くありさまを妖精に例えた英語の表現)のひとつである。陽だまりに照らされて斜面に咲く姿は黄金色に照り返して福々しい。
前置きが随分長くなったが、出かけることとしよう。
晴れたおだやかな冬日、気温は8度と表示されている。
旧の那賀郡の町名で記せば、阿南市から阿瀬比峠を越えて(親父が赤松川へ鮎釣りに行っていた頃は新道はなく串坂越えの旅の難所。当時のパブリカですら狭く感じられるガートレールのない道であった)鷲敷町、鷲敷ラインを抜けて相生町、赤松川合流点と川口ダム・もみじ川温泉を通過して上那賀町、長安口ダム(かつてワカサギ釣りをしたことがある)を抜けて木頭195号・木沢193号分岐を左折して木頭、高知方面へと続くいまでも速度が上がらない国道195号。
運転を始めて2時間弱、ようやく木頭村内に入ってくると最初に
きとうむらを通過する(本日は定休日であった)。そして村の中心部の出原を抜けて北川地区へ来ると印象的な建築物が見えてくる。これが国際的なデザイン賞を総なめにしたという
未来コンビニである。この構想を実現化したのはかつての堅太郎さんの子息で上場企業
株式会社メディアドゥ/メディアドゥホールディングスを牽引する
藤田恭嗣さんである。
木頭地区に入って西へ向かう国道195号にそびえる石立山。石灰岩質の急登で知られる名山

未来コンビニを東から見る

西から

入ったすぐに黄金の村製造の特産品が並ぶ。店奥にはカフェも併設してイートインもできる

195号でコンビニがあるのは鷲敷町のセブンイレブンが徳島県側で最後であった。ここから数時間はコンビニがないため、集客力は高いはずである。
だからヤマザキショップと提携して木頭村の県境に接する北川地区にコンビニがつくられたことは意義がある。若者や夫婦が村内に定着するためには必要な業態であるが、地元の高齢者も立ち寄るという。もちろん24時間営業は必要ない。
コンビニの意義はそれだけではない。国道195号が途絶するなど災害時は数日間の地元住民の食糧確保にもつながる(ヤマザキの優れた製造技術で保存料に依存せず長期保存が可能となるパンなどがある。一部に加工食品への偏見があるが、人間が生き延びるうえで何が必要かを大所高所から考える必要がある)。ヤマザキショップのFCは24時間営業が不要であることも利点。これらの意義を踏まえて数年前に別の自治体で提案したことがあったが実現しなかった(ヤマザキ社とは1円の利害関係もない)。
未来コンビニへ来店した人は必ず建物の外観を撮影している。きょうは3連休の初日ということもあって、ソフトクリームなどの厨房デザートが大忙しでレジ前で商品を持ったまま随分と待つ必要があった(それは仕方がないこと)。
購入したのは「木頭柚子 青ゆずこしょう」で製造はグループ企業の
株式会社黄金の村。
https://ogonnomura.jp/

いつもはきとうむらの「木頭柚子ごしょう青」を買っているが、それと食べ比べる意味もある。
木頭地区では
柚冬庵さんも良質のゆず製品を製造されていて、それは
良品工房の店舗で手に入るはずである。
きとうむらの柚製品もかつて通販生活のトップに掲載されるほど良質の製品である。わかりやすいのは「
木頭柚子しぼり」。これは比べるものがない感じがする。ゆずが大好きという人、ゆずが苦手という人も試してみては?
https://www.kitomura.jp/食べ比べの結果は
黄金の村は青唐辛子の比重が高めであるが、ぼくの好みはゆずの風味で
きとうむらであった。
それは好みの差でしかない。父が手がけた会社がその後も存続して良質の製品を生み出し、子息は上場して故郷に次々と新たな取り組みで雇用を生み出す。両者が役割分担と協調により未来をつくっていければすばらしいことではないか。
株式会社きとうむら&
株式会社黄金の村前置きがあまりに長くなりすぎたので福寿草は次のコンテンツにするね。