2022年01月31日

真夜中のドア〜Stay With Me〜は終わらない


ここ数年、世界中で高い人気となっている。ラジオを聴いていてもよく耳にするので、おや?と思う。
きっかけはインドネシアのYouTuberが日本語でうたってそれが世界に広まったから。
数年前の竹内まりや - Plastic Loveと同じ。
この曲が世に出たのが1979年(作詞:三浦徳子、作詞:林哲司)。
(林哲司は、杉山清貴、菊池桃子のアルバムづくりには欠かせない人だからVAPレコード専属かと思っていた。菊池桃子のアルバムのリズムセクションなどアイドルとは思えない)
うたっていたのは松原みき。44歳で早逝されたのが痛恨の極み。

手元のレコード盤を探したけれど
好きな曲だったのにシングルを持っていなかったことに気付いた。
聴けば聴くほど歌心があふれて仕方がない。
仕事中も何か足先がステップを踏み、腕がリズムを取って揺れてしまう。

この曲がデビュー曲なのだけれど、新人にこの楽曲とリズム隊を付けるとは
彼女の声が人を惹きつけてやまないからだろう。

真夜中のドア」は多くの人がカバーして動画にしているけれど
本家本元がいちばんという理屈を越えて歌心が別格だから。

音符の長さの揺れがある、などと書くと冷静すぎて伝わらない。
(例えば「そんな気もするわ」の「わ」を早めに入って伸ばす、シンコペのリズムを強調してグルーブ感を出す、それまでの同じ音型の歌詞と違って「心に穴が」で一瞬の間を置いて「空いた」へ着地するところなど。日本語の歌詞と感情のうねりが自然に体現されているね)
それがテクニックというよりは無意識、自然体で出てしまう。
(スタジオ録音でも高揚感があるけれど、ライブであればどんなにか。彼女がライブアルバムを残していないのは残念)

音符の一つひとつにかかる彼女の息が時間を無限に引き延ばす。
気が付けば4分少々しか経っていない。
声の湿り気も声の色もリズムもビブラートもすべて松原みき。
歌の魔法としかいいようがない。

当時はレコード(ビニール盤)だった。
ターンテーブルにシングルかLPを載せて
回転スイッチを押して定速(45rpm or 33-1/3rpm)に達したらそっと針を降ろす。
雰囲気を聴くときはシュアーのMMカートリッジで、声の輪郭を浮かび上がらせたいときはデンオンやオルトフォン、テクニカのMCで。
円盤をモーターが直結して廻すドライブもあればゴムや糸で間接的に廻すドライブもある。
ダイナミック感があるのはダイレクトドライブ、なめらかで艶やかで音楽が躍動するのはベルトドライブ。
針が動き出すと音が出てくる予兆の暗騒音のあとに
動的に音が躍動するあのレコード再生の味わいが待っている。

レコードが人気と聴いてうれしい。
効率化だけを追い求めて沈んだ日本だけれど
非効率であっても所作に何かの感情が伴うもの、
フィルムカメラやチェキ、レコード盤などに
いまの若い人が憧れることがあると聴いてほっとする。
紙の大きなジャケットはそれだけで美術だから。
紙袋からそっと取り出して両手で胸の前に抱えて持つ瞬間、何かを感じるはずだから。

長らく埋もれていたこの楽曲に光を当てたのが
日本語を解さないインドネシアの女性YouTuberというのもいまの時代ならでは。
日本語に憧れて日本の楽曲をうたう白い衣装をまとったあどけないインドネシアの女性。
YouTuberというよりは好きなことを素直に実行している姿勢がほほえましい。
(でもそれが感動的かというとそれは別。プロの歌手の矜持があるから)

カバーはオリジナルを超えないかというとそれは事例による。
PlasticLoveについては背筋が伸びた印象のオリジナル(歌の世界観と歌い手が合っていない感じ。オリジナルが当時ヒットしなかったのもそこに理由があると思う)よりも、Friday Night Plansのほうが好きだ。背徳の翳りと情念のうねりの湿度感で聴き入ってしまう。


ぼくは80年代の音楽が好きでこのブログでも20年近くにわたって書いてきたけれど
それでもまだ書き足りない思いがする。

真夜中のドアは一度聴いたらもう一度聴きたくなる。
りんごジュースをウィルキンソンのジンと炭酸水で割った飲み物をつくってきて
またかける。
飲みながら聴く。
終わったらまたかけてみる。
今度は炭酸水だけを入れてみる。
いや、ジョニーウォーカー 黒を少々。
最後は竹鶴17年の氷割りで。

これでは寝られない。なんでそんなに愉しそうに歌うの?
そんなヴォーカリスト、そんなにいないでしょう。

CDではデビュー曲「真夜中のドア〜Stay With Me」のジャケットを使って、精密なダンパーで信号を記録したこのCDで聴いてみるのはどう?


追記
これだけ世界的に評価が高くなったのはご本人の実力ゆえ。
これが80年代、90年代当時にそうなっていたらと思うことはあるけど、
当時から高く評価していた人は少なくなかったはず。
目立つこと、売れること(バエる、バズるなんて言い方は嫌い)が良いとは限らない。
(SNSは虚栄感にあふれている)
信念を持って生きていければそれでよし。
(金子みすずも生前はいまほど支持されていなかった)
大勢に理解されなくてもきっと誰かが良いと思っている。
例えひとりであっても(もしかして百年後かもしれないけど)
熱烈に支持してくれる人がいれば―。

そう思って生きていくことを
天国の松原みきさんが教えてくれているような気がする。

さらに追記
一連の記事を投稿して数日後の2月4日のNHKラジオの「ごごカフェ」でゲストに林哲司さんを迎えて、「天国にいちばん近い島」のイントロを皮切りに、竹内まりや、松原みきなどの楽曲が作曲者本人の振り返りを交えて放送された。
posted by 平井 吉信 at 23:55| Comment(0) | 音楽

2022年01月29日

井上望 メイク・アップ・ミー

長いこと気になっていながら忘れてしまうことがある。
井上望もそうだった。アイドル歌手に括られるのかもしれないけれど、歌唱力が際立った新人、という印象。

1980年前半はアイドルが百花繚乱。
百恵と交替するかのように裸足の季節で彗星のごとくデビューした松田聖子は2作目の青い珊瑚礁で一気に疾走。いや、デビュー曲ですでに大輪の器を見せていた。
この楽曲は音程の跳躍や部分的な半音など技術的にも難曲で
アイドルのデビューに向けられた無難な楽曲ではない。
作家陣、編曲とも総力を尽くして新人には背伸びした楽曲を提供したところ、
それを乗りこなしたばかりかステップアップの踏み台にしてしまった。
(「夜のヒットスタジオ」初出演で緊張する舞台で伸びやかにうたう動画がYouTubeに残されている)
松田聖子でもっとも好きな楽曲は「小麦色のマーメイド」。シングルレコードB面の「マドラスチェックの恋人」も同じぐらい好き。
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中森明菜の「スローモーション」も抜きんでていたし、河合奈保子、小泉今日子、三田寛子、堀ちえみ、菊池桃子といったアイドルもそれぞれに個性を発揮していた。

そんななかで井上望はいつのまにか見かけなくなったようだけど、
4枚目のシングル「メイク・アップ・ミー」は良かった。
(「裸足の季節」とはリリース日が10日ぐらいしか違わないのだ)

またまた個人的な話で恐縮だけど、
北国から転向してきた同級生のことが気になっていた(南ではなく今度は北)。
「メイク・アップ・ミー」を聴く度に片思いだった彼女のことを思い出す。
垢抜けない雰囲気が魅力でその横顔とはにかむ笑顔に惹かれたのだ。
(声をかければよかったのかも、などと思うこともあったけど)
それがどこか井上望に似ていた。

井上望の動画も奇跡的に残されている。やはりこの曲を余裕で歌っている。
また聴きたくなってきた。配信サイトに載らないかな。
理想をいえば音源の再CD化だけど。


追記
実はいまの井上望の生歌がYouTubeで聴けることを発見した。
ご主人のエド山口さんのチャンネル「エド&望 歌謡曲バンザイ♪」で
夫婦でうたう動画が多数掲載されている。
歌声は相変わらず艶やかで佳き人生を重ねて来られたのだなと推察。
見ていると愉快な気分に♪
https://www.youtube.com/watch?v=4GYRcL8xW-A
https://www.youtube.com/watch?v=FW_XsBS-KGI
(いまの井上望さんでカバー曲集でもつくってもらえないかな)


追記2
今回の投稿とは関係ないけど心地よいカバーバンドを見つけたのでメモに。

「君は天然色」(ナレロ)
https://www.youtube.com/watch?v=yx46JLR38r8

「夢先案内人」(ナレロ)
https://www.youtube.com/watch?v=kmkAycEgxwM

(個人的な意見です)
ナレロのめざす音楽は仲間で愉しみながら演奏していることが伝わるところ。
選曲も琴線に触れるとぼくを含めて多くの人が感じている。
限られた楽器編成で忠実に再現をめざしながらも、そこから先はオリジナリティが発揮されている。
ツインヴォーカルの良さが最大限に発揮されていてレイドバックしてとても心地よい音楽となっています。
声が器楽的にうたっている箇所があるようで、詩の意味を踏まえるとさらにすばらしくなるように思います(音程も探しに行かずに決めるとさらに)。
応援しています。



人は音楽がなければ生きてけない、音楽は究極の愉しさということが伝わってくるね。
posted by 平井 吉信 at 22:33| Comment(0) | 音楽

天国にいちばん近い島はいまでも音楽のなかに


山口百恵の引退から4年後に発売されたシングルがこれ。
1980年代の角川映画は、薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世らを発掘して映画がつくられた。これは同名映画の主題歌。

森村桂の原作のことはよく知らないが、
1ドル360円の時代、海外旅行は誰でも行ける時代でなかった頃に
ニューカレドニアに渡った若い女性の旅行記、だったと記憶している。
原田知世出演の映画も見ていない(特に彼女のファンというわけではない)。
それなのに主題歌だけはいまも、そしてこれからもずっと心にとどまったまま。
レコードは多少年代感は出ているけれど、光を当てない保管のため色彩は失われていない。
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久しぶりに針を落としてみようか、と思ったら
レコードプレーヤーのアースが切断されていてハムノイズが乗る。

それではダウンロードで1曲買うことにしたのだけれど、どの配信サイトにも掲載されていない。
(原田知世で同名曲があってもそれは新しい録音でアレンジも声も当時とは異なっている)

ならCDはと探してようやく1枚だけ見つけた。新品がまだあって700円少々で手に入れた。


さっそく聴いてみよう。レコードとは違うけれど、CDをトレイに載せるときもわくわく感がある。
「時をかける少女」、これは新アレンジだ。ファンにとってはどうだろう?
「愛情物語」が終わっていよいよ順番だ。

ギターのイントロとストリングスが聞こえてきた。
南太平洋の島々をめぐった人ならわかるあの色彩、
間奏のギターの刻みは、珊瑚礁のさざなみの浅緑と環礁の外海の水晶のきらめき。

彼女の声がすべりこんでくる。
「そんなとこ好きだからとても」とささやく。
恋人への思いがしだいに高まると、
「恋したときみんな出会う自分だけの神様」と言葉がひらく。
願いが結晶化した瞬間、旋律は短調に転調。
切なさをかき鳴らしたまま、
天国にあなた、いちばん近い島と結ばれる。
(「あなた」と挿入されるのがとても効果的で作詞の妙)

目印、オペラグラス、そっと手を振って…。
星が降る、甘いテレパシー…。
親密なふたりだけにわかるメッセージがある。

「心の海渡る船が迷わないようにと」鼻に掛かる高音が魅力。
不安と憧れを胸いっぱいに原田知世が楚々と輝く。
4分41秒の魔法だね。

質の高い楽曲をその歌手を輝かせるためにつくる。
80年代は職人技の極みで歌い手とともに感情の編み機を走らせて
普遍的なラブソングを紡いだ。
いいよね、切ないよね。


この音楽から数年後、南太平洋への片道切符の旅に出た。
ニュージーランド、ニューカレドニアを経由して22時間のフライトで
タヒチのファアア国際空港に降り立った。
ポリネシアには切ないラブソングがある。それを聴きたくて赤道の反対側をめざしたのだった。

→ サモア島の歌 ラグビーからポリネシアを思い出した 
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186710885.html

→ 子どもを大切にする国 特急のなかのほのぼのとしたできごと。南太平洋の子どもたちを思い出した
http://soratoumi2.sblo.jp/article/182381227.html

→ 南太平洋「ファイカヴァの恋歌」民族音楽の地球紀行はノンサッチで
http://soratoumi2.sblo.jp/article/97208434.html

posted by 平井 吉信 at 21:15| Comment(0) | 音楽

ステージにマイクを置きました…

ぼくは知らなかった。これが何を意味するかを。

きっかけは知人の女性との何気ない艶っぽい会話から。
その人は「ビキニはステージに置いてきました」といった。

意味が分からないまま、気になったのでしばらくして訊ねると
標題の言葉の暗示でようやくわかった。

1980年10月5日、山口百恵の「伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ」のこと。
最後の曲を歌い終えた彼女がステージにマイクをそっと置いて
振り返らないまま立ち去っていくという場面から。
(それ以後、彼女は一度も舞台に立っていないはず。ぼくはこの場面を知らなかった。近年ではこの演出を模倣した事例があるらしい。映像を見るとぼくには演出には見えない)

ぼくが歌手であったとして、
この映像を見たあとに同じ行動はしない、できない。
(もちろんステージでの動きや行動に著作権はない)。
それは「模倣」を避けるというよりも
歌い手への尊敬の気持ちから。

山口百恵の歌は完成された様式美がある。
ラストコンサートでの語りは音符のない独白のよう。
(ファンの歓声がやや興ざめだがそれも時代の写し絵)
鍛錬されたかたちを持ちながらも
一瞬に思いを込めてうつろう悠久の時間が微分された一期一会。

探してみるといまでもこの映像はDVD、Blu-rayで入手可能という。


山口百恵の楽曲でもっとも好きなのは、
最後のオリジナルアルバムに収録されている「想い出のストロベリーフィールズ」。
詩がほんのりとセピアの色彩を帯びた写真を見るようで
走馬灯が回想されていくように想い出を抱きしめる。
ときが過ぎて戻れない時間が浮かび上がる。
だから人生―。
そんなメッセージを感じる。

「想い出のストロベリーフィールズ」がB面に収録されている限定発売のシングル「一恵」
サイン色紙が封入されている。
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誰が書いたのだろう。
横須賀恵、これは本人のペンネームだった。
ステージでの山口百恵を支えているのは、まなざしの深み。
ノスタルジーを畳みかけるのは杉真理の作曲。

山口百恵は制作側がつくりあげた仮面を付けて歌をうたっている印象があった。
数々のヒット曲はあれども意外に心に響く楽曲が少ない。
そんななかで「想い出のストロベリーフィールズ」は素のままで歌える音楽だったのではと。

初恋の幼なじみが美しく成長して思いがけず再会したあのとき、
ぼくはこの楽曲に出遭って彼女を見るたび胸のなかで鳴らしていた。
(その後一度も逢うことはなく月日が流れた)
そんな「想い出のストロベリーフィールズ」である。

次に好きなのは「乙女座宮」。
セールス的にはもうひとつだったようだけど、
当時の天文少年のぼくは楽曲のきらめく世界観にときめいた。
いま聴いてもその気持ちは変わらない。
(でも、しし座の彼とおとめ座の彼女では相性はもうひとつかな?などと思ったり)

「夢先案内人」にも思い出がある。
とある会合で出遭った初対面の女の子が気になってしかたない。
空色のシャツ、トンボメガネ、黄色のカーディガンでホワイトボードに向かっていた姿を昨日のように覚えている。
その彼女と南の海へ出かけたとき、耳元で歌ってくれた曲。
(これも売上はいまひとつだったのかもしれないけれど、華々しいヒット曲よりぼくはこんな楽曲が好き)

そんなふうに、みんなそれぞれの「山口百恵」があるに違いない。
いまはどこでどう暮らしているのだろうと思うと
切なさとともに、ひと目逢ってみたい気もする。


「想い出のストロベリーフィールズ」を含む最後のオリジナルアルバム「This is my trial」



春夏秋冬をテーマにしたこんな企画が成立するなんて。これは秀逸な企画。新たな価値を訴求している
「山口百恵 日本の四季を歌う」



シングルを集めた2枚組「GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」
posted by 平井 吉信 at 15:03| Comment(0) | 音楽

2022年01月24日

冬の残り火の夕暮れに照らされた丘(とくしま植物園)


家事や事務処理などわずかな時間を縫って散策にやってきた。
ここは徳島市南部に住む人たちにとってなごみの場所となっている。
車が置けて公園と丘陵があって、植生と野生の植物があって、縦横無尽に散策路が走っていて。
(説明なくとも写真だけで散策体験をしていただけるのでは)
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家路をたどる道で考えることもあれば音楽に身を任すこともある。
身体を軽く動かせば冬の夕暮れが少しだけ身近に感じられるようになる。
posted by 平井 吉信 at 23:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

オミクロンへの対策はあるが完全に防ぐことはできない

オミクロン株は多くの人が考えるより深刻と思う。
当初、人には言わなかったが、オミクロン株の特性からコロナが人類と共存に向かう兆候と考えていた。
けれどSARS-CoV-2がもたらすCOVID-19はどのような変移であっても
重症化することもあれば、軽症のまま慢性化して体調不良で仕事を辞める事態さえ起こりえる。
これは変異の種類を問わずSARS-CoV-2の共通項である。

デルタ株もオミクロン株も感染対策は変わっていない。
それは空気感染への備えを行うことである。
CO2センサーによる濃度700ppm未満をひとつの目安に、不織布のマスクを隙間なく装着することでほぼ防げると考えていた。デルタ株までは。

アルコールによる手指消毒は個人的には優先度が低い(必要ないとさえ思っている)。
いくら手指にウイルスが付着しようと自分の顔に触れなければ感染はないからだ。
むしろアルコールによる手荒れや常在菌の死滅などマイナスが大きいため
室内や施設内、店舗内に入るときは行わなくなった。

ところがほとんどの人は無意識に顔に触れたりメガネに触れたりマスクに触れたりする。
だから一般的にはアルコールによる手指減菌は必要悪なのかもしれない。
(ウイルスが付着した自分の手が何かに触れると誰かの指に触れ、その指が顔に触れて感染することになることもあるので)

空気清浄機から噴出されるストリーマ、プラズマクラスター、ナノイーなどの呼称の低濃度オゾンも感染対策には無意味だ(ただしオゾン噴出ではなくHEPAフィルターの部分は効果がある)。海外製の高価な空気清浄機にはHEPAフィルターを備えていないものもあるので購入を見合わせるべき。

ところが険しい口調で手指消毒を催促されることが度々あって
近頃では入室前に自分で行っているとスプレーを見せるか、
行うまねをするなどで心理的さざなみを立てないようにしている。
(そんな人に限って換気には無頓着で指摘すると機嫌を損ねる。空調の快適性が損なわれるからだが、人間関係を損ねたいためにモバイル用のCO2センサーをいつも持ち歩いて相手先で計測して数値と意義の説明を行って換気を啓発している)。
何が大切で何が根拠となっているかを知っていないと本質はわからなくなる。

飛沫感染については不織布のマスクをして大声を出さない、咳をしないようにして
頭の高さまでの遮蔽板があれば防ぎうる。もっとも可視化できてわかりやすい対策だ。

コロナは初期から空気感染があったと考えるべき。中国でのレストランでの感染例がわかりやすい空気感染の顕著な事例であったようにマスクを取る場面では大きなリスクとなる。
もし厚生労働省が主張するように空気感染がないのであれば、マスクを付けて相手に接触しなければ密室に何時間いても感染はしないだろう。ところが三密を避けるべきと主張する厚生労働省。その見解には矛盾がある。ほぼすべての専門家や医療関係者は空気感染を前提に日々の対策を行っているというのに。

オミクロンでは空気感染への感度がさらに上がっていると考えている。
防ごうと思えば、コロナ病棟内での医師が装着している防御服と顔面に跡が残るほど強力な圧のN95マスクでなければならないのかもしれない。

組織内で陽性者が出ると相当の期間にわたって企業活動が損なわれ生産と流通が停滞する。それがサプライチェーンの途絶につながる。
ある店ではコロナ感染が発覚して休業後、十分な対策を施して再開。しかし数ヶ月経過しても客足は戻ってこないという。それまでは行列ができる店であったのだが。しかもその店舗はコロナ対策は感染者が出る前も万全であった。保健所も店名を公開しなかったのは対策ができていたからである。原因は外からの持ち込みで、人が来る以上こればかりは防ぎようがない。しかし再開後の対策はそこまでも踏みこんで行っている。

ワクチン接種についてぼくの周囲でも「打たない主義」の人は決して少なくない。
接種するよう説得しているが、その人たちはこれから先もおそらく接種はしない。
身を持って2回の接種を体験してみたが発熱も倦怠感も腕の痛みやかゆみすらなく、接種後はむしろ身体が軽くなったような気さえした(一種の栄養点滴のような)。
(もちろん個人差があるのでそれが説得力を持つとは思っていない)
さすがに陰謀説など影を潜めているが、人体実験にされたくない、体質が変わってしまう、副反応が怖いなどという。しかしmRNA型のワクチンにそのような魔術はない。
人によって副反応が異なるのは当然で、先天的な遺伝子配列の違いと後天的な健康状況で無害化されたタンパク質であっても過剰に反応が出ることはあり得る。しかし副反応が出るようなウイルス耐性のない人が接種しないままコロナに感染すれば重篤な事態となることは避けられない。

余談だが人によって反応が異なるわかりやすい例はアレルギーである。蕎麦を食べて意識を失うことだってあり得る。ぼくは特にアレルギー体質ではないけれど、ヨーグルト、納豆、牛乳、チーズは体調を崩す食べ物である。空腹時にカフェインを接種しても体調は悪化するが、就寝前に飲んでも平気な人もいる。人によって健康に貢献する食べ物は異なるのだ。原因は腸内細菌の勢力にある。ぼくの腸内では乳酸菌や納豆菌を増やすと腸内バランスが崩れるからではないかと仮説。

身近な親族友人知人でワクチンの接種率を数値化したところ、本日時点でも接種率は40.0%であった。身近な人たちの6割が未接種であることに愕然。ぼくはこの人たちに絶えず情報を提供し続けている。SNSなどの情報ではなく発言者や組織が明らかで科学的な根拠を伴う情報を原文のまま掲載してサマリーを添えている。それでも打とうとしない。
内心ではワクチン接種を義務化しないと救える命が救えなくなると叫びたいところである。
いまからでも遅くないので医師にお金を積んでも接種してもらうよう説得を続けている。

大勢の人と面談したり話をする機会の多い人間がやっておくべき感染対策は鼻うがいである。SARS-CoV-2が咽頭よりも鼻腔粘膜で増殖しやすいという知見があるから。ぼくはぬるま湯に食塩を適量いれて(塩分濃度を気にしないで適当でいい。習慣化するのに面倒は禁物)鼻に流し込むプラスチック製の容器で押し出して咽から出すことを外から帰ったら毎回行っている。仕事帰りだけでなく近所にマスクをして買い物に行ったあとでも行っている。これは風邪やインフルエンザのウイルスも洗浄できて好都合。おかげで毎年数回引いていた風邪がコロナが流行してからは皆無となっている。風邪もウイルスの付いた指が顔に触れること、そこから鼻の粘膜へのウイルスの増殖が原因であったのだ。

オミクロンはそのうち潮が引くごとく消えていくだろうが、ここからの教訓というか数年後の未来が見える気がする。

追記 
どんな教訓、どんな未来かを教えて欲しいとのご要望をいただいたので追記を行った。
その1 感染症蔓延時代の到来
・温暖化と熱帯雨林への進出(生態系破壊)により熱帯の風土病(マラリヤやデング熱など)が高緯度帯へ進出
・コロナウイルスの変異で次々と新型が出現
・鳥インフルエンザなどが変異でヒト型の感染力を保持して猛威を振るう
→ マスクや換気の必要性が常態化

その2 グローバル経済の終焉
・富の偏在と大多数の貧困化が同時進行していく社会では感染症の蔓延は社会の崩壊につながる。そうなれば富裕層とて土台のない社会で崩壊する。
・不要な開発を避けて地域で資源(ヒト、モノ、カネ、情報)を回していかないと経済や社会は持続的にできない。
・このまま推移すれば、水と食糧の危機が遠くない将来に訪れる
・財政の破たんでエネルギーの偏在が問題となる。また老朽化した橋や道など社会インフラの再整備や修繕が困難となれば、身の丈の技術と地域内で共助をまわしていかなければならない。
・農業が儲からないので食糧生産が落ちていく。規模の拡大(儲かる農業)が必ずしも解決策ではない。

要するに感染症多発時代は社会構造に起因する。そして感染が社会構造を破壊するという負の循環に陥る。オミクロンそのものよりもオミクロンがあぶり出す未来予想図に怖さを予感している。





posted by 平井 吉信 at 23:42| Comment(0) | 新型コロナウイルス対策

2022年01月17日

海が見える丘 大神子の大崎半島から日峰山と越ヶ浜を見る


日峰山から見た大神子と大崎半島であった前回と逆で、大神子の大崎半島から日峰山と越ヶ浜を見る。

徳島市と小松島市に挟まれた海域は静かな入江や砂浜と海崖が連続する海域で
勝浦川が運ぶ栄養で磯釣りも期待できる。
勝浦川の源流域はブナの森で知られる高丸山や雲早山がある。
そのミネラルが運ばれてくる。

徳島市側から見ると勝浦川河口、大崎半島、大神子海岸、越ヶ浜、雉子岩、小神子、根井鼻、小松島港と続く。
途中の根井鼻は海崖なので陸地から接近することになるが、岩の屋根筋を通る場所がある。
親父はこの一体を「通り魔」と呼んで近づくなと言っていた。
子どもには危ない場所である。足を滑らせたら終わりであるが、こっそり出かけていた。

小神子は小さな渚だが、沖に雉子岩がある。親父は「一本松」と呼んでいた。
目印となる松の木が生えていたからである。
小神子のなかほどに渚から突き出た磯があってここで波を見るのは楽しみ。
小神子は小松島港の北から峠を越えて下っていくしか道はない静かな場所。
昔ながらの漁師の集落と静かな環境を愛でる人たちが住んでいる。
「我は海の子」という唱歌のような渚である。

かつて小神子と小松島港を見下ろす丘の上に喫茶店があった。
祖父に連れられて来たこの店で飲んだ紅茶のおいしかったことを覚えている。
良い茶葉を使って適切に淹れられたお茶の風味が小学生の心を打ったのだろう。
(ぼくは決してグルメではないけれど、子どもの頃から素材のおいしさには感度があったように思う)

喫茶店の経営者は祖父の知人であったと記憶している。
いつだったか小松島港から船を出して通り魔の沖を回って小神子に抜けて一本松付近まで接近したことがある。港を出て走っているとうねりを感じて外洋と実感した。確かボウゼを釣って港へ帰った子どもの頃の記憶がかすかにある。

海が見える丘にあった喫茶店はその後、富士ゼロックスの保養所へと改修され、
どういうご縁か富士ゼロックスの社員の方に施設内にご招待いただいたことがある。
生態系だったか勝浦川流域の取り組みの勉強会の講師としてでなかったか。

一部上場企業の保養所がなぜ小松島にあったのか、
前オーナーの喫茶店はなぜなくなったのかなどの顛末は知らない。
でも小神子の地が都市近郊でありながら「我は海の子」を彷彿させる漁村であり、漁師の集落でありながら魚の匂いのしない静かなリゾートでもあり、その雰囲気に惹かれてインテリが住む地でもある。

小神子の次に奥小神子と呼んでいる越ヶ浜。どういうわけが越ヶ浜へは海からも陸からも辿り着く道(小径)がなく、十数年前に近くまで行きながら渚(越ヶ浜)には辿り着けなかった。そのときは小神子の集落の上のトラバース道を辿って越ヶ浜の流域(沢筋がある)の谷へ降りていき、海まであと十数メートルで行く手を茨に阻まれたのだ。
数年後に越ヶ浜に注ぐ沢を辿れば浜に出られることを発見しこのブログにも書いた。
それは人気コンテンツとなっていてアクセス数はもしかしたらこのブログでもっとも多い。

いまは遊歩道から沢沿いを下る場所に小さな案内板があってそれを辿れば容易に浜にたどり着けるようになっている。かつてこの渚をめざした折に人里離れた山中に廃屋を見つけて驚いた。海を見下ろす山の斜面にどんな目的でどんな人が住んでいたのか。世捨て人の庵か、はたまた炭焼き小屋のような住居だったか。いまではその廃屋跡すら見つけられなくなってしまった。小神子からのトラバース小径の近傍で見かけたが、草が生い茂り崩落が随所にある廃道となっている。

越ヶ浜を見下ろせる場所は2箇所ある。日峰山山頂から北東尾根の張り出した場所と大神子の北側の尾根沿いをたどる大崎半島の散策路からである。

越ヶ浜から大神子へも道はない。小神子から越ヶ浜へは小径が通じていたが、越ヶ浜から大神子へは小径はない。海崖と岩を越えて一部は引き潮時に磯伝いに行くかしかない。大神子は小神子と違って多少開けた場所で保養施設、テニスコート、キャンプやバーベキューができる場所がある。夏場はこのバーベキュー施設も人気である。

大崎半島は勝浦川河口と大神子の間にある突き出した半島で、大神子から遊歩道を伝って半島の尾根をたどると随所に展望台があり、いくつかの分岐で展望台へ向かう。北へ向かう分岐は勝浦川沿いの海へと降りていく散策路だろう。大崎半島の先端まで行けば、勝浦川河口やら津田海岸、大神子、越ヶ浜と連なる海岸線(小神子は入り江となっていて見えない)、そして根井鼻(通り魔)と小松島湾をはさんで和田の鼻と航空自衛隊基地が見える。

大崎半島を下って北の勝浦川筋へと降りていくと勝浦川河口に張り出した洲が見える。
この一帯は蜂須賀公が「籠の藻風呂」と呼んだ江戸時代の藩侯の保養地でもあった。

徳島市と小松島市の間の海岸の沖合、もしくは津田海岸の沖合に鳥居が沈んでいるといわれる。お亀千軒と言い伝えのある場所である。

コンビニが立ち並ぶ市街地から山を越えればこんな場所がある。徳島市、小松島市に住んでいる人は散策してみるといい。

大神子北部から大崎半島の尾根筋に出て大神子を振り返る
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大神子から見る日峰山山頂北東の尾根(もっとも標高の高い場所)、ここから越ヶ浜(画面左下の渚)が見える。この地は対岸から越ヶ浜と日峰山の裏側が見えている。
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手前の出っ張りが越ヶ浜から小神子へと続く海崖。奧の出っ張りが小神子から小松島港へと続く根井鼻(通り魔)
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尾根は快適な散策路 多少のアップダウンと分岐がある
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植生を見るのも楽しみ
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すみれが群生している場所があるが、この時期は開花していない。このすみれはタチツボスミレの仲間のようだが葉が厚い。もしかして園芸種のクロバスミレの野生化ではないか。
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分岐をたどれば数カ所に展望台がある。対岸の和歌山は晴れていればよく見える
展望台から村瀬真紀さんの小麦屋でつくられたパンをいただいた。良い素材でていねいにつくられたパンは冬のひだまりで潮風に吹かれながら噛みしめる。県内では北島さんのブーランジェリーコパンと村瀬さんの小麦屋が好き。流行のパン屋の盛った外観とは対照的に、素材の良さを愛情を持って引き出しているから。
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大神子から越ヶ浜、裏日峰山
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大崎半島の先端に近づいて来ると磯に降りる小径があるようだ。水の透明度は高い
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大崎半島の先端からさらに進むと下りになって勝浦川筋の海辺に出られる。砂はきめ細かい
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勝浦川筋から北に広がる津田海岸を埋め立てた造成地。津田海岸町はさらに再整備が進んでいるようだ
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この景観がいい。勝浦川河口の洲、遠景に津田の六右衛門がいた津田山、さらに向こうは紀貫之が愛でた眉山。これを見ていると金長まんじゅうが食べたくなる
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河口洲が形成された場所は本来は水衝部だが、山の岩盤に当たってそれ以上南下できず、流速が落ちたところで海の波の作用もあって右岸に堆積が進むのだろう。その一方で左岸は水を流すために掘れているはずである。

帰路の尾根筋から大神子〜越ヶ浜〜小神子北端を見る
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散策路は下っていく
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人々も家路へ向かう夕方
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ドボルザークの新世界のあの第2楽章が心で鳴っていたので車に戻って聴いてみる。USBメモリに入れたケルテス指揮ウィーンフィルのデッカ盤。若きケルテスの渾身の演奏を聴きながらたどる家路。

イシュトヴァン・ケルテス…遊泳中に不慮の事故で43歳でこの世を去ったハンガリーの指揮者。風貌からして芸術への姿勢が伺える。惜しい人を亡くした。海を見ながらの「新世界」はそんな思いが背景にある。



posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年01月15日

海が見える丘 日峰山の東尾根から


冬場であっても歩きたい。でもコロナ下でまちなかを散策するのは気が進まない。
そこで近所の山歩きということで、例によって時間を避けて夕方の16時過ぎに家を出る。
この時間帯だと低山といえども誰かに出会うことはない。日没まで1時間ぐらいなのだから。

日峰山麓は公園の整備中で車が置けないので
山頂近くの駐車場に置いてそこから尾根筋を歩くことにした。

遠く徳島市方面を望めば、1年前に開通した津田からマリンピアへの新町川最下流を渡るアーチと
そこからさらに吉野川最下流に架かる橋が一望できる。
(あなたとふたりで来た丘は港が見える丘♪という歌謡曲があった)。
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近景に戻せば、大神子のフィヨルドのようなたたずまい
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南は小松島港と小松島市の中心市街地。原版では小さな建物の窓枠まで解像されている。
(X-T30+XF35mmF1.4 R)
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車道から散策路へと入る場所で見上げた空。冬らしい色で受け止める心は軽やか。
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低山の夕暮れならではの愉悦感が伝わると思う
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やがて日峰山の山頂(193メートル)へ。
ぼくはずっと日峰神社があるところが山頂と思っていた(165メートル)。
国土地理院では日峰山という表記はなく、「芝山」と記されている。
小松島市民でもそのことを知る人は多くない。
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山頂から北東方面へ尾根をたどると視界が開けて眼下に海が見えてくる。
奥小神子ともいわれる越ヶ浜が日峰山から唯一見える場所である。
(大神子北東の大崎半島からは海岸ごしに対岸の越ヶ浜が見える)
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画面の右上は小神子の沖合にあたる。雉子岩と名付けられているが、一本松と呼んでいた。
近くに見えるが、小神子の浜からは遠い。船で近くまで連れて行かれてボウゼを釣ったことがある。

早春にはニオイタチツボスミレが群生する場所だが、まだその気配はない。
足元の植物を拾っていく(撮影するということね)。
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家路を急ぐ人々の営みが見える気がする。家に帰ろう。
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追記
日峰山の山頂駐車場から東の尾根に向けての散策路は上り下りがあるので距離は短くてもいい運動になる。
縦走時ならペース配分を行うけれど、近所の低山で夕暮れ間近であればブルドーザーのごとく進むだけ。負荷は感じない。

いまの仕事場の室温は8度前後、夏場なら32度〜35度。エアコンも扇風機も置いていない。ただし無印良品で買ったUSB扇風機を手の甲に当てることはある。そうしないとマウスが汗まみれになるから。
でも身体が慣れているのでエアコンがないことは苦になっていない。我慢しているのではなく、必要性を感じていないだけ。足も筋肉も心臓も若い頃とほとんど変わっていない。

なぜそうなんだろう。わからないけれど、ひとつ言えるとしたら
総コレステロールのうちHDLの値とLDLの値が接近している(L/H比)。
数年前で77と87であった。多少の変動はあっても記録を遡る限り変わっていない。
何か運動をやっているわけでもベジタリアンでもないし、甘いものは食べておいしい酒も飲んでいる(ぼくは酒飲みではないけれど、ウイスキー、日本酒、焼酎、泡盛、ジン、ワインも含めて常時20本程度は常備している。ないのはビールだけ。ビールは年に1回飲むかどうか。ノンアルコールの龍馬1865は常備しているけれど)。
それでも数値は変化しないし体重や体脂肪率も変化しない。高校時代とほとんど変わっていないぐらいだ。ときの流れが心の滋養となるとしてもそれを受け止める心と身体が動くことで日々の営みがまた違ってくる。それは良いことだが、動かなかったとしてもそれを受け止めていくことはさらに尊い。あるがままで良いのだ。

posted by 平井 吉信 at 23:41| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2022年01月13日

四国通の風景クイズその74


このシリーズも74番となりました。
さて、この場所は四国のどこでしょう?
四国通ならすぐにわかりますね。
(これまで全問正解者はいません)

ヒント1 飛行機が頭上を飛ぶ
ヒント2 池の周回
ヒント3 あしひきのやまどりのおのごとく街道から近く

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周遊すると1万歩を越えて約1時間
posted by 平井 吉信 at 22:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草

そこにあるからではなく、そこにあるものをでもなく


正月の花がそこにあるから撮ってみた、のではなく、
正月の花を撮りたかった、のでもなく、
正月の花を届ける―。

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posted by 平井 吉信 at 22:01| Comment(0) | 家の庭