2021年12月31日

神棚と仏壇を浄める(大晦日)


神棚にご利益を願ったりはしない。
ただ八百万の神々に感謝を申し上げるだけ。

仏壇にも願い事はしない。ただ先祖や故人となった親族の安らかならんことを祈るだけ。
その過程で祝詞を奏上し、読経する。
きょうは日頃疎遠となっている神々や祖霊の寄である神棚と仏壇を清掃する。

まずは神棚から。
この神棚は三社で屋久杉でつくられている。
眺めているだけで落ち着くオブジェと言える。
茅葺一社も捨てがたいが
中央に天照大御神、右に産土神、左に信仰している神を祀るので三社でいい。
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扉を開けて御札を格納する。
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階段は金で装飾されている。
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屋根の素材感
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清掃が終わったところ
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続いて仏壇。
まずは位牌を別に於いて上から固く絞った水拭きで拭いていく。
表面はポリエステル塗装なので水拭きはなんともない。

仏壇には黒檀と紫檀が主力でうちは紫檀を選んだ。
材質はパーロッサという南洋材。
それが前方を覆うように加工されている(前練りという)。
さらに高級になれば二方練り、三方練り、四方練りと進む。
それだけ稀少材の比重が増すので重量も重くなる。
すべて稀少材のパーロッサということはありえない。
重いし加工もしずらい。もしあるとしても目の玉が飛び出るような価格になってしまう。
おそらくは堅いけれども経年変化に弱くなってしまうかもしれない。
そこで心材に貼り付ける工法(練るという)を採用する。

前練りより落とすと、木の皮を貼った杢貼り、さらに落とすとプリント(印刷)となる。
前練り以上の仏壇の一大産地は徳島。静岡は廉価品と棲み分けている。
近年では唐木を使わない家具調が増えている。
祈りの対象はかたちにとらわれなくていいわけだ。

選ぶ際は清掃がしやすくものにした。この部分に華麗な彫刻を施したものは清掃が面倒になる
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宮殿(くうでん)の部分。彫刻が施されているのが一般的
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欄干はダボで取り外しができるのが高級品。廉価なものは接着してある。
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昔の人は仏壇の隠し扉に預金通帳などをしまっていた。
泥棒も仏壇は開けないというわけだ。
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香炉の部分がもっとも高貴な場所でここに信仰している仏像を置く。
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真言宗なら大日如来を置くことが多い。印を結んだ結跏趺坐ですぐにわかる。
観音菩薩の立像などを置く場合もある。
うちは掛け軸(十三仏)で代用している。
左は不動明王、右は弘法大師。
その不道明王の前に吊ってあるのは浅草の浅草寺で求めた観音様の掛け軸。
(読経するときに観音経も唱えるので)

コロナ下でつつがなく2021年が終わる。
良いことばかりではないが悪いことばかりでもない。
生きていれば生きている。それでいい。
posted by 平井 吉信 at 22:47| Comment(0) | 生きる

2021年12月30日

土の匂いのする道を樫の広場まで歩く子ども 


ぼくが生まれた家の横は土の道で
線路の枕木を立てて囲いとした畑があった。

畑ではトマトやなすびを植えていたが
背の高いヒマワリやタチアオイもあった。
ホウセンカは実が弾けるのがおもしろい。

土の道をしばらく行けば木登りをしたくなる大きな樫があり
その根元に小さな祠(神社)があった。
その神社の前の広場で野球や鬼ごっこ、缶蹴り、温泉、ろくむしなどをした。
野球はゴムボールでするのだが小学生であってもカーブ、ドロップ、シュート、スライダー、フォーク、ナックルのような球を投げていた。
(どの遊びも年長、年少を混ぜているが、年少者には特別ルールがある)
土で団子をつくって掌で擦って虹色の光沢が出ると「金」が出た、などと騒いだ。
いまではこの広場はなくなって、代わりに巨大なたぬきが鎮座している。
駅も線路もなくなってしまった。

線路沿いにも小径があってそこの桜並木は毛虫が多く、アブラゼミやシマヘビもいた。
虫取りで草むらに入るとヤブ蚊に刺されてかゆいことかゆいこと。
ぼりぼり掻いて血が出ればヨモギの葉を揉んで付けた。
イタドリは至るところに生えていておやつ代わりに食べることがあった。
それをおいしいとは思わなかったが、サルビアの蜜は甘かった。

広場を過ぎると駅があった。
駅前は舗装していなくて
そこから四方八方へ道が伸びていた。
(市街地のすべての道がここに集まる放射状の頂点にあった)

夏になれば京阪神からの海水浴客で賑わった横須松原。
帰りは螢の光に見送られながら竹ちくわを買って帰るのだろう。
ぼくは遠浅の海で泳いだあとの海の家での飴湯が思い出に残っている。

駅は始発駅で、そこから長い編成の列車が出発した。
車両基地であったので列車の往来が多く踏切は人力で上げ下げしていた。
バスに乗れば運転手とは別に車掌がいて切符を切ってくれた。

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年末でガスコンロや浴室の清掃、菩提寺へのお礼や近所の和菓子店へお願いしていた餅を取りに行ったり、清掃の途中でワイングラスを落として割ってしまい、急きょ買いに行ったりと一日かけてさまざまな家の用事をしていた(近所のCANDOで買ったがこれが100円?という品質感だった)。

夕食のあと、Amazonプライムで前日見た小津安二郎監督、原節子の「東京物語」に続いて、
きょうは「麦秋」を見た。

冒頭で北鎌倉の駅と背後の山、落ち着いた風情の民家が映し出された。さらに生け垣の土の小径を歩く場面で釘付けとなった。
(鎌倉は首都圏に住む人にとって、まちと自然が融合した憧れの土地と聞いている。鎌倉に住んでいる知人が数人いるが、趣味が良いだけでなく自分の役割を果たしつつ凛と背筋を伸ばして生きている人たち)。

この映画の撮影は昭和20年代だそうだが、すでに北鎌倉駅には電車が走っている。
ちょっと驚いた。東京(丸の内界隈)までは2時間ぐらいかかったのだろうか。
(もしや徳島県外の人がこの記事を読まれていたら、いまも徳島県には電車が走っていない。走っているのは「汽車」といったら驚かれるだろうか。その代わり、線路も道路も走れる列車兼バスは走っているよ。これもほんとうだけど)

小津安二郎の映画はおだやかに時間が過ぎていく。
ぼくは映画はほとんど見ないので映画はわからない。
でも画面を見ていると写真の引き算だなと気付いた。
構図は木村伊兵衛のような美学を感じるし
見せ方が「見せる」という意識(植田正治の砂丘の人物写真のような)を感じる。

スタジオジブリのとなりのトトロは名作だと思うが、
メイが迷子になる事件だけはないほうがいいと思っていた。
麦秋では事件は起こらず日常が淡々と流れていくが、
根っこが固定されて葉がそよぐような演技と演出が続いていく。
ある意味ではソナタ形式のなかで演奏家がカンタービレするような。
嫌な感じはしない。

麦秋では線路と生け垣の小径が出てくる。
線路沿いの土の道はぼくが幼い頃、遊んだ場所。
路上では金だらいに水をはって小さな子どもが水浴びしていた。
(道路は車が通れる車幅はないので人と自転車しか通らない)
子どもばかりではなく、日傘をさして着物を着た女性も通っていた。
家へ帰ると真っ先に足を洗うように言われたことを思い出した。
そこからさまざまな植物に接した原体験がいまも続いているような気がする。

映画館は歩いて数分のところに2軒、八百屋は5〜6軒、
洋食堂、うどん店、駄菓子店、市場、電気店、酒屋、米屋、すし屋、ラーメン店、餃子店、喫茶店、お好み焼き店は徒歩1分以内にあり、出前はいつでも頼めた。ラーメンは白い豚骨系、餃子は生姜や香辛料の聞いたピリ辛系、駄菓子店ではラムネや黒棒をよく買った。喫茶店はほうれんそうが添えられたうどんがおいしい。金長まんじゅうのハレルヤの本店もあった。学校からの帰りはナショナルの電気店の店頭でクーガ115を眺めるのが日課。歴代の日本のラジオのなかで貴公子のように美しい。

ハレルヤ本店の斜め前にあった洋食堂は
祖父が接待で使うことがあったが、たまに家族で出かけることがあった。
ぼくはカレーライスを注文するのだが、卵とグリーンピースが入っていた記憶がある。
(豪華だろう)
このカレーの風味を再現したくて料理をするようになった。
そのうちおもしろくなって、
小学高高学年になる頃には餃子や炒飯、焼きリンゴやドーナツ、ホットケーキ、みそ汁などは日常的につくっていた。

だからいまもつくるのが好きなのだ。
2台のガスコンロ、用途別に分けている4本の包丁、数台の炊飯器、トースター、電子レンジ、電気湯沸かし器、マルチグリル、スロークッカー、スチームコンベクション、3台のタイマー、2台の精米機、温度計を駆使してつくる(同時並行のマルチタスクで走り回りながら調理を行う。ただし電気調理器具は契約電力の関係か同時に3台は使えない)。主力はリバーライト製26センチの鉄のフライパン。小さい頃から使い慣れているので火加減を自在に調整できるし手入れも洗ってガスで乾かして油を塗っておくだけのお手軽。晦日のきょうは包丁をすべて研ぎ、数の子を漬け込み、鰹節を削り出しておいた。

いつのまにか昭和から平成、令和へと時代が変わっていく。



posted by 平井 吉信 at 23:47| Comment(0) | 生きる

2021年12月19日

狸はいまも そしてこれからも 阿波の狸の物語


狸に化かされたことがなければ信じられないだろう。
ぼくも親父も同じ場所で別々の機会に狸に化かされている。
場所は那賀川下流の南岸、桑野川(岡川)との三角州状の地区で
夜間に1時間ばかり同じところを車で徘徊していたというもの。
(親父の車には母が乗っていたので証人がいる。ぼくはひとりで運転していたが自分のことだから信じるまでもない)
ぼくは小学生の頃から地図収集が趣味で知らない土地でも道に迷わない。日本地図など小学3年生の頃には湾や大きな川の位置も含めて宙でかけた。県内ならどこでも土地勘がある(字=あざで話をしてもだいたいわかる)。それなのに迷わされてしまったのだから。

さらに近年になってわかったのは、かねて狸に化かされたことが多いという場所が那賀川北岸(この場所の対岸)にあって目と鼻の先。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html

2016年10月26日発刊の「小松島タウンニュース 第334号」(徳島新聞小松島市販売店会発行)によると、冒頭の泉正夫さんの「あの話この話」で県内の地蔵信仰が綴られている。
そのなかで、狸に化かされないように地蔵を建てた話として以下のように書かれている。
「那賀川町江ノ島、島尻、西原地区には道を通るときにタヌキに化かされないように建てた地蔵がある」

泉正夫先生は小松島高校の教頭をされていた方で「あの話この話」が書籍にならないかと楽しみにしている。退職後も精力的に活動をされている。


かつて芥川賞候補にもなった作家、三田華子さんの「徳島昔ばなし」には言い伝えが多く収録されている。例えば(記憶違いがあるかもしれないがこんな内容)、徳島市の佐古の辺りで夜に眉山で狸火が見えることがあった。狸が遊んでいるから邪魔をしないようにというのが住民の心情。特にやってはいけないことは、狸火を見ながら袖の下から手招きをすればたちまち火が向かってくるという。実際にやった若者がいて火が近づいてきて腰を抜かしたとか。

まあ、この話は一例だが、阿波の狸の話には事欠かない。スタジオジブリの平成狸合戦ぽんぽこの総大将は小松島の金長狸であった。

小松島市のキャラクター「こまポン」は小松島市の登録商標。竹ちくわを持っている。
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小松島市ステーションパーク たぬき公園の巨大なタヌキ像
(かつて小松島駅があった場所で阿波池田行きの10数両編成の列車が手動の踏切を通って煙を吐きながら行き来した)
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金長だぬき郵便局のポストの上にもいる
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日本たぬき学会の大平正道さんによる講演(2008年11月15日)
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南小松島駅前の泉のある公園のたぬき
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この金長狸にゆかりの大和屋の家系(梅山家)が金長神社の宮司を担われている。
→ 雨に打たれる金長神社 春を迎える日はいつまでか
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阿波狸合戦はかつて新興キネマの映画にもなり、その際に建てられたのが金長神社
宗教法人由来でない寺としては珍しく、長らく市民に親しまれてきた。
小松島市が運動公園に整備するため取り壊されようとしていた際に
地元住民が署名を集めて守るための組織を立ち上げた。
(修繕には1千万円以上かかる見通し。ご寄付は以下へ。清掃のお手伝いも歓迎)
 → 一般社団法人 金長と狸文化伝承の会 

その代表となられて活躍されたのが松村優子さんや地蔵寺のご住職であった。
松村さんからいただいた藍の染料で描かれた書画は宝物となっている。
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→ あいいろ企画株式会社の運営するIndigo MINERVA

マクドナルド小松島店の近くに藤樹寺という寺がある。
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境内の一角で祀られているのが藤ノ木寺の鷹とその子の小鷹、弟の熊鷹という狸である。鷹は金長の一の子分であったが、四国の総大将、津田の六右衛門に謀反の疑いをかけられてやむなく合戦となった折、一騎打ちで六右衛門に噛みつかれた深手を負った金長をかばいながら日開野(小松島)まで逃げ延びたが、鷹は一命を落とす。金長も三日三晩苦しんでこの世を去る。津田方も大将の六右衛門が一騎打ちで敗れて双方の大将が倒れる壮絶な闘いであった。合戦の後、無数の狸の屍が勝浦川下流(論田から大原地区だろう)を埋めたという。
→ 阿波狸合戦のあった勝浦川下流の散策(徳島市南部の論田、大原、小松島市江田地区)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/185077495.html

2代目金長を継いだのは一の子分 藤ノ木寺の鷹(当時は寺社などに狸が棲んでいた)の息子、小鷹である。六右衛門の継承者、津田の千住太郎と和解して阿波の狸界に平和が戻った。

ここから始まるのが三田華子さんの「阿波狸列伝」である。
最初は在所の狸の活躍など小咄から始まるが、そのうちなんだかきな臭い匂いが混じるようになる。他国から某かの陰謀が感じられ、今度は2代目金長や千住太郎、それを取り巻く堅気の狸たちの奮闘を描いている。阿波の国、お城下、そして剣山を舞台に繰り広げられる人情話や妖怪変化の怪奇譚、冒険話、陰陽道などが散りばめられてスターウォーズやハリーポッターよりずっとおもしろいよ。メディアドゥさん、版元の小山助学館さんや著作者の三田華子さんのご親族と協議してこれを電子書籍化してみませんか?(紙媒体での流通リスクとどこでも読めるために電子化がいいと思う)
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『阿波狸列伝』第1巻「風雲の巻」、小山助学館、1959年5月。
『阿波狸列伝』第2巻「変化の巻」、小山助学館、1979年4月。
『阿波狸列伝』第3巻「通天の巻」、小山助学館、1979年7月。

お城下の3大女傑狸といえば、臨江寺のお松、興源寺のお染、妙長寺のお睦だが、
うちは毎年冬になるとお睦さんから御札が送られてくる。
そもそもぼくの名前は近所に狸の憑いた方が柳町の路地の奥まった一角に日吉大明神という祠を祀っておられたがその方が付けたという。ほんまか?

小松島というか徳島を代表する銘菓といえば金長まんじゅう。
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生みの親は二条通にあったハレルヤ製菓。
(うちから歩いて2分、走れば1分)
誕生日に買ってもらえるアップルパイやたぬきのケーキは楽しみだった。

水瀬マユさんの「姫さま狸の恋算用」は小松島や金長神社が舞台となったコミック作品。著者のサイン入りの初版を持っている


さても狸づくしのようであるが
今朝の徳島新聞を開くと、「長道のお絹」という徳島市安宅町界隈に住んで美人に化けていたお絹という狸が近頃人々が驚かなくなったので霊力を高めるために助任の万福寺の三太郎狸に会いに出かける途中で夕立に遭い、雨宿りに立ち寄った軒先で下駄師の爺さんに呼び止められて爺さんの話を聴いて諭される(爺さんは着物から尻尾が覗いていたので狸と気付いたがそんなことに構わず人生の深い話を語った)。寄稿されたのは徳島文理大の名誉教授の飯原一夫先生である。

子どもの頃はこっくりさんという遊びがあった。狐狗狸とも書くが、動物のお告げを聞くというもの。ほんとうに動物だったか人間の霊が変化したものかはわからないが、あまり深入りしないほうが良いのは確か。

こんなふうに阿波国、徳島では人と狸が文字どおり境目なく共生していた。
(知的な方も、ふつうのいなかのおっちゃんおばちゃんも狸について語る語る)
蛇足ながら蜂須賀家を藩主とする徳島藩はあるが阿波藩はない。徳島藩は阿波と淡路を所領する25万石であるが、実際は藍商人など藍や塩などの産物の利益(含み益)があって40万石以上とされた。そんな風土のなかで阿波の狸の物語が育まれてきたのだろう。

でもいまは政治家に化かされないようにしなければならない。ニュースやマスコミの報道を裏読みしていかないと真実はわかりませんよ。SNSの情報も悪意を持って拡散させているものを見抜かないと生きていけませんよ。ものごとには動機がある。その動機から見ていく方が真実に辿り着きやすいかも。権力を監視するためやら生態系や人権をより尊重するための憲法改正なら大いに賛成しますよ。
(狸の話題や写真は「狸」のタグからたどってくださいね)

12/20追記
本日、小松島商工会議所へ立ち寄ったら以下の行事があることを教えていただいた。
(商工会議所による88狸の取り組みとその地図

2022年2月19日(土)15:00〜16:30
阿南市文化会館夢ホール
講師:森脇佳代子​『阿波の狸合戦〜物語と地域〜』
「阿波の狸合戦」を郷土史の視点から見つめ直すと、新しいものが見えてきます。
江戸時代の写本、明治時代の講談、大正・昭和の民話、戦前の映画、平成のアニメ映画や小説、町おこし。様々な媒体を経由しながら、独自の進化を遂げてきたコンテンツ「阿波の狸合戦」。
地域性や各媒体の特性、時代の風を自在に飲み込みながら、今もなお世界を広げている「阿波の狸合戦」ワールドを、資料紹介も交えながらお話しします。


12/22追記
本日、小山助学館本店に立ち寄ったら、「阿波狸列伝」の第1巻と第2巻の在庫があった。
(写真はぼくの手元の第1巻〜第3巻)
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さらに店頭で「小松島の歴史と文化―阿波地域文化の特質―」を見かけたので求めた。
2021年3月21日刊の新たな研究成果が盛り込まれている。
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目次は以下のとおり。
・鍍金甲冑で身を飾る人〜子安観音塚古墳をめぐって〜
・コラム 水神社と立江馬淵遺跡・立江柳ノ内移籍
・豊国大明神と小松島
・阿波狸合戦と小松島
・阿波の奇僧 閑々子と小松島
・阿波の円山派の絵師 松浦春挙と小松島
・コラム 小松島のマンホール

なお、著者のお一人が上記の夢ホールでの講演の森脇佳代子さんであった。
書籍の価格は徳島新聞では1,000円と紹介されていたが1320円であった。





posted by 平井 吉信 at 11:39| Comment(0) | 徳島

今朝も庭を見ている その1/365


庭に目を転じると朝の光で植物が踊る。
いただきもののパンジーは満開で近寄ると見映えがする。
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近寄ると紫の小宇宙
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色彩に乏しい季節であっても
色彩の散開星団を散りばめる。
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(長時間露光で撮影する銀河面のよう)。

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でもいつもの庭。
きょうもしゃがんで見ている。
(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 00:03| Comment(0) | 家の庭

2021年12月18日

週末の百円スイート+スイートな音楽


ときどき菓子売り場を歩くのは量販菓子でも季節限定があるから。
この日は不二家ルックのイチゴシリーズ(使っているのはペーストのはずで通年出回っても不思議ではないがそこは不二家、季節限定で消費者心理に訴求するから)

このチョコレート、1962年から発売されているらしいので
もうすぐ還暦を迎えるというめでたい菓子なのだ。
(コンビニの棚で2週間並べて売れなければ他の商品に場所を譲って二度と戻ることはないのだから)
商品名は「4種のいちご」)と奇をてらわない。パッケージも王道を行く。
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イチゴの種類は、「あまおう苺」「もういっこ」「ゆうべに」「淡雪」。
あまおうと淡雪では切り口の色も違えば風味も異なる。
甘み、酸味、匂いの違いが明確にあって、半分に切って断面を眺めながら食べるのもよい。
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今月公開されたYouTubeの製品公式動画を見るとコミュニケーション菓子として訴求している(それも男同士だ。なるほど、異性のカップルがこの状況で食べているのは想像しにくいから)

コーヒーは浅煎りの香り高いものを淹れよう。ぼくはいつものあの小さなコーヒー店の豆で。
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音楽はペギー・リーの「ブラックコーヒー」よりも若手の音楽で。
Faye Webster(フェイ・ウェブスター)の「Atlanta Millionaires Club」。
2019年の作品だけど時代が舞い戻ったかのよう。
甘いささやき声で気だるい時間を浮かばせる。




Clairo(クレイロ)の「Immunity 」は2019年のリリースで彼女が二十歳ぐらいの作品。



BLU-SWING 「10th ANNIVERSARY BEST」


田中裕梨「雨のウェンズデイ -Single」
同じくBLU-SWINGのヴォーカリストのソロは大滝詠一の名曲をカバー。


ところでいま聴いている音楽は?
高峰三枝子の「南の花嫁さん」と一青窈の「ハナミズキ」。
何か?
posted by 平井 吉信 at 18:18| Comment(0) | 音楽

2021年12月13日

地球は毎日ぼくらに何かを見せてくれている

コロナを利用して私腹を肥やす組織もあれば腐敗して自浄作用を失った政治勢力もある。
それでもそれらを吹き飛ばすのは、
市井にあって地道に一日を生きぬいて社会に貢献している人たちの存在。
毎日のようにそんな人たちとの出会いが生きる糧となっている。

そして新しい車で南阿波サンラインへ出かけたのは夕方近く。
地球は毎日すがすがしいその黎明の輝きを見せてくれる。
これまた生きる糧となっている。
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(室戸岬にかけて最後の審判のような斜光、牟岐沖のホットスポットのような陽だまり=南阿波サンライン第一展望台にて)

見えている現実から何を見る(観る)かはその人しだい。
(つまらないものを見ても同調しない、支配されない、でも見て見ぬ振りはしない、行動する)

でも地球は毎日ぼくらに何かをみせてくれている。
地球もヒトも生きるものもすべてすばらしい。
(これは揺るがない信念。きっといつまでも)

(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 18:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年12月12日

おだやかな朝の野菊 散策に誘う


庭にいつからか自生している野菊(園芸種のよう)。
接近して撮るので風が強いとゆれてしまう。
きょうは風がほとんどない。
こんな日は三脚を立ててと。
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日が当たっていないほうが花弁の雰囲気を伝えている。
日が当たるとレンズは光の対照を肉眼以上に強調するので
劇的になってしまう。
それはそれで生命力を感じさせるのだけれど。

散策に出かけてみるのも良い一日になりそう。

(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 10:37| Comment(0) | 家の庭

2021年12月11日

車内のポンタがしょげている


布製のティシューケースで車内でいつもいる。
いつからかここに棲み着いてどれだけの年月が経ったか覚えていない。
暑い炎天下も寒い路上でも助手席裏で吊されてがんばっている。
人間の鼻がむずむずすると、気を聞かせて「はい」とお腹から取り出すのだ。
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そのポンタがしょげているように見えた。
持ち主が車を手放すことを知ってしまったから。
愛着のある車内を離れるのがつらいのだろう。
(ポンタは新しい車に引っ越すことになるのだが)

ものにはなにか目に見えない気配(精神というか魂というか)が宿るような気がする。
ぼくは物持ちが良くて小学校の頃から使っている道具なども未だにある。
(ときめかないものは捨てる、という教祖さまもいるけど、それって?)
そのせいか故障やトラブルはほとんどない。

たまに見るテレビはソニーのプロフィールという15インチのトリニトロン型ブラウン管。
(予備に19インチもある。VHSデッキも当時の高級品が完動状態)
ブラウン管は応答速度が速く経年変化はあっても液晶にはないおだやかな画質が特徴だ。

ペンタックスSPF(スクリューマウントなのに開放測光だよ)、ライツミノルタCL(ライツとミノルタの提携)、ミノルタX-700(篠山紀信や三好和義も使っていたミノルタ最後のマニュアル機)といった往年のフィルム用のカメラはいまも健在で博物館で飾られてもおかしくないほどメカも外観も程度は良い(最初の2台は親父のお下がり。いずれも売る気はないけれど)。

大切にするとは隔離して保管するのではなく、自然体で使いながらも感謝の気持ちで接していくことと思っている。すると、ものはヒトに応えてくれるような気がする。

車もそうだ。最初に乗ったワーゲンゴルフも床に穴が空くまで使っていた(日本の湿気に合わなかったのだろう)。

それからだいたい10年20万km以上でやむなく乗り換えてきた(遠出や出張が多いので出先でのトラブルを避ける意味もある)。今回は11年1か月で21.4万kmである。

ポンタも淋しいが、乗り手も淋しい。
引き渡しの日が近づくと降りるのが名残惜しく
しばし車の後ろにたたずんでエンブレムに手を当ててみる。

色も気に入っていた。ほとんど街では見かけない自然色(セージグリーンメタリック)。
(ぼくは白黒銀赤の車には乗らない)
どこに行っても迷うことなく見つけられるのは乗っている人がいないから。
(ここ数年は地球色や自然色の車がやや増えたように思う)。

ガソリン車(レギュラー仕様)で4AT、AWDと聞くと燃費は良くなさそうに見えるが
郊外で19km/リットルを走ったこともある。
まあ、遠出をすると16km/リットルは堅い。
ディーラーが信用してくれないのでExcelでの記録を見せたことがある。

エコ運転のコツは遅く走らないこと、飛ばさないこと、ただし先を読むこと、(無意識に)微妙なアクセルコントロールをすること、それだけ。
真冬の短距離の街乗りでも10km/リットルを切ることはない。
4速ATは長年の枯れた(安定した)技術で構造も簡単、乗り味も自然で長期間乗るのは悪くないと思っている。
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運転席に座ると4隅が見渡せて車幅も掴みやすい。ウインドーの傾斜は立っていて圧迫感がない。アイサイトがなくても安全運転に貢献する見切りの良さや走る曲がる止まるの基本性能の高さがあった。運転席から見えるボンネットからは地球の張り詰めた大気や静かな海洋を思わせる落ち着いた色彩が目に飛び込んで来て心を落ち着けてくれた。
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車内も毎日清掃していたので新車のようだ
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車を降りるとき、車のエンブレムに手を当てて一日の働きをねぎらう。
(失敗しないという天才女性外科医が手術の終わりに患者の肩に手を当てるあの人気のテレビドラマも似たようなことをやっているけど、ドラマよりずっと以前からこちらはやっている)。

別れの朝、家人も次々とやってきて車に触れている。
年老いた母も酒をかけてねぎらった。
この11年も無事故非接触(金免許を永年続けている)だった。

半導体不足でSUVも足りないのか、この状況で買い取りたい中古車業者が何社もあった。
査定と買い取りが決まった後、
ぼくは引き取られる前日にフロントのヘッドランプ(HID)をそっと新調したのでライトはまばゆいばかりの輝きを取り戻した。
エンジンオイルも交換したばかり、タイヤも1年を経過していない。
新たな所有者に可愛がられて第二の途を乗り手ともども無事で過ごせるよう。

動いている自分の車の後ろ姿を初めて見送った。
(感謝の気持ちがあふれて心の中で手を振る)。
おだやかな運転はおだやかな人生につながり幸福の扉を開ける。
そう思って生きている。
posted by 平井 吉信 at 13:12| Comment(0) | 生きる

2021年12月03日

陽の光を受けた小さな温もり

すみれが好きという噂(ブログ?)を聞いてか
またまたご近所の方がパンジーを5株お届けいただいた。

庭先に植え換えて数日、
ノギクの蕾が膨らんでいた。
朝の光を浴びて日光浴(光合成)をしている花々を見ていた。
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近寄っていく
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さらに近寄っていくと昆虫に気付いた
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庭といっても庭園ではない。ほんの数十センチの範囲である。
それでも朝起きて陽光を浴びる植物を見ていると得も言われぬおだやかさ。
飲み会に行ってもちっともおもしろくないが、朝のひとときは何物にも代えがたい。
良い報せの少ない昨今で花たちは小さな太陽のようである。

写真追加
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追記
ノギクは園芸種と思われるのですが花名がわかりません。
おわかりの方、投稿でご教示くだされば幸いです。
(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 11:07| Comment(0) | 家の庭