2021年11月30日

ゆでガエル このままでは日本はなくなる なぜ円安? なぜ食糧自給しない?


絶望的な日々である。高齢の農家は次々とこの世を去るか耕作ができなくなってしまう。
山間部はもちろんだが、都市近郊ですら耕作放棄地(もしくはその予備軍)がじわりと広がる。
若手が運営する農業法人に耕作依頼が殺到するが、彼らとて度重なる設備投資のため金融債務(返済と金利負担)にあえいでいる。

先日も農業関係の第三セクターの社長と突っ込んだ話をしていて
農業の規模拡大をめざす施策は行き詰まりとなっていることを痛感している、で一致。
環境保全型農業など多様な視点で小規模生産者の支援(所得補償)が不可欠だ。
これは商工サービス業にも言える。
そのうちまちなかからも自転車がパンクして修理する店がなくなる(もうないかもしれない)、錆びた包丁を研いでくれる包丁店もなくなる、壊れたミシンを修理してくれる店もなくなる。

小規模零細事業者を大切にしていくべきなのにインボイス制度の導入などありえない愚策。
(何度も言っているけれど長らく続いた自公政権がこの国を沈没させようとしているが、その影で潤う政商たちや利権の恩恵に被る定番企業たちが暗躍している)。

低金利政策を続けているのに生活関連商品の物価が上がっている。
可処分所得は減少している。生産性は上がらない。
円は安いが輸出は伸びず貿易収支は改善せず、国内の物価を押し上げているだけ。
原油高が追い打ちをかける。だから100円ショップの製品はほとんど日本製。

世界のあちこちでまっとうでないクーデターが起こっているが
もっと穏当にもっと強く声を上げて行動しなければ未来はやって来ない。
日本でもクーデターが起こっても不思議ではないが、
政治への参加(投票)はその機会だから棄権せずに!

コロナは引き金を引いただけ。構造的な問題を改善しないことがコロナ下をコロナ禍に変えてしまった(何度も書いているがコロナについては科学的な根拠に基づく的確な対策が費用をかけずにできる。コロナはいまの時代の本質的な問題ではないのだ)。

とにかく内需を増やすこと。そのためにできることはたくさんある。消費税の撤廃や格差を縮小させる税制改革(インボイスは逆行だ)。法人税は上げても企業はつぶれないし名だたる経営者はむしろ歓迎する(それこそ企業の社会貢献、社会的使命だろう)。

金利を上げるのも選択肢。金利上昇と円高と内需拡大のための施策(補助金ではない)と弱者を救済する簡単かつ公正な施策(ばらまきではない。軽減税率やクーポンは誰のため?)。

国内でつくっていないことがサプライチェーンの途絶で身に染みて体感できたはず。
半導体や電池だけじゃなくて今度は食糧、食品。
日本を屈服させるのに核弾頭は不要。食糧止めればいいだけ、と思われているだろう。
農家を支援しなければ明日は口に入るものがなくなるかもしれないのに。

コロナで仕事がなく溢れた人たちを食糧の自給率向上のための仕事に就いていただく施策もあり得る。やってはいけないことをやり、やらなくてはならないことに知らんぷり。
(れいわ新選組は危機感を背負って自らを犠牲にしてもなんとかしたいと使命感を持って立ち向かっているように見える)

経済政策は? 少子高齢化対策は? 教育問題は?
十人十色の意見があるだろう。
でも個別の政策は何が正しいかを議論するのではなく、
国民の幸福とはなにか? そのために何を行うべきかを組みたてていけば採るべき政策は自ずと収斂されていくはず。

いまはその力学がまったく働かない。政治に無関心な人が増えれば増えるほど我が身に降りかかってくるがそのことすら気付かない。
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楽観的現実的に考える人間でも日本という国が地図から消える日も遠くないように思えてしまう。
タグ:政治経済
posted by 平井 吉信 at 23:01| Comment(0) | 生きる

2021年11月29日

防潮堤に描かれた走馬灯 幼心の君は心のままに


子どもたちが防潮堤に描いた絵を見られるのが出島野鳥園(那賀川町)から海沿いの場所。
以前に描いたのが消えかけているので今年の秋に描いたものらしい。
淋しげな秋の海辺を感じたくて訪れてみて、ああ新聞に載っていたなと思い出した。
→ 初夏に訪れたのはこちら(今回の絵と重ならない)

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確かここで潮干狩りをした記憶がある
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那賀川の強い流量が運ぶ土砂が堆積した海岸
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防潮堤の小径から指呼の間に出島野鳥園の自然林が見える
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いずこも同じ秋を象徴する野ブドウの色とりどり 
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季節は何度かめぐり、人の記憶容量をあふれさせようとするけれど
ふとした拍子にあの日のできごと、逝ってしまった人たちを脳裏に呼び戻す。
いまはそんな季節なのだろう。

タグ:出島野鳥園
posted by 平井 吉信 at 22:32| Comment(0) | 里海

2021年11月28日

人けのない田井ノ浜 秋の終わりの「冬景色」


季節がどんどん進み行く晩秋だから「冬景色」を置かなくては。

さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず、岸の家。

烏(からす)啼(な)きて木に高く、
人は畑(はた)に麦を踏む。
げに小春日ののどけしや。
かへり咲(ざき)の花も見ゆ。

嵐吹きて雲は落ち、
時雨(しぐれ)降りて日は暮れぬ。
若(も)し灯火(ともしび)の漏れ来(こ)ずば、
それと分かじ、野辺(のべ)の里。

(注/「冬景色」は作詞作曲不祥の文部省唱歌で著作権は消滅)

CDはNHK東京放送児童合唱団で聴いている。
ただ音楽を信じて声を合わす少年少女の澄んだ音世界。
小学校の音楽で習った唱歌だけど冬景色の歌詞は文語調で小学生には意味がわからない。
それでもなんとなく情景が思い浮かんだ。教科書に挿絵があったからかもしれない。

葦の生えた入江、川の河口なのだろう。
(歌詞には表現がないが、入江、朝霧から葦原を感じる。こんなところはエビが採れる。もしかしたらニホンカワウソもいたかもしれない)
張り詰めた朝はじーんと寒気が縛るようで空気が動かない。
そんな印象を子どもながらに持った歌。

日本の漁村周辺ならどこでも当てはまりそうな風景。
葦原が残る入江に霧が立ちこめるという情景は詩的なまでに美しい。
詩と楽曲が一体となって初冬の人々の暮らしを描いているけれど
眠りから覚めない朝、仕事に励む昼、嵐の一日のあと、夜の帳を照らす灯火。
短いようで長い人生をまっとうしようとしている人たちの賛歌とも取れる。

四国の風景は必ずしも歌の世界観と合致しないかもしれないけれど晩秋の風を感じたので置いてみた。
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追記

もし中古でも手に入るようならぜひご入手を。
「早春賦−珠玉の唱歌名曲集」/NHK東京放送児童合唱団
(メーカー:キングレコード、発売:1988年5月5日、品番:K30X-244)
収録曲はこちらから
→ 童謡、唱歌で 夢は山野を駆けめぐる

春夏秋冬の唱歌を季節ごとに並べているので春から聞き始めて冬になって
また春に戻ってくる歓びを歌で感じる。
合唱団の実力あってのことではあるが、ソロと合唱を適宜織り交ぜている。合唱にありがちな手練手管はなく、楽曲の魅力に静かに浸ることができる。合唱だからビブラートのない透明感のある再現(=作為感がない)。一部のソロでは歌の上手な女の子などが少しビブラートをかけて歌い上げるがそれも楽曲の魅力を高めている。著名な歌手が朗々と歌い上げたり(歌い手の体臭が立ちこめて詩の世界が崩れる)、語り掛ける(歌の世界が個人体験になって固定化矮小化してしまう)のではなく演奏者の個性を離れて楽曲を聞きこみたいなら何度聴いても飽きることのない宝もののような名盤CD。



posted by 平井 吉信 at 23:53| Comment(0) | 里海

2021年11月25日

母校の裏山がこんなに愉しい山だったとは(鍛冶ヶ峰=阿南市)


母校の表通りは国道でそこから富岡商店街を通って、パンのもみじや、平惣書店や中富書店、牛岐城、セイドー百貨店、JR阿南駅に連なる県南のメインストリートがあるのに対し、裏通りは住宅街から山裾へと近づくだけで一度も行ったことがない。もっとも桑野川の土手は運動部がよくランニングをしていたのでなじみがあるが。

出席番号のひとつ後の福田君が宝田町に下宿していた。彼の下宿にはヤマハのプリメインA-5やローディのカセットデッキD-70Sをフォステクスのユニットを自作キャビネットに入れたスピーカーで鳴らしていた(高校生である! それにしても当時の普及価格帯オーディオのデザインはすばらしい。いまでも手元に置いておきたいと思う)。

高校時代ではないが、同級生もヤマハの名機NS-1000Mを3人が持っていたのでよく聴かせてもらった。良質の部品が町工場からふんだんに入り、秋葉原には掘り出し物のパーツがあふれ、スーパーのダイエー徳島店の4階にはアキュフェーズのアンプやタンノイ、JBLのスピーカーまで並べていたというオーディオの全盛期。いまや半導体不足でクルマやカメラ、オーディオは入荷待ち。

高校の裏山にあるのは鍛冶ヶ峰という標高228メートルの低山。
阿波の三峰のひとつ、津乃峰山へも尾根で連なっている。
津乃峰山(247メートル)は有料道路やロープウェイのある観光名所というのにこの差は大きい。四国の山々を歩いているぼくでさえ、母校の裏山は行ったことがないぐらいだった。

低山は晩秋に限る。そう、そのとおり。
名前と存在だけは知っていた鍛冶ヶ峰へ行ってみることにした。
いつものように家事や事務処理で出発が昼過ぎとなったが、どうってことはない。
しかし1/25000地図とコンパス、ファーストエイドキットは(いつもながらであるが)持って行く。
低山といえども万一の道迷いや滑落などで救助を求める場面が1/100万でもあれば備えておきたい。

登山口は母校の裏からのようで車も停められるようだ。
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付近には洒落たログハウスがある。開拓時代のロマンが漂うが、誰か住まわれている気配がないような気もする。
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登山口は傾いた陽射しを受けて趣がある
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歩き始めてすぐに池が目に飛び込んでくる。
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信州あたりに見かけそうな雰囲気。この時点で歩みが止まっている。
オータムグリーンというよりは紅葉成分を帯びているけれど湖面に色の彩を落とす。
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池に沿って進むみちのうれしさ
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池の終点でここから山へ入っていくのだけれど
山から流れ落ちた沢が池に流れ込む。
水質は良好だ。
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沢沿いの散策路は杉の植林と竹林に覆われて薄暗い。
この道はやがて傾斜角を強めていく
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土着の樹木が竹に囲まれて(絡まれて)あえいでいるように見える
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風は強いが、紅葉はきらめきを見せる
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路面が濡れていれば足元が滑りそうな(簡易舗装)急傾斜もほどなく終わって山頂直下の神社に出る。
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大師堂
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さらにロープが設置された急登の坂を登れば展望台のある一角に出る。
山頂付近は巨大な山塊のようだ。
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展望台からは徳島県南部が絵巻物のよう。紀伊水道を挟んで50km先の和歌山県もくっきりと建物まで視認できる(これには驚いた)。

山頂で菓子パンをかじるのも楽しみ
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桑野川、那賀川河口、出島湿原
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那賀川の古庄橋、その奥に日峰山、さらに眉山
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見能林町方面へは北の脇の松原が見渡せる
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登山口の池も見える
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大岩権現。巨大な岩そのものがご神体ということか
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山頂にある巨岩の割れ目
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急傾斜を下ってあっという間に降りてきて風情のある池と流れ込む沢のほとりにて
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池は周遊できるが、時間の都合で紅葉をちらりと見て引き返した
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まちのすぐ近くでありながら車を停められて
池の情緒に浸りつつ暗い沢沿いの急登を登り切れば阿南市を一望できる展望台がある。
ここで風に吹かれながらおむすびやパンを食べれば人生快適時間。

散策を振り返れば、影絵のように光を明滅させる池、沢沿いの涼しい景観とアスレチックな急登、頂上直下の寺社、頂上の巨岩と大展望、さらに津乃峰方面への縦走の可能性を訴求してあくまで無名の山のフリをする母校の裏の鍛冶ヶ峰。
posted by 平井 吉信 at 00:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年11月21日

午後のおだやかな陽光を透かしてみる秋桜(コスモスのまち 羽ノ浦町)


おだやかな秋の午後、羽ノ浦町岩脇地区のコスモスを見に年寄りを連れ出した。
時刻は15時を回っている。
その斜めの陽光が秋桜を立体的にもおとぎ話の世界にも魅せてくれる。
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 01:20| Comment(0) | まちめぐり

2021年11月20日

木枯らし途絶えてさゆる空に部分月食の星夜


冬の星座、覚えていますか?
おうし座、オリオン座、おおいぬ座…、
冬の銀河と冬の大三角、
南極老人星カノープス(りゅうこつ座α星)。

カノープスは全天で2番目に明るい恒星だが
真冬の20時頃に南中するも高度が低くすぐに沈んでしまう。
ゆえにこの星が見えたら長生きできるという。
(カノープスを見つけた子どものぼくは家族全員を外へ連れだして見せた)

四国東南部では老人星を見つけるのはむずかしくない。
(緯度が小さくなるほど、つまり北半球では南へ下るほどカノープスの高度が上がるのだ)
南中する時刻と高度を知っていて、雲が懸からなければ毎晩のように見ることができる。

高知県からは南十字星のもっとも北に位置する星さえ見えるというが、星座のかたちなくして同定するのは困難である。

冬の星座、文部省唱歌。
ものみないこえるしじまのなかに きらめき揺れつつ星座はめぐる。


へイスの楽曲に堀内敬三の名訳詞がついたもの。
日本語としての美しさが冬の星々のように結晶化して
文部省唱歌のなかでももっとも詩的な楽曲のひとつ。

そんな情景を撮れないかと、とくしま植物園に来たらこんな風景。
今宵の天文現象の舞台となる星夜が想像されてしびれてしまったのだ。
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11月19日の部分日食で皆既に近づいた時間帯に撮影した樹間の星夜
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私立中学に通っていた頃のこと。
大松川沿いの真っ暗の道をたどる帰路に「冬の星座」を口ずさみながら木枯らしを温めるように自転車を漕いでいた。
学校には五藤光学の口径20センチ2枚玉アクロマートレンズのドイツ式赤道儀を備えた天文台があった。
遅いときの帰宅は20時を過ぎていたと記憶している。
疾走する風を受けて鼻水が止まらなかったが、身体の奥は温もりを感じていた。
家に戻れば夕ご飯と風呂に入れると思うことがペダルを漕ぐ力。
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ほとんど皆既(ほぼほぼ皆既とはいわないで)となったこの日の月を撮影してみた。
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(地平線付近の光跡はしし座流星群ではなく飛行機)

宵が進むうちにすばるを従えて少しずつ高度を上げてきた。
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オリオン舞い立ちすばるはさざめく


清少納言も「星はすばる ひこぼし ゆふづつ…」と讃えた(すばる、彦星=わし座のアルタイル、宵の明星が趣がある)。
だからぼくはすばりすと(スバリスト)である。
(主義を意味する-istは使いたくない言葉だが、唯一の例外として自分に用いている)

部分食が極大に達すると背後の星々が光輝を強め、
すばることM45、プレアデス星団が月の左に並んだ。
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追記
昨日から五輪真弓が心のなかで奏でる。
アルバム「恋人よ」。
でもぼくはあのヒットシングルではなく、それ以外のアルバム収録曲が好きだ。
日本を代表する歌い手だよね。




緑濃きもの しっかりしていて 甘いもの 


四国のスーパーでは高知県産、宮崎県産が並べられることが多いが
地元の産直コーナーにはもちろん徳島県産もよく見かける。
(生産量でいえば高知県産は徳島県産の30倍ぐらい多いのだ=野菜生産出荷統計)

ピーマンはおいしい。
食べるときは1人で5〜6個は食べる。
特に白い部分がおいしいので除去しない。

今回は珍しくパンと目玉焼きの朝食で
フライパンで軽く炒める感じ(加熱しすぎないよう)。
(今回は半分に縦切りしているが、丸焼きすると内部が蒸し焼きになって甘みがさらに増す)
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ピーマンは生でもおいしい。
手軽なのは輪切りに細かく切って「くらこん」の塩昆布と合わせる。
簡単な弁当のおかずにもなる。

このピーマンは近所の生産者から直接分けてもらったもの。
標高の高い水はけの良い傾斜地で自然栽培されているもので
一般的な流通(スーパー店頭)ものと比べてえぐみが少なく甘みが強い。
さらに、果実がしっかりしていて長期にわたって崩れない、傷まない。

キョーエイで販売されている阿讃高原豚の特売時に買ったロース肉と。
(筋切りはせず両面を弱火で。脂面を立てて焦げ目を付かせ出てくる水分を紙で吸い取りつつ途中からピーマンを入れて蒸し焼き、最後は水分を飛ばす。固くならずに旨味を閉じ込めて火を通している。醤油と洋辛子で食べる)
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ピーマンがなければ野菜はつまらない。
栄養価が高く安くおいしい野菜で収穫時期が長いということでピーマンは野菜の王様といったところ。
(朝食べたのにまた食べたくなる。10代の頃と体型体重体力が変わっていないのは野菜を中心とする雑食のおかげ。野菜は好きだけど菜食主義やヴィーガンはやらないです)


posted by 平井 吉信 at 13:16| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

地域課題の解決必要か?


たまたまラジオを点けたら立憲民主党代表選挙の立候補者の演説を移動中に聴いた。
前回に立憲民主党は「冷たい正義」などと書いたが、
どの候補者も自公と比べたら身近に感じる。

4人のなかでは逢坂氏が良いと思った。
若手2人の男性は野心はあっても調整能力の不足や見落としがあるように感じられる。
女性候補者はいいと思う。ただし辻元清美氏が落選したのは党にとっても、日本の政治にとっても痛恨の極みだろう。多様性(及びその尊重)こそ政治の活性化の原動力だから。

先般亡くなられた瀬戸内寂聴さんが辻本さんを自身の寺にかくまって守ろうとされたという。
秘書給与詐欺容疑など紆余曲折を経て政界に返り咲いた経緯は寂聴さんの人生とも重なるものがある。大阪では維新の勢力が強いが、不順な動機や矛盾で綴られた政策の化けの皮は容易に剥がれないのだろう。
(元大阪府職員で今回の選挙で国会議員になられた大石あきこさんのブログTwitterでかの政党の実態が伺える。リンク先を見てみて。政治の話題なのにおもしろいよ)
まっすぐな志ではれいわ。いのちをかけて闘っている。その姿勢も政策も共感できる。

寂聴さんがお亡くなりになられた11月19日、
その日は寂聴さんが弟子と公言されている小林陽子さんと仕事で面談していた。
小林さんから高知県在住者で話を聴いて欲しいご夫婦がいる、とのお電話をいただいて
先方様の都合が付く日とぼくが小林さんの地元へ出張する日が同じだったため面会が実現した。
(文字で書くと何でもないようだが、確率的には1/60×1/16ぐらいで1/1000ぐらいの偶然だ)
寂聴さんはその日にお亡くなりになっておられたのだ。

ご逝去が判明して地元徳島新聞では11月12日に瀬戸内寂聴追悼の大特集を組んで
そのなかで「弟子」の小林陽子さんのコメントも掲載されている。
(ぼくもそれまでに小林さんから寂聴さんにまつわる私的なお話を聴かせていただいていた)

2つ道があれば危険は道を選ぶ―。
岡本太郎の言葉でぼくも好きな言葉。
不完全ながらも実践し続けてレールの上を歩まず今日まで来ている。
寂聴さんも小林陽子さんもそれを実践された方々だ。

何度も書いているようにぼくは特定の政治勢力との関係は持っていないし持つつもりもない。
政党政治ではなく優れた人材が組織の長となる台湾方式を理想としている。
もし感染症の専門家でマネジメント能力の高い人材がいれば、
その人に厚労大臣を任せればいい。
そうしなければ政治と科学的知見は合致しない。そこには与党も野党もない(いくつかの政党の横暴は目に余る)。

立憲民主党は先の選挙の反省に立って党を運営していかねばならない。
(政治に距離を置いているのに党派を問わず知事、市町村長、国会、県議会、市町村議会の議員から携帯にお電話をいただくことがある。お尋ねいただいたことへは誠実に回答している)
その腹づもりでラジオからの演説を聴いてみると逢坂氏がいいと思った。

実務を知っている人がていねいに行政機構と議会の歪んだ関係性を是正することが
どんな政策を行うかより大切と思う。その能力がおありになるのが逢坂氏のように思えたのだ。
ただし話のなかで納得できない箇所がひとつある(それも重要なところで)。

それは地域の課題を解決していく、と強調されていたところだ。
地域の課題を解決する、という視点からは
自公がやっている地方創生と同じ轍を踏むことになりかねない。

補助金の使途として例示された内容に沿って各自治体が金太郎飴のような政策を乱発するだけ。
例えば、過疎の解決に移住者のための住居を整備する、特産品の開発を行うなど。
それぞれが悪いものではないが、「地域の課題を解決するには」のテーマから入ると処方箋が限られる。というか、その枠組みの外が見えてこない。

確かに移住者を増やすには住宅問題はボトルネックかもしれないが
それがあるからといって住んでみたいとは思わないだろう。
魅力をつくる、強みを伸ばす視点が不可欠だが、課題解決の視点からは出てこない。

役場や学校などの職員が上を見ることなく力を発揮できるしくみを調えられれば
政治家の思いつきの発想よりずっと地域に密着した地に足の着いた行動が見えてくるような気がする。
ただし自治体職員も発想は狭い範囲にとどまる可能性がある。
財政からの評価(今頃は来期の通常予算編成に向けて財政部署と概算要求の協議を行っている最中だろう)や
首長の実績づくりへの貢献や議会への説明という視点が求められるためKPI重視に偏重しがち。
さらに中長期的な立ち位置で継続的に政策を推し進めるのを阻むのが職員の異動。

異動は職員のキャリア形成や癒着を防ぐ意義はあるのだが、担当者が変わると沈滞することの繰り返しで民間も嫌気が指す場面もなくはない。審議会などに諮問するのではなく、審議会そのものに実行力を持たせる(予算と組織を付ける)のも一案だろう。

あれこれと思うことはあるが、立憲民主党がよくならなければ与党にとっても野党勢力にとっても良くない。その意味で注目している。



タグ:政治経済
posted by 平井 吉信 at 12:23| Comment(0) | 生きる

2021年11月18日

反芻<<<ネコ>>>現実


思うことはたくさんある。
佳きこともそうでないことも反芻してみるけれど
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いまやるべきことはなんだろうと我に返る
視線を落として考える
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晩秋の陽は釣瓶落とし
ときの積み重ねが日となり月となり年となって
かつて聴いていた音楽はしばしときを巻き戻すけれど
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どこまでも果てを知らない空の谷間にこだまする…

落日のテーマ/五輪真弓


posted by 平井 吉信 at 22:43| Comment(0) | 生きる

2021年11月16日

秋桜で描くハート(阿南市見能林町)>>>打樋川(うてびがわ)源流物語


阿南市内のバイパスを南下中に目にとまったコスモス畑はハローズ津乃峰店の少し北側のバイパス沿いにある。
地区の方々が手入れをされていると推察。あとからどんどん人が訪れては写真を撮っていく。
ぼくも車を停めてしばし散策することとした。
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秋桜の真ん中を歩く人がいるのだろう。近くで写真を撮ってもハートには見えないし、誰かの一歩が誰かの足跡につながってハートが割れてしまうよ。つくった人の気持ちを慮って花の真ん中を歩かないで。
(花が終わればすき込んでしまうのだけれど、せめて一日でも長かれと願うので)
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秋桜は遠クニアリテオモフモノ
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秋桜はちらりと見た程度で付近を歩いてみることとした。
職業柄気になるのは小川(小川評論家ですから)
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津乃峰山を臨む平野でキャベツ畑があった。
職業柄気になるのはキャベツ(キャベツソムリエですから)
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もしかしたら農業生産法人の情熱カンパニーさんの営農かな。
(いい会社ですよ)
このキャベツ場の生育は良好で、しかもチョウや蜘蛛などの虫がたくさんいた。
(農薬は必要最小限に留めているのだろう)
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さらに歩くと打樋川に出くわした。
バイパスと並行して流れる打樋川は川幅10メートルほどのまっすぐの流れだが
橘湾が近づく感潮域となって川幅が急激に広がり干潟を形成する。
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おお、これはひとかどの生態系ではないか。
職業柄気になるのは生態系(生態系観察者ですから)

不注意に姿を見られて無数のカモが一斉に飛び立った。
それを見て「しまった」とばかりに亀もひなたぼっこをやめて水面を漕いでいく。
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打樋川は阿南市の平野部に源を発し平坦な地形を流れて橘湾に注ぐのだが
国道から北の脇へ行くときにオリーブ色に濁ったあの川のことかと思い出す人もいるだろう。
そう、あのオリーブ色の川です。


この川の源流は阿南市富岡町(県南でもっとも栄えたまち)。
桑野川からの分流か生活排水路のような川幅30センチ程度の溝が源流となって
高低差のない平野を海に向かっておずおずと流れ出す。
地図でたどれたのはフジグラン阿南店の敷地のセブンイレブンあたり。
(セブンイレブンの店舗に入る前に足元を見てください。暗渠があるでしょう。これが生まれたばかりの打樋川なのです、とブラタモリの気分)

打樋川はうてびがわと読む。実は徳島市論田町にも打樋川がある。
同じように排水用の感潮河川で水が停滞している点も似ている。
どちらの打樋川も県内では有数の汚染とされる。
これは少ない水量に生活排水が流れ込むからであるが
富栄養状態とも言える。

打樋川の名誉のためにひとこと。
清流に棲むアユやアユカケなどはいないとしても、上流部はメダカやドジョウ、中流域はウナギやウグイ、感潮域ではボラ、キビレやスズキもいそうな雰囲気。
橘湾の魚や海苔などの生育にも好影響を及ぼしているだろう。

清濁併せ呑むというが、打樋川の存在があっての自然という側面もなくはない。
近年では糞尿を海に流して欲しいと漁師からの要望が当局に寄せられることもある。
透明度が高いエーゲ海にはほとんど魚はいないというが、適度な栄養分は必要なんだね。
(ただし重金属や化学物質などは含まないことが前提)

秋桜に打樋川。みんな違ってみんないい。


タグ:阿南市
posted by 平井 吉信 at 22:36| Comment(0) | まちめぐり