イギリスだったか車輪が出たかどうかわからず確認するために旋回していた航空機が燃料が尽きて墜落する事故が起こった。同乗していた技術者は燃料が切れようとしていることを人命が危機にさらされようとも機長に言えなかったという。このことは人は組織のヒエラルキーを重視するということを意味する。ヒトには自ずと(ヒトに限らず霊長類はすべてそう)階層という力学に従うDNAがある。
ここ十年あまりの自公政権では、にらみをきかせるお山の大将に逆らえず、事実を曲げさせられて自殺したり、虚偽の答弁をしたり、物言うキャスターが降板させたりたりと組織論ではやってはいけないことばかり。
会議が無意味といわれるようになったのは、組織の上の者が発言すると、雰囲気が決まってしまって別の結論が出ないと言うことがあるから。別の研究では創意工夫や新たな提案を出す人材は昇進できないというのもある。
火事場であれば、誰かが指揮して混乱を避けながら一糸乱れぬ火消しができればそれが良い結果につながることもあるのでどんな場面でもワンマンボスを否定しているのではない。ところが今日の世界のようにVUCAの時代(変わりやすく、不確実性が高く、しかも複雑で曖昧)にはこれでは正解にたどり着けなくなる。
そこでヒエラルキーに関係なく多様性のある意見を集めてみると大きな利点がある。
それはボスの一存や凝り固まった価値観の集団が気付かない問題(盲点)に気付くということ。
そこから新たな取り組みが始まることもあれば解決のための着眼点が得られることもある。
過去の投稿でダンゴムシ首相という架空のキャラクターを想定して、日本を良くするための処方箋を書いてみた。http://soratoumi2.sblo.jp/article/188791744.html
21世紀になって日本の政治は、1人のボス(首相)が思いつきで方針を決めていた。例えば、数百億円をかけて布マスクをばらまいたが感染防止効果がないので使う人はいない。要求を呑まないという理由でわずかばかりの科学技術予算はとことん削る。科学的根拠のない政策を連発するから科学は不要なのだろう。
1990年頃を振り返ってみると、企業の経済活動では時価総額で世界のベスト100企業の1/3は日本企業であり、ベスト10にも7社程度入っていた。それがいまではベスト100に入るのは1社のみ。それも30位前後。人々の所得はこの30年間で減少して中間層がなくなったことで百貨店の売り上げが減少した。
コロナ流行の前に東南アジアからの観光客が増加したのは日本に憧れてではなく、背伸びをせずに行ける手頃な金額の旅行先だから。いまや日本はアジアの中流国なのだ。
物価は上昇している。ティッシュはこの2年で2倍近くに値上がり。さまざまな原材料も高騰している。あげくの果てに新車を注文すれば5年待ちという事態で5年前に購入した車が買ったときより高く売れることもあるという。所得は下がる、物価は上がる、欲しいものは手に入らない、将来は不安、未来に希望が持てない。誰がこんな社会にした!? 失われた30年の舵取りをしていた政党はどこか? 多様性のある視点に気付かず、特定の利害関係者のみが甘い汁を吸う構造はなぜ変えられないのか? 科学技術に無関心で教育に力を入れない政権。日本の強みはどうやってつくるの? 政治に無関心でいれば関心のある人のみが潤う社会の構図から抜け出せない。
株価は3万円近いが、アジアの中流国となった日本の経済の実態を反映しておらず、低金利で行く先のない資金がつくりだした余剰資金バブルに過ぎない。実態がない株価はそう遠くない将来に弾けて1万円を切るかもしれない。株価が高いことが悪いのではないが、株価のみが上がる政策が間違っている。経済活動の実態を映し出す株式市場に戻すことが正しい経済政策とも言える。低金利政策の弊害が経済活動を歪めている。
いまやるべきことは内需を刺激して国内で消費を活発にすることに尽きる。この果実は企業の規模を問わず等しく誰もが享受できることになる。その第一歩が消費税の減税(撤廃)だ。これによって実質的に可処分所得が増えた分が消費に回っていく。それが賃金の上昇を導く。財政健全論の反論もあろうが、消費税を上げるたびに税収が減収している実態を見れば、消費税撤廃が財政悪化につながるとは思えない。
中間所得層が消滅したことが経済の実態を弱らせているうえ、生活苦の世帯が増加している。将来への不安を払拭するためには課税体系の見直しも不可欠だ。所得税だけでなくさまざまな名目で徴収されている金額と所得を比べる必要がある。その負担率は中間所得層、低所得層で高くなっているはずでこれを是正しなければならない。ベーシックインカムも真剣に導入を議論すべきとき。財源は税体系の見直しだ。格差を縮小させることから経済成長が生まれるというのが今日の経済学の共通認識だから。
ぼくは政治の色は持っていないし支持する政党もない。だから政党は解体すべきと言い続けている。VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代に政党政治やワンマンリーダーの意思決定は弊害しか生まない。そうはいっても政党をただちに解体することは現実的でないので、自民党も民主党系も共産党もれいわも含めて連立を組んで多様な問題に多様な視点で問題意識を持てる態勢をつくって欲しいのだ。
そのためにいまやるべき行動は与党に投票しないこと。どこが第一党となっても大きな連立を組むこと。この危機に与党も野党もないではないか。戦前に政党がひとつに合体して戦争にまっしぐらに突き進んだが、あれとはまったく異なる動機で多様性のある着眼点を持つことがねらいなのだ。
それでは決まることも決まらないのではって? 果たしてそうだろうか? 意思決定の技術論なら方策はある。いまは独裁政治の盲点が痛点となって国民生活を貶めていることが問題だ。まずは投票に行こう。いまの社会とそれをつくりだした構造をよく見て投票しよう。
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