仕事での打ち合わせを何度か行っていた県西部の方が帰り際に池田高校野球部のご出身と打ち明けられた。
畠山投手を擁して初優勝した前年度の選手という。
先発メンバーの名前がすらすらと出てくる、互いに。
そして「山間の…」と声を合わせて蔦監督の言葉を合唱。そして意気投合。
※「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」という蔦監督の言葉が刻まれた碑が池田高校にはある。
「さわやかイレブン」のメンバーですら宙で言えるぼくも池田高校ファン。
池田高校全盛期の出場校は、(地名)高校とか、(地名)商業などのような公立高校が多かった。(漢字の熟語やアルファベット)学園のような私学はまだそれほど多くなかった。
さわやかイレブンとは、部員11人の山間部の学校が二度目の甲子園で準優勝したときのこと。
開会式直後の試合で一番の雲本選手がホームスチールに成功。
監督のサインは二塁盗塁なら二塁ベースを指さす(ほんとうかと相手も呆気にとられる)ものだったので県内の対戦相手にはばれていたという(当たり前だろう)。このときもホームベースを指したのだろう。大胆である。
いや、ホームスチールなんて野球のなかでも成功の確率がもっとも低い仕掛けの典型。なにせピッチャーが投げる130kmのボールと競争してキャッチャーがタッチするより早くホームベースに到達しなければならないのだから。左腕投手で3塁が見えないとか、右投手でもワインドアップのときとか、セットポジションでも一塁ランナーに気を取られている隙を突くことはあるとしても。
虎穴に入らずんば虎児を得ずの例えがあるが、失敗すれば三塁まで進んだランナーの憤死という高い代償を払うことになる。
さわやかイレブンがきっかけとなってマスコミの露出が増えた蔦監督を慕って(判官贔屓と監督の実直な言動が人気を呼んだこともあるだろう)県下からも生徒が集まりだした。
畠山投手の実家は三好郡ではなくうちから数キロの海辺のまち。
水野投手の実家もぼくの母校(富岡西高校)の通学路にあったあんこやさん。
この2人の投手を擁して夏(畠山投手)、翌春(水野投手)と優勝。
いまでも語り草となっている広島商業や早稲田実業との試合はYouTubeで見ることができる。
池田の対戦として印象に残るのは華々しい打撃戦の勝利ではなく、PL学園に敗れる直前の天王山といわれた中京戦。試合はがっぷり四つに組んだ横綱戦で双方が全力でぶつかって1対1のまま9回に突入した。
この回に池田がホームランをきっかけに2点を取って突き放したのだが、中京の野中投手が立派だった。
グランドマナーというか王者の風格。勝負に負けても全力で闘って悔いなしの表情にぼくは感動した。高校生の彼の器の大きさと野球以外であっても将来の大成を感じるのだ。この年は桑田・清原の1年生コンビを擁するPL学園が優勝するのだが、中京・野中投手には惜しみない賛辞を送りたい。
翌年の春は準決勝での明徳義塾との試合が印象的。スクイズで先制した明徳が隙のない試合運びで1点を守り抜き、8回裏1アウトまで来た。次打者も快音は聞かれず1塁への平凡なゴロ。残り4つしかないアウトを思えば点差は1点であっても見ている人は池田の敗戦を覚悟したはずだ。これで2アウトかと思った瞬間、守備でお手玉があった(甲子園には魔物がいる)。
命拾いしたランナーを1人おいて9番打者の井上選手が低めのボール球をすくい上げて右中間三塁打で同点。そして先頭に戻って坂本選手が同点の興奮が球場を包んでいた初球をライナーに右前へ運んで逆転。たった2球のできごと。この1点のリードで十分であった。9回表を迎える水野投手は息を吹き返したに違いない。
蔦さんはいう。「教育はちっぽけな大人の再生産ではない。大きい小児をつくること。これは自分の天職だ」。野球は好きでたまらない野球の申し子だが、それよりも生き方を問いかける。
PL学園に完敗したあの試合の後にマスコミの質問に答えた。
「この子たちの人生を考えたら負けたほうがいい。それも水野が打たれる形で」。
さて、池田高校からときは流れてコロナ禍の1年前、2019年の春のこと。
母校の富岡西高校が21世紀枠で初めて甲子園に出場。創部120年目にして初の甲子園出場となった。
(21世紀枠というが、このときの富西は四国大会のベスト4。かつて四国の野球の全盛期には選抜の四国枠が4つあったため普通に出られたはず。四国の野球の全盛期とは公立高校が甲子園の常連であった頃かもしれない。校名を売りたい私学が手段を選ばす選手を集めるに至っては地方色も高校野球らしさも薄れてしまった。そんななかで富西は公立高校で地元の選手ばかりでの出場であった)
この大会は愛知の東邦高校が優勝したのだが、冨西の応援団が応援団の最優秀賞に選ばれた。試合内容でも富西は1回戦で東邦と対戦し1対3で敗れたものの、この年の優勝校をもっとも追い詰めたのは富西といってよく、決勝戦のような緊迫した試合展開だった(実は試合当日は県外出張でテレビを見られなかったのであるが)。1点を先制された富西は6回に同点に追いつき、続く2死満塁で鋭い当たりが野手の正面を突いた。
高校野球では運と勢いを味方に付けたら番狂わせが起こる。いや、番狂わせに見えて実は理詰めの理由が隠されている。富西の野球は浮橋投手の冷静かつ読みの深い投球術にあるのは間違いないが、9人がそれぞれチームとして「何が求められるか」と個人として「何ができるか」を考え抜く。ノーサインで選手同士が考えて無言で意思疎通を行い試合を組み立てるのが大きな特徴。でも、そんなことはあり得るのか(超能力でも使うのか)。
現場の最前線に答があるとしたら、戦況をもっとも把握する選手がリアルタイムで作戦をつくりあげていく姿勢が運を呼ぶことはあり得るだろう。場面ごとに何をすべきかを選手たちがきっと共有していたはずである。
富西の小川監督は次のように説明する。
「もどかしいというより、お前、すごいことするなと驚いてばかりです。社会に出た時に生きると思うんです。こういう時はこんな選択がいいなとか、自由な発想ができる。彼らは楽しくて仕方ないんじゃないかな。面白いと言って卒業していきますよ。サイン通りだと指示待ち人間になってしまう。今は考える力を求められている世の中。主体的に動ける人間。社会に巣立った時に独創性豊かに活躍して欲しいなと思うんです」(引用元
https://baseballgate.jp/p/458123/)
勝敗がすべてではないのだ。後輩たちの頼もしい活躍はその後の人生できっと生きる。人は苦しいことを経験してこそ、幸福にたどり着ける。なぜなら幸福とは、「状態」ではなく、それをどう捉えるかの考え方だから。
自転車で稲穂の海を渡るまっすぐの道を自転車漕いで通った北の脇とあの夏を思い出す。明日はその富岡の町に仕事で出かける。
(そして翌日…)
夜に開催されたセミナーが終わった。
CO2センサーの指標を説明しながら参加者は換気ファーストの原則を納得していただいた。一時CO2濃度が800ppmに達したが、やがて自然換気の効果で数分後に600ppm未満に下がった。この日、徳島では過去最高の感染者数の発表があったばかり。ワクチン接種を終えた当日にわざわざ参加された方もいた。一人ひとりが自発性と積極性を持って自分ごととして受け止めていただたいことで中味のある2時間半だった。
外に出て目の前に広がるLEDの森を見てシャッターを押した。この人たちの思いがまちの未来を照らすように。



(夜の牛岐城公園は22時までLEDの点灯があるらしい)
追記
実は池田高校と富岡西高校の校歌は歌い出しの旋律がそっくりなのだ。
しののめの 上野が丘に 花めぐり そびゆるいらか みどりこき(池田高校)
はつらつ若き胸はりて仰ぐ眉山の空ひろく(富岡西高校)
https://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/4045a6cfe9b444a802f6a477e985f6a0/826a29f8fa01d50ab18fc1504f6b3321どちらの校歌もいまでも歌えるのだけれど出だしで混同してもわからないぐらい似ている。
甲子園での池田高校の校歌は1番のあとコーダをくっつけているのだが、実は2番と3番がある。音符の結びが甲子園版とは違って1番2番の結びは解決しない和声で終了感を3番まで持ちこんでいる。
https://ikeda-hs.tokushima-ec.ed.jp/g-shoukai/kouka(甲子園バージョンとフルバージョンの2種類で聴ける)。
しののめの上野が丘が吉野川の河岸段丘にあることが実感できる学校のPR動画
https://www.youtube.com/watch?v=V7rTer-MPL0実に優れた校歌だな。雄大で凛として。
(CD化しても売れるのではないかな)
終盤では装飾音(短前打音)が入るので技術的に難しいところも入っている。