2021年08月29日

焼豚玉子飯


愛媛の人、特に松山から東予にかけてなら、ほとんどの方はご存知かも。
今治名物の焼き豚玉子飯。
目玉焼きが2個、そして焼き豚が満載。
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目玉焼きをつぶしてかき混ぜて食べる。
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意外といけるのだ。むつこいのではと思ったが、もやしのスープがオアシスとなって食べられる。
もともとはまかない用だったとか。
数回食べたことがあったが、量は思ったより多くなかったとしても晩飯は食べずにいけそうと思えた。
(店名は重松飯店。写真はコロナ下の数年前のこと)

夏バテ気味の人は自宅でつくってみては?

追記
愛媛はソウルフードが全国有数の県かもしれない。
宇和島の鯛飯、今治の焼き鳥や焼豚玉子飯、松山のことり、アサヒといった甘い鍋焼きうどん、でゅえっと(松山市駅前商店街)やドリップ(西条市)のナポリタン。なかでも宇和島はおみやげに迷うほど名物が多い。自宅からもっとも遠いけれど、日帰り出張(0泊2日)なんて強行軍のセミナーなどもやったな。すべてコロナ前のことだけれど。

posted by 平井 吉信 at 00:16| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2021年08月27日

ムロトアナンカイガンカクテル

夏らしさが戻ってきたかと思ったら秋の風を感じる。
もう2021年の夏は戻ることはないだろう。

咽の渇きを癒そうと飲み物をつくる。

甲類焼酎(キンミヤ) 3
トマトジュース(カゴメ無塩)3
炭酸水(サントリーストロング) 3.8
ゆこう果汁(西地食品)0.2

名付けて
ムロトアナンカイガンカクテル

南海の孤島の倦怠を風速8kmで吹き飛ばす南海の孤島で
ひといきつくためのひとときに
夏の夜に音楽を聴くときの夏の夜に
岬へ向けてまがりくねったみちをたどる岬と
果実の生命力を感じとれる果実をイメージしてつくりました。

と、シニアカクテルブレンダー(アドバンスド・コースB、2021年創設コースから)なら言うんだろうな。
(公益財団法人日本シニアカクテルブレンダー協会から引用)

このカクテルのスパイスはゆこう果汁。
徳島県南部固有の香酸柑橘でゆずとだいだいの自然交配したもの。
風味はユズのようなクセはなく、酸味に透明感があってまろやか。
→ ゆこうについてはゆこうタグから
ゆずと同様に絞り手(製造会社)で風味が違う。
これを数滴垂らすと味わいと香りが一体となって立ってくる。
徳島の人以外は入手しがたいのでレモンで代用可。
タグ:ゆこう
posted by 平井 吉信 at 23:03| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

やまびこ打線の池田高校 ノーサインの富岡西高校 野球と光のまちでみんなが主人公となって始めること


仕事での打ち合わせを何度か行っていた県西部の方が帰り際に池田高校野球部のご出身と打ち明けられた。
畠山投手を擁して初優勝した前年度の選手という。
先発メンバーの名前がすらすらと出てくる、互いに。
そして「山間の…」と声を合わせて蔦監督の言葉を合唱。そして意気投合。

※「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」という蔦監督の言葉が刻まれた碑が池田高校にはある。


「さわやかイレブン」のメンバーですら宙で言えるぼくも池田高校ファン。
池田高校全盛期の出場校は、(地名)高校とか、(地名)商業などのような公立高校が多かった。(漢字の熟語やアルファベット)学園のような私学はまだそれほど多くなかった。

さわやかイレブンとは、部員11人の山間部の学校が二度目の甲子園で準優勝したときのこと。
開会式直後の試合で一番の雲本選手がホームスチールに成功。
監督のサインは二塁盗塁なら二塁ベースを指さす(ほんとうかと相手も呆気にとられる)ものだったので県内の対戦相手にはばれていたという(当たり前だろう)。このときもホームベースを指したのだろう。大胆である。

いや、ホームスチールなんて野球のなかでも成功の確率がもっとも低い仕掛けの典型。なにせピッチャーが投げる130kmのボールと競争してキャッチャーがタッチするより早くホームベースに到達しなければならないのだから。左腕投手で3塁が見えないとか、右投手でもワインドアップのときとか、セットポジションでも一塁ランナーに気を取られている隙を突くことはあるとしても。
虎穴に入らずんば虎児を得ずの例えがあるが、失敗すれば三塁まで進んだランナーの憤死という高い代償を払うことになる。

さわやかイレブンがきっかけとなってマスコミの露出が増えた蔦監督を慕って(判官贔屓と監督の実直な言動が人気を呼んだこともあるだろう)県下からも生徒が集まりだした。
畠山投手の実家は三好郡ではなくうちから数キロの海辺のまち。
水野投手の実家もぼくの母校(富岡西高校)の通学路にあったあんこやさん。
この2人の投手を擁して夏(畠山投手)、翌春(水野投手)と優勝。
いまでも語り草となっている広島商業や早稲田実業との試合はYouTubeで見ることができる。

池田の対戦として印象に残るのは華々しい打撃戦の勝利ではなく、PL学園に敗れる直前の天王山といわれた中京戦。試合はがっぷり四つに組んだ横綱戦で双方が全力でぶつかって1対1のまま9回に突入した。
この回に池田がホームランをきっかけに2点を取って突き放したのだが、中京の野中投手が立派だった。
グランドマナーというか王者の風格。勝負に負けても全力で闘って悔いなしの表情にぼくは感動した。高校生の彼の器の大きさと野球以外であっても将来の大成を感じるのだ。この年は桑田・清原の1年生コンビを擁するPL学園が優勝するのだが、中京・野中投手には惜しみない賛辞を送りたい。

翌年の春は準決勝での明徳義塾との試合が印象的。スクイズで先制した明徳が隙のない試合運びで1点を守り抜き、8回裏1アウトまで来た。次打者も快音は聞かれず1塁への平凡なゴロ。残り4つしかないアウトを思えば点差は1点であっても見ている人は池田の敗戦を覚悟したはずだ。これで2アウトかと思った瞬間、守備でお手玉があった(甲子園には魔物がいる)。
命拾いしたランナーを1人おいて9番打者の井上選手が低めのボール球をすくい上げて右中間三塁打で同点。そして先頭に戻って坂本選手が同点の興奮が球場を包んでいた初球をライナーに右前へ運んで逆転。たった2球のできごと。この1点のリードで十分であった。9回表を迎える水野投手は息を吹き返したに違いない。

蔦さんはいう。「教育はちっぽけな大人の再生産ではない。大きい小児をつくること。これは自分の天職だ」。野球は好きでたまらない野球の申し子だが、それよりも生き方を問いかける。
PL学園に完敗したあの試合の後にマスコミの質問に答えた。
「この子たちの人生を考えたら負けたほうがいい。それも水野が打たれる形で」。

さて、池田高校からときは流れてコロナ禍の1年前、2019年の春のこと。
母校の富岡西高校が21世紀枠で初めて甲子園に出場。創部120年目にして初の甲子園出場となった。
(21世紀枠というが、このときの富西は四国大会のベスト4。かつて四国の野球の全盛期には選抜の四国枠が4つあったため普通に出られたはず。四国の野球の全盛期とは公立高校が甲子園の常連であった頃かもしれない。校名を売りたい私学が手段を選ばす選手を集めるに至っては地方色も高校野球らしさも薄れてしまった。そんななかで富西は公立高校で地元の選手ばかりでの出場であった)

この大会は愛知の東邦高校が優勝したのだが、冨西の応援団が応援団の最優秀賞に選ばれた。試合内容でも富西は1回戦で東邦と対戦し1対3で敗れたものの、この年の優勝校をもっとも追い詰めたのは富西といってよく、決勝戦のような緊迫した試合展開だった(実は試合当日は県外出張でテレビを見られなかったのであるが)。1点を先制された富西は6回に同点に追いつき、続く2死満塁で鋭い当たりが野手の正面を突いた。

高校野球では運と勢いを味方に付けたら番狂わせが起こる。いや、番狂わせに見えて実は理詰めの理由が隠されている。富西の野球は浮橋投手の冷静かつ読みの深い投球術にあるのは間違いないが、9人がそれぞれチームとして「何が求められるか」と個人として「何ができるか」を考え抜く。ノーサインで選手同士が考えて無言で意思疎通を行い試合を組み立てるのが大きな特徴。でも、そんなことはあり得るのか(超能力でも使うのか)。

現場の最前線に答があるとしたら、戦況をもっとも把握する選手がリアルタイムで作戦をつくりあげていく姿勢が運を呼ぶことはあり得るだろう。場面ごとに何をすべきかを選手たちがきっと共有していたはずである。

富西の小川監督は次のように説明する。
「もどかしいというより、お前、すごいことするなと驚いてばかりです。社会に出た時に生きると思うんです。こういう時はこんな選択がいいなとか、自由な発想ができる。彼らは楽しくて仕方ないんじゃないかな。面白いと言って卒業していきますよ。サイン通りだと指示待ち人間になってしまう。今は考える力を求められている世の中。主体的に動ける人間。社会に巣立った時に独創性豊かに活躍して欲しいなと思うんです」(引用元 https://baseballgate.jp/p/458123/

勝敗がすべてではないのだ。後輩たちの頼もしい活躍はその後の人生できっと生きる。人は苦しいことを経験してこそ、幸福にたどり着ける。なぜなら幸福とは、「状態」ではなく、それをどう捉えるかの考え方だから。

自転車で稲穂の海を渡るまっすぐの道を自転車漕いで通った北の脇とあの夏を思い出す。明日はその富岡の町に仕事で出かける。

(そして翌日…)
夜に開催されたセミナーが終わった。
CO2センサーの指標を説明しながら参加者は換気ファーストの原則を納得していただいた。一時CO2濃度が800ppmに達したが、やがて自然換気の効果で数分後に600ppm未満に下がった。この日、徳島では過去最高の感染者数の発表があったばかり。ワクチン接種を終えた当日にわざわざ参加された方もいた。一人ひとりが自発性と積極性を持って自分ごととして受け止めていただたいことで中味のある2時間半だった。

外に出て目の前に広がるLEDの森を見てシャッターを押した。この人たちの思いがまちの未来を照らすように。
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(夜の牛岐城公園は22時までLEDの点灯があるらしい)

追記
実は池田高校と富岡西高校の校歌は歌い出しの旋律がそっくりなのだ。

しののめの 上野が丘に 花めぐり そびゆるいらか みどりこき(池田高校)
はつらつ若き胸はりて仰ぐ眉山の空ひろく(富岡西高校)
https://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/4045a6cfe9b444a802f6a477e985f6a0/826a29f8fa01d50ab18fc1504f6b3321

どちらの校歌もいまでも歌えるのだけれど出だしで混同してもわからないぐらい似ている。
甲子園での池田高校の校歌は1番のあとコーダをくっつけているのだが、実は2番と3番がある。音符の結びが甲子園版とは違って1番2番の結びは解決しない和声で終了感を3番まで持ちこんでいる。
https://ikeda-hs.tokushima-ec.ed.jp/g-shoukai/kouka
(甲子園バージョンとフルバージョンの2種類で聴ける)。

しののめの上野が丘が吉野川の河岸段丘にあることが実感できる学校のPR動画
https://www.youtube.com/watch?v=V7rTer-MPL0

実に優れた校歌だな。雄大で凛として。
(CD化しても売れるのではないかな)
終盤では装飾音(短前打音)が入るので技術的に難しいところも入っている。

posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 徳島

2021年08月25日

吉野川に架かる虹


川幅1kmを優に超えるサバンナのような河原を背景に虹が架かった。
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posted by 平井 吉信 at 00:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月23日

夏の終わりのナポリタン いつかはナポリでナポリタン いまは家庭でナポリタン

西条市の紺屋町商店街を思い出す。
かつては高知の嶺北からも人が訪れていた。
平成25年頃に再開発で生まれ変わったのだが、
以前の街区にはドリップという名前の喫茶店(飲食店)があった。レストラン黒猫と並んで地元の名店(ソウルフード)なのだが、いずれも閉店して久しい。

ドリップでは祖父母と息子娘と孫の三世代が憩う姿が見られた。
サザンやユーミンの音楽のようである。
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ナポリタンを注文するとメロンソーダとアイスクリームが先に運ばれてくる。
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どちらかというと後で味わいたいがクリームは溶けてしまうので悩ましい。
やがて主役のナポリタンが鉄板で運ばれてくる。
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生卵を適当な時点でかき混ぜるのだが、油が相当使われているようで
おしぼりを皿の片方に敷いて油を傾けるのがドリップのお客さんの慣例。
食後のコーヒーでなごむ。鉄板で音を立てるナポリタンの匂いとコーヒーの香りが入り交じる店内は狩りの後のくつろぎのような連帯感。
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お味はというと、風味を採点するような範疇の外にあるといえばいいだろうか。
目隠しで出されてもわかる個性を持ったメニューだが、飛び抜けた風味ではなく値段はお手頃(メロンソーダとクリームが付いて450円でなかったな?)。でもまた食べたくなる。

そんなことを考えているとナポリタンが食べたくなった。
いつものことながらレシピは知らないので適当につくる。

ホールトマトの缶詰1缶をテフロンのフライパンに取り出して弱火で温める。
その間にタマネギのみじん切り、夏だからナスの短冊切りをつくろって投入する。
生姜のみじん切りも入れる。
鶏肉(神山鶏のもも肉)は鉄のフライパンで軽く炙って合流させる。

味付けはどれもほんの少しずつ。
・EVオリーブオイル(サルバーニョ)
・よつ葉バター
・白ワイン(サンタカロリーナ ソーヴィニヨン・ブラン)
・ウスターソース(高橋ソース カントリーハーヴェスト)
・ガラムマサラ
(塩は使わない)

火が通って水分が飛んできたところで茹でたディ・チェコ(スパゲッティーニ1.6mm)を合わせる。はい、できました。
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食べるまで味は見ていないが、酸味ほのかにあっさりと仕上げたら、またたく間に家族に平らげられた(唐辛子を入れるのを忘れたが、ないならないで誰でも食べられるやさしい味に仕上がった)。おいしいけれど後味が良くてはかなく消えていく。適度に色(かくし味)を重ねてほどよく濁らせて尖らせないのがコツ。あのモスバーガーのスパイスシリーズに影響を受けているかもしれない。巷は一口で伝わるわかりやすい味ばかり、もう飽きているって。

イタリアのナポリの人たちも夏はナポリタンなんだろうなと地中海の都市国家に思いを馳せつつ。
(ぼくは手先が不器用でフォークが使えないので箸で食べているけど)
いつかは本場のナポリで月を眺めながら味わいたいナポリタン(うっとり)。

余韻に浸りつつ紅茶(リプトン青缶)と雨降りの月曜日だから(「雨の日と月曜日は」/アン・バートン)を聴きながら書いているけれど、この辺でペンを置こう。日本でのスタジオライブなのだけど生々しく聴きたい人は一聴を(Amazonプライムで聴ける)。




と思ったら続きがあった(プレイバックパート2♪)

日本ハムから発売されているチーズピザは198円と手頃。
ただしチーズがぱらぱらと載っているだけでこれで完結にしたくない。
そこで夏野菜を輪切りにして適当に載せてみる。

チーズはよつ葉のシュレッドチーズを山盛りに。
サルバーニョEVも多少かけて。
好きな人はチポトレのタバスコを(でもここには合わないだろうな)。
これにお気に入りのコーヒーか紅茶を付ければモーニングでしょ。
198円+余りものの野菜ですから。
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追記その2(8/25)
身近なところでブログを見ていただいている方が以外に多いようで
ナポリタンはナポリ料理ではないのではとのご意見。
(えっ?)
パスタやイタリア料理の専門店には必ずある定番メニュー。オリジナルはイタリアであっても
ラーメン(中国にはないという)のように日本でアレンジしたのでは?とぼく。

ことの真偽はわからないが、そのようなご意見があったということで。
ぼくは、あくまでナポリのナポリタンと思っている。
だってイタリア人と日本人の旨味の味覚はトマトを介して似ているはずだから。



posted by 平井 吉信 at 21:06| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2021年08月19日

空気感染の対策には換気の可視化が必要〜CO2センサーセンサーの活用(CO2-mini)〜


感染者数の増加が止まらず、COVID-19は危機的な状況となっている。
ワクチン接種は少しずつ進んでいるが、先行している国でも感染者の増大は止まらない。
感染者のなかではデルタ株の割合が増加している。感染力が強く、とりわけ空気感染に注意が必要とされる。

ぼくの場合は会議への参加やセミナーを主催する機会があるため、携帯用のCO2センサーを持参している。

選んだのはCO2-miniという機種。
2015年にアメリカで設計された製品で製造は中国である。
数値については正確な測定が可能とされるNDIR(非分散型赤外線)方式で、しかも2波長式を採用。

小さく軽く(掌に載せると小鳥のようだ)持ち運びが簡単。
さらに充電池を内蔵しないことで回路の温度変化(ドリフト)の影響の回避や経年変化による安定性に有利。
内部は集積化された合理的な設計で耐衝撃なども含めて信頼性が高いと見た。

給電は3つの経路から可能。
@PCなどのUSB端子(USB Type-A)から本機(micro USB Type-B)への給電

A携帯電話等に付属するACアダプターから本機へ(micro USB Type-B)への給電
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Bモバイルバッテリー(5V、300mA)から本機(micro USB Type-B)への給電
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換気についてはビル管理法で求められる二酸化炭素濃度の基準値(1,000ppm未満)をめざすのが一般的だが、感染防止の安全性を上げるのであればさらに低い700ppm未満をめざしたい。
野外での測定値は400〜450ppm程度。これが大気のCO2濃度として比べてみれば室内のCO2濃度の上昇がわかる。

この機種には色によるアラーム(音は出ず光の点灯のみ)を常時表示する。
緑黄赤のセンサー表示は任意に変更できるのでぼくは以下の数値で設定を行っている。

緑 700ppm未満
黄 700ppm〜1000ppm未満
赤 1000ppm以上 

写真では459ppmとして緑が点灯している
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ただしCO2センサーは空気中のウイルスの量を測定しているわけではない。
人が多いと人の呼気に含まれる二酸化炭素から部屋のCO2濃度が上昇する。その数値から換気の状態を判断して安全性を判断するもの。

仕事場(室内)で計測中。数値は420〜480ppm前後で推移。
百平米ぐらいの空間を一人で使い、換気扇とサーキュレーター、空気清浄機を常時稼働中(コロナ以前から)、場合によっては除湿機が回っている環境。
(離席して戻ると下がっていた値が着席して数分でたちまち上昇。計測の正確性も表している)

このCO2センサーは小型軽量のためカバンに入れて外へも持ち出せる。
会議やセミナーなどでは参加者に値を示して安心していただくとともに
数値が悪化してくれば換気を促す根拠となる。
(暑いので開けたくない人もいるが、数値は事実として人間関係を気まずくさせずに換気ができる。ぼくのセミナーや会議では600ppm未満で運用するので安心して来てください)


その他の情報

@手持ちのモバイルバッテリーでは表示は正確だが数分で電源供給が停止する。センサー側ではなくバッテリー側の仕様で微弱電流のため自動でパワーオフしているようだ。再度オンすれば計測は再開される。説明書では電源投入後2分を経過した値が信頼できるとされている。電源が入っていれば15秒ごとに計測が実施される。

ACO2濃度と気温が入れ替わって表示されるが、気温が表示されるのは2秒程度でCO2濃度を表示する時間が長いので不都合はない

B本機は小型でモノクロ液晶でバックライトは付いていない。店舗や施設などではCO2濃度をはっきりと見せる必要があることから本機ではなくカラー表示で見やすい機種か、外付けの大きなディスプレイにWi-Fiで接続する機種を選択する。おすすめの機種についてはこちらをご参照。
CO2センサーの導入による換気の「見える化」、換気の留意点、機種の選択について
https://www.odayaka-keiei.com/co2-sensor

C購入は対応の良い測定器の専門商社からの購入が安心できる。
東京精器工業株式会社のオンライン「ハカル.com」など。
どうしてもAmazonで購入したい方はマーケットプレイスでは上記より廉価に調達可能だが、購入先を吟味して購入すること。ヨドバシでは現時点で販売休止となっている。

追記
徳島県は19日午後6時、新型コロナウイルス感染拡大への警戒を県民に促す「とくしまアラート」の警戒レベルを5段階で最も上の「特定警戒」に初めて引き上げた。政府分科会が示す「ステージ4(爆発的感染拡大)」に相当する(徳島新聞速報から)。


posted by 平井 吉信 at 17:23| Comment(0) | 新型コロナウイルス対策

避難指示が出ている地域があります(徳島県) 災害時にお役に立つブックマーク集もご活用ください


徳島県では大雨による警戒レベル4の避難指示が出ている地域があります。
パソコン、スマートフォン、タブレットをお使いになられる方は
災害(特に台風)に役立つWebサイトを厳選したリンク集を作成していますので
次のページをブックマークしていただくのもお役に立つことがあります。
台風情報チェックリスト(本文のみ)
http://soratoumi2.sblo.jp/article/184340384.html

上記のリンク集は海陽町の日比裕子さんが災害時のためにと収集、整理された情報を掲載したものです。
posted by 平井 吉信 at 10:25| Comment(0) | 気象・災害

夕暮れ迫る鶴林寺 苔の庭と三重塔 地蔵尊の柔和なたたずまい


少し前にも夕暮れ迫る寺社で苔の庭に魅入られた。
意図していないが、夕暮れ迫る無人の境内は同じような場面となった。

自分で撮った写真に自分で見入ってしまうことがときおりあるけれど
今回はこの場面。
子どもに慕われた地蔵菩薩の座位が背景の森に融和している。地蔵尊のお顔はおだやかで柔和。
すでに暗くなっているが、地蔵様の額にもみじの葉が1枚貼り付いていることに気付いた。
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(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro、F3.2 1/75 ▲2/3EV ISO3200)

世阿弥の風姿花伝で「幽玄」という言葉が出てくるが、幽玄が画から抜け出して漂う気がする。
撮影した写真は縮小したのみ。
今度は仏頭を部分拡大したものを掲載。
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この絵は他社のデジカメからは出てこないし、このレンズでのみ再現できる気がする。
60マクロはフジノンでもっとも解像度が高いと言われているが、むしろ輪郭の柔らかさと階調の良さを感じる。色の濁りを間引きつつ階調を調えてフジが描く色調に落とし込むフジの画像処理。

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三重塔は県の有形文化財
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名刹を観じつつ誰もいない境内をひたひたと戻っていく。
ヒグラシの大合唱に包まれると厭世観。
posted by 平井 吉信 at 01:41| Comment(0) | 山、川、海、山野草

モンキチョウとカタツムリ


大雨の日に河川敷の公園でモンキチョウを見た。
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それは別に不思議ではないけれど
1本の小さな木に咲く花を飛び回って1時間ばかり飽くことなく吸い続ける。
ぼくもレンズを向けてみるが、特に気にならないのか目の前すら横切って飛ぶ。
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レンズは標準レンズなのであまり接近できないが、これぐらいは写る。
羽根はやや傷んでいるようだけど個体の活性は高い。
雨上がりのひとときを貪欲に(きっとそれまで蜜にありつけなかったのだろう)。
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いつものようにアイコンタクトを確認。
昆虫が持つ好奇心が危険を避ける本能を上回る瞬間と呼んでいるが
カメラを持ったぼくを避けるそぶりはない。
けれども蜜を吸っている間、こちらを見ている。
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ぼくは人間の脳で虫認識、モンキチョウは昆虫の脳で人認識。
まだいたのか、と。
顔を見合わせてぼくは笑う。モンキチョウは管を休めることなく目はこちらを見る。


そこから2メートル離れた木にカタツムリ。
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後ろ姿をレンズが追っていく。
アリが胴体に上がろうとしていたのだが、違和感を覚えたのか去って行く。

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ニンゲンはデンデンムシよりも早く動けるから正面に回り込む。
すると2本のアンテナのような突起(目)を動かしてこちらを見る。
びっくりするじゃないか、と。
顔を見合わせてぼくは笑う。カタツムリは動きを止めることなくでこぼこの樹皮を這っていく。


タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 00:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年08月16日

コロナの時代の盂蘭盆会 沈黙の時間に声を響かせる


いつもなら菩提寺もしくは菩提寺から派遣された別の寺のご住職に回向していただけるのだが、前年度からはそれもなくなった。菩提寺の営みも大変だろうと推察。

デルタ株(SARS-CoV-2 Delta variant)の出現は別の位相に入ったと感じる。
これまでは副反応でワクチン接種を避けていた人たちが次々と向かうと予想される。
ワクチン接種後も感染は止まらないというのは各国で起きていることだし
専門家も誰一人マスクを取って出歩いても構わないとは言わない。
むしろワクチン接種の有無を問わず従来以上に感染対策を強化すべきとのこと。

ワクチン接種を行わないという人は身の回りに少なくないのだが
根拠のない情報に惑わされていたり、外界と接触を断つほどの覚悟はない人たちには接種を行うことを強く奨めている。ぼくももちろん接種は行う。
副反応のリスクはあっても義務化しないとならない段階に入ったと感じる。

何度もその根拠を書いているように根源の原因がなくなることはないので
COVID-19は終息しないと考えている。
いやCOVID-19は数十年で終息するかもしれないが
別の感染症が入れ替わり立ち替わり跋扈する。
そして温暖化によって劇的な気象が頻発するようになった。
そのことがさらに感染症の引き金を引くという悪循環に陥る。
マスクとアルコールは財布やケータイ電話以上に不可欠の携行品となっている現実を直視しようとせず
マスクをはずして生活する人や温暖化は存在しないと主張する勢力がある限り、どうすることもできない。


デルタ株が出現したということは飲食店が経営を続けるのが困難な段階に入ったことを意味する。
かつて飲食店へ行くのはハレの日の喜ばしい家族のできごとであったが
いまでは感染を覚悟に(感染後の行動も想定に入れて)入店する―それぐらいのリスクを感じるほどになっている。

もちろん対策はあるし(別のブログに書いている)
その費用も現実的な金額に収まるのだが
ぼくが考える感染対策を実際に実行に移されている店舗は少ない。
やらなくても良い対策(イオンの発生装置やらコーティングやら)を実行されているのに
やらなければならない肝心要の対策(空気感染)が行われていないことが多い。
(接触感染やら飛沫感染はマスクとアルコールを携帯していれば自分で防げるのだ)

仮に感染対策ができていたとしても
大半の店ができていない現状では来店客は見分けが付かないのでやはり足が向かない。
その意味で自店のみ対策ができていてもどうしようもない。

盂蘭盆会を迎えて手を合わせているのは祖父や祖母、さらに遡った祖霊のため、もっとも近いところでは父のため。
さらに大好きだった川で水難事故で亡くなった叔父や親しい人。
日航機の墜落事故に遭遇した同級生。
今年に入ってからコロナで亡くなった親しい知人も含めている。
究極的には過去から現在までの生きとし生けるものすべてに。

それなのに、好きな食べ物をつくったり買いに行っては食べ物を食べ、
家族や親族に情報を提供したり暮らしの支援を行ったり
部屋の掃除を行いクルマやカメラやらパソコンを調整しつつ(このブログもそうだが)、
仕事も遊びも愉しみながら生きている。

けれどそれは紙一重。
生きていることと死んでいることが隣り合わせの日常を観じている。

いつものように読経を行う。
開経偈から般若心経、観音経(普門品第二十五偈)、十三仏真言、光明真言、南無大師遍照金剛と続いて各霊菩提、先祖代々を回向する。
自らの声が遠く響いて自分の声を別の自分が聴いている感覚を覚える。
般若心経のいくつかの単語が無限に繰り返すような。無限界 無意識界…
(でも般若心経は釈迦の教えとは違う)
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朝の静けさを打ち破るりんの音と空気を打ち振るわす声が盂蘭盆会の時間を満たしていく。
この時代を受け容れて生きていく。
タグ:盂蘭盆会
posted by 平井 吉信 at 00:20| Comment(0) | 生きる