2021年06月26日

ダンゴムシにフォレスター納車 そして首相になる ダンゴムシ首相の改革


スバルは、世界戦略上重要な北米市場に加えて
温暖化時代の到来を予測して長距離を移動する甲虫のために
新たにインセクト市場に参入することとなった、
というプレスリリースが数年前に出たのを覚えていますか?

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(写真はイメージです。実際の撮影は植物を傷つけないよう細心の注意を払って撮影しています)

ダンゴムシとの会話でダンゴムシが購入予定に上げていたのがスバルであったということは
ダンゴムシはすでにこの情報をインターネット上で得ていたことになる。
そこで晴れて納車となった本日、
最初に乗り込んできたのは誰だ?
運転席に向かって降りていくではないか。
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ダンゴムシに聞いてみると
高い買い物だったので仲間の甲虫たちとシェアリングにしているとのこと。
合理的じゃないか。

ダンゴムシの希望するアイサイトはVer3で人間界よりも遅れているが
スバルの広報によれば、
枯れた技術のver3で移動の遅い土を這う甲虫を避けることができるという。
半導体不足で人間用も納車に時間がかかるらしいが
政府の甲虫特別枠を活用して優先割り当てを行ったとのこと。

ところでダンゴムシが紆余曲折の末に日本の首相となったことは記憶に新しい。
彼がどのような政策を行っているかを繙いてみた。

まずは政治改革であるが、ダンゴムシ首相は政党をすべて解体。これにより職業的な政治家はいなくなった。
けれど専門的な知見と熱意あふれる人たちが議論を尽くし是々非々で政治の役割を担うようになってからは日本の政治は一変した。
政治家になりたいヒトは誰でもなれるということで政治家の数は従来の100倍に増えたが、国会、県議会、市町村議会などの境界もなくなった。

費用弁償による有償ボランティアだから政治費用は激減、利権の誘導も消滅した。
ムダが生まれないしくみができたことからその存在意義がなくなった財務省がまず解体された。
政策は提案とそれを審査して評価されると採用され財源が付与されるしくみとなった。
評価者の評価をさらに評価することで評価の客観性や専門性を担保する。

独裁こそが国をダメにするのは洋の東西を問わず時代を問わず真実であるが
その逆に大勢が参画してそれぞれの専門性を発揮するしくみが根付いてからは
思いつきで政策をムダ打ちする政治もなくなった。

ムダをなくすことで生まれた余力が、逆に社会の冗長性を生み出す。
(冗長性とは居場所のこと。生まれてこなければよかった、どこにも居場所がない…。そんな思いに駆られないのは多様性を認め合えるから。合理主義一辺倒でない社会からゆとりと成果が生まれる)
(やらなくてよいことをやらないだけで政治は良くなる。布マスクをばらまいたり、オリンピックを強行して感染症が一気に蔓延したあの時代は反面教師。夫婦別姓を認めない司法の誤った判断があったことや忖度していた政治はいまでは教科書にその振り返りが記載されるようになったのはダンゴムシ政権になってから)。

また、過去10年間に行政から委託事業や随意契約を行った民間企業は
その過程と使途、成果を検証する会計検査院に代わる専門機関が設置された。
それらの検証によって、血税から甘い汁を吸った民間企業は公的な受注を最長10年停止する措置が取られた。
これらの企業では受注の中抜きやグループ内での転がしが行われたので
政策の費用対効果が上がらぬ要因であったのだ。
パソナや電通、政治家の親族が経営する会社などでは規模が大幅に縮小され、地域に根ざして本来の専門的な業務を身の丈で行う健全な会社に戻っていった。実は社員もそのことを望んでいたのだ。

ダンゴムシ首相は矢継ぎ早に改革を実施していくが
壊すことと守ることを明確に分けるモノサシを持っているため、変化は混乱とはならなかった。
この政治の方向は自由主義でも共産主義でも新たな社会制度への転換をめざすきっかけとなりそうだ。
首相は公約通り消費税を撤廃、ベーシックインカムを導入したことで
ほとんどの国民が不安のない暮らしが実現。

右とか左とか、保守とか革新とかの二者択一ではない
一人ひとりの幸福を追い求める施策を中心に据えたことで
経済活動、企業の業績が好転。
法人税率は上がり、所得税の累進課税も顕著になって税収が増加。
結果として国の収支は好転(国民を弱らせて国力も衰える負の循環に陥っていた失われた30年であったが、ダンゴムシ政権になってからは国民が豊かになれば国の税収が増えるという正の循環が生まれた)。
しかし国家は手を緩めることなく、改革を進めていく。
間違った改革は混乱をもたらすが、的確な改革は安心をもたらす。
当初は国民一人毎月5万円の給付であったものがいまでは10万円に増額しているが
国の財政収支はトータルでは好転している。

概算では世帯年収5百万円の4人家族では実質的に1千万円の世帯年収となった。
そのことが消費を大幅に喚起して内需を拡大。
また、教育や科学などの予算を大幅に増額することで
国は未来をつくる、未来を大切にするというメッセージを伝えることとなり
多くの若者が夢をあきらめることなくそれぞれの道を進めるようになった。
結果として結婚年齢の若返りと合計特殊出生率の上昇、地方での人口減少傾向の下げ止まりが見えてきた。

なお、ダンゴムシ首相がクルマを買ったときのエピソードがある。
クルマは半導体不足で2年待ちとなっていて割当制となっている。
首相は一国民として順番を待つつもりであったが
国民から「首相こそクルマを使って欲しい」の署名運動が起こり
首相は固辞するも人々の真摯な思いを受け止めてフォレスターを導入したのだった。
首相は、セキュリティ上の懸念を表明する安全省の反対を押し切ってクルマの使用を仲間とシェアすることとした。これも国民の人気を不動のものとした。

次にダンゴムシ首相の行政改革を見てみよう。
まずは行政組織の改革から。
既存の組織はすべて壊すオールクリアボタンを押してあるべき姿から再構築して以下に再編されている。

課題省
国民が直面している課題は何か? そのうち国が取り組むべき課題、緊急ではないけれど重要な課題は何かなど課題の抽出、優先順位の設定を行う組織。各省庁がこれをやれば我田引水となり猜疑心を持って財務省は査定することとなる。そうではなく予算を持っていない省庁が根拠に基づく政策提案(EBPM)を行う体制を構築。
いわば国政のシンクタンク。解決策は提示しないが、課題が見えれば問題は半分解決したも同じ。国中の真のエリートが憧れる司令塔のような組織。また、課題省には各省庁の施策の実行に助言を行う機能もあり、時間軸でのフォローと横の連携を取る調整機能を有する。課題省には費用弁償で活動に協力する政治家も登録されているが、利害誘導や偏った行動は国民の評価制度を採り入れている。ただし各省庁から課題省の評価もなされて独善的な運営にならないようチェック機構で評価されている。なお、課題省は国の財政を管理する機能も保有しているが、旧財務省のように各省庁の肥大化を抑える役割は持っていない。行政のしくみを変えたら査定が不要となったのである。

しくみ省
前工程の課題省が抽出した課題を解決するための政策を実行するに当たってもっとも効果的な方策を立案する省庁。行政は予算とPDCAサイクルが存立基盤となっているが、それでは迅速かつ的確な対応ができない場面がある。過去の時点で未来を創ろうとすると外部環境の変化が早い場合は陳腐化しやすい そこで会計年度の概念をとっぱらい必要なお金は随時供給することで施策の実施を行う仮説と検証のループがプロセスとなる。
従来は政策評価としてKPIが設定されたが、これは短期的な仕掛けに終始しがち。なぜならKPIの達成が査定となれば形式的な達成をめざすようになる。いわば手段が目的化する弊害がKPIにはあるためKPIは廃止された。その代わり政策評価として「成果」を定義して評価(それも持続的に見ていく)を行うようになった。
また、長年の慣行のなかには自ずとそのかたちに辿り着いた「完成形」(人々の智慧の結晶)のものと「惰性」がある。この省庁では「惰性」の施策を廃止するが、「完成形」として認められる施策は小さな修正を加えることはあっても存続させる。いわば「変えること・変えないこと」を見極める省庁。ときの為政者の気まぐれ施策を排除しつつ変革と安定感を同時にもたらす。変わらない普遍的な価値を大切にしない限り、真の変革はありえない。普遍的な価値とは国民一人ひとりの幸福の極大化である。
なお、しくみ省のなかにデジタル庁がある。ここでは国防や産業振興に関わる情報セキュリティの強化部門としくみを効果的に活用するためのIT活用のプロセスを企画。台湾のIT担当大臣のオードリー・タン氏を台湾大臣と兼務で長官に迎えているのもリモートで意思疎通が成り立つからである。
これを契機に日本と台湾の親密度はさらに増したが、そのことがかえって日本と中国の関係改善に役立つことになっている。この物語については後日。

広報省
政策を広く啓発することが施策の実効性を高めることにつながる。これまではお役所言葉の羅列で何を伝えようとしているか言語明瞭意味不明瞭なWebサイトやパンフレット、はたまた流行を取り入れて迎合するSNSなどではなく、国民が何を感じ思っているかを把握することが広報省の大切な仕事だし、国民が政策に満足しているかどうかを測定するのも広報省の役割。
なぜその政策が必要か、国民に何を約束しどんな協力を求めるかを明確にすること。そしてそこに届くメッセージを考える。広告代理店やクリエイターからの転職組も混じっているが、むしろ多様性を持つ人材(小学生から90歳の高齢者まで)で構成されることが広報省の大きな特徴。初代の広報大臣にはジャパネットたかたの創業者の高田明さんが選ばれたのも必然という感じ。

文化健康労働省
心身の健全な状態を保つことが幸福の前提条件と定義してそのために施策や啓発を行う省庁。また文化の保全と未来への継承が大切と考えてそのための施策を行う。特にウェルネスの創造が省庁の基本理念となっている。先進的な研究に基づく感染症対策専門部署が置かれており、WHOやCDCが参考にしているとされる。また科学の基礎研究には手厚い予算化がなされた。教育部門もこの省庁の管轄であるが、そこには学校や教員をどのように管理するかの着眼点ではなく、どのようにすれば現場が働きやすいかの視点で制度設計とサポートを行うのが旧文部科学省との違い。子どもにタブレットを配っても家庭内にWi-Fiを備えていない家庭が大多数という実態から、効果的な政策立案を行ったのが同省としての最初の成果となった。生態系省との連携によりIT活用の呪縛からも逃れられている。また労働者の賃金の上昇についてはしくみ省や産業省の取り組みもあって結果として早期に実現している。

安全省
国防、災害時の派遣、警察などの役割を一元化で担う。国家的な危機の際は旧組織で弊害があった調整が不要となって機動的な活動が可能となる。旧国土交通省の災害対策や総合治水を唱える河川法に基づく流域治水を行う部署も含まれる。ここでは川という恵みと災害をもたらす両面を見つめて溢れても被害を最小限に押しとどめる合理的な治水が行われるようになった。このことは流域住民の自助や共助への意識を自ずと高めることとなったし流域で異なる利害調整を行う流域委員会を設置して検討を行っている。さらに少数民族、いじめ、性差別などこれまでの自民党政権が関わろうとしなかった問題にも強い態度で当たる。自衛隊を所管するのも安全省である。

産業省
失われた30年の反省に立ち、農林水産業、商工サービス流通業、建設業、交通体系、観光など敷居を取り去って経済の営みを産業と定義して政策的に支援を行う。ただし補助金制度は必要最小限にとどめられる代わりにハンズオンで経営や金融の支援を行うことができる。一つひとつの案件をていねいに課題の抽出から解決策の実行、フォローアップとモニタリングを行ういわば孵卵器から成長までをマネジメントする。どんな小さな市町村にも産業省の相談窓口は置かれていて大企業から個人事業までをサポートできる体制が強み。

外交省
内政と外交は切っても切れないが、各省庁からの情報分析を参考に外交政策を決定する。SDGsに則った活動理念を持ち、アジアを中心に積極的に働きかける外交を行う。特に懸案を抱える相手国とは長期的に異動のない専門チームを設置して粘り強く外交政策を立案、展開する。省庁内の会議は英語となっている。情報セキュリティについてはしくみ省との連係で万全となっている。

生態系省
環境省からさらに生態系保全という概念にまで昇華した施策を行う。経済活動とのせめぎあいで妥協の多かった環境省であるが、生態系省は憲法改正でうたわれた生物多様性が人間存続の基本原理と捉えており、他の省庁の政策決定より上位の位置づけとなっている。

ダンゴムシ首相、なかなかやるではないか。
特に省庁の全解体再創造を一気にやりきったことが評価される。同時に政治家を増やすともに費用弁償としたことで政治家は有償ボランティアの名誉職という地位になった。そのため分析力や思いのあるヒト、専門家が参画するようになって政治家の様相は一変。志がある人たちが政治家をめざすようになったため(金銭的なうまみがないので)汚職や忖度は皆無となった。政党も解体されたため、ほとんどの議員は就職もしくは元職に戻ったが、約2割は使命感を持って引き続いて政治家として登録しているとのこと。

富裕層は真に税金を活かせてもらえることで所得税の累進税率の改定は肯定的に受け止められている。
また、法人税率の上昇は世界的に歩調を合わせタックスヘイブンをなくすことで不公平感はなくなり、
経済の活況の後押しを受けて収益が増加しているので経営者にも不満はない。
ダンゴムシ改革によって富裕層や儲かる会社が社会から尊敬される位置づけとなったことは改革のひそかな副産物といえよう。
日本も捨てたものではないではないか。

posted by 平井 吉信 at 12:33| Comment(0) | 物語

2021年06月19日

梅酒と梅干しの六月には


青梅や鶯宿を梅酒に仕込み、南高梅を漬け梅(梅干し)にするのは季節の風物詩。
この作業はぼくの分担でずっとやっている。
おいしい梅酒や梅干しは家族親族のなかでぼくしかできない。
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川沿いの河畔林で自生する梅を見つけた。
柔らかな曇り空に映える光景だった。
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梅酒は例年35度の米焼酎もしくは35度の泡盛を使っている。
(麦焼酎や芋焼酎は梅の個性を活かせないのは実験しなくても推察できる)
ブランデーやウォッカ、ジンを使うのもあり得るが
梅の青果が良質であれば避けた方がいいと思う。
今年は米焼酎が入手できなかったし普段使っている泡盛の銘柄も入手できなかった。
そこでホワイトリカーと泡盛の3年古酒(35度)を使うこととした。
梅酒づくりは原価がかかる。1升でも4千円程度の材料費になる。市販の量産梅酒が数百円で売られているのはどんな魔法を使っているのか?
いずれにしても量産品は梅の青果の鮮度とベースの品質が良くないせいか
糖度を上げて抽出と風味づくりを行わざるをえないのではないか。
だからべとべとするし香りにも乏しい。コクも透明感もない。

さらにもうひとつとても大切なこと。
それは梅酒にするなら畑でちぎって1日以内の鮮度であること。
その鮮度感が香りや瑞々しい風味につながる。
だからスーパーに並ぶ流通品でおいしい梅酒はつくれないと考えている。
(ぼくは生産者を直接訪ねて分けていただいている。当日売り切る分しか並べない直売所もいい)
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美郷物産館で梅(月世界という品種)のジェラートをいただいた。
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梅干しは紫蘇漬けだが、塩分濃度は長年の経験で16%が最善と判断している。
やや低めと思う人もいるが、焼酎を併用するので保存性でまったく問題はない。
(一つひとつの工程で衛生面に留意しているのでさらに下げても問題はないと思う。例えば水洗いして乾いた梅を1個1個焼酎を吹き付けて不織布で拭く。容器や浸け石も同様)

梅酒は毎日家の誰かが飲んでいる。
特に食前酒として食欲が出てくる。
梅干しは弁当はもちろん茶漬けにも欠かせない。

梅酒と梅干しのない人生はつまらない。
正月におせちを食べなくても違和感を覚えないけれど
六月に梅酒や梅干しづくりにかかれないとその1年はないような喪失感。
スマートフォンのない人生に不便を感じないし
グルメやSNSと無縁の日常こそ愉しい。
でも梅酒やおいしい米、ミネラルの多い川のない地球なら生きていたいとは思わない。
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posted by 平井 吉信 at 23:13| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

梅雨空の明日は晴れると好転する気圧配置がもたらす夕暮れ法


直訳すれば、梅雨空で朝から雨が降っていたけれどだんだん雨が止んで気圧が高くなって天候が回復傾向にある途上で一日の最後に現れた夕焼け空は明日の晴天を約束するとともに人々の心に晴れやかな記憶を刻むことができるという証しの色でもあるという意味のようです。
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ダンゴムシのために乗り物を用意して世相を聞きながら雨上がりの庭を見ている


ダンゴムシは凹凸のある地面でもなめらかに移動していく。
けれどもし高齢化して足が動きにくくなったらどうなるだろう。
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そこでダンゴムシのためにクルマを用意することとした。

候補は3つ。
@軽トラック(4WD)
Aプリウス(ハイブリッドFF)
Bフォレスター(AWD)

高速道路を巡航することはないがオフロードの走破性が求められるだろう。
すると@かB。
狭い場所だと@。車重が軽いのとホイールベースが短いので悪路に強い。
さらに悪路になると4輪の制御とアプローチアングルのあるB。

ヒト:どれにしますか? ダンゴムシさん。
ダンゴムシ:そうだな、仲間のダンゴムシを轢かないようアイサイトが付いたスバルにしよう。
ヒト:アイサイトはダンゴムシの世界まで噂が広がっているのですね。
ダンゴムシ:人間のWi-Fiをうまく拾ってインターネットにつないでいるからね。コロナやワクチンの話、オリンピックや阿波踊り、ショーヘイオータニさんのことも知っているよ。
ヒト:何かご意見や助言はありますか?
ダンゴムシ:簡単な考え方を採用しないで複雑なしくみを使おうとしているね。そうじゃなくて数ヶ月でいいからヒトの移動を止める。その間の経済的な損失はすべての個体に補償するので誰も困らない。前提条件を設けて計算して一定条件に給付ではスピード感がないこと、配布の間接費が増大すること、さらに申請性ではほんとうに必要な人に行き渡らない。補助金も申請の巧拙と必然性が比例しないし制度設計と審査の費用と手間がかかる。国全体で見たら補助金は誰もシアワセにはしない。
ヒト:そうなんですか。
ダンゴムシ:さらに消費税を撤廃することで生活者の支援ができる。生活者とはすべてのヒトを含む。そこには金持ちも貧乏人も人種も性別も年代や国籍の区別もない。そして所得税の累進強化でお金が余っているヒトから徴収して所得の再分配と公正な運用が簡単にできる。だから所得の高い人ほど社会貢献ができて尊敬もされる。中抜きのパソナや電通が会計検査の対象にならないのは解せない。いまだにオリンピックやら阿波踊りをやろうとしている。人間は馬鹿だね。
ヒト:ダンゴムシさん、首相やら知事やら市長になってくださいな。
ダンゴムシ:考えておこう。

朝からダンゴムシとそんな会話をしていると
スミレがまだ咲いていることに気付いた。
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雨上がりの庭はきな臭いニンゲン界を映しながらも季節の遷移とそのなかでの生き物の営みなど自然の摂理を愚直に励行している。
タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 家の庭

2021年06月16日

三つのみどり(緑 碧 翠)の深沈としたきらめき 


山奥にレストランが開業したと聞いてやってきたのだけれど
ここで合っているのだろうかと自問自答しながら辿り着いた(ナビなどない時代)。
その場所で見た湖は心に刻まれた。
そしてその景色はいまも変わらず。

水に映る陸と水色(すいしょく)の遷移が
緑から碧、翠へと存在する。
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多分このみどりはキヤノンやソニーでは出ない。
世界でこの色が再現できるのは日本の富士フイルムのみ。
そう、フジの画像処理は緑色に特徴があるね。

それは温帯モンスーンの日本の「みどり」(蘚苔と田んぼ)を心に描くごとく再現できる。
(フィルム時代のPKRやエクタクロームでは出なかった色。おそらくフイルムでは富士フイルムのPROVIAならではの色)
デジタルになっても「フィルムシミュレーション」をPROVIAに設定して
そのまま出力したのがこの画像(縮小のみ)。
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こんな場所があるということもさることながら
現実と写真が一体となって蘇る感じ。
乗っている車も碧もしくは翠系統の色で気に入っているけれど
緑とは、若草色と萌黄色と翠と碧を統合したような色。
こんな色に包まれているとおだやかな心地がする。
忘れてはならないのは太陽の光がこれらの色を見せてくれている(魅せて)ということ。

(1枚目:フジX-T2+XF23mmF1.4 R、2枚目:フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 22:24| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年06月07日

田を吹き抜ける風 あじさいの連なる里山が揺れるけれどぼくは上の空 


梅雨の晴れ間は田んぼとカエルを思う。
できれば流れる雲が水に映り
あぜ道を子どもが駈けていく。
バス亭には置き自転車、そこに誰が掛けたか傘の忘れ物。
そんな斜めの光を背に前を見れば虹。
スキップの足跡がかき鳴らすアルペジオのよう。

誰でも里山には幻想というか印象を持っている。
梅雨の晴れ間には胸の奥の里山が疼くとでも。

小松島市南部は立江川の源流域で菌床シイタケの一大産地となっている。
県内でヤマモモの発祥の地もここ(実はうちの親戚である)。
親戚宅の前には沢があって木陰をつくっている。
半ズボンをめくって入っていくと思いのほか水が冷たい。
小川がこれほど澄んでいるとは子ども心にも思わなかった。
おそらくウナギ(腹の黄色い)やモクズガニがたくさんいるだろう。

ぼくがときどき立ち寄る友人宅もこの地区にある。
かつては山懐の一軒家で五右衛門風呂があり
丘から立江盆地を見下ろしながら
音楽を聴いたものだ。

→ 朋あり近所より来る 令和の宴2019年夏
→ 友あり 近所より来たる。山、食事、音楽の休日 
→ 元日のパーティーは田園交響詩、女もすなる…男もしてみんとて

でもきょうはあじさいのあぜ道を見に行くのだ。
櫛渕あじさいロードと名付けられた里山めぐり。

起点は櫛渕町の櫛渕八幡神社。
巨大な2本の木が鎮座している(フウとクス)。
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銅像を見て思いだした。ここは喜田貞吉博士の故郷でもあったのだ。
ぼくは明日香村が好きで中学の頃から通っている。
古代と現代が入り交じる里山を自転車で走り抜ける時間は人生の収穫期のようだ。
その明日香の地で石舞台古墳を蘇我馬子の陵墓と比定したのが博士でなかったか。

そういえば明日香村と少し雰囲気が似ている気がする。
立江川源流部の開けた入江状の地形に展開するのが小松島市櫛淵町である。
ここはマムシが多い。夕方散歩するときなどはご注意を。
私の知人は室内にマムシが入ってきて3日目にようやく見つかったことがあった。
小さな子どもがいるなかで落ち着いて寝られなかったことだろう。

参拝を兼ねてクルマを櫛渕八幡神社に置かせてもらって歩き出そうとすると
案内看板がある。
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ひとまたぎできそうな立江川の源流を渡って新たに整備されたバイパス沿いにあじさいが並ぶのだがいったん道を渡って山裾をめざす。
田んぼにはオタマジャクシが元気に泳ぐ。
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田の畦で風に揺れるのはランの仲間のネジバナ。
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南を見やると羽ノ浦町との境界をなす低山があり、
その北面に広がる水田
そして山から流れる沢、
そんな農道に沿ってあじさいが咲く里山。
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日の光と田を吹き抜ける風に吹かれていると
ぼくは21世紀(2021年コロナ下)を忘れてしまいそうだ。


posted by 平井 吉信 at 01:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年06月05日

庭の小宇宙 スミレの種 アリ マンネングサ ダンゴムシ


仕事場から歩いて数歩で小さな庭があって
地面と同じ目線で見ていくと
こちらはこちらの世界の日常がある。

種を付けたスミレ(園芸種)を物色するアリ
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いつのまにやらマンネングサの仲間が群生。半月前には痕跡がなかった地面を覆っている
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アリがマンネングサを物色
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ダンゴムシは陸上のエビのよう
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艶やかな甲殻
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2匹のダンゴムシを合わせても1センチに満たない
何をしているのだろう
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梅雨の合間の曇りの午後の庭のひとときのできごとの記録の一部

フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro(中間リング付、手持ち)
タグ:昆虫
posted by 平井 吉信 at 16:34| Comment(0) | 家の庭