2021年01月25日

夕暮れのとくしま植物園 35oの自然な画角が心情を物語る(XF23mmF1.4 R)


土曜日も仕事が入っていたので、日曜日には溜まった家事をてきぱきと。
部屋の掃除に始まり、切れていた電球の交換と接点清掃、精米して炊飯(うちでは炊飯はぼくの役目。きょうは有機農園小七郎さんとこの玄米を五分づきに精米。十分に浸水して玄米でも良いのだけれど)。
それが終わるとゆこうの絞り、さらに夜の仕込み(豚のブロック肉、タマネギ、ニンジン、シロイモをスロークッカーに仕込む)、そして今週の仕事での資料づくりなどをやっていると午後の遅い時間に。

前日から降り続いていた雨はあがり曇りの天気となった。
買ったばかりのレンズ(XF23mmF1.4 R)を持ち出したくなって近所のとくしま植物園に出かけた。

今回はX-T2、フィルムシミュレーションはすべてProNeg.Std。
ここは短時間の散策で路傍の山野草や樹木に目を留めながら丘を上がっていく。
早咲きのすみれに逢えるのではとの淡い期待もあったがさすがにまだ早い。

散策路(f4、1/32秒、ISO320)
夕方近くの曇りの光線であったが立体感がある。そして自然だよね。
DSFT9823.jpg
(ただし今回はWBオートの設定。フジはこの設定では緑がくすむ傾向があるので太陽光の設定が結果が良い)

丘の上までやってきた(f4、1/120秒、ISO200)
繊細かつ画面の平坦性が良い。記憶にある景色が蘇る
DSFT9836.jpg

雨に打たれた常緑樹の葉(f4、1/34秒、ISO320)
画面中央部を拡大してわかったのは細い蜘蛛の糸が画面を音もなく張り詰めている。
葉の存在感が主人公だけどディティールの豊富さはXF35mmF1.4 Rでは描けないところ。
DSFT9874.jpg

花壇の植栽(ハボタン)があでやかで印象的だったので
(f4.5、1/60秒、ISO200)
近接領域でも崩れないのはXF23mmF2との違いかも。
DSFT9882.jpg

写真を撮るために撮っているのではなくこのハボタンに心ひかれたから。
プロネガはこんな被写体を活き活きと写す。もちろん飽和しない。
X-T2の第3世代の画像エンジンは最新の第4世代と比べて色再現性が鮮やかなのも要因。
(f2.8、1/90秒、ISO200)
DSFT9891.jpg

近接して開放でも不自然な感じがしない
(f1.4、1/450秒、ISO200)
DSFT9892.jpg

生きていくのが愉しくなるというか前を向きたくなるというか
自然界の持つ色彩は無限の遷移を持つけれどそれを受け止める人の心のひだも同じ
(f4、1/56秒、ISO200)
DSFT9906.jpg

花火が咲いているかのよう(f4、1/40秒、ISO200)
DSFT9915.jpg
このレンズ(XF23mmF1.4 R)は近距離で開放からF4ぐらい、中距離以上ではF4〜F5.6が得意なのかも。
XF35mmF1.4 Rとは描写の傾向が違う。あちらは低周波のコントラストに特徴があるようだけど、XF23mmF1.4 Rはさらに描写が繊細かつ階調が豊富。高周波の再現性はこちらが高いようだ。

撮影時刻は16時55分。これから帰って朝の仕込んだ料理の味付け(微調整)を行う。
(→ガラムマサラを足しただけ。やはりおいしかった、としかいいようがない口福感。写真は撮ってないけど)


posted by 平井 吉信 at 00:32| Comment(2) | 山、川、海、山野草

2021年01月24日

フィルムを入れて写す写真機 そのときどきの時間(人生)をとめる


銀塩写真(フィルムカメラ)やアナログレコードの流行は一時的なものとは思えない。
それは特定の国や地域だけで起こっていない。
レコードに至っては、アメリカではCDの生産量を上回っているというのだから。

ぼくもアナログレコードもアナログプレーヤーも現役で持っている。
テレビも15インチのソニープロフィール(高性能トリニトロンブラウン管)をいまも使っている。
(液晶やプラズマやら4Kの画面には落ち着きがなくて長時間見ていられないよね)

フィルムカメラのライツミノルタCLやミノルタX700は現在も稼働している。
特にライツミノルタは完動新品レベルもの。
M-ROKKOR40mmF2と90mmF4のレンズがある。後者はライツ製だ。

そこでひらめいた。
フジからはMマウントアダプターが発売されている。
ぼくはXFレンズの望遠は持っていない(XF35mmF1.4 の換算53mmまで)。
M-ROKKOR90mmF4はライカ製でElmar-C 90mm F4と同一と言われている。
ミラーレスのデジタルかめらはではピント面を拡大できる。
これで桜を撮ってみたい。そう考えるとわくわくする。

レンズを格納している防湿庫を覗いてみる。
最良の状態で90mmはそこにある。
LEDの光を当ててみてもコーディングの衰えもレンズの曇りもない。

その近くに皮ケースに包まれたものがある。
はて?
思い出した。親父が所有していたコンタックスTVSだ。
(バリオゾナー28-56mm F3.5-6.5付)
ぼくはゾナーT* 38mm F2.8の付いたT2を奨めたが
親父はズームがいいと言い張ってこちらにしたのを思い出した。
(T2はカヌーエッセイストの野田知佑さん、姫野さんも使っていたと記憶している)
しかしなぜか親父はほとんど使っておらず
おそらくフィルム1〜2本撮影して退蔵していたもの。
取り出してヤマギワ電機のバイオライトに照らすとチタンボディはまばゆき輝きを放っている。
DSFT9811-1.jpg

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(余談だがコンタックスT2のテイストにもっとも近い最新のデジカメがフジのX-100V)

同じツァイスレンズが付いたキョーセラのスリムTは家族全員が旅行に使っていた共用。
胃かいようで入院していた親父が退院したとき
夫婦で由布院の温泉でもと送り出したときに持って行ったカメラでもあった。
由布川の土手で噴煙を上げる由布岳を撮ろうとしたとき
病み上がりだったせいか足元がおぼつかず斜面で転倒したのだという。
そのときの擦り傷がカメラの背面に付いている。
しかしカメラには異常なく電池を入れればいまも現役である。
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スリムTにはツァイスのテッサーレンズが付いている。
ネガプリントを見たうちの母親が写真の美しさに絶句。
このカメラは写りが違うといって「わたしのカメラ」と言い張るようになり、
とうとう自分の名前のシールを底面に貼ってしまった。

いまのコンパクトデジカメはハイアマ用を除いて高倍率のズームしか残っていない。
35o〜38oでF2.8程度の単焦点の付いた廉価な製品が出れば相当売れるのではないか。
ボディはプラスティックでも構わない。
シャッターと電源スイッチのみでシャッターを押すだけの完全オートでいい。
もちろんストロボは内蔵。
沈胴式レンズでレンズ枚数は少なく。
ボディ内手ぶれ補正機能は付いている。
画像はこれみよがしではなく自然な再現で4〜5万円程度。
(ただし設定を選べば見映えのする仕上がりも選べる)
色は黒、白、銀、赤は避けて、アースグリーン(濃い灰緑)、生成、鴇色などはいかが。
そんなカメラが出たら売れるように思うのだが。
(富士フイルムあたりが無印良品などと連携してやらないものか。直販とムジ店舗のみで家電量販店やカメラ店では売らない)

カメラは手に取ってメカニズムや造形を愉しむ道具でもあるが
家族や友人、つまりは人生とともに刻を閉じ込めたもの。
喜怒哀楽の光と影が織りなす人生模様を写すのが写真機。
(スマートフォンはだめだよ。消耗品だし画像が厚化粧だから時間とともに化けの皮が剥がれる)
posted by 平井 吉信 at 00:26| Comment(0) | くらしとともにあるモノ

2021年01月18日

数年ぶりに買ったレンズはフジノンXF23mmF1.4 R

フジのデジタルカメラを使っているけれどレンズは3本しか持っていなかった。
XF14mmF2.8 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS、XF35mmF1.4 R。

子どもの頃から使っていたミノルタハイマチックF ROKKOR38oF2.7、
親父との共用だったライツミノルタCL M-ROKKOR40oF2、
さらにネガフィルムではキョーセラのスリムT Carl Zeiss T* Tesser3.5/35、
ミノルタの一眼レフX700ではNewMD35oF1.8。
いずれも画角が35o〜40o。この画角と写りがとてもしっくり来ていた。

これらは少ないレンズ枚数で抜けが良く
やわらかくも絵のような美しさで光を捉えていた。
それは何気ない風景を撮影しても心にしみてくる。
最新鋭の高解像度のレンズやZoomレンズでは得られないと気付いた(思い返した)のだ。
(手持ちのフジのズーム18-55でカバーできるのだけれど写りが違う)。

ところがふと気付くと富士フイルムがキャッシュバックキャンペーンをやっているではないか?
対象レンズのひとつが23oF1.4。
(APS-Cのセンサーサイズを考慮するとこれが35oの画角となる)

フジノンにはF1.4とF2の2つの23oレンズがある。
ぼくは盲目的に明るいレンズが良いとは思わない。
最近シグマから出た24oF3.5には惹かれるものがあるけれど
マウントが違うので取りつけられない。

そこでインターネット上で出ている2つのフジの23oを見比べると
(同じ被写体を見比べる必要はない。一見して違いがわかる)
23oF2は塗り絵のようでくっきりしているが陰影感に乏しい。
23oF1.4は繊細で階調がやわらかい。
しかも開放でも周辺まで平坦。これは準広角の画角には必要である。
(XF18-55mmF2.8-4には求め得ない)

しかもボケ味が自然である。
ボケ味というのは自然な距離感を描けること。
ゆえに鋭いピントで浮かび上がる主要被写体と
原形を留めない背後の光のにじみの対比のような両極端な画は好きではない。
葉っぱが重なり合いながら近景から遠景まで連なっているとすると
葉っぱの焦点が少しずつ弱くなるけれども違和感のない存在感を残している。
XF23mmF1.4 Rはそんなレンズである。

鳥取県にお住まいの女性の方でXF23mmF1.4 Rの名手がいる。
ブログで拝見するだけであるが、彼女がこのレンズで撮影した写真が拝見できる。
https://jerry114.exblog.jp/tags/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%20XF23mmF1.4%20R/

こちらはご本人によるセルフポートレートと思われる。
https://jerry114.exblog.jp/tags/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%20XF23mmF1.4%20R/2/
(ここ2年程度写真が更新されていないのは心配である)
鳥取といえば植田正治さんが有名である。
jerryさんというハンドルネームの方も鳥取の風土を活かした写真を撮られている。

決めた。買うことにする。
けれどモノを増やしたくない。
そこでズームを下取りに出した。これで単焦点ばかりとなった。
(購入を決めたその日がキャッシュバックの購入期限その日だったのも運命的)

こうして初めて野外へ持ち出した。
5枚だけ載せてみる。
いつもは500ピクセルだけれど、今回だけ1024ピクセルで。

まずは大砂海岸。X-T2+XF23mmF1.4、電子シャッターは共通。
f6.4、1/1250、ISO200、ProNeg.Std
DSFT9715-1.jpg

モノクロでも撮影。フジお得意の白黒
f5.6、1/6000、ISO800、ACROS+R
DSFT9722-1.jpg
(世界でもフジ、ライカ、パナソニックがモノクロ御三家と思う)

次に大里松原から北へ延びる尾根へ乗る。
海岸性照葉樹の林を抜けて登り始める。
像面の均質性、歪曲のない平坦な画質。
f5.6、1/30、ISO800、ProNeg.Std
DSFT9749.jpg

太平洋を臨む尾根沿い。
ところどころ痩せ尾根で断崖を通過する。
磯釣りのために山越えする釣り人は多い。
おそらくは眼下の渚まで降りていくのだろう。
f7.1、1/80、 ISO200、PROVIA
DSFT9774-1.jpg

大里松原に夕暮れが迫る。
それでもひねもすのたりのたりかなの幸福な釣り人が影絵となる。
f5.6、1/1250、ISO200、PROVIA
DSFT9795-1.jpg

このレンズ、絞りこむ必要はない。
おそらくf5.6まで。被写界深度が必要ならf8まで。
やはり35oはいいな、と思った。
35oと50oがあれば撮りたいものは残せる。
ほのぼのと人生を振り返るとき
それは35oから50oではないかと思うのだ。
posted by 平井 吉信 at 00:01| Comment(0) | くらしとともにあるモノ

2021年01月12日

石井町の旧道から向麻山公園(鴨島町)、上桜公園(川島町)。冬の日だまりの歩みこそ


このところ県西部へと足を向けることが多く
わずかな時間の道草で国道192号線を石井町から旧道へと入っていく。
途中で印象的な神社があった(石井町浦庄)。
写真の右側には葉を落として冬支度のイチョウの大木。
DSFT9536.jpg

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斎大明神と読める。
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旧道を進むと目前に見える小山をめざして田んぼの細道を抜けていくと
向麻山(こうのやま)公園の上がり口があった(あとでわかったが東側にしか上がり口はない)。
山頂には広場、銅像、釈迦如来の石像などがある
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山頂から眺める吉野川中流域の平野
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向麻山の名は麻植郡に由来するものと思うが、鳴門の大麻山と向かい合うという説もある。
標高92メートルの低山ながら桜やツヅジの名所となっている。

直下に田園が広がり、その向こうに国道192号線が指呼の間にある。
眼下の田んぼに盛り土があり木が植えられているのが印象的。
小さな墳墓のようにも見える。
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季節は夏だが、国道から向麻山は田園の向こうに見える。
麓には麻名用水が流れている。
右奥に木陰をつくっている場所がある。
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近づくと樹木と五輪塔のようだ。背後にあるのは向麻山。これが山頂から眼下に見えていたのだ。
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向麻山公園から車で20分ほど西へ行くと上桜公園(吉野川市川島町)。ここも初めての場所。
散策路とスポーツ施設と公園の組み合わせ。まず飛び込んでくるのは大正池。
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池のまんなかを桟橋でわたって対岸へ行ける
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そこから散策路が秋の色濃く歩みを進める
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もう少し歩みを伸ばせば水神の滝という滝があるが時間がなくなってきた。
それは次回に。
この日立ち寄った先は地元の人の憩いの場。
静かな歩みにはおだやかな日々に立ちのぼるささやかだけれど本質的な幸福が見える。


タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2021年01月09日

室温6度


仕事場にはエアコンがないので仕方がない。
毛布にくるまってキーボードを打っている。
ときどき手を温める。

着ている服は3枚(下着も入れて)だが
風のない室内では抱える空気層からしてそれ以上に着ても意味がないような気がする。
頭が冴えているが、思ったことをかたちにするのに指先がもつれがち。
でも寒さにここ数日で寒さに順応したようで慣れてしまった。

温帯モンスーンでの厳冬も温暖化がもたらしたこと。
熱帯雨林などへのとどまることを知らない浸食(破壊)と資源の搾取、
つまるところ生態系の破壊と未知のウイルスとの接触の増大、
そして人々の移動。

温暖化とグローバル化が異常気象による災害多発と感染症の蔓延をもたらしている。
さらに輪を掛けたのが21世紀になって自民党政権による所得格差の拡大政策である。
比較的安全に過ごせる人たちは所得が高い人々である。
このことは所得によるリスクが異なることを意味しているし
所得による人類の分断を促進しているともいえるし、
残るべき人々を所得で選別しているともいえる。
株価は実態を反映せずバブル状態だが、例え3万円を超えても庶民の暮らしに変化はない。
ここでも格差が広がっていく。
けれどCOVID-19は序章に過ぎない。
生きていくのに必要な情報の見極め、的確な行動の絞り込みと実行ができるか。

コロナを契機に国による統制が強まる傾向が出ている。
諸外国では全体主義的な傾向が目立ってきたし日本も前政権から顕著になっている。
このまま真善美を封印して権力になびく忖度や
「自粛」という言葉に想起される同調、同質を強いる社会へ向かうか
既存の社会とは異なる価値を実現できるかの岐路に立っている。

生き方のヒントは縄文時代の日本にあるように思う。
この続きはそのうちに。



posted by 平井 吉信 at 13:25| Comment(0) | 生きる

2021年01月03日

鳴門わかめの生産・加工業者 うずしお食品さん 応援しています


本日の徳島新聞にうずしお食品の取り組みが掲載された。
それによると、同社の後藤専務は鳴門わかめの品種改良のため
2010年に三陸のわかめ産地を視察して株を分けてもらっていた。
翌年に震災で三陸のわかめ生産者は壊滅的な被害を被った折
後藤さんは鳴門で培養していた種を届けるため三陸へと向かった。
以来、毎年のように三陸の生産者を訪ねては復興を見守っている。

鳴門と三陸はワカメでは競合する産地であるが
互いに技術交流をするなど切磋琢磨と励まし合いつつ年月を積み重ねている。
三陸の生産者は「南海トラフで大きな被害が出るようなことがあれば鳴門に支援に駆けつけたい」という。
どちらの産地も栄えて欲しいと願わざるにはいられない。

ワカメ生産者が直面する課題はいうまでもなく地球温暖化による高水温化である。
しかし徳島の沿岸の藻場を見る限り、そればかりではないと思われる。
海の栄養価が下がった結果、藻場が少なくなったこと、
そして温暖化で磯に定着する魚、
例えば、チヌ、グレ、タイ、ボラ、スズキ、アイゴなどが
冬に近い時期まで藻を食するようになった。
つまり貧栄養化が主要因でそれに輪を掛けているのが高水温化という構図ではないのだろうか。

貧栄養化の原因としては河川の浄化があるだろう。
それ以上に山の荒廃とダムの整備で大水がでなくなったことが大きいのではないか。
吉野川河口の長原漁協の漁師から伺った話だが
かつては吉野川の洪水で黒っぽい水が海まで流れてきた。
それを「土佐水」と呼んで海苔が成長すると歓迎したとのこと。
いまや土佐水は流れてこないのかもしれない。

話をうずしお食品さんに戻そう。
後藤専務はワカメの産地の将来を見据えて研究と実践を重ねておられる。
うずしお食品は鳴門市の里浦地区に漁業権を持っておられるが
そこで採れるワカメはきわめて良質のもの。
そしてそれを冷凍して届けている。
一度でも同社のワカメを食べたなら、これが同じワカメかと呆然とするだろう。
調味料は要らない。そのまま食べておいしい。例えるとワカメのさしみ。
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鳴門わかめには産地偽装が相次いだ黒い歴史があることはご承知のとおり。
(中国産を混ぜる、ひどい場合は中国産そのものであったりする)
県の指導で「鳴門わかめブランド回復緊急対策部会」を設置して
産地偽装が発覚すれば自主廃業というルールを敷いたが
それ以降も加工業者による偽装が相次いだ。
(他の産地の業者ならともかく本場の事業者が産地偽装するなんて)
開いた口がふさがらない。
徳島にいながらも
鳴門わかめの包装を見てそれがほんとうかどうか信じられないなんて。
(加工業者の脱税の噂も後を立たない荒っぽい業界である)

後藤専務はそんな事態に憤慨し、
産地の将来を考えて心を痛めておられたのではないかと推察する。
誠実に、そして科学的な洞察を交えながら
信念を持って経営しておられる同社のような会社を応援せずにはいられない。
(品質向上のためライバルの三陸の生産者の門戸を叩いたり窮地に陥った三陸へ支援の手を差し伸べる姿勢からも伺える)
ほんとうにおいしいですよ、うずしお食品のわかめは。


(参考)
徳島県は「徳島県鳴門わかめ認証制度」を打ち出した。
http://www.naruto-wakame-ninsyou.jp/approval/company/

有限会社うずしお食品は認定第一号となっている。
(以下、県のWebサイトから抜粋)
昭和52年創業の、鳴門わかめを取り扱う徳島県鳴門わかめ認定制度第一号認定企業です。 生産者から直接仕入れ、自社工場でボイルから行い、トレース管理、衛生管理を徹底した湯通し塩蔵生わかめ・茎わかめの製造・加工販売を行っております。

http://uzushioshokuhin.co.jp/
タグ:鳴門
posted by 平井 吉信 at 21:03| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2021年01月02日

不器用ですから


自分で靴のひもを結べない、ネクタイもうまく結ぶことができない、人前に出るというのにときどき左右で別の靴を履いていることもある。

髪の毛を切りに行って自分の髪型について「こんなふうにして欲しい」と要望を出したことは一度もない。初めての店でも「おまかせします」。

着るものもほとんど持っていない。
ジーンズは機能的でないので一着も持っていない(四国の風土や生き方には合っていない)。ジャージやトレーナーも持っていない。
山用の道具を普段着ているか、世界中でおなじみのあのブランド(安くて着やすい)を着ている。

外観で自分の本質は変わらないと思っているが
所作はその人の本質を映し出す。
それでいいと思っている。

仕事場にはエアコンがない。
およそ10年前にとっぱらってしまった。
夏は扇風機すらないので室温は30度〜35度。
ときどき USB 接続の小型の扇風機を使うのは
右手の甲に当てて汗をひかさないとキーボードが錆びてしまうから。

エアコンを使わないのはエコでもSDGsでも節約でも断捨離でもミニマリズムでも偏屈でもない。
地球が温暖化するという長期の展望で1990年代から計画していたこと。
気温が上がって電力がひっ迫したときに備えて身体を慣らしておく、できれば暑さを愉しめるようにしておきたいと思ったので。

キーボードといえば、スマートフォンのフリップ入力ができない。
買い物などでアプリをダウンロードしてくださいと店員に言われて、
従っていると個人情報の入力画面で青ざめる。
店の人が「暗号化されているので大丈夫です」という。
(大丈夫」という言葉もあいまいで好きではない)
いやいやそれではなく、入力ができないのです。
(音声入力で住所や名前が変換されないのはご承知のとおり)。
この頃は社員にスマートフォンを持たせる企業もあるが、使えといわれると会社を辞めますということになる。

なぜできないか?
ご承知のようにスマートフォンでは 文字を打つときに扇形に文字が広がる。
その時にうまく 指が動かない。文字を追いかけてるうちに違う文字に触れてしまう。
(「おはよう」と打つのに何分かかるか競争しましょうか? 少なくとも秒ではないです)

それに比べるとキーボードは達人だ。
かつて親指シフトというキーボードを使っていた(どのキーボードが自分に合うかを確かめるために10万円以上は使っている。これだと分速200〜300文字ぐらいは打てる。それは生産性を上げるために必要な投資)。

でもセキュリティーが求められる時代には自分のキーボードさえ会社のパソコンにつなぐことがままならないはず。下手をすればフリーアドレスでPCすら兼用となる(自分の環境が構築できなくて仕事の生産性など上がるはずがないよ)。

不器用はまだある。
携帯電話(4G)を初めて購入したのはコロナ禍以後である。それもやむをえず。
やはり使いにくい。レスポンスが悪くバグも多い。
それまで20年使っていたPHSにはなかったこと。
音声もPHSに軍配が上がる。

スマートフォンは2020年秋に初めて新品を購入した。
それまでは3千円ぐらいで買った中古品(2013年製)を試しに使ってみたが、フリップ入力で詰まってしまった。音声入力機能も付いていなかったし、バッテリーが1時間と持たなかった(アプリはすべてアンインストールしてChromeのみ、Wi-Fi、Bluetooth切り、電源は使用後切るという運用にも関わらず)。

それがトラウマとなって敬遠していたのだけれど、仕事がらWebのレスポンシブルデザインの検証のために使わざるを得ない。そこでスマートフォンに詳しい知人に相談してサムスンのGalaxy A20という機種を新品で1万円少々で買った。通話はしないのでSIMはSMS機能付の通信用。

この機種は優秀である。驚いたのはバッテリーが1週間は持つこと。技術の進歩なのかたまたまよい状態の機種に当たったか、月に数回の充電で済む。

このように不器用ですから(網走番外地に住んで黄色いハンカチを待っているわけではありません)日常生活は不自由だろうと思われるでしょうが、案外そうではない。
不器用ですが料理は好きで(子どもの頃から) 魚を三枚におろして刺身を作ったりできるし、和洋中華何でも作ることができるけど レシピは見ない。梅干しやら梅酒やらはこれ以上のものは味わったことがないと思えるほど。

料理をする時は2台のガスコンロ、電気で動く調理器具、さらには電子レンジを駆使して4本の包丁と2つのまな板を使い台所を走り回ってあり合わせのものを使って短時間で作る。
米は食べる都度に精米して食べている。つきたての米を上手に炊くとそれだけでごちそう。米をおかずにご飯が食べられそう。

もし冷暖房が効いた豪邸に住んでいて高級車に乗ってたくさんの食材に囲まれてインテリアも凝って毎日Instagramに投稿していたとしたら。

でもそんな生活に全く憧れない。
もっといえば幸福感を感じない。むしろ不幸な生活だなって思う。
僻みではないのだ。

幸福とは自分が幸せと思う気持ちが幸福だから。
誰かの役に立ってその対価でお金をいただくことを実感できる。
社会とのゆるやかなつながりを意識しつつ
自然と一体となって自然の恵みで生きていく。
(本質はまちに住んでいても同じ。何も高原のログハウスや別荘で住む必要はないよ)


コロナで仕事が数ヶ月なかった2019年春であったが
山に出かけて毎日スミレを見ていた。
仕事がないおかげでスミレが見られる、と喜んでいた。
このブログで春先にスミレばっかりでてくるのはそのため。

晴れたら山に行き川で遊び海にたたずみ
雨が降れば本を読む音楽を聴く料理をする。
それ以上に喜びってあるのだろうか。
(コロナ禍は幸福の本質を垣間見せてくれている)

しかし自分だけが良ければ良いわけではない。
(宮沢賢治の言葉が思い出される)。

そこで仕事がない間に社会を洞察しコロナ禍で経営が落ち込む対策を考えることにした。専門文献を参考にしながら現場に落とし込むことをWebサイトで発信。コロナ禍のなかでも感染症対策を万全に行って四国各地で説明会を開いた。

それが「おだやかな経営」(https://www.odayaka-keiei.com/)。
言い換えれば、「何がしたいか」と「何ができるか」を合致させること。
自分のモノサシは明確でブレがないから生き方も単純になる。
ぼくは生まれて一度もタバコも吸ったことがないしギャンブルやパチンコ、ゲームもしたことがない。もっと愉しいこと、やりたいことがあるので流行しているものを知っておく必要もない。
それゆえハリーポッターも檸檬も鬼滅も興味がない。
誰でも生きるための資源は限られている。
資源とは、自分自身の体力、資金、使えるモノ使いたいモノ、知恵やノウハウ、ネットワーク、時間のこと。
それゆえあれはやらないこれはやらないと自分のモノサシが明確になれば
人生の資源を自分の思うように充実させることができる。
目標が愉しみであるばかりかその過程も楽しみとなる。

いま置かれている状況をそのまま受け止める。
そこに価値判断は不要だし誰かと比べる必要もない。
それは、おだやかな生き方を意味し、
翻っては幸福の本質を洞察しようとしている。

(写真)幸福を招くという青い蜂 北川村「モネの庭」マルモッタンにて
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
タグ:モネの庭
posted by 平井 吉信 at 11:55| Comment(0) | 生きる

2021年01月01日

室戸岬にオオキンカメムシ 美しい花(ハマナデシコ)に美しいボディ 


2020年10月下旬のこと。
所用で室戸岬を通過する際に車を停めて海岸を散策していた。
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秋の終盤でも花はちらほらと。
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おそらく一年中何らかの花が咲いている場所だと思う。
ハマナデシコの調った株が目に入ったので近づいてみた。
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すると見慣れぬ甲虫がいる。
体長は3センチ弱か。大きさを感じる。
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背中はオレンジだが、腹はあざやかな原色蛍光色のピンク。ハマナデシコの花弁より色が濃い。
(未知の南方系の甲虫だろうと考えて生態的に珍しいのでコマを多めに撮影)
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帰宅してオオキンカメムシと知った。
室戸岬と足摺岬が越冬先となっているようだ。
岬を歩いてよかった。

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オオキンカメムシはいいが。見知らぬ生き物が人知れず生きている。
(ウイルスは宿主に感染して増殖するので生物ではないが非生物とも言えない)
そのことを世界中が体感した一年だった。

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 12:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

新たな年を迎えるに当たりみなさまのご多幸をお祈りいたします


神棚を祀り
仏壇で供養を行い
荒神棚を手入れする。

祝詞を奏上し
読経を行う。
そして産土神社へと参拝。
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個人の願い事はしないで神々の弥栄と世界の平和を祈る。
ここで産土神社、天照大御神、三宝荒神の神札を求める。
(神社を守る神職への感謝を込めている)
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年賀状は一度いただいた人は永久有効としているので
何度もお出しいただく必要はありません。
いただけるものはありがたく拝読しますが
返信もいたしません。

生きていくとすべての人にお世話になっていると気付き
正月だけでなくすべての刹那が大切な時間と思うようになってから
年賀状をお送りすることをやめてしまった。

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変わることなく祈っているのは人々のご多幸、
生きとし生けるものが互いにその役割を果たしていのちを全うすることだけ。

だからこの瞬間が大切で
その祈りを届けていると感じていただけたらそれで十分。

2020年元旦

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 11:32| Comment(0) | 生きる