2020年11月29日

光のやりとり ノギクとヒト


毎日庭へ出て朝の陽射しを受けながらノギクを眺めている。
誰も目を留めないその小さな存在が小宇宙。
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無遠慮に覗き込むように接近する人間をどう思っているのだろう。
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わかってもらえていると思う。
微笑みを返す代わりに光を宿してこちらに向けているような。
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花びらが黄色の輪からも出ているなんて
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見るともなくノギクの光にひたっている
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実は先客がいた
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「もっと」ではなく「あるがまま」に気付くと
はるか遠くを夢想していた旅人の掌に青い鳥がいる、のかも。



山野草や花はほとんど標準レンズ1本で撮っている。
フジX-T30とXF35mmF1.4 Rを使えば誰でもこんな写真が撮れるはず。
posted by 平井 吉信 at 22:07| Comment(0) | 家の庭

ゆこう真っ盛り 勝浦川流域の宝物 今年は豊年


(ゆこうについてはタグで過去記事をご覧ください)

さてと2020年、ゆこうの青果(果実)が出回るようになった。
上勝町のいっきゅう茶屋、勝浦町のよってね市で入手できる。
今年は生産者から直接分けていただくこともできた。

木成りの果実からはふんだんに果汁が搾り出されて
朝食のあと、絞り器を使い、蜂蜜を落として湯で割る。
(ああ! これ以上なにが人生に必要か?)
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含みのある香り、鮮烈だけれどまろやかとも形容できる。
まったりとしているが、濁りのない透明感。
口内の唾液の泉の詮が抜けて心地よく潤う。
徳島大学の研究で口腔環境を調える効果、他の香酸柑橘にはない腸内バランスを整える作用があることもわかってきた。2020年はゆこう飛躍の年になる。
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上勝町産、勝浦町産、徳島市産…。いずれも甲乙付けがたい。
意外にも徳島市産がよかったが、どれをとっても満足。
今年は質量ともゆこうの当たり年かもしれない。
タグ:ゆこう
posted by 平井 吉信 at 00:05| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2020年11月28日

藤の里工房の冷凍惣菜「もちピザ」


できたてを急速冷凍しているので解凍すれば「できたて」。
徳島県産の餅米を使っている。
それと食感から「もちピザ」と付けられている。
時間のない朝、良質の地元素材でつくられたやさしい味をいただく。
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なす、ポテト、ゴボウの3種類(個装)
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福原純子さん(有機農園小七郎)がつくる大根と干し柿、
大根には藤の里工房の1年寝かせた「手前味噌」をつけて
もちピザ(写真はゴボウ)に阿波晩茶の朝食。
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餅とこんにゃくははずせない。
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藤の里工房
https://www.fujinosato-kobo.com/

ここの餅(いなか餅という商品名)はいい。
できたてを急速冷凍しているので家庭の冷凍庫でも3か月はできたてが食べられる。
冷凍しないのを送って欲しいとの声もあるが、それなど翌日から品質の劣化が始まる。
冷凍は品質保持といつでも食べられる利便性のため、と理解する。

正月のお餅はこちらから電話とファクスで注文できる
https://www.fujinosato-kobo.com/post-31/

藤の里工房(徳島県三好市山城町) 妖怪の里から手づくり食品を届けます
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186314089.html
タグ:藤の里工房
posted by 平井 吉信 at 23:54| Comment(0) | 山、川、海、山野草

紀貫之が遊星を眺めたらなんというだろう


ここはどこ?
地球が木星に近づきすぎたのではないか。

いえいえ、渋滞の高架で止まった車から眺める眉の山です
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(ソニーRX100M7)
posted by 平井 吉信 at 23:39| Comment(0) | 徳島

上一宮大粟神社と鎮守の森の秋の風ふくひとりゆく


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初冬というには早いが晩秋が風とともに駆け抜けていくと
神山の里山にも木枯らしが吹く季節となる。

追記
フジX-T30と標準レンズ(XF35mmF1.4 R)は花弁の白が透けるように写る。
妖しいまでの艶やかさを秘めた控えめな自己主張というか。
世阿弥がみたらなんというだろう。

タグ:神山
posted by 平井 吉信 at 23:29| Comment(0) | 山、川、海、山野草

ゆたかな森の時間 感じる人の生き方 砥石権現の紅葉

木沢方面へ足を伸ばしたとき立ち寄ってみた。
(わずかな時間でもあればヒトは行動できる)

静かな里の秋 というよりは透明度の高い水が気になる
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林道を走って沢沿いを登ると明るい森
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木樹が織りなす四季と色彩
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ゆたかな森のやむことをしらない…
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ヒラタケに似ている。炊き込みご飯が食べたい。
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ブナの森から始まる水の循環、輪廻転生、生命の源というか
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森が明滅する光が後押ししながら
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川から海へ運ばれてはまた空へ上がって森に還る
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山のふもとの織る錦
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タグ:砥石権現
posted by 平井 吉信 at 23:22| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年11月26日

庭のノギク 今年も咲いた 光思いにふけるよう


いのちがあるかぎり、できることは無限にある。
無限にあるけれど人の時間は有限であるから
できることにも限りがある。
あのベートーヴェンですら、もっとやりたいことがあったかもしれない。
(それにしても数百年を経てなお人々を感動させるのはどのような言葉も形容できない真の芸術家)

季節が来ると花がひらく。
いつからやってきて、なぜこの庭に生えるようになったかは知らないけれど
咲いている姿を見ると、これは自然の芸術だなと思う。

おや。
数日前に寝ぼけまなこのつぼみを見つけた。
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陽光を浴びてあくびをしているようにも見える。
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それから二日後、花は増えていく。
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さらに四日、花は思い思いの場所で物思いならぬ「光思い」に咲いている。
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寄らば大樹(桃)の影とばかりに接近している
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ヒトの社会と違ってにぎわいにあふれている
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拡大するとお客さんが来ている
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何を悲観しているんですか? 人間にそう問いかけているよう。
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 20:57| Comment(0) | 家の庭

2020年11月23日

笛(篠笛、フルート)とハープ。モーツァルトから狩野泰一、hatao&namiまで (たった5分で景色は変わる 変えることができる)


若い頃から好きなのはモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」(k299)。
典雅な宮廷音楽のようだが、幸せの虹を音で描いたような音楽。
優美で空間にすっと入ってくるのはモーツァルトの人たらし的な作風もあるけれど
聴き手の思いの深まりに呼応して深い水の色をたたえた湖のような表情にもなる。

モーツァルトは知人の貴族が演奏できるよう作曲したので
調性もハ長調にするなど難しい指使いは避けている。
きらびやかな第1楽章のあと、
第2楽章では人生がこんなふうに過ぎていけばいい、と思わずにはいられない。
微笑みはモーツァルトの創作の泉から湧き出しているが
フルートとハープという異色の組み合わせから
音楽の色が無限の階調をうつろいながら夢幻を漂う。
(この音楽はイヤフォンではなく小さな音量でいいから空間に高く描きたい。モーツァルトが書いた虹のような音楽だから)

おすすめは以下のCD(適宜検索で見つけてみて)
ヴェルナー・トリップ(フルート)
フーベルト・イェリネク(ハープ)
アルフレート・プリンツ(クラリネット)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カール・ミュンヒンガー
録音:1962年9月
場所:ウィーン、ソフィエンザール
https://amzn.to/3kVDhTg


典雅なウィーンにじっくり浸れる前者に対し、きらめきを伝えるのはランパルとノールマン。
(どちらもじっくり探せば新品はあるかもしれないけれど当時1000円前後で買えた名盤のCDは2010年代後半が入手できる最後の機会かもしれない。ダウンロードやストリーミングでも入手は難しくなっている。かつてどこのレコード店にも置かれていた名盤なのに)


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ときは流れて平成の日本。
佐渡島を拠点に活動されている狩野泰一のCDをご紹介。
主役の楽器はもちろん狩野さんの篠笛。
それに津軽三味線、中国古箏、ピアノ、ベース、ストリングスなどがからむ。
アルバム名は「Fish Dance」。


ぼくは寝る前に小さな音量でこのアルバムを聴いている。
CDプレーヤーに盤を置いて再生ボタンを押す。
目を閉じて1曲目の「Fish Dance」の音の入りを待つ。
わずかな刹那にこれから浸る音楽の余韻に早くも没入している。

ピアノの短い序奏に続いて篠笛が揺れるような音階を奏でる。
この出だしのおだやかさはおだやかとしかいいようがないおだやかさ。
そして天に向かって憧れを伸ばしていくが
次の瞬間、ひそやかな告白(人生の振り返り)のパッセージがある。
そして人生を肯定するようにピアノに受け渡す。
(もうたまらない)

ピアノもおだやかに入って篠笛の和声の進行をなぞっていく。
和声のアルペジオの伴奏で指が触れただけの打鍵、
言葉にならない心の動き、感受性だけでできているピアノのはかなさ。
高揚した演奏家の心は雲間から差す木漏れ日のようにきらめいては
天使のように降りてくる。
このピアノはいつまでも続いてほしい、終わらないで欲しい。

誰だろう、こんな弾き方ができるのは。
羽田健太郎は健康的なロマンティストだが、このアルバムのピアニストは崩れ落ちそうなセンチメンタリスト、フェビアン・レザ・パネ。

手持ちのCDでは大貫妙子が弦とピアノの伴奏でオリジナル曲を再録した名盤「pure acoustic」で伴奏をしていたのはレザ・パネでなかったか。
「突然の贈りもの」の耽美的な美しさは聴く度に心が震えた。


笛は人の心にもっとも近い楽器。
感情を誰かを介することなく、楽器のメカニズムと接触することなく
音として空間に出せる。
ひとつの音符のなかにスタッカートとレガートを混ぜることも
レガートにアクセントを挟むこともできる。
これは弦楽器や鍵盤楽器、打楽器にはできないこと。
このアルバムではオリジナル曲だけで綴られているのもいい。
少ない音なのに豊潤な音絵巻に浸る感じ。
(心にしみ入る音楽ってこんな音楽だよね)。
演奏者も聴き手も心に豊かさがないとね。
全編で佐渡島の風や海鳴りを感じるのもアルバムコンセプトかも。
録音も極上。少ない楽器の息づかいと豊かな残響感。
立ち上がりの良い音で空間を刻みながら、あふれんばかりのソノリティで満たす。
(フルレンジやタイムドメイン理論のスピーカーで再生したら愉しいと思う)
狩野泰一/フィッシュダンス

余談だが、胡弓とか笛、ハープなどもそうだが、
唱歌やスタンダードな楽曲の演奏はしてほしくない。
人が謡う音符と楽器の音符は違う。
その楽器の個性を活かせるのは楽器を知った作曲家、演奏家によるオリジナルと思っている。

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笛とハープという組み合わせで北欧の味付けを基調にオリジナルを大切にされているのがhatao&namiのお二人(考えてみればフルートとハープの組み合わせはモーツァルトのあの一曲だけでほかにはないかもしれない。それをデュオとして演奏しているのだから)。

小西昌幸さんが館長をされていた北島創生ホールは
全国的にも希有な企画を地道に続けている。
公共の施設なのに、あまり聴いたことのない演奏や作品を採り上げておられる。
もしかして議会や町民からクレームがあったかもしれないが、小西さんは信念を持って取り組まれている。
役場を退職されたいまも精力的に活動をされており、
今回のコンサート「hatao&nami ケルト・北欧音楽への旅★5分間の魔法」も小西さんが企画されたのだろう。
*hatao&nami(畑山智明、上原奈未)
どこかのホールの席数をいくつにするかなどの形骸化した議論よりもそこにどうやって魂を吹き込むかが大切。どんな人にどんな権限を任せてどのようなコンセプトでやっていくかを考えたとき、ホールのあるべき姿が見えてくるだろう。加えて感染症対策が不可欠となった2020年以降に2千人を収容することは少なくとも1時間に6万立米の換気を求められる。その空調とアコースティック楽器のコンディショニングやモーターのうなりなどの暗騒音はどう解決するのか。県にひとつは大きなホールを、などの「もっと欲望症候群」のような文化の香りのしない意見を見ているとこれはダメだなと思ってしまう。検討委員会は小西さんのご意見を伺ってみてはどうか?。これまで全国的なイベントをいくつか徳島で実行してきた経験から使い勝手が良いのは400人から800人程度の音響の良いホールを複数、100人までの小さいけれど音響の良いホール(適度な残響感)を複数あるのが良いように思うのだけれど。


その小西さんが招へいするのだから行かなければと思った。
hatao&namiのお二人は関西を拠点にアイリッシュやケルト、北欧の伝統音楽とオリジナルを演奏されていてこれまで4枚のアルバムを出されている。

当日は2枚目のアルバムからの「雨上がり」「自由な鳥」で幕を開けた。楽器はアイリッシュフルート、アイリッシュハープ。未知の空間が開け放たれた印象。
親しみやすい旋律だが、hataoさんのフルートが縦横無尽に会場をかけめぐる。
どこかで聴いたような旋律は皆無で思いのままに音楽を呼吸している。
自由な曲だな、と浸る。
続いてフィンランドやアイルランド、スウェーデン、ブルターニュなどの伝統曲の再現と二人のオリジナル楽曲を織り交ぜる。

今回の演奏会は「5分間の魔法」と題された4枚目(最新)アルバムのタイトル曲が最後に置かれている。演奏会でのnamiさんのピアノ(この曲ではハープではなくピアノ)はスタジオ録音と異なって高域のアルペジオをきらめかせて音符が跳動する。

演奏家には緊張感はあったはずだが、
それよりも音楽できる歓びがほとばしるようで
自宅で聞いたCDの録音よりも高揚感があった。

愛好家が手慰みに吹く唱歌やオリジナル曲はベースが歌謡曲(歌)にあると感じるが、
それゆえに飽きやすい。
hatao&namiは器楽のアプローチで和声が基本にあって
音符はその時々の感興に任せているように感じる。
古典のソナタ形式のように序奏−提示部−展開部−再現部−コーダのような構成を感じる楽曲もあり、再現部では2つのテーマが調和に向かう。

そのためCDで繰り返し聞いても飽きることがない。
こんな良質の音楽をつくっている人たちがいると生きていて良いなと思える。
この社会では売れる売れないは価値とはまったく無関係なのだ。
(ぼくもこの言葉を自分に言い聞かせている)


ぼくは当日のプログラムでの印象からCDを2枚(2枚目と4枚目)を会場で購入。
お二人のサインもいただいた。
著作権はあるが、やはり優れた作品を紹介したいと思ってジャケットを掲載する。
細部まで行き届いた配慮と世界観が浸透している。
音楽そのものもさることながらCDパッケージの完成度が高い。
ダウンロードではなくCDをぜひとおすすめしたい。
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最初に買うのなら2枚目「雨つぶと風のうた」がいいかもしれない。
北欧の香りが部屋に立ちこめる。
録音も2枚目が良好である。
Songs of Raindrops and Breeze 雨つぶと風のうた


演奏家としてオリジナルで勝負しているのが最新作(4枚目)の「5分間の魔法」。
4枚目のアルバムは以下のWebサイトにhataoさんによる解説があり動画での視聴もできる。
https://celtnofue.com/blog/archives/5392

疾走感あふれる楽曲「曇り空の向こう」はいまの時代を見据えながらも元気をもらえる楽曲で思わず手を打ってしまう。演奏している二人がもっとも気持ちよさそうだから。
続く「黄昏時のリール」ではハーモニックス音のような音で始まる。アイルランドの古いまちなみに集う人と夕暮れの鐘のような余韻(心のざわめき)が心に残る。最初に何度も心で繰り返したのはこの曲だった(テレビドラマのエンディングで採用されたらきっとブレイクするね。ヒット曲の要素を持っている)。
音楽会でも演奏された「6年間」の音楽の心地よさ。
「三日月の星夜」では歌謡的な旋律を散りばめる。
ラストの「5分間の魔法」はピアノのアルペジオの導入の後、意外な調性でフルートが入ってくる。その後転調を重ねて新たなテーマもあらわれて川の流れのように変化していく。祈りの高揚感のあと、ピアノが導入を再現するが、フルートが転調して現れピアノが寄り添いフルートが心を満たされながら音を置く。長い人生だけど、たった5分で見ている景色が変わることがある、というメッセージ。

4枚目「5分間の魔法」もどうぞ。

https://amzn.to/39d85wJ

posted by 平井 吉信 at 12:41| Comment(0) | 音楽

2020年11月21日

「毎回」異なるメニューなのに…。素材系焼き菓子店howattoの秋は深まる


地元の素材を使った焼き菓子というのはどこにもあるのだけれど
この店は毎回高い水準で商品を揃えてくる。
「毎回」というのは、金曜のみの営業でありながら
同じ商品ラインナップはほとんどないという企画のとんがりである。

11/20(金)のhowattoのメニュー
カットシフォンケーキ
・新鮮卵と牛乳
・キンモクセイ
・レモンヨーグルト
・エスプレッソと栗
・いちじくと紅茶
ホールシフォンケーキ(新鮮卵と牛乳)
栗のガトーショコラ
ビスコッティ(プレーン、バジルチーズ)
カフェオレとカシューナッツのサブレ
ココナッツと佐那河内みかんのサブレ
シフォンラスク
スコーン(プレーン、ビーツ)
マスカルポーネとみかんのマフィン
実生ゆずのコンフィチュール


地元の素材を自らの目と舌と相手の人柄も見ながら選んでいる。
売るための素材(マーケティングの差別化)ではなく
納得したものを使っているという姿勢。
そしてそれを菓子として完成の高い領域に持って行くプロ意識。

例えば、ゆずを使った菓子はちまたにあふれている。
そのどれもがおいしいが、どれも似たような感想だ。
(ぼくがつくってもそれ以上のものはつくれそうな感じがする。自作の梅干しや梅酒は高価な市販品に負けている気がしないので)

ところがhowattoでは素材の特徴をどのように強調しどのように引っ込めるかを試行しながら菓子としての高い完成度に持って行く。

例えば机の上に置かれていた焼き菓子を子どもが戻ってきてほおばるとする。
その途端、既存の菓子との違いに気付く(もちろんうんちくは知らない)。
店主であり企画製造を行っている伊豆田裕美さんに話を伺うと
毎回、「こんな菓子は食べたことがない」と驚きの感想が寄せられるという。
howattoの菓子はInstagram映えはしないが、それがホンモノたるゆえん。
(おいしさと見た目は比例しない。むしろ反比例する)

数ヶ月ぶりに店に立ち寄って購入したのは4品(約1800円)
・実生ゆずのコンフィチュール(木頭産のゆず、砂糖)
・金木犀のシフォン(卵、砂糖、小麦粉、牛乳、植物油、自家製の金木犀、塩)
・ココナッツと佐那河内みかんのサブレ(国産小麦粉、バター、砂糖、卵、ココナツ、佐那河内のみかん、塩)
・みかんとマスカルポーネチーズのマフィン(国産小麦粉、卵、バター、きび砂糖、クリームチーズ、徳島県産みかん、マスカルポーネチーズ)
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毎回のテーマはブログで事前に告知されているが
今回は実生ゆずのコンフィチュールのようだ。
https://howatto.jp/%e5%ae%9f%e7%94%9f%e3%82%86%e3%81%9a%e3%82%92%e3%81%94%e5%ad%98%e3%81%98%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b%ef%bc%9f/

徳島県木頭地区(旧木頭村)と高知県馬路村は全国屈指のゆずの産地である。
なかでも実生ゆずのすばらしさについては木頭村の人たちから聞かされていた。
当時の村長、助役のご依頼で(株)きとうむらの役員となっていた頃の話である。
(株)きとうむらはダムに頼らない持続的な村の発展を担うべく特産品のゆずなどを活用した特産品開発と販売を手がける会社である。そのゆず製品が通販生活の冒頭に掲載されたこともあるなど良質の製品をいまも供給している。

助役はこの第三セクターの責任者であったが、当時の木頭村はダム建設反対を掲げて国と対峙する厳しい状況にあった。経営の先行きを考えて思い悩まれてのことと思われるのだが助役は自ら生命を絶たれた。痛恨の極み。そのご子息が思いを持って立ち上げた企業が上場して故郷にキャンプ場、ゆず製品の製造販売を行う会社を相次いで設立して父の思いを叶えようとされているのはご存知のとおり。
その物語が2020年11月書籍化された。
奇跡の村 木頭と柚子と命の物語

さて、このコンフィチュール、パンにつけてもヨーグルトにかけてもいいが
そのまま食べるのが良いように思う。
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ゆずの強い個性が消えて純度の高い酸味と対照的なやわらかな甘み、それに蒸留されて純度が高まったような香り。
時間とともに口のなかで千変万化の移ろい。
だからそのままスプーンですくって味わうに限る。
(伊豆田さんによれば調理ではなくもともとの実生ゆずの個性のようだ。ぼくはゆずとゆこうの良いところを両取りしたような気がするのだが)

次にみかんとマスカルポーネチーズのマフィン。
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柑橘の酸味と香りはトッピングだけでなく生地にも感じられる。
もともとの生地にはコクがあり、上品な口溶け感で消えていく。
そこにチーズがつなぎを果たして豊穣な味わいを余韻として付加する。
毎週毎週異なる菓子を企画(試行錯誤)していたら体力がもたないのではないかと思える。
お菓子の価格は決して高くないが、そこに込められた作り手の思いは深い。
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howattoの定番といわれるシフォンとサブレはまた後日に。
三連休に紅茶、コーヒー、緑茶と合いの手を変えながら少しずついただこう。
(でも次週には同じものはないのだ)

金曜午後のみ営業の焼き菓子店howatto
https://howatto.jp/
(予約もできるので売り切れは回避できる。次回は栗の特集のようだ。)

追記
翌日、金木犀のシフォンとココナッツと佐那河内みかんのサブレをコーヒーと紅茶でいただいた。
シフォンはムースのような口当たり。
そして素材の風味が口内をしばし漂いはかなく消えていく余韻を味わえる。
サブレはもっと積極的に舌になじみながらコクを伝える。
けれど次の瞬間にはもうそこにない。
時間の刹那を感じる焼き菓子である。

タグ:howatto
posted by 平井 吉信 at 12:49| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2020年11月15日

ナカガワノギク 河畔の群落は白から桃色、さらに紫まで


那賀川流域にしか自生しないナカガワノギクは晩秋の風物詩。
大水が出ると水没する渓流帯に自生する世界でも唯一の稀少な種類。
那賀川の中流域では至るところで咲いている。
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太陽を追いかける
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日が陰った岩場から水面を臨むように
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風に揺れ水面に映える
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続いて紫の部
まずはナガバシャジン。これも渓流帯の植物で葉が細い。
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ホソバリンドウ。葉が細いのは水の抵抗を避けるためだろう。
濃い青色は秋に似つかわしくないあでやかな碧さ
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驚いたのはスミレ。これはスミレ科スミレ属のViola mandshurica。
なぜ秋に咲いている? 見かけたのはこれ一輪だが。
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再び白に戻ってウメバチソウ。これも渓流帯の湿り気を帯びた斜面に自生。
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いつも思うのだけれどジブリで出てくる植物の印象にもっとも近い気がする。
人知れず湿った土地にひっそりと咲いているが、軽やかで凜々しさもある。
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たまたま隣り合わせたのが群落から離れて咲く夫婦のような個体。
風に揺れて触れあうのを植物は感じているはず。
互いに咲いている姿を植物は触感の世界で感じているのだろう。
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鳩が飛び交う公園のイチョウは手品師老いたピエロ
銀杏を拾う人たちが十数人。
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那賀川は急流大河の風格をたたえて
ここから数十km先の阿南市の海をめざす。
水の流れを追いかける秋の風は西から東へ。
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posted by 平井 吉信 at 22:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草