2020年07月26日

オニユリ ヤブカンゾウ オレンジ色が点在する勝浦川横瀬地区 冷たい水の往時とは比べられないけれど


子どもの頃、勝浦川の下流は学校の帰りに通りかかる。
江田の潜水橋とその上流の堰が定番の遊び場。
(勝浦川はこの下流の堰が潮止め堰となる)
堰を降りる水に身体を預けると
表面と水底を行き来する縦の渦(ストッパーという)に揉まれるのがおもしろい。

川底まで沈んで水面に戻ることを繰り返す。
ここで川の性質を知らなければ溺れる。
川底に引き込まれると恐ろしくなって
流れに逆らって上へ上がろうとする。
ここでパニックになって水を飲んでしまうのだ。

子どもは知っている。
川底を蹴って川底を水平に移動して縦の渦のない場所から出ればいい。
だが増水して水量が多くなればいつもの常識は通用しない。
きょうは堰下りは止めておこうということになる。
川で泳ぐ子どもはそんなことも自分で判断していた。

ある日、堰で泳いでいたら婦警に補導されてしまった。
後にも先にも補導されたのはこれが初めて。
確かに遊泳禁止区域なのかもしれない。

数年前に上勝町で水難事故が続き
町が遊泳禁止としたことがあった。
(特に危険な流れではない箇所)
小さい頃から川に親しみ川を知らなければ
どんな場所でも溺れてしまうだろうと思った。

このブログにも何度か書いたが
増水した那賀川で叔父を亡くしている、
さらにとても親しい人を海部川で亡くしている。
前者は洪水、後者は鉄砲水によるもの。
だから川の怖さも同時に知っているつもり。

勝浦川はダムができて水量が減り水質が悪化した。
それでもJAの直売所「よってね市」に立ち寄る際は足を伸ばしてしまう。
(ここは野菜が安いという点では全国有数ではないだろうか。肩に食い込むほど野菜や果実を買ったのに千円でお釣りが来ることもある。JAの手数料が安いのも理由のひとつだが)

よってね市から北へ潜水橋を渡ろうとすると
河原一面にオニユリが咲いているのを見かけた。
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オニユリが咲く小径を歩いてみた
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(映画のロケ地に使えそう。水戸黄門とか、徳島のまんなかで藍を叫ぶとか)

今年の夏休みは少し違って見えるかも
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友釣りをする太公望
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横瀬橋上流から屈曲点まではかつて草は生えていなかった。
ダムは小さな洪水は止めてしまうため河原の生態系がおかしくなる
(大きな洪水は放流によって人為的な災害を引き起こすこともある)
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ユリに混じってヤブカンゾウ。花を食したり漢方薬にすることもある
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河畔の木 日常的に見たことがあるような
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蝶や玉虫も飛んでくる
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対岸の岩まで泳いで岩の上でひなたぼっこをして冷たい水に慣れていった。
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でもいまは川の水がぬるい。
あの頃は長く川に浸かっていられなかった。
水の透明度は高く顔を付ければ対岸の岸まで見えた。
冷たい湧き水があった。
ダムがなかったので水が出ては川底を洗い流す新陳代謝があった。
ダムができたのでシルト質の土砂が川底に堆積するようになった。
これらのことがすべてアユのエサとなる苔に影響する。
もはや勝浦川はダムから上流域を除いておいしいアユは得られない。
横瀬立川のアユは日本一という
アユ博士の谷崎鱗海さんがいらっしゃればなんとおっしゃるだろう。
(親父によればそういっていたそうだが、果たして博士はそうおっしゃったのか?)

昔は良かったと嘆くのが本筋ではない。
コロナ禍を逆手にとって生態系を復元(再自然化=ミチゲーション)できないかと考えているのだ。

posted by 平井 吉信 at 02:02| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年07月24日

梅雨には苔の名山 樫原の棚田と山犬嶽(上勝町)


山犬嶽(やまいぬだけ)は標高1000メートルに満たない里山だが
中腹にある苔の生い茂る庭園のような光景が人々を魅了する。

以前にも注意点を書いたのでご一読を。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/186999291.html
・駐車場は登山口の2km手前にしかない(登山口は民有地なのでプライバシーにも配慮が必要)。
・駐車場までの道が狭く山道に慣れた人でも運転の難易度は高い。
・苔の名所は迷いやすい。

さて、駐車場にクルマを置いてしばらく歩くと
全国棚田百選の「樫原の棚田」(かしはらのたなだ)がある。
まずはここで足を止める。
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棚田を後に車道を歩いて高度を上げる。
日陰がなく風のない夏の日は暑いと音を上げる人もいるだろう。
(少なくとも1リットルの飲み物はご用意を)

路傍の花に集まる蝶
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民家の裏手を登っていくと鳥居と動物よけの柵がある。
(ぼくが登ろうとしたら開けたままになっていた。登山口で遭遇した下山の集団が締め忘れたようだ。暮らしの営みの邪魔にならないようルールは守ろう)
一人で山へ入るのは魔の山に入っていくよう(里の世界との結界を超える覚悟で?)。
(実際に信仰の場でもあり何かを感じる人はいるかもしれない)
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歩き始めは間伐と枝打ちがされた杉林を歩く。
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やがて分岐が見えてくる。苔の名所を見るので迷わず右へ(左は山頂)。
途中ですれ違った夫婦が感激した様子で「想像以上に良かった」と感想を述べてくれた。
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山犬嶽をもののけ姫の世界、屋久島の森のよう、と形容する声が多いが
実際に屋久島を体験したぼくは似て非なる景色と思う。
屋久島では花之江河を経由して宮之浦岳の15kmを8時間で往復。
このときは65リットルのバックパックに20kgの荷物を担いでいた。
別の日に白谷雲水峡、小杉谷、縄文杉、高塚小屋(泊)を二日で往復した。
屋久島の森に浸った感覚からは
三嶺の南斜面、フスベヨリ谷のほうが似ていると感じた。


何はともあれ、苔むした森を散策してみよう。
まずは分岐を左手を北に上がっていく。
小ピークを見てぐるりと回ることもできる。
降りてきたところが谷筋で水苔の名所。
北をめざせば谷を越えて表参道と呼ばれる山頂へのルートに出会う。
水苔の名所を右(東から東南)へ行くとさきほどの分岐があるはずだが、左(北東)へと行く。
険しい大岩の地形が続々と現れるが、1/25000地形図では見出せない。
さらに進むと広葉樹を見渡せる大岩の上へと出る。
ここから下ると登山道の入口付近へと戻る回遊が可能だが
ここの下りは道を発見しにくい。

地形図を見ると尾根と谷が入り交じったゆるやかな地形。
登りと下りがはっきりしないことに加えて
地形図に掲載されない凹凸やピーク、巨岩が随所に現れる。
さらに苔の庭園内に踏み跡が縦横にあるため
ぐるぐる回るうちに方向感覚を失い
似たような場面で既視感が交錯して道迷いしやすい。
(慣れない人は月ヶ谷温泉の主催するツアーに参加するのが無難。体力的にさほど厳しいものではないが、クルマを止めて登山口までが木陰がないため夏場の熱中症に注意が必要)
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登山口へ降りてくると目の前のこんもりとした森に秋葉神社がある。
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この神社は山頂にあって南東に視界がひらけて橘湾が見える。
旧暦の七月二十六日(あと三日で新月になる)に月の出が三体に分かれて見えるという
「三体の月」で知られる。
それが三体の月を仏様として崇めるのだが
二十六日月ということで月が登り始めるのは深夜を過ぎてから。

夏といえども夜は涼しい。
甘酒を飲んだり話に花を咲かせながら親しい人と月を待つ。
三体の月を見るという第1回のイベントが開かれた際
招待されて参加したことがある。
確か谷崎勝祥さん(地元で棚田保全の活動をされていた)だったか。

武市卓也さん(たくちゃん)の司会で幕を開けて
地元の方々による演劇が始まった。
綾姫さまという凛とした佇まいの女性が登場するのだが
綾姫に扮しておられたのはお近くにお住まいの竹中充代さんではなかったか。
(とにかくこの辺りから上勝町にお住まいの方々との交流が始まっている)

そのとき三体の月は見られたか?
―覚えていない。
曇りだったのか見えなかったのかは記憶から消えている。

ではなぜ三体に見えるのか?
それは大気の屈折現象のようなものではないかと思う。
水温が高い夏場の橘湾で明け方に気温が下がり
それを離れた上勝町の山域から眺めるとき
海の大気と阿南の平野部の大気と山の大気が複層になって
そのなかを月が上がってくると3枚の空気レンズを通して見る状況になるのではないか。
(こう書くと身も蓋もない)
三体の月は古くからの信仰だけど、
人が集まる口実(きっかけ)として今後も語り継がれていくといいなと思う。

樫原の棚田を守った谷崎勝祥さんの自称戯れ歌をいまも覚えている。

ひゅうと鳴き棚田に近づく鹿たちよ紅葉の山へ帰れよはやく(棚田人→鹿)

去れという棚田の人よ紅葉山いずこにありや杉ばかりみゆ(鹿からの返歌)

苔の名山は人々にもののけ姫の記憶を漂わせながら
里山の営みを感じさせてくれる。

登山道から駐車場まで樫原の集落の車道を歩いて行く
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ホタルブクロが至るところで咲いている
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ヤブカンゾウがつくりだす里山の空間 時間がゆっくり流れて巷の喧噪とは無縁
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途中で見かけた自然度の高い神社(山の神蜂須さんというが由来やご祭神はわからない)
つるぎ町にも蜂須神社がありその分祀された神社かはたまた独自の存在なのか?
(つるぎ町の蜂須神社もその存在がかなり気になる。貞光川沿いの断崖にあるというのだ)
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樫原の棚田に佇み棚田を大切にしながら去って行った谷崎さんや東ひとみさんを想う
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棚田と水苔の里山は見頃を迎えている。
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(ツアーで参加する人は月ヶ谷温泉へ)
https://yamainudake.com/
posted by 平井 吉信 at 23:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

まばゆいタキユリの季節


カノコユリは日本のユリのなかでもまことあでやかに咲く。
容姿端麗で淡粧のササユリに対して
妖姿媚態で濃抹のカノコユリといった趣の違いはあるが
くらやみにぽおと浮かび上がるさまは花顔雪膚に例えられる。

ササユリの一種イシマササユリ(阿南市)健康的な田舎娘
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ササユリの一種ジンリョウユリ(徳島県南部)しなやかだが美人薄命
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カノコユリは直立(自立)するが
崖から寄りかかるようにしだれ落ちるのがタキユリ。
高知と徳島の山間部ではときおり見られる。
徳島県南部でもその季節となったのでわざわざ立ち寄ってみた。
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薄暗い背景に光がまぶしくもゆらめく印象。
ますます妖しくひかる。
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posted by 平井 吉信 at 11:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年07月23日

大雨のあとの海部川 なぜ見に行くのかといわれても


洪水が常態化する時代だから一つひとつの現象を見ておきたいと思う。
それは危険と隣り合わせ。
あの崖が崩れたら…
出水の兆候が見られたら…
足元が滑って服のまま流されたら…
細心の注意と想像力を働かせて行動している。

人間の力の及ばない自然の畏怖を知ることは大切と思うから。
そしてその極限は高揚感を伴い
何かに気付く、納得するのではないかと考える。

海部川の分岐点 皆ノ瀬
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王餘魚谷の轟の滝へ
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滝の最深部へ続く歩道が水没している
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構わず滝に近づくが水しぶきで撮影できるのはほんの数秒
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滝壺は白く靄がかかり神妙に溶暗する
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海部川上流部で褶曲した岩肌を洗う峡谷 海部川の大歩危小歩危
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取水堰が白い泡で包まれる
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年降水量が4千ミリに達する地域だから
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タグ: 海部川
posted by 平井 吉信 at 20:26| Comment(0) | 気象・天候

洪水と感染症が常態化した時代に生きていく


海水温が1℃上昇すると大量の水蒸気がもたらされる。
その途方もない水分量が降雨となる。
このことだけでも脅威だが、限られた地域で集中的に降ることがある(線状降水帯)。

洪水が常態化する災害多発時代に突入した。
感染症も常態化していることと根っこは同じように思える。

それは人間の活動(生態系や地球環境への過度な負荷)によるもの。
熱帯雨林が1年間に日本の国土の25倍が失われているというが
そのなかに貴重な遺伝子資源、新薬開発のきっかけが潜んでいる。
これらはアマゾン(熱帯雨林)の蔵書(資源)に例えられる。

熱帯雨林が破壊されるということは人類がそれだけ雨林に浸食していることになる。
自分が欲しいものだけ搾取するつもりの人類だが
そのとき人類が出会うのは必要なものだけではない。
未知の細菌やウイルスと人間や家畜が遭遇することで
それまでになかった感染症が出現する。

地球温暖化も人間の活動が直接的な原因となっている。
このことから災害の頻度、特に激甚災害の頻度が高くなっている。

感染症もSARS、MaaS、エボラウイルス、ノロウイルス、デング熱、ジカ熱、鳥インフルエンザ(H5N1型)が今世紀になって頻発している。特に強毒型といわれるH5N1型は致死率が5割を超える。
それでもウイルスがヒト型でないため感染力が弱いことで人類にとっての致命的な脅威には至っていない。
しかしウイルスは自らを複製する際にミスコピーを起こす。
その際にヒトに感染しやすいタイプに突然変異を起こす怖れがある。
新型コロナウイルス感染症(SARS-CoV-2が引き起こすCOVID-19)だけが感染症ではないのである。

新しい生活様式は2年程度は続くだろうと思っている人は多いかもしれないが
そうではなく第二第三の新興感染症が蔓延しやすい背景があるを直視したい。
つまりCOVID-19は人類にとって警鐘でもあり気付きの機会ともなっている。

今後はビジネスも生活も感染症対策が常態化する。
マスクやアルコールが不可欠となる暮らしが当たり前となる。
だからそれを受け容れる態勢と心構えで生きていこう。

こと新型コロナウイルス感染症については
接触感染と飛沫感染が原因とされているので
その対策は容易だが人が実行するかどうかだけの問題。
(空気感染については疑わしくても主たる感染源でないことは明らか)

案外忘れがちな対策をいくつか挙げてみると
・クルマのハンドルは毎日アルコールで拭く(革巻き仕様はアルコールに耐えられないので自動車メーカーはウレタン仕様をデフォルトにすべき時代が来ている)。
・携帯電話・スマートフォン、キーボード、マウスは毎日アルコールで拭く。
・外出のあとの持ち物(財布や時計、カバンなど)、買い物のあとの商品とバッグの無害化は施す。
・布マスクには感染症を予防する効果はないので不織布マスクを使う。布マスクを使用する場合はフィルター機能を果たす不織布を1枚追加する。
・不織布マスクは再利用する(マスクの節約という社会的な意義)。熱湯処理、洗剤による洗浄、アルコール噴霧、紫外線などはフィルター層を損なうことがわかっている(ぼくは温度設定ができる炊飯器で71℃1時間加熱)。
・携帯用のアルコールを肌身離さず持参して何かに触れるたびに使用。

この程度のことができていれば感染する怖れは低くなる。
習慣になれば何でもないこと。
自分が感染しないことは家族を含む自分以外の誰かに感染させないことになるのだから。


洪水とは大きな川の堤防が決壊するだけでなく
支流が本川に排水できなくてあふれる内水面被害が大きくなっている。
日本の平野はほとんどが洪積平野(洪水がつくった平野)。
そこで住む限り、洪水からは逃れられない、という前提で生きていく。

源流域、上流から順に水が出ていく速度を遅らせる手段を地道に確実にやっていくこと。
山の保水力の確保(林相)、棚田の効能、
遊水地の設定と洪水が起こりやすい地区に人が住まないこと、
どうしても移転が難しい場合では保険での対応(抜本策ではない)、
技術的には堤防の強化(大河川ではスーパー堤防など)、内水を排水させる能力の強化など。

対策がわかっている以上(ヒトが蒔いた種が因果応報となって降りかかっている)
個人、組織、地域の行動に着実に落とし込んでいけば
未来は悲観することはないと思っている(その信念は揺らがない)。
(SDGsも根源の対策は同じ)

追記
日本国憲法に生態系や生物多様性を尊重する思想がないのは問題だと思っている。
posted by 平井 吉信 at 20:10| Comment(0) | 防災・感染症・サイバー攻撃対策

2020年07月18日

四国の東端 蒲生田岬 曇り時々風強し それでも水平線は見える


豊後水道に突き出す西の佐田岬に対し
紀伊水道に突き出す東の蒲生田岬(かもだみさき)。

岬の付け根には温泉もある。
晴れた日には伊島がくっきりと指呼の間に。

空はいまにも降りだしそうだが、ときどき薄日が射すという一日。
岬が近づいてくるといつもこの場所にクルマを止める。
小さな川が自然のままに海に注いでいる。
そこに魚が集まり鳥が集まる。
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温泉を過ぎれば池の畔に到着。
なぜ岬の近くにこのような池があるのか不思議だ。
池の周囲には散策路があるが
途中からは(対岸の辺り)草が生い茂り夏は近づきがたい。
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岬の入口に置かれたのは指輪を模した岩だろうか
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海沿いの遊歩道をしばらく歩く
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照葉樹の翠は濃い
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葉を線香の原料にしたことからハマゴウというらしい
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灯台直下にやってきた。ここから急な階段を上がる
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蒲生田岬灯台直下の展望台
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海を見ながら下っていく醍醐味
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来た道を戻って池の畔を歩く
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万華鏡を見ているよう
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薄曇りの柔らかな光に包まれた岬は印象派の絵のようだ。

タグ:蒲生田岬
posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年07月16日

JR四国 2年目の特急うずしお2700系


徳島と高松は4県都のなかでももっとも短い区間である。
これを1時間少々で結ぶ特急が「うずしお」(といっても鳴門駅には停車しない)。
「うずしお」には度々乗車してお世話になっている。
仕事を終えて心地よい疲労感で揺られていると志度駅を過ぎたあたりで眠りに就いて
(改札を終えた頃合い)
引田駅あたりで目を覚ますことが多い。

空気バネを使用した2600系に置き換わる予定が
実際に量産運用されたのは2700系。
技術的なことはわからないが、Wi-Fiや充電器を備え
かつ乗り心地が良い車両である。
(高徳線でもっとも路面が荒れているのは吉野川鉄橋であるが、佐古駅からの高架区間は線路が新しいせいか走行音が静寂である)

同じ日の牟岐線ローカル。人が少ないのはコロナ禍の頃だから。
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徳島駅2番線に入線した折り返しの2700系
(大変長らくお待たせいたしました。二番乗り場に停車中の列車は特急うずしお6号、高松経由岡山行きです。清掃が終わるまでいましばらくお待ちください。この列車、徳島を出ますと…高松到着は…終点岡山には10時33分の到着です。途中坂出には止まりませんのでご注意ください→ このアナウンスは作り話。実際にうずしお3号は3両編成なので2700系ではなく2000系のはず。うずしお10号は2700系だが岡山へは向かわない)
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室内は2600系に似ている
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駅名のアナウンス(録音)に英語が入るようになった。英語の箇所は英語らしく、日本語の駅名は日本語のアクセントでという方針。車掌も終点だけは英語で案内をする(中学生のようなたどたどしさに親しみを感じる)
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外装は銀を基調に赤と黄緑がアクセント
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コロナ禍で公共交通機関、タクシーの経営は困難となっている。
感染症対策を万全にして積極的に乗ってみたい。
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追記
徳島新聞の記事によれば、「JR四国のディーゼル特急車両「N2000系」が18日、午前5時41分徳島駅発高松駅行きの特急うずしお2号で、高徳線での運用に幕を下ろした。」とのこと。これによって高徳線の特急うずしおは全車両が2700系となるものと思われる。
タグ:JR四国
posted by 平井 吉信 at 22:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年07月11日

美しい日本のむら景観百選 赤松地区と赤松川を歩く(美波町)


中学校の頃、勉強の合宿に訪れたのは赤松川(那賀川支流、日和佐町)のほとりの円通寺。
朝は勉強をして午後からは徒歩3分の赤松川で泳ぐ。
水は冷たく唇はすぐに紫色になるのだが
女の子たちが見ているのを確認して
(さも彼女たちに無関心に無愛想な表情を浮かべて)
淵の岩から高い跳躍で飛び込んで見せる(という少年のパフォーマンス)。
当時の文理中学は人数が少なかったので学年を織り交ぜてそんなこともあったのだ。

ぼくにとっての赤松川はこのブログでも何度も紹介しているように
アユのドブ釣りをやっていた定番の場所。
(子どもが自転車で行ける距離ではないので父の車で連れて行ってもらうのだが)

ドブ釣りとは鮎漁解禁初期に淵の釣りで
鉛の上に毛針を付けて上下しつつ喰わせるというもの。
そのときの水量、時刻、濁り具合、気温や水温などを判断しながら
どの毛針で行くかを決める。
毛針には作者の固有名詞が付いている。
青ライオンとか岡林1号などと。

そんなわけで赤松川と赤松地区には思い入れがある。
その赤松地区が農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」に選定されている、
ということで訪れてみた。
https://www.maff.go.jp/j/nousin/noukei/binosato/b_hyakusen/hyakusen.html

まずは那賀川本流と赤松川の合流点から。
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本流はダムの影響で濁りが常態化しているが、支流の赤松川は澄んでいる。
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だから鮎は本能的に赤松川へと入ってくる。
合流点付近はゴルジュのような地形となっている。
対岸からは吊り橋を渡って降りていく。
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吊り橋は足元が抜けそうな箇所がある。渡るには細心の注意(構造体の上を歩く)が要る。
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吊り橋から合流点を見る。高度感はある。
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合流点からしばらくは険しい渓谷が続くが、ほどなく田んぼに囲まれた里の川の表情になる。
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ふとバスを降りてみようかなと思える停留所
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窓から見える景色は?
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河畔のねむの木 はんなりとおどけたような媚態
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地区の中心部、円通寺や赤松神社、学校、郵便局がある地区に辿り着く
この取水堰の上流部の岩がかつて飛び込んだ場所
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いったんは対岸(左岸)に渡って集落はあとで訪れることとする。
無数の支流(沢)が流れ込む。沢沿いにはやさしい表情がある
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里山の風情が立ちこめる
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こんな光景も見られる
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赤松川の橋を渡って右岸へと行こうとすると橋の上からおもしろい光景を見つけた
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ウグイ(と思う)の群れがぐるぐると輪になって回っている
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餌を採る行動でなければ自衛の集団行動でもない
ただ遊んでいるように見える
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動画で見るとわかりやすい


ここから上流は民家が少なくなって林道沿いの源流部となる。
今回はここで折り返して集落の中心部へと向かう。
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地区の人の「美しい日本の村」の美意識が感じられる
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再び中心部へと戻ってきた。まずはなつかしい円通寺へ。
かつて合宿したときと違う(新しくなっている)ような気がするけれど
思い出のフィルターはときに蒼いモノトーンのように見せてくれる。
蝉時雨の夕立のようなひとこま。
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円通寺から小川に沿って上がっていく
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民家に植えられた花 河畔のねむの木
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赤松神社への長い階段が見えてきた
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災害用、緊急用のヘリポートがある。普段は駐車場として使われているのだろう。
もしかしてここは廃校となった小学校の運動場だったのでは?
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かつては下の集落からこの坂道を子どもが息を弾ませて上がってきたのかも
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二宮金次郎の彫像のお顔が現代的だ
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平成22年3月…最後の卒業生の手形がある
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さらに奥へ詰めると赤松神社と境内が見えてきた
神社に奉納される有名な吹筒花火はここでするのだろう。
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路傍の木と初夏の花に夏の叙情が立ちこめる
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さらに奥へ進むとまたも運動場。中学校だった場所かもしれない。
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講堂の窓に映る緑が萌えている
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この学び舎で過ごした子どもの姿は夏草の彼方に行こうとも
この場所の記憶はそこにとどまっている。
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上がり詰めたところにも神社があった
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再び下の集落へと戻ってきた
寺と赤松川を何度か往復した夏がときの彼方にこだまする。
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きょうはこれで帰ろう。
そう思ったけれど少し下流に潜水橋があったのを思い出した。
川沿いの道からどんどん田んぼのなかを下っていくと赤松川と橋が見えてくる
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美しいむらの記憶は感染症の夏でも消すことができない。
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国土交通省が作成した赤松川地図
http://www.minami-kankou.com/files/uploads/akamatsu_map_1.pdf

美波町在住の小部博正さんが作成した絵地図
http://www.minami-kankou.com/files/uploads/akamatsu_map_2.pdf
posted by 平井 吉信 at 17:31| Comment(0) | 山、川、海、山野草

日和佐川から明丸海岸へ


旧日和佐町(美波町)を語るとき
海山川が高い水準でまとまったまちといわれる。
まちから10分でまったく異なる景色が展開するというわけ。
そこに惹かれて移住者も多くやってくる。

薬王寺、大浜海岸、その間のあわえと呼ばれる独特の漁師町のまちなみだけでなく
名もない場所が癒しに満ちている。

日和佐川にはダムがないし漁業権もない
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小さな潜水橋 橋から水面まで足が届きそう
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潜水橋を歩いているとカワトンボが止まっているのが見えた
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自分の影を岩に投影して楽しんでいるのか
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本流と山河内川が合流する付近の棚田
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誰もいない 水を受け容れる山があるだけ
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ニホンアナグマが追いかけっこ 求愛行動だろう
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(タヌキが減ってニホンアナグマが増えているような気がする)

小さな堰と河畔林にもおそらく物語がある
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水辺でしばし休もうと弁当を広げる
水が山懐から流れてそこにある、かつてどこにでもあった風景
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静か
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水は表情を変えるが時間は止まったまま
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動画でどうぞ




日和佐川から牟岐へ出て海岸沿いを日和佐へ戻れば明丸海岸
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Kindleで風に吹かれて読書をしながら
渚を歩くと山の陰が落ちていた。
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日和佐地区の絵地図
http://www.minami-kankou.com/files/uploads/hisawa_sansaku_ab.pdf
posted by 平井 吉信 at 13:04| Comment(0) | 山、川、海、山野草

小松島港のトンビ


海上保安庁の船が停泊していた
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そのマストにトンビが3羽いるが、1羽が追われて飛び立った
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羽が傷んでいる。生きるための闘いをしている。
posted by 平井 吉信 at 12:46| Comment(0) | 山、川、海、山野草