2020年05月31日

新緑を吸い込みすみれに足を止める 砥石権現 その3 アケボノツツジ スミレ 総集編


登山口の森の様子から想像できたことだけれど、
アケボノツツジも開花が始まったばかりであった。
前ページの最後の答は数少ない落ちた花びらを撮影したもの。

ここでは撮影した時間軸に沿って写真を並べてみよう。
フジX-T30+XF35mmF1.4 R(標準レンズ)のみ。
前2コンテンツの情報に留意しつつ
空想を膨らませながらweb上で森を歩いてみてはという試み。
では、どうぞ(寡黙な案内人がぼそっと口を開きます)。

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倒木と苔を撮影したのかと思わないで
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木の葉に擬態しているチョウがわかりましたか
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透けるように美しいタチツボスミレですが、花弁の右上に妖精のような存在が見えませんか?
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森の風格というかたたずまいの静けさ
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倒木と苔にしばし足をとめてしまう
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端正なナガバノスミレサイシン
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エイザンスミレ、タチツボスミレ、そして濃い色のタチツボスミレ
(タチツボスミレはコタチツボスミレに近い形態か)
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ナガバノスミレサイシン、エイザンスミレ、タチツボスミレ
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(この山域らしい透明感と艶のある個体群)

フジだから撮れた絵かもしれないけれど
実際に見たときに色の抜けの良さ、あでやかさに足を止めたのは事実
(特に2枚目のタチツボスミレのこの色彩感は初めてみた)
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そうは言ってもシハイスミレのあでやかさはやはり目を留めるべきもの
尾根沿いにはカタクリとシハイスミレが続出する。
シハイスミレ
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これも透明感のあるタチツボスミレ
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尾根からやや沢筋を南へ下った大岩にアケボノツツジが咲いている
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ミツバツヅジ
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エイザンスミレ
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タチツボスミレ
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ワチガイソウ
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ネコノメソウ
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シロバナネコノメソウ
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最後はエイザンスミレで締めくくる
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2コマだけ望遠レンズ(ニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G )の力を借りてみる
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ヤマザクラ+アケボノツツジ+カタクリ+すみれとは春の山の饗宴と呼ばずしてなんとする?
(誰かが言っていました。徳島に住んでいることの良さは砥石権現へ行けばわかると)

追記
いまから山野草を撮りたい人でカメラを買う人はフジのX-T30+XF35mmF1.4 Rを奨める。
理由は上級のX-T2,T3,T4と比べてシャッターのストロークが小さいのと
X-T2比でAF速度が早いことによる。
シャッターを押すときには息を止めてじっとしているが
それは動きを止められると思ったときにシャッターが押せること。
X−T2もしくはその後継機ではストロークが深すぎてぶれてしまう。
(だからカメラの本質はX−Hシリーズが優れている)
この組み合わせでは慣れると手持ちで1/15ぐらいでぶれない写真が撮れる。
もちろんそれには何コマか押したなかから選ぶのだけれど。
シャッターはもちろん電子シャッター。ストロボを使うときは機械シャッターを使うけど。
小型軽量でチルト液晶(X-T4はバリアングルなので山野草に向かない)のX-T30は価格も手頃でねらいめ。
色もX-T2世代と比べて自然になっている(特にホワイトバランスを太陽光に設定したときの緑の葉の色)



posted by 平井 吉信 at 22:03| Comment(0) | 山、川、海、山野草

新緑を吸い込みすみれに足を止める 砥石権現 その2 すみれに接近編


今度はフジのX20という小さなカメラですみれに近寄ってみる。

まずはタチツボスミレ
下界の個体と比べて背は小さめだが、花の大きさは変わらない。
開けたブナ林の林床はこの時期には十分な光が差し込める。
ときどきはっとするような鮮やかな色彩の個体を見かけることがあった。
さらにフジのカメラでこのすみれを撮影すると
花弁がしっとりと濡れて透けるような写り方をする。
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すみれの仲間で細かく葉が分裂しているのはエイザンスミレ
これもやや色が濃い個体が多いように思う
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白いすみれはナガバノスミレサイシン
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シハイスミレの可憐な姿はやはりその色。
さらにきゅっと上がった炬にある。
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尾根沿いにはみごとなカタクリが点在
これはそのなかでももっともみごとな個体
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コミヤマカタバミやワチガイソウは至るところに咲いているので踏まないよう。
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白でいえば、シロバナネコノメソウ
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さて、この花は?
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(フジX20)
(答はその3で)


posted by 平井 吉信 at 21:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

新緑を吸い込みすみれに足を止める 砥石権現 その1 森編


いつも同じことを言っているけど、砥石権現とは神社ではなく山の名称。
新緑と紅葉を見に行くのは年中行事となっている。
山へ行くのは遠いのと山道の運転に気を使うけれど
自宅からだと1時間半もかからないので足を向けている。

何と言ってもこの山の魅力はなだらかな森の姿とその間を縫う沢筋、点在するブナ、尾根の風通しの良さ、そして登山口から山頂まで異なる景観と山野草、樹木の花が愉しめる。
ときは5月の初旬の頃である。

萌えるような若草色に染まる森を期待していたが
今年はまだ広葉樹が芽吹いていない。
その代わり、ヤマザクラが満開となっていた。
桜のなかではヤマザクラがもっとも好きだ。
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沢沿いの登山道はやや冬枯れ調で春の円舞曲とはいかない
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なだらかな森に入ってみたけど、やはり早蕨(さわらび)の萌え出づる春にはなっていない。
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山が初めてという人にこの山域を紹介したらたちまち虜になってしまう。
踏み跡はあるけれど自由度が高いこと、見通しが良いこと、なだらかなこと。
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その2へ

(フジX-T2+XF18-55mmF2.8-4 )

新緑の砥石権現の過去ログはタグから拾ってみてください。
タグ:砥石権現
posted by 平井 吉信 at 21:34| Comment(0) | 山、川、海、山野草

大宮八幡神社から里山の散策へ(勝浦町)


勝浦川北岸の主要道から急角度で上がる階段が目に付いたので
近くの河川敷公園に車を止めて上がったのが数年前。
そのとき神社のたたずまい、里山の桜とすみれに惹かれた。
自宅からすぐにあることもあって春になると来てしまう。
(4月中旬の訪問である)

石段を見上げる
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振り返ると急な坂道を一気に登ってきたことがわかる
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上がりきると参道があってさらに大宮八幡神社へはさらに上がっていく
桜のトンネルをくぐり抜けるように
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大宮八幡神社のご祭神は「品陀和気命」(応神天皇)
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神社の左手には神宮寺があり、そこから裏山へ続く散策路がある
路傍には八十八箇所にちなんだ石像と春の山野草
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ニョイスミレ 東アジアにも広く分布しているが素朴さと端正さを持ち合わせた里山のすみれらしい姿
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ここのすみれはスミレ。特に日当たりの良い場所には躍動している
(スミレという品名のすみれ→スミレ科スミレ属の「スミレ」)
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初めて訪問したときに出会った個体を探したが見つからない
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このときはフジのX-T30を購入して初めてのときだった(2019年4月上旬)。
標準レンズ(35/1.4)を付けて上がってきた画像の自然な深みに感銘を受けた。
スミレはすみれを代表するたたずまいと改めて感銘を深くした。
人も山野草も一期一会なのだ

谷筋を巻いてみかん畑を眺めつつ
もっとも標高の高い場所には勝浦川を臨む展望台もある散策路。
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白いイチゴと赤のツツジも現れて里山を一周して神宮寺の境内に戻る
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近所の里山には神社を中心とする里の暮らしと春の足跡が点在している。
posted by 平井 吉信 at 13:37| Comment(0) | 山、川、海、山野草

すみれは日本の春を彩る一寸法師


釣りがフナに始まりフナに終わる、のであれば
野に咲く花はすみれに始まりすみれに終わるのではないだろうか。
(ひらがなの「すみれ」は一般名詞として使い、カタカナのスミレは植物名として使っている)

野山に春の到来を告げようとするも
三寒四温にあって冬と見まごう日もあれば
春を飛ばして初夏になろうとする気象の気まぐれで
慌ててつぼみを膨らませることもあるかもしれない。

植物はカレンダーこそ見ることはできなくても
体内には温度計やその他自然界を感じる感度を持っている。
日一日と花を開くすみれは春を待つ人の心を映しながら
巡ってきた季節をともに愛でる象徴なのだ。

すみれとともに、2020年の春の里山を振り返る。

今年最初のすみれはやはり県南部で遭遇した。
2月中旬には海老ヶ池(海陽町)から。
この池はかつて海だったのだろうが
1609年の慶長の大地震で隆起して湖になったとされる。
温暖な湖畔は散策する人が絶えない。
その一角で誰も気付かれないよう咲いていた。
ノジスミレだろうか。
さらに美波町木岐地区の椿公園で見つけたアツバスミレ、シハイスミレ、タチツボスミレには心躍らせた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187196730.html


3月に入ると近所の低山でも頻繁に目にするようになった。
日峰山では、タチツボスミレ、ナガバノタチツボスミレ、シハイスミレ、ニオイタチツボスミレなど。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187244314.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/187397873.html


4月になるとすみれ真っ盛り。
場所はすみれ好きにはたまらない
佐那河内村の南部の山麓から旭ヶ丸にかけての区域。

コタチツボスミレ
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ニオイタチツボスミレ(花の色の紫が濃く中央の白さが目立つ)
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ナガバノタチツボスミレ
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葉が細く避けているのはヒゴスミレ 純白の天使
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佐那河内村内にはおだやかな場所が多い。それらは連休中
も静かだった
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春の足跡は至るところで
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エイザンスミレは紫がかった桃色 葉は同じく裂けている。
エイザンスミレと思われるが、もしかしたらアカバナスミレ(通称)と呼ばれているものかもしれない
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ナガバノスミレサイシン
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意外にも徳島はすみれの種類という点では多いほうではないかと感じる。
(四国では徳島のみという種類もあるようだし、全国的に飛び地として徳島に自生する種類もあるようだ)
おそらくは氷河期などになんらかのかたちで生息域を広げたすみれたちが
その後の環境の変化で生き残ったときに徳島の生態系が離れ小島のようになったのではないか。

ところでスミレというと種類が多いが、見分けるのにコツと経験を要する。
専門的な図鑑は必須でぼくは2冊を併用している。

山渓ハンディ図鑑「日本のスミレ(増補改訂版)」(いがりまさし)


スミレ ハンドブック」(山田隆彦著)


前者はすみれフリークと思われる著者の思いが詰まったもので図鑑でもあり読み物でもある。
後者はコンパクトに整理集約された情報が見やすくわかりやすい。
すみれは変移が多いうえ写真の印象で随分違って見える。
だから複数の図鑑を併用したい。

日本の春の山野を彩るすみれは一寸法師のような存在であるが
そこにいることに気付けば植物と人の心の交流にも似た光が行き来するように感じられる。


タグ:スミレ
posted by 平井 吉信 at 12:11| Comment(0) | 山、川、海、山野草

勝浦川中流の侵入植物 オオカワヂシャ(駆除を要する)


場所は長柱潜水橋直下流の左岸である。
4月中旬に確認。小さな群落を形成していた。

オオカワヂシャは繁殖力旺盛で希少種のカワヂシャと交雑する怖れがあるという。
そこでアラートの意味があるとして記録しておく。

オオカワヂシャの情報は国土交通省のwebサイトにある。
https://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/kankyo/gairai/pdf/tebiki06.pdf


勝浦川中流でもっとも眺めの良い場所
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菜の花と呼んでいるものは、アブラナとカラシナ
(これはセイヨウアブラナだろう)
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近年特に増えてきたのは帰化植物のナヨクサフジ 四月はこの花一色となることも
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オオカワジシャのすぐ根元でオオイヌノフグリ
(仲間同士なのか花が似ている。こちらも帰化植物である)
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これが問題のオオカワジシャ。どこから勝浦川流域へ侵入してきたのか?
花だけを見ると大柄で華やかだが、どこか大味ではある
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(生息域を広げないよう勝手に持ち帰ったり移動させないよう)
タグ:潜水橋
posted by 平井 吉信 at 10:57| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2020年05月27日

不織布マスクの減菌(消毒)法 追記


不織布マスクの再利用法(消毒)では新たな知見が披露されている。
それによると、一般に推奨されている洗剤の使用ではフィルター層が劣化してしまうという。
熱湯での煮沸やアルコールなどの噴霧、紫外線殺菌も同様とのこと。

不織布マスクは通常は三層になっていて真ん中がフィルター機能を果たす。
それが劣化するとウイルスの遮蔽性が低下することになる。
そこでフィルター機能を保全するには水に濡らさない、
一定以上の高温にはさらさない、薬剤は使わないと
これまで実践されてきた減菌法は使えないことになる。

それではどのようにマスクの再利用(減菌措置)を行うか。
それは70度程度の湯煎がよいというのだ。
(マスクは密閉性の高いジップロックなどに入れて空気を出しておく)
時間は30分〜60分程度で80度を越えないのが望ましいという。
「パンデミックから命をまもるために>マスクの消毒」
https://www.pandaid.jp/hygiene/mask

そのためには一定温度に保持する調理器具があれば便利である。
かつてサンヨーが売られていた一定温度を保つことのできる炊飯器をお持ちの方で
現在は炊飯を行わず手元に残っているという方はそれを利用するといいだろう。

しかし洗剤や煮沸によってフィルター機能が皆無になるわけではないので
不織布を新たに1枚はさむことでフィルター機能を補いつつ
これまでのように洗剤洗いや煮沸を行って
減菌を簡単かつ確実に行う方法もあり得るだろう。
(熱を加えるだけでは減菌はできても汚れや臭いは落ちない)。

比較的長時間誰かと接するようなときや混雑した場所に出向くときは
迷うことなく新しいマスクを着用し
近所のスーパーで買い物をするような場面で飛沫感染を防げば事足りるのなら
再利用マスクという使い分けができれば、
安全性を確保しつつ再利用マスクも活用してマスク不足の影響を緩和することが可能となる。


追記
本日、アイリスオーヤマのマスク直販サイトから注文していたマスクが届いた。
以下のURLで午後の適当な時間にアクセスすれば購入できるだろう。
(価格は7枚入り×2セット+メール便で736円。1枚当たり53円)
https://www.irisplaza.co.jp/index.php?KB=KAISO&CID=4065
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届いたマスクには製造元が示され検査印があり性能表示がなされている。
ドラッグストアやスーパーにもいまでは商品が並んでいることが多いが
それらの大半は性能表示がない。
アイリスオーヤマは今後も不織布マスクの供給を強化するとのことで
消費者も感謝しつつ買い支えていきたい。
(SHARPも同様である)
タグ:マスク
posted by 平井 吉信 at 10:28| Comment(0) | 新型コロナウイルス対策

2020年05月22日

でもいまは…。フジコ・ヘミングの愛の夢、月の光


フジコのピアノを聴いて大勢の人がいう。
音楽は技術じゃないと感じさせてくれたと。

実はぼくはまだ実演もCDも聴いたことがない。
でもいまは動画で視聴することができる。
(ぼくはAmazon PRIMEで聴いている)
いい時代だ。

決して指が器用に動く人ではないのに超絶技巧を求められる楽曲を弾く。
ピアノを叩くような強音はなく
空間に消えそうな弱音もない。
もしピアニストが粒立つアルペジオや
ピアニズムのきらめきを封じられたらどうなるだろう?
たどたどしいピアノの練習のように聞こえてしまうかもしれない。
だが、繊細ぶらないタッチのなかに、指が置き忘れたような隙間があって
ぽつんと濡れたような音が滑り込む。
そこに時間が刻まれる(心に余韻を残す)。
音の隅々に意志をみなぎらせて
テクニカルな打鍵の切れではない底まで鳴っている硬質のきらめき。
(これ、ベーゼンドルファーか? うちにはアトラスのアップライトやヤマハのグランドピアノがあってぼくもときどき弾いていた)

木訥に聞こえる演奏のようで凍らせた愛の感情のほとばしるよう。
極力ピアノをピアノとして存在させないのに
ピアノの音色が楽器を離れて演奏者と一体となったよう。
(むしろピアニズムの深みを感じる)
音符をいったん楽譜から剥がして彼女が再び並べているよう。
聴衆にも媚びず、ただ彼女が自らの裸の心をピアノに吹き込んでいるよう。
言葉にできなくても多くの人がそう感じているのでは?

リスト、ショパンが有名だが
ぼくはドビュッシーもいいと思う。
複雑な響きや晦渋さをおとぎ話に変えてお話するかのごとく。

2020年6月13日、徳島でフジコ・ヘミングを聴くことはできなかった。


posted by 平井 吉信 at 23:22| Comment(0) | 音楽

2020年05月18日

田井ノ浜(美波町) 五月の午後のひととき


青春ドラマであるでしょう。
夕陽に向かって駆け抜けながら叫ぶ場面。
おそらくあのドラマは湘南が舞台なので江ノ島とか鎌倉とかの周辺が舞台。
徳島ではまちの近くの渚といえば、…ないのだ。
しかし鉄道の近くの渚といえば、…ひとつある。
それが田井ノ浜。
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夏休みだけ臨時駅が開設されて汽車が止まるというのもいい。
プラットフォームを降りたら砂浜、駅も浜の一部というのはそうざらにはない。
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なにか「バカヤロー」と叫びたいこともないのだが、
そう言って国会を解散した首相がいたことを思い出した。

宿毛市の浦田菓子舗さんで売られているバカヤローまんじゅう
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浦田さんはまちのアイデアマン。お元気でしょうか?
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宿毛市郊外にはこんな建物がある。三密を避けて読書をするには最適の離れ
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さてと、舞台は田井ノ浜。
浜へ来たのに渚へ行かずに周辺を歩く。
周辺にはハマボウが咲く田井川や遺跡がある(夏には)。
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むしろ海に近い里山の風情がいい。
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牟岐線の踏みきり、いいな。
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楚々としたナガバノタチツボスミレ。目を留める人はいなくてもここで咲いているよ、と涼やかに。
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小さな山野草に光があたる。そのとき小宇宙だよね
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お、田井ノ浜臨時駅を通過していく
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お約束の渚へ出てみるけれど、やはり小宇宙に目が惹きつけられる。
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そこに存在するだけで「いい」と教えてくれるようで。
タグ:田井ノ浜
posted by 平井 吉信 at 23:25| Comment(0) | 山、川、海、山野草

生き方は変わっていく コロナのお陰という考え方


連休中に田井ノ浜へ行こうとしたら車を停める場所にロープが張ってあった。
県が管理する高丸山では駐車場が封鎖されていたという。
登山口周辺には車を停められる場所はないので
登山者の車は林道の路肩に停めざるを得ず、
作業用の大型車の往来が激しいなかで危なかったそうだ。

これらの場所は各自が感染症対策を行う限り封鎖する必要はない場所である。
このブログでは新型コロナウイルス感染症について対策を書いてきたが
やるべきことができていない反面、
やらなくてもいいことをやるなどちぐはぐが目立つ。

布マスクはすでに方々に出回り、家庭でも自作されている。
いまさら国が466億円をかけて配布しても意味がない。
不織布のマスクも普通に手頃な価格で近所のスーパーで並んでいたが、
商品を見たところ性能表示がないものであった。
(投げ売りの中国製マスクは買ってはいけない。性能表示とその証拠が提示されているもののみを購入すべき。6月になればマスクの価格はコロナ禍以前に戻るだろう。良質のPFE、BFE99%以上で1枚20円程度。それでも1回で使い捨てずに洗って使いたい)

不織布のマスクは洗って無害化すれば何度でも使えることがわかっている。
だからわが家では前年に備蓄のマスクだけで1年は乗り切れる(真夏でも公共交通を利用する場合や密集した場所に行くときはマスクをしているのでコロナ禍でなくても普段から備蓄をしている)。
また、ウイルスの侵入を阻止する効果に乏しい布マスクでも
不織布を1枚挟むだけで性能が向上することも知られている。
だから布マスクは不織布などをはさんで固定する機能(ポケット)があることが条件となる。

入手が相変わらず困難なアルコールは消毒機能を次亜塩素酸水と併用する(混ぜるという意味ではない)ことで節約できる。
壁面や床面などの広い面積には薬剤散布よりもケルヒャーなどの蒸気クリーナーのほうが適している。
電気と水だけなので機械の購入代金のみで維持費はかからない。
使い分けをすることで中国で死者が出る前に購入したアルコールが未だに使い切らずに残っている。

感染症はCOVID-19だけでない。
新型鳥インフルエンザ(特にH5N1型などの強毒型)が遺伝子の変異でヒトへの感染力を高めたら
その脅威はCOVID-19の比ではない。
だから衛生管理の徹底はコロナ対策ではなく一生の「習慣」とすべきこと。

適切な感染対策と感染の怖れが少ない状況で自己管理を適切に行えば
COVID-19を過度に怖れる必要はない。
逆に何の根拠もなく対策を行わないのは
自分も他人も巻き込む自殺他殺行為に等しい。
うちの近所では居酒屋が再開したが、
窓のない店内で至近距離で歓談することは危険が大きい。
愉しい時間を過ごしてわが家に帰宅することがどのような意味を持つのか考えるべき。

コロナ禍での自助努力として、
食糧を自分で生産、確保(もしくは地区で)する能力や取り組みが必要となった。
社会で多様な役割を細分化したが、
このことでウイルスによって容易に移動や接触を止められたら社会活動が止まってしまう。

できうる範囲(個人、共同体、国として)での自給自足的な考え方が必要となっている。
米や小麦粉が店頭から消えるのはその象徴的なできごと。
コロナ禍でインターネット販売が伸びると考える人もいるだろうが、
流通網だけあっても意味がないのだ。

このことを突き詰めれば国のあり方も人の生き方も変わっていく。
社会のなかで高度に分業化された役割を仕事と認識するのではなく
自分が生きていくのに必要な役割はすべて仕事と理解する。
老若男女を問わず家事、炊事、料理、洗濯、
家財道具の保全、修理、食糧の生産ができたほうがいい。
そうすれば家事が特定の家族の負担にならず、
家事は楽しくなっていく。
(ぼくがコロナ禍で喜んだこととしたらスミレを見に行けたことと、食事の準備が心置きなくできたこと)

東京一極集中を是正しようと叫ばなくてもそうなっていく。
このことは良いことだ。
徳島では県内で感染した人はいないとされているが、
徳島の潜在的な良さを物語っている。
それは中心市街地と呼べる街区がないこともあるが
良質の川に育まれた山のミネラルが県土に行き渡り(藍染めの藍作はその象徴)、
山の幸、川の幸、海の幸が手に入ること。
(このブログの開設当時=約20年前から指摘していたこと)

県の観光政策や経済政策はそのことを明確に意識して打ち出すべきだし、
「VS東京」というコピーや「県外人の来訪を監視している」というメッセージは引っ込めるべきだろう。
徳島の良さを認めようとしないのは徳島県人そのもの。
もし打ち出すとしたら「敵は徳島(地元)にあり」。
逆に徳島の良さを見出せた人が移住なり暫定居住なりしているのが実態だから。

コロナ禍では政府の初動期の対応に確たる方針がなかった。
国ばかりが情けないのではない。
義務を果たそうとしない人々もいる。
無知、無理解、無神経、無行動の四無の人も少なくない。
(スーパーで買い物をして家に戻る際には人も商品も無害化処理が必要だがどれだけの人がそれを実行しているだろうか)。

コロナ禍は大きな代償だけれど、この国が生まれ変われるとしたら意義はある。
(コロナ禍転じて福と成す)
それをやっていくことが一人ひとりの役割、
というか生きがいにしたい2020年である。
posted by 平井 吉信 at 22:54| Comment(0) | 生きる