2019年12月09日

きょうも朝が来た


東から差し込める日の光を浴びて
きょうも庭の野菊が咲いている。
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このいまが奇跡の時間。
無常(移ろいゆく世界)が常の世の中で
たったいまだけが手が届く。
過去でも未来でもない今このとき。
そこに幸福があふれだしている。
(そしてそれは誰にでも)

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 11:38| Comment(0) | 家の庭

2019年12月08日

庭の野菊が満開に


先頃つぼみがふくらんだと思ったら
朝の陽光を浴びて満開に。
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毎年愛でているけれど飽きることがない。
それどころか朝起きるのが楽しみなのは
朝の光を受けて輝く野菊を見たいから。
それ以上の暮らしがあるとは思えない。
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(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
花はほとんどこれで撮る。高解像度一辺倒のレンズでは得られない立体感とやわらかさ、そのなかに解像度を偲ばせてはいるが、ぼくの脳内にはこのレンズがビルトインされていてどんなふうに写るか見えてしまうのだ。
posted by 平井 吉信 at 23:21| Comment(0) | 家の庭

北の脇の南端 そこに自然石のご神体の神社がある


夕暮れの北の脇を散策していて南端へ足を伸ばしてみた。
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途中の岩場にはツワブキやアゼトウナの群落があった。
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すると渚へと通じる散策路があった。
しばらくたどると神社の境内に遭遇。
2つの神社が同じ敷地に合祀されているような。
ひとつは山神神社と読める。こちらには神社の建物がある。
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もうひとつ石版に刻まれた名称が読めない。

もうひとつは北の脇の崖へとつづく岩肌に安置された社。
大木の茂みが陰を落としてそこから奥へと導かれるような雰囲気。
むしろこの岩がご神体のような。
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この世とあの世をつなぐ接点のような場所にも見える。
この神社の名前も由来もわからない。

タグ:北の脇
posted by 平井 吉信 at 23:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草

夜の牟岐線のひなびた駅前にて


今夜は友の家で手料理を味わいながら飲むのだ。
年に数回、持ち回りでやっている。
高校のときの同級生らの集まり。
戸狩野沢温泉に人生初スキーへ行ったのもこの仲間たち。
あれから年月は流れたけれども変わることなく
ときの間の忘れ物のような時間。

暗闇にたたずむ駅の風情がなつかしい。
何もかもなつかしい。
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posted by 平井 吉信 at 22:30| Comment(0) | 生きる

2019年12月03日

庭の野菊がひらいた(2019年)


庭には植えるともなくさまざまな植物が勢力争いをしている。
そのなかには帰化植物もあれば近所から風に乗ってやってきた種から発芽したものもある。
どれが定着するかどのように勢力を広げるか広げないかを見守るため
雑草を抜くこともしない。
もちろん肥料も農薬もないから一年を通して虫たちが集まる。

数日前、野菊に一斉につぼみがふくらんでいるのを見た。
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臨月ではないが、今日咲くか明日咲くかと見守っていた。
曇りの日はやはり開花しないようだった。
そしてきょう花開いた。
1年振りにひらいた。
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地球が一年をかけて太陽をまわった証し。
そして人間も一年をかけて生きてきた。
ときは刻みひとはあるがままに生きている。
幸福を感じたぼくと同じように
見るあなたにも幸福を。
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posted by 平井 吉信 at 23:52| Comment(0) | 家の庭

音楽のテンポは機械で刻めない


竹内まりやのPortraitで「イチゴの誘惑」を聴いて思った。
リズムが生きている。

渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」もスタジオ録音でありながら
後半に向かって加速する。
その疾走感が歌の世界と一体化する。

それに対してリズムを打ち込みで音楽をつくると
なぜか死んでしまう。

その理由ははっきりしている。
人間は次のリズムのタイミングが予測できると
途端に退屈を感じる、のではないかと仮説を立てている。

ピアノを弾くときメトロノームを鳴らしながら弾いてみる。
途端にリズムが死んでしまう。
音楽はインテンポのときでさえ揺れている、
いや揺れていないと不自然に感じてしまう。

これはアゴーギグ(テンポを意図的に伸び縮みさせて緩急の表現を付ける)とも違う。
表現のために意識して揺らしているのだから「表現」の領域である。

これに対してここで言いたいのは
脈拍が1分間に60回打つとして(当然規則正しく)
そのなかにわずかな時間のずれ(ムラ)があるはず。

音楽も同様でインテンポに聞こえるようにテンポを呼吸させる。
指揮者のムラヴィンスキー、ピアニストではバックハウスがそうではないか。

前者はインテンポを装って動いている、後者も情緒を排してぶっきらぼうに弾いているが
その実、そこから妙なる息づかいが感じられる。
メトロノーム的なインテンポではないのだ。

アナログの良さは時間軸の揺らぎというかムラにあるのかもしれない。
そしてそれは生理的な脈との同調でそのほうが自然に聞こえるのではないか。

スタジオ録音よりもライブ録音が良いというのはよくある話。
MISIAはスタジオもライブも変わらない品質を誇る歌い手だが
ぼくにはライブのほうが輝いて聞こえる。
歌の端正さは変わらないとしても情感の深さが異なる。
それでもMISIAはためをつくって歌うなどの小細工はない。
あくまでインテンポのように聞こえるけど
そこに人の感知しないライブの何か(情感といえば安易だけど)が込められているのだろう。

ライブなのにスタジオ録音のような完成度、
スタジオ録音なのにライブのようなノリの良さがあったのはキャンディーズ。
わかる人にはわかるプロフェッショナル意識の高いアーティスト。
(その後のアイドルとは一線を画す品質感だった)

まりやのPortraitを聴いてやはり思う。
音楽は機械で刻めない。
クオーツシンセサイザー(水晶発振で同期させたリズム)では人は眠ってしまうだろう。

写真のフィルム、アナログレコード、ブラウン管テレビ(いまもぼくは15インチのトリニトロンブラウン管のソニープロフィールを使っている)懐古趣味と言い切れないのだ。
posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 音楽

2019年12月01日

竹内まりや 40年目の「Portorait」の季節 


レコードで持っていてずっと買いたかったアルバムがある。
それが昨年だったかデビュー40周年を記念してリマスターアルバムが発売された。
それからも買うタイミングを見ていた。
(インターネットでは価格が変動するのはご存知のとおり)

その人は過去の楽曲が海外でも注目されている。
「プラスティックラブ」がYouTubeで2800万回再生されたという。
(それも非公式にアップロードされたもの)
萌えキャラを描くことも流行しているらしい。
その人は竹内まりや。買いたかったアルバムは「Portrait]



80年代の日本のポップスは日出づる国の勢いがもたらした副産物。
伸びやかでアーティストが好きな楽曲を親密な関係で演奏しているのがわかる。
(先日は二名敦子を紹介)
「80年代の自由な風から生まれた音楽たち」
(二名敦子)http://soratoumi2.sblo.jp/article/186241479.html

Portraitの発売は1981年10月。ぼくはリアルタイムでLPを購入した(初回プレス)。
アルバムを横溢する自然体の空気はこの時代ならでは。
王道のコード進行でおおらかにうたう。
(加山雄三の世界に通じるものがあるね)
過密なスケジュールのなかで充実したときを過ごした人たちの同窓会のような愉しさ。
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収録曲を見ていくと、同じ時代に録音されたライブ音源がうれしい。
アナログでいうA面は60年代ロック、オールディーズの雰囲気が漂う楽曲。
なかには「僕の街へ」のように当時の彼女の心情を代弁した楽曲も含まれている。

B面ではシングルカットされた「イチゴの誘惑」が大好き。
イントロを聴くだけで心が弾んで仕方がない。
少ない音と単純なコード進行と歌心。
(ワンツースリーと合いの手を入れるのがRCAシスターズと呼ばれるEPO、大貫妙子、まりやの3人。ささやく声の3人がおかしくて笑いが止まらなかったそう。それに釣られてまりやさんも本編でぶりっこの歌い方になってしまったそうな。この曲はプラスティックラブのようなシニカルな歌い方でなくてよかった)
楽しそうだなって思わせることがプロの仕事。音楽ってこれでいいねって思う。

アイドルとしての竹内まりやをもう少し聴きたかったとの思いもある。
(デビュー曲「戻っておいて私の時間」のテレビ出演時)
https://www.youtube.com/watch?v=jmIEgAF8Lxk

「Natallie」では西海岸風の音とともにヒロインのサクセスストーリーとそこで失った何かが描かれる。そして彼女の英語の発音(音楽ではなくて)に癒されるというおまけ。そこに「しあわせって何?」という彼女の自問自答を含んでいた(深い)。

ぼくがもっとも好きなのは「ウェイトレス」。わずか3分ばかりの佳品はトライアングルで開始を告げる。まりやの声が「微笑みに見とれてたら葡萄酒を注ぎそこねた…」と独白する。ここは海に近いホテルのパティオ。彼女はウェイトレス。短編ドラマの叙情を漂わせる作詞はまりや、曲は達郎。ハーモニカの間奏のあと時間が流れるとハッピーエンディングへと導かれる。静かなエピソードの愛らしさ。そしてボーナストラックではライブでも収録されている(MC入りの悶絶もの)。

「 Special Delivery ~特別航空便~」ではその場に居合わせた大人が外国の子どもの声帯を真似て「サンタクロース…」とうたっているとか。ここでも幸福の本質がまっすぐに見える。

アルバムを締めくくる「ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~」。回想の冬のまちなみ、17歳のまりやさんの後ろ姿が見えるような楽曲。切なくもなつかしい一ページが閉じ込められたノンビブラートのバラード。

〔収録曲〕
ラスト・トレイン
Crying All Night Long
ブラックボード先生
悲しきNight & Day
僕の街へ
雨に消えたさよなら
リンダ
イチゴの誘惑
Natalie
ウエイトレス
Special Delivery ~特別航空便~
ポートレイト ~ローレンスパークの想い出~
ウエイトレス [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Natalie [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Special Delivery ~特別航空便~ [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
Crying All Night Long with/伊藤銀次 [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
ラスト・トレイン [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]
リンダ [LIVE Ver.] [Bonus Tracks]


添付されたライナーでは楽曲ごとの録音の背景が解説されている。


追記
リマスターの音についても触れておこう。
アナログと比べても低域の抜け感がずばらしい。
(ご主人の息がかかっているよね)
土台のクリアな安定感はデジタルならではで
声が空間に浮かび上がる。
(帯域は広げておらずそれが中域の密度感を損ねない)
中高域は自然に粒立たせているがこれはアナログが優るかもしれない。
(イチゴの誘惑のキーボードの落ち着いたきらめきはリマスタリングの成果かも)

追記2
お会いしたことはないが
竹内まりやさんは人生を迷わず意思決定をしながら生きている感じがある。
人に媚びないが尖っているのではなくそれが自然体。
アイドルのような登場からこの5作目のアルバムまでわずか数年だが
時勢を味方にやれることをやったという満足感があるのではないだろうか。

InstagramerやFacebookerは誰かに承認を求めるが
それがないと生きていけないのは幸福とは言えない。
まりやさんは誰かと比べない世界観を当時から漂わせていた。
自分を輝かそうなど必要がない、あなたはあなたらしければいいの―
そんなメッセージが聞こえてきそう。
リラックスした歌い手に聴き手も浸れるのだ。
(いまの時代にはこんな音楽が生まれてこないのは時代を映しているから)
日本が世界のリーダーをめざして走っていた時代、いまからでも遅くないと思う。

追記3 
NHKの紅白歌合戦に初出場されるようだ。
https://www.mariya40th.com/news/20191122.html
(ここ数十年見たいと思わなかったが見てみようかなと)
posted by 平井 吉信 at 12:12| Comment(0) | 音楽