2019年12月28日

ベートーヴェン第九 フルトヴェングラーのウィーン盤を聴く


ベートーヴェンは音楽の革新者である。
第九は当時の音楽の革新であり壮大な実験であり
それでいて美しく力強い。
没後二百年が迫ろうとしているが
彼の作曲した第九交響曲の人気はますます増しているように思える。

第九といえばドイツの指揮者フルトヴェングラーの1951年に録音されたライブ盤(バイロイト盤)が人々の記憶に刻まれている。
二十代の頃、このレコードを聴いたぼくは雷に打たれたような震えを感じていた。
なんと深い、そして優美、それでいて人間の感情が込められた音楽だろう。

音源はモノーラルで鮮明ではないが
音の実在感はひけをとらないばかりか
音楽の実在感がすばらしいのである。

近年になっても新たなライブ音源(あるいは別テイク)が発掘されている。
きょう始めて聴いたのは
1953年のウィーン盤である。

イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
ロゼッテ・アンダイ(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
パウル・シェフラー(バス)
ウィーン・ジングアカデミー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)

録音時期:1953年5月30日
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:モノラル(ライヴ)
【オットー・ニコライ演奏会(同年1月23日の繰り延べ演奏会)】
Produced by Epitagraph(原盤:エピタグラフ)


この盤が世に出たのは2009年であるが
今回の高音質盤が出たのは2019年4月のこと。
きょうまで封を開けずにとっておいたもの。

聞き終わった感想は?
文字に書けない―。
それでは伝わらない。
だから書く。

バイロイト盤との違いは
ウィーンの引力でベートーヴェンがローカライズされた感じ。
(ベートーヴェンは私たちの音楽なのよ、こうするのよ)
親密で親近感があり魅惑の花が咲きこぼれている。
(ほら、ウィーンフィルの弦が艶やかに歌ったり木管が空間に浮かび上がったり。もしかしてバイロイト盤よりオケのピッチがやや高い?)
一聴してこじんまりとしているようにも聞こえるが
それは同じ方向を向いた人々が指揮者と一体となって突き進むからだ。

第三楽章はベートーヴェンの書いた最高の緩徐楽章だが
聞く前から予想していた音の世界をさらに上回る。
バイロイト盤では天から降りてきて天に上がっていく荘厳な雰囲気に浸ったが
ウィーン盤ではもっと人間に寄り添う。
それでいてディティールの美しさというか匂いが全編に漂う。
光に誘われて地上から天上の楽園に足を踏み入れた人類の逍遥というか
フランダースの犬の最終回で少年ネロが昇天して天国で親しい人と再会してみたされるというか
神に導かれて音楽と絵画と詩の区別がない理想郷で魂を抜かれてしまいそうだ。
ところが突然の金管の咆哮(警告)で、また地上に呼び戻される歩み。
完結しない和声が終楽章(合唱付)への導きとなっている。

終楽章はぼくはバイロイト盤が好きだ。
寄せ集めのオーケストラと言われるが
(縦の線が合わないとかコーラスの入りが遅れる箇所とかある)
多様な価値観(オーケストラ)が認め合いながらひとつになろうとする刹那ではなかったか。
戦後間もないドイツでフルトヴェングラーが音楽会に復帰してまもない頃
ドイツ民族にとってバイロイトでの演奏がどんな意味を持つものであったか。
「歓喜に寄せて」というシラーの詩とベートーヴェンの人間性と
フルトヴェングラーやこのときの関係者の気持ちが同一化した希有の場面が残されている。
(最善の録音環境ではなかったから、このバイロイト盤をよりより音で響かそうとする試みが2019年末になってもさまざまな手段やリマスターでの発売が絶えないのはそのためだろう)

人類同胞が心を寄せて演奏するのに完璧な演奏は求める必要がない。
それゆえ人々が寄り添おうとする心がベートーヴェンの精神のようにも思える。
独唱もぼくは神々しさを感じるバイロイト盤が好きだ。
(ウィーンはそれだけまとまりがよいのだ)
そう、そのまとまりの良さで
熱狂と精妙を両立させながら最後は途方もないテンポに加速して
一糸乱れず昇り詰める心意気はウィーンの名人芸。
熱狂する聴衆の力を借りてウィーンフィルがともに作り上げた芸術だろう。

しばらくは立ち上がれないと思ったが
意を決して文章を書いた。
年末だからベートーヴェンではない。
生きているからベートーヴェンを聴くのだ。

追記
フルトヴェングラーの指揮の様子が断片的に動画として残されている。
優美や幽玄と熱狂が同居するその姿は岡本太郎がいう「美」に近い。
誰かに見せようとしているのではない。
指揮する姿がすでに絵になっている。
若い頃、物憂げに遠くを見るような目をした少年は女性を虜にしたかもしれない。

ベートーヴェンの作品で例えば作品101のピアノソナタを耳にすると伝わるものがあるだろう。
愛する女性への憧れが漂うな楽曲、それでいて全編を覆う切なさ、その裏返しの寂しさ―。
それでも音楽は前を向いて進もうとするのだ。ベートーヴェンならでは。
https://www.youtube.com/watch?v=-EGZUJnPHvQ

フルトヴェングラーのベートーヴェンには熱情と寂しさがある。
(それなくしてベートーヴェンの音楽は再創造しえないだろう)
今日では彼の解釈が古い箇所があるといわれたとしても
表現の持つ真実はいささかも失われていないばかりか
2020年を迎えようとしてますます輝いているようにも見える。
それは人間の人間による人間のための音楽であったからではないか。

フルトヴェングラーの音楽の呼吸は深い。
禅の吐く息のように細く長くつながっている。
ピアニシモでは張り詰めた糸を引くような
痛切な憧れを秘めたような音色を出す。

そして音楽が押し寄せるような(例えば「英雄」の第一楽章のように加速しながらなだれこむ)フォルテ。
それはふくよかな厚みというか、鋭いというよりは沈み込む重さというか。
単に協奏強打させているのではない。

これはオーケストラがどこであってもそのような音を引き出せるようだ。
楽団員が練習しているときに、彼が練習場に入った途端
温色が変わったことを目撃している関係者が多い。
ある種の超能力にも似た意思疎通の深い領域へと入り込めた人ではないか。
そしてそれをすべて芸術のために使った人ではないかと。

バイロイトの第9は数多く発売されているので
迷わないようよう1種類上げておこう(EMI正規版で一般向きするもの。同じ演奏だが、音質がやや異なる)
https://amzn.to/2SzQ03k




posted by 平井 吉信 at 21:51| Comment(0) | 音楽

2019年12月27日

かかりつけの先生と楽しむ会話


ここ二日は体調がもっとも悪かった。
熱を測ると39度近い。
(いつもはそれぐらいでも自宅でできる仕事はやっている。高熱には強い)
ところが両日とも朝から夜遅くまでぎっしりとスケジュール。
どちらの日にも夜は長時間のセミナーがある。

人前に出るため合間を見てインフルエンザの検査はしておいた。
幸いにも陰性だった。
(キャンセルできない仕事だったのでインフルエンザだけは避けられてよかった。せっかく来ていただける方々のために最善を尽くしたい)

二日目の午後の早い時間から気力だけで仕事をしている感じ。
その夜のセミナー(10回シリーズの最終回)で誰にも悟られないようにふるまったが
お一人の女性の方が近づいて「きょうは顔色がお悪いですね」と気付かれた。
(このとき38.8℃ぐらいだっただろうか)

二日間の強行日程を終えて三日目の朝にかかりつけ医に駆け込んだ。
前日の晩はほとんど寝られないほど苦しんだ。

実はこの患者、自分の症状から病名はほとんどわかっている(つもり)。
(高熱ではあってもインフルエンザでないのは検査を受ける前からわかっていた)
実はかかりつけの先生も患者の特性を理解されている。
(先生も椅子に背伸びをしながらリラックスされて会話を楽しんでおられる)
主訴を整理して(5W1Hに順序立てて)お伝えすると
こちらが出題するような感じとなる。
会話がカンファレンスのようになって病名が絞りこまれていく。
先生はにこやかに検査と措置を決めて看護師に指示を出す。

点滴を受けてベッドで休んでいると
先生が血液検査の結果を持って現れた。
「白血球の値がやや高いですね」
(ああそうか、抗生物質を処方されるのだな)
「三日間出しておきましょう」
忘年会のシーズンなのでどんなに気を付けてもありますよ、
と先生は笑う。

徳島近郊には食生活という根源から心臓病の治療を行う心臓クリニックなど
自宅の近くには現代の赤ひげ先生はいらっしゃる。
(実は徳島県は人口当たりの医師の数は全国一という恵まれた県である)
かかりつけの先生は薬漬けの医療を行う方ではない。
抗生物質も適量を守ればもちろん有益ではあるけれど
漢方薬を使われることが多い。
(漢方薬は対症療法ではないが症例と合えば速効で効く)
そこで、抗生物質以外に何を処方されるかを心のなかで描いてみる。
投与された薬を見ると予想はほぼ当たっていた。

近所の先生なので身元はばれているし身内もばれている。
(義弟は世界的な医薬品メーカーのMRでかつてこちらを担当していたこともある)
先生も遠慮がないし、こちらもお慕いしながらも茶目っ気を持って接している。
(症状の説明に専門用語を使う患者はいないでしょ)

点滴を受けている間に診療所は昼休みに。
先生と看護師たちとの屈託のない会話が大声で響いている。
(いや、診療中だって同じ。そこがいい)
いつもいつも病人ばかり診ているので気が滅入ってしまう。
それをコントロールするための明るい雰囲気が定着している。
医師とか僧侶とかの職業は明るくふるまうことは自己防衛でもあるのだ。

医学の世界も日進月歩で新たな治療法や診断法が見つかっている。
知識をアップデートすることにも熱心な先生で
学会に参加するために本人は休診で別の通いの医師が診られていることもある。

かかりつけの診療所は
外観が新しいわけでも最新鋭の設備があるわけでもないとしても
患者が絶えることがない。
前夜あれほど苦しんだ症状がほとんど消えて
いまはブログを更新している。

健康なときは身体のことを忘れている。
病気になればそのことを受けとめる。
そこには何の価値判断も不要。
(遍界かつて蔵さず)
ただ感謝あるのみ。



posted by 平井 吉信 at 21:09| Comment(0) | 生きる

2019年12月22日

お城下のリゾート 大滝山のふもとに黄花亜麻が咲いた

徳島お城下の象徴、眉山の北部界隈を大滝山という。
由緒ある神社仏閣が集まっている区域で
実は徳島市の隠れた観光地ではないかと思っている。
DSCF8617.jpg

大滝山は風光明媚な場所でもあり
滝の焼き餅という素朴な菓子を販売する茶店が開いている。
DSCF6143.jpg

和田の屋本店は大滝山から流れ落ちる滝が
店の庭を通過していくという立地にある。
DSFT6131.jpg

DSCF6140-1.jpg

気取らないお店でありながら
つくりものではない風情の持つ落ち着きがいい。
和田の屋さんにはもうひとつ冬の風物詩がある。
それはモラエスも愛したとされる黄花亜麻。
これからが満開を迎えて見頃となる。
DSCF8621-1.jpg

DSCF8632-1.jpg

DSCF0297-1.jpg

DSFT613812-1.jpg

DSCF6140.jpg

花を目当てに、そして甘味処をいただいて
しばりごゆるりとお過ごしになるのも一興。

(ここは山奥ではなく街なか。阿波おどり会館から歩いて5分程度)
posted by 平井 吉信 at 21:55| Comment(0) | 徳島

生姜は生姜、お菓子はお菓子と思っていたけど、生姜がお菓子に生まれ変わってもっと生姜になる


生姜とお菓子というと素朴な感じがある。
洋の東西を問わず昔からつくりつづけられている定番のお菓子。
でも食べる前から想像が付くという感じがあって
特に新鮮な驚きはないという感覚。

ところが生姜を使ったマフィンをいただく機会があって
その仕上がりに書きたくなったのだ。
DSCF8564-1.jpg

その店はこのブログでも何度か紹介している店で
金曜午後のみ営業の菓子店。
howatto(ほわっと)徳島のシフォンケーキとビスコッティ=旬の素材の焼き菓子専門店
https://www.howatto.jp/

販売と同時に売り切れることもあるらしいが
客足の落ち着く午後3時ぐらいを見計らって店主の伊豆田裕美さんに伺ってみた。

自宅の畑でお母さんが育てている生姜を使っているとのこと。
ご存知の方もいらっしゃるだろうが
一般的な生姜は大量の農薬を使って栽培されている。
家庭でつくるにはなかなかハードルが高いのだ。
ところが小さな規模で土を休ませながらつくると
農薬不使用でも立派な生姜はできる。
この生姜を使っている。

まず素材そのものの力がある。
生姜のぴりっとする感じが強い。
これを菓子にしたらどうなるだろう。

ご本人もブログでこう振り返っている。

生姜のやや刺激のある辛さを砂糖で抑えきることはめざしていません。
まずほのかな甘みがあって、これはおいしいって感じていただけると思うのですが
さらに舌の上でぴりっと感じる生姜らしさが持ち味。
素材の持つ意味を翻訳して、菓子のバランスに気を配りながら
おいしさに変えるのがhowattoの使命と感じています。
だから、ぴりっとが特徴でも甘さが目立つのでもなく
生姜という主人公をお菓子という舞台で再生させてみる―。
そんなお菓子ができました。


これらの生姜がジャムになり
紅茶とスパイスでチャイシフォンになり
今回いただいた香ばしいマフィンになる。


火を入れると生姜はその性質がおとなしくなり、
一緒に入れたバターや小麦と相まっていっそう香ばしくなる。
生姜の菓子は生姜の風味が支配してしまいがちであるが
伊豆田さんの菓子は生姜の個性が鮮鋭になっていながら
むしろ生地のおいしさを引き立てる。

地元の素材を活かす、というのはどこの菓子店でもうたい文句にしているが
一度伊豆田さんのを食べてみれば素材の真髄を活かすことの意味が見えてくる。

それは素材に覆い尽くされず
素材の良さを抽出して(良さを先鋭化して)
元の生地の良さをさらに高い次元に上げるという試み。
(これまでも栗の渋皮煮をはじめ、地元の素材に光を当てておられた)
DSFT8975-1.jpg

ここでも生姜風味に支配されずに
生姜の存在を浮かび上がらせた希有の菓子なのだ。
残念ながら2019年の販売は本日の午前で終了らしいが
来年の営業開始日に足を運んでみてはいかがだろう。


タグ:howatto
posted by 平井 吉信 at 11:01| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2019年12月21日

週末の朝を野菊を見ながら迎えたなら


冬のひだまりは北西の風をしばし除けて
朝のひだまりを用意してくれる。
DSCF8640-1.jpg

DSCF8646-1.jpg

DSCF8657-1.jpg

DSCF8652-1.jpg

DSCF8660-1.jpg

DSCF8692-1.jpg

花に顔を近づけて香りを嗅ぐ。
沈黙を破って風が吹いても
ざわめきはいつか止む。
posted by 平井 吉信 at 23:40| Comment(0) | 家の庭

2019年12月15日

360度の夕焼けを見たことがありますか?


生涯にそう見られるものではないと思うものが
全天を深紅に染めていく夕焼け。
ぼくが最初にして壮麗なのを目撃したのは
世界第二といわれるラグーン、ランギロア環礁にて。
それは東も西も上も下もない一面の深紅に染まる世界が訪れたとき。
宿で借りたMTBで周辺を散策していたのでカメラを持っていなかった。

先日、出張で四万十市を訪れたとき
黄昏にさしかかった大方浮鞭海岸で遭遇したのはこんな光景。
DSFT6549-1.jpg

DSCF8504-1.jpg

おそらくは大気を斜めに通して見るような大気の構造のとき、
つまりは上空の大気が不安定なときに現れるのではないかと。


それから数日して南阿波サンラインの夕暮れ。
風も少なくおだやかな午後が静かに暮れていくと
こんな感じ。
DSFT6758.jpg

特に取り立てて見るほどでもない夕暮れ。
けれどそんな夕暮れを迎えるとき誰の心にも安心や安堵が顔を覗かせているはず。
そこから生きる意義が見えてくる。
いまこのときに価値判断を下さないでただ受け止めればいいという。
posted by 平井 吉信 at 13:17| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年12月13日

出張から戻ってくると地元の飲食店に立ち寄りたくなる


まずはチェーン店から。
餃子の王将小松島店では、
チョイスセット(ご飯とニラレバもしくは酢豚、スープの組み合わせ)を選ぶ。
これで600円ぐらい。
RXM01883-1.jpg

量を食べたい人が注文しているのは小松島セット。
RXM02179-1.jpg

厨房に活気と手際の良さがあり、いつも混み合うが足を運んでしまう。
(FCでも味が違うのはご承知のとおり。小松島店は客の入りが証明している)

松屋 常三島店(徳島市)

12月に入って「創業カレー」というのが売りに出されたので
徳島I.Cに乗る前に立ち寄ってみた。
これはいい。
限定のごろごろカレーは程良いピーク感をもたせたメリハリ型だったが
DSCF3548-1.jpg
カレーの王道を行くなめらかさ、そして後味の良い輪郭感(スパイス)。
大盛りが590円で売られている。みそ汁もついてくる。
(カレー通と普通のおいしいカレーを求める両方に受けそう)
RXM02122.jpg

牛鍋膳
RXM01214-1.jpg

創業ビーフカレギュウ
RXM02228-1.jpg

コメダ珈琲店
居心地の良さは格別の店
DSFT1322-1.jpg

DSCF6380-1.jpg

コンビニのイートインで勉強する子どもをよく見かけるようになった。
行くところがなくて地方の駅周辺でたむろしている学生が多いということを
あちこちのまちの役場で聴いた。
もしサードプレイスというコンセプトがあったら
この店がもっとも近いだろうなと思う。
RXM01857.jpg

続いて地元の単独店、個人経営のお店から。
まずは、讃岐うどんしろちゃん(小松島市)

昨年創業された若い店主城田さんが開いたうどん店。
まじめでこつこつのお人柄。
ここでは店主の思いの籠もった天ぷらもしくはイカを付けるのがおすすめ(うどんとは別皿)。
RXM01512-1.jpg

DSCF8868-1.jpg

イカは日本海産でやわらかく味が濃厚。
ていねいな旨味の詰まった出汁とデンプンがアルファ化したやわらかいうどん。
(堅い麺にしょうゆをかけて食べるスタイルはおいしさを感じない。やはりうどんの真打ちはかけうどん。10分どん兵衛に通じる世界観)
注文を訊いてから茹でるので最低でも20分はかかる。そこがいい。

桃李(阿南市)
DSFT0803-1.jpg

DSCF3918-1.jpg

直心庵(石井町)
コメントの要らないおいしさ。会社の食にかける熱意の賜物。
「季節のそば」
RXM01586-1.jpg

定番の天せいろ
DSCF4640-1.jpg

街の食堂 大地

元気で快活なマスターの声が聴きたくて毎週通っているランチ。
北海道のジャガイモを使ったコロッケが売りだけど何を食べてもおいしい。
RXM01025-1.jpg

RXM02220-1.jpg

RXM02224-1.jpg

RXM02217-1.jpg

朝昼ときどき晩ご飯Door
徳島の食材を把握して深めていているのは曽谷さおりさん。
生産者から直接調達した地元食材を使った定食がいい。
RXM02245-1.jpg

DSCF1107-1.jpg

店名の由来となったアンティークなドアをあしらった壁面
RXM02264.jpg

オサンポカフェ
ドラマに出てきそうなお二人が奏でる居心地の良さ、
そして誠実でていねいな手料理にほっこりする
DSCF0304-1.jpg

DSCF0833-1.jpg

みなみ食堂
日和佐の薬王寺前に開店されて2年。
以前にもご紹介してアクセス数の多いコンテンツとなっている。
DSCF9143-1.jpg

DSFT2377-1.jpg

RXM01390-1.jpg
みなみ食堂さんは数日前に予約して夜のコースも楽しまれてみては?
心地よい時間を過ごすことができるはず。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご紹介できたのは一部に過ぎないけれど
すべての飲食店さんのご繁盛をお祈りいたします。
小松島のお多福食堂さんはその後どうだろう?
山盛りのキャベツとトンカツのコク、心からの満足感を味わった地元の名店。
DSCF7303-1.jpg

DSCF7304-1.jpg

DSCF5712-1.jpg

ご当地のおいしいものをいただく出張もいいし
地元の飲食店もいい。
おいしい店って気取らない。
料理に見映えは要らない。盛り付けは飾らないほうがいい。
(おしゃれな店での飲食は遠慮したい。「入ってもいいんですか?」と訊ねてしまう)
だからついつい気取らない店に行ってしまう。
(清潔感がある店内とお人柄が好きで)
posted by 平井 吉信 at 12:21| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2019年12月09日

きょうも朝が来た


東から差し込める日の光を浴びて
きょうも庭の野菊が咲いている。
DSCF8456-1.jpg

DSCF8433-1.jpg

DSCF8441-1.jpg

DSCF8419-1.jpg

このいまが奇跡の時間。
無常(移ろいゆく世界)が常の世の中で
たったいまだけが手が届く。
過去でも未来でもない今このとき。
そこに幸福があふれだしている。
(そしてそれは誰にでも)

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
posted by 平井 吉信 at 11:38| Comment(0) | 家の庭

2019年12月08日

庭の野菊が満開に


先頃つぼみがふくらんだと思ったら
朝の陽光を浴びて満開に。
DSCF8396-1.jpg

DSCF8385-1.jpg

毎年愛でているけれど飽きることがない。
それどころか朝起きるのが楽しみなのは
朝の光を受けて輝く野菊を見たいから。
それ以上の暮らしがあるとは思えない。
DSCF8401-1.jpg

(フジX-T30+XF35mmF1.4 R)
花はほとんどこれで撮る。高解像度一辺倒のレンズでは得られない立体感とやわらかさ、そのなかに解像度を偲ばせてはいるが、ぼくの脳内にはこのレンズがビルトインされていてどんなふうに写るか見えてしまうのだ。
posted by 平井 吉信 at 23:21| Comment(0) | 家の庭

北の脇の南端 そこに自然石のご神体の神社がある


夕暮れの北の脇を散策していて南端へ足を伸ばしてみた。
DSCF8277.jpg

途中の岩場にはツワブキやアゼトウナの群落があった。
DSCF8295-1.jpg

DSCF8299-1.jpg

すると渚へと通じる散策路があった。
しばらくたどると神社の境内に遭遇。
2つの神社が同じ敷地に合祀されているような。
ひとつは山神神社と読める。こちらには神社の建物がある。
DSFT6515-1.jpg

もうひとつ石版に刻まれた名称が読めない。

もうひとつは北の脇の崖へとつづく岩肌に安置された社。
大木の茂みが陰を落としてそこから奥へと導かれるような雰囲気。
むしろこの岩がご神体のような。
DSFT6510-1.jpg

DSCF8307-1.jpg

DSCF8313-1.jpg

この世とあの世をつなぐ接点のような場所にも見える。
この神社の名前も由来もわからない。

posted by 平井 吉信 at 23:01| Comment(0) | 里海