2019年06月25日

平成流行スイーツ 100円のスイーツにも5分のやすらぎ


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不二家のWebサイトから以下に引用
平成に流行したスイーツを思い出し、懐かしさを感じることのできる、4種のアソートチョコです。。ティラミス、クレームブリュレ、マンゴープリン、生キャラメルをイメージしたクリームをそれぞれミルクチョコで包み込みました。


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特売なら100円前後で買える商品だけど
限られた費用と素材を使って商品に仕上げるのは
開発者にとっては愉しい作業かもしれない。

100円のスイーツで5分のやすらぎが降りてくる。
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スペシャルティコーヒーと飲んでみるのもいい
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手煎れのコーヒーで時間の流れを変えてみる。
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カフェインが苦手なぼくでも
コーヒーのある暮らしはいいなと思う。
posted by 平井 吉信 at 21:10| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

庭のキキョウが咲いて 


最初の開花は6月22日だった。
朝起きて庭を見ると
ぽっと一輪ひらいていた。
出かける間際だったけどカメラに収めた。
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それから数日後、
梅雨とは思えないからりとした晴れ間にさらに咲いた。
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ハチもいる
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夢のような花とのひととき
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キキョウに覆い被さる野菊、
それぞれ初夏と初冬と咲く時期は異なれど
それぞれの存在感を全身で伝えてくる。
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庭のキキョウがこの夏も咲いている。
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posted by 平井 吉信 at 11:43| Comment(0) | 家の庭

2019年06月23日

文化の森の彩雲


文化の森へ行こうと西の空低くに彩雲が出ている
急いで文化の森まで行って車を停めて
園瀬川を見下ろす橋まで駈けていく
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彩雲はほんの数分、場合によっては数秒のこともある
そこにはいつもの西の空
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海部川支流の休日 徳島で生きることの意味を語っていくこと


用事を済ませてぼちぼち出かけることにする。
行き先は海部川とその支流。
南阿波サンラインを経由して
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昼は牟岐55ラーメンでいただく。
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母川は蛍とオオウナギの川。
南フランスの小川のような流れ。
湧き水を集めて海部川下流へと注ぐ。
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河畔林と水辺
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海部川支流へと入る。
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背景に沢を従えて
水の流れと風の流れを十文字に受ける地点がある。
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風が吹き下ろすのはわずか2メートル程度の幅の場所でしかない。
(本流と沢の交点)
ここに店をひらく(机と椅子を並べる)。
椅子に座ってうとうとするが、
吹き下ろす涼風はまちの汗や匂いを流してひんやりと。

ほとんど人は来ない。
(午後の時間で一人としか会わなかった)
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水の流れは手ですくって飲めるほど
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身の回りの植物を眺める
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フラクタル&ボタニカル(単語の使い方が間違っているけど)
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これは園芸種? ワスレナグサではない。帰化植物のオオルリソウか?
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近寄ってみるとネジバナの巧みな花の咲き方
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河畔林の豊かさが生命線
目を閉じれば森と川と同化する
例えようがない
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梅雨の晴れ間を縫ってやってきたこの場所は
数十年変わらない場所。
各地で移住促進を競い合っているけれど
徳島で暮らすことは
無数の自分の居場所を見つける愉しさと
そこに行けばいいという安らぎを誰かと分かち合うこと。
山からのミネラル豊富な野菜や魚をいただきながら生きること。
心身の健康が幸福への前提となって
誰かを支え支え合う実感を持って生きていくこと。
(自助努力は大切だけど足りない貯蓄だけ見ていても解決しないよ)
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無理やり「バズる?」動画でアピールして
補助金やら支援金やらの特典を付けないと来てくれない場所ではない。
問われているのは情報発信ではなく
地元で生きている人たちの理念と暮らし方。
そこには汲めども尽きることのない泉がある。

自分探しをするのではなく、居場所探しをするのでもなく
人生に8個か9個あるワンクールのひとこま。
いまそこでできることを積み重ねていければいい。
だから、徳島、四国で生きる意味を探しながら生きてみませんかと
このブログでは語り続けている。

休日っていいな。
また生きていく力が湧いてくる。
タグ:海部川
posted by 平井 吉信 at 14:30| Comment(0) | 生きる

足りない年金でも現実に足を付けてできることがある(循環的な生き方、第二の起業)


金融庁の報告書は楽観的
6月21日付の徳島新聞に
社会保障と税を研究されている西沢和彦さん(日本総合研究所調査部主席研究員)のコラムが掲載されている。また、同日付でさらに詳しい内容がダイヤモンドオンライン(https://diamond.jp/articles/-/206310)にも掲載されている。

不足額の試算にはマクロスライドが織り込まれない楽観的なシナリオで、
公的年金の一定の限界を見据えて長寿社会での環境整備を考えるべきとしている。
その場合、支出と収入の差額(家計の赤字)は月5〜6万円ではなく
年々拡大していくとしている(予測というよりは前提)。

それを考慮すれば必要な貯蓄額は
老後(年金生活)を20年とすると1,700万円、
30年とすると2,800万円不足となる。
国民年金のみ加入者や単身の高齢女性はさらに必要となる
(ぼくの試算では国民年金生活者は7千万円の貯蓄が必要)。

報告書に批判が向けられるとするなら、
不安を煽っているのではなく、
無責任に楽観的な数字を挙げていることとしている。
ぼくも同意見である。
このまま行くと、政府の説明とは裏腹に
貧困にあえぐ高齢者が続出することが確実となる。

公的年金だけで賄えないことが露呈しているので
金融庁の報告書でも株式投資など資産運用を奨めている。
しかし将来に不安を抱える国民が多数を占める国で株価が上がる要素がない。
個別銘柄への投資はミドルリスクハイリターンの可能性があるが目利きが問われて一般的でない。

人生はお金のために生きるのではない、という原点に立ち返ってみる。
お金は暮らしに必要な大切なものでお金は必要である。
ならば、人生を愉しみつつ収益を確保することで
年金や資産運用に依存しない暮らしを確立すればいい。

資産運用の問題だけでない
10代後半の頃
大学→ 就職→ 結婚→ 退職(年金生活)→ 人生終了という
直線的な生き方に疑問を感じて、
まずは出発点を変えてみようと大学を受験せずに独学で勉強する道を選んだ。
もっとも高校卒業時の成績が進学校とはいえ400人中380番であったので
進学の選択肢もなかったのだけれど、
自分のなかでは進学を諦めたのではなく
独学で一生勉強する人生を選んだのだと思っている。
(学年1位になった教科が複数あることは事実だけど)。

好きな本を読むのは時間を忘れるぐらい愉しい。
勉強は好きだが受験対策の勉強という動機ではないので
何十年経っても忘れない。
自分の意思ではなく流されていく人生(それも悪くないけれど)と
好きなことをやりたいときにできる人生では、
どちらを選びたいですか?
(価値観を押しつけるつもりはないけれど)

当時もいまも変わらないのは10年を一単位として
やりたいことをやってみてうまく行けばもっと伸ばし
うまく行かなければ舵取りを変更すればいいと思っている
(10代の頃の文章に「循環的な生き方を選ぶ」などと気取って書いてある)。
できるだけ長く生きる、できれば百歳まで仕事を続ける、とも当時書いてある。
そう決意するとやるべきことは着手して、やらないことには手を付けないようになる。

ゴルフは一度もしたことがない(森を散策するのが好きな人間はしない)、
付き合いの飲み会は行かない(それが愉しいとは思えないし表面的な付き合いは避けたいので)、
食生活には気を付ける(高校のときの体型、体重はほとんど変わっていないし、陸上の経験はないけれどいまでも100メートルを12秒ぐらいで走れそうな気がする)。
タバコは1本も吸ったことがない(だから味覚が生きている。このことが仕事=収益にもつながっている)。
(ゴルフやタバコをしないだけで生涯に1千万円程度は違って来るでしょ。ビールも飲まない)
禁煙に取り組まない職場はこちらが見切って辞めた。
SNSは仕事と人生の生産性を下げるのでやらない
(そうでない人もいるけれど、ほとんどの人は?)
自分のモノサシがあれば「すること」「しないこと」が明快になるので
生き方は簡素で迷わない。

国民年金受給者の足りない金額
国民年金の受け取りを5万円、
必要な生活費(金融庁試算にはない修繕費、旅行や慶弔費まで含めよう)を月額30万円と仮定すると
(楽観的でなく現実的なシナリオ)
年金で30年間暮らすのであれば25万円×360か月=9,000万円必要となる。

国民年金受給者とは自営業者と仮定して
退職金をつくるために小規模共済へ加入することで
退職金を2千万円程度はつくることができる。
(国の制度で中小機構が運用している)
これで不足額は7千万円程度となる。

次に見直すのは生活のあり方。
現役時代のように頻繁に外食に行くこともなければ付き合いの支出もなくなるので生活費を20万円、予備費として5万円の25万円に絞る。
すると元の不足額が7,200万円になり退職金での充当2千万円を控除して5,200万程度となる。
これでも大多数の人にとっては絶望的な数字である。

生き方の視点を変えてみる
心を落ち着けてみる。
いま流れゆくとき、呼吸の一つひとつが生きている証しであり
そのなかでお金に執着することが意味があるとは思えない。
心静かに暮らすとき、不足する年金に怯えるのではなく
別の生き方が見えてこないだろうか。
そもそも無職で30年も過ごす生き方って幸せですか?
誰かの役に立って感謝されながら
その対価としてささやかなお金をもらいながら暮らしてみてはどうですか?
と問いかけてみる。
例えば月収15〜20万円の仕事を自分でつくってみる
(これはサラリーマンを退職して起業する人にも当てはまる)。

身の回りを観察すると
世の中に必要とされる役割がありながら
経済合理性一辺倒の社会で消えていったものが数え切れない。
また、社会が変化すればするほど、それについていけない人が出てくるので
新たな潜在ニーズが渦巻いて生まれていく。

ぼくは料理をするので包丁を用途に応じて使い分けている。
包丁は自分で研いでいる。
粗めの砥石と仕上げの砥石で1本あたり数分で研ぎ上がる。
誰に教わったわけではないが、根元と先端では本能的に確度を変えて研いでいる。
これで1か月程度はだいじょうぶ(プロの料理人のように毎日研ぎ上げる必要はない)。
ところがある日、一本の包丁の木製の柄が朽ちて刃が取れてしまった。

調べてみると県内に包丁専門店は12店舗しか見当たらない。
(廃業されている事業所もあるかもしれない)
幸いにも歩いて行ける距離に専門店があり、
350円(工賃材料込み)で新しい柄に付け替えてもらった。
店主は70代後半の方とお見受けする。
部品である木の柄に刃を差し込んで金槌で数回柄を叩くだけ。
接着剤も使わない。
これで大丈夫ですか?と尋ねたら
抜いてみなさい、と笑っていた。
技術があれば瞬時に解決できるのがプロの技だけど
この道数十年でなくても数日弟子入りして技を覚えれば
店の後継者となることも可能だし
自宅兼包丁研ぎ包丁トラブル解決の専門店として
WordPressベースのWebで年額数千円で情報発信も可能である。

70歳からの起業 もしくは85歳まで現役で続けられるやり方
このように必要とされる役割、社会に貢献できることで
自分ができそうなことを見つけて
70歳からの仕事として取り組めれば足りない年金をカバーできる。
この例では、包丁研ぎをワンコイン(500円)として
1日10人の来客を確保して20日程度の営業日で対応すれば
10万円の収益となる。

これまでの専門店との違いは体験による啓発を行うことである。
包丁を研げば料理が安全になる、おいしくなる、
正しい包丁の使い方や使いこなしを教えてもらえる―。
これまで包丁専門店に足を運んでいない顧客層を開拓できることになる。
一生ものだよ、と言って数千円の包丁をお分けして
そのメンテナンスを続けていくビジネスモデルも可能だろう。

内山節さんの視点
本日(6/23)の徳島新聞に内山節さんのコラム(いつも日曜に掲載される)が載っていた。
「人を貧しくする政治」とタイトルが付けられている。
縄文時代を研究する知人から聞いた話として
縄文時代の人たちは深い精神性を持っていたという。
それは生きるために働く割合が低かったため。
豊かな自然があってそこから少しいただくだけで事足りた。
当時想定された作業を学生たちにやってもらったところ
一日4時間程度の労働で事足りた。
生きるためにあくせくしない縄文人は
深い精神性を持っていたはずという。

ところがいまの日本では
生きるための道具に過ぎないお金のはずが
お金のために働き、
お金のために貯蓄や投資をすることを仕向ける政治への疑問を投げかけておられる。

岡本太郎の縄文土器の写真を見たことがきっかけとなり
縄文時代は日本の歴史でもっとも進んだ時代であるばかりか
世界的に見ても希有な持続可能な生活を送っていた時代と考えて
20代のぼくも三内丸山遺跡を訪れるなど
若い頃から縄文への畏敬の念を持ち続けている。
(このブログでも縄文をテーマに度々書いている)

30代の頃、内山節さんの「森にかよう道」などの著作を読んで共感したので
講演会ができないかと模索したことがあった(結局はできなかった)。
今回は徳島新聞主催で2019年7月13日に開かれる。
無料だが申込制となっているので6月28日必着で応募をということである。
https://www.topics.or.jp/articles/-/212338

社会に横たわる潜在的な需要を見つけて自分ができることを重ね合わせる
社会に必要とされていて大手が参入しない領域であって
地域の役に立って対価が得られる作業を趣味の仕事として磨いていけば
月収10〜20万円程度は十分可能である。
しかもそのための労働時間は一日半日程度で事足りる。

退職後の起業(第二、第三の人生)として
20年間で4,800万円の収入を得ることは十分可能である。
残りの人生は精神的な人格の形成や若い世代の手助けに回ることで
自らも歓びが得られる。

上記は一例だが、それぞれが実行可能な取り組みがあるはずである。
そのための考え方や方法論を問題提起しつつ啓発するための
Webサイトを立ち上げた。
今後コンテンツを充実させていきたい。

「おだやかな経営」
https://www.odayaka-keiei.com/

「おだやかな経営」は、国に頼らないで生きていく着眼点でもあるけれど
同時に誰一人落ちこぼれない政策を求めていきたい。
また、心身の健康を保つことが人生の前提となるので
それについても深めていきたい。

追記
徳島県海陽町の海部川流域の山懐に城満寺という禅寺がある。
https://tabi-labo.com/286004/jomanji

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由緒ある寺を継いだ若いご住職の取り組みに賛同している。



posted by 平井 吉信 at 12:13| Comment(0) | 生きる

2019年06月16日

菖蒲を見に那賀川町まで(那賀川町の住友菖蒲園)


県南部へ行く際、5月下旬から6月中旬に
国道55号バイパスを通ることがあって
菖蒲の花を見たいとき
個人の方が期間限定で一般開放されている場所があるという。
http://www.anan-kankou.jp/docs/2016051600012/

車は神社の境内が臨時駐車場として設定されている。
女性を中心に閲覧者が次々とやって来られている。
(どちらに向けても人が入りそうでお顔をはずすことが難しい場合はトリミングしている)
今回は写真のみで花のたたずまいを再現してみた。

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(ここまでがフジX-T30+XF35mmF1.4 R)

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(ここまでがフジX-T2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)

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(ここまでがニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR)

朱くなっていない赤とんぼが紫陽花の葉に止まっていた。
トンボに危害を加えないという気持ちで
アイコンタクトを取りながら少しずつ近づき
距離30センチ程度まで接近する。
昆虫に詳しい人には反論されるかもしれないけれど
昆虫にも好奇心があるように思う。
自分に敵対しないと判断できる他の生物を
受け容れる可能性があるのではないかと。

このトンボもこちらを警戒していないことが見て取れると思う。
羽根を段々と下げて
首を傾けて笑っているようにすら感じられたのだ。

これまで野生の動物や昆虫を撮影していて
なぜ逃げないのかを胸に手を当てたとき
そうとしか思えない。
稀少な植物(自生地の情報はまるで持っていない)についても
向こうから「ここにいるよ、見に来て」と言われているようで
いつのまにか誘われるように見つけてしまう。
愛でる気持ちで見つめている(ように写真を撮っている)。

posted by 平井 吉信 at 22:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

一足先にやってきた北の脇の夏、水に浮かぶ雲は等身大の水彩画


近場でゆっくりしたい、できれば海で、という人は
阿南市の北の脇海岸がいい。

ぼくにとっては高校(冨岡西)から自転車で行くぐらいの距離、
小学校の遠足もここ。
当時はさらに遠浅の海であった。

北の脇には無料の駐車場が2箇所にある。
海を散策する人は第二駐車場に停めて
防風林を歩いて渚に出るといい。
(もっとも海へ出るまでにこの林間のこみちをどんどん歩きたくなって海へ辿り着くまで1時間かかったりするのだけれど)
ウィキペディア(Wikipedia)には次のような記述が並ぶ。
ちょっと誉めすぎのような気もするけれど。

北の脇海水浴場
紀伊水道と遠く伊島を望んで美しい自然環境、遠浅の地形、水質、規模等の上から徳島県下有数の海水浴場である。1950年(昭和25年)以来、見能林村が脱衣所・監視所・シャワー室等の設備を次第に整え、阿南市に合併後はレジャーブームに乗り、遠くは京阪神から客が訪れる。透明度・酸素要求量等は西日本一といわれ、立地・交通条件、受け入れ体制等が完備された海水浴場である。毎年7月1日が海開きで…(略)


クロマツの林床には無数の植物が四季折々の花を咲かせる。
(いまの時期は花の端境期のようで特に目立つ花はなかった)

北の脇へは到着する前から儀式が始まっている。
見能林から海へ向かってまっすぐに伸びる道、
稲をなびかせ田を渡る風、
自転車でかけていくその瞬間の晴れがましさ。
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家々の石垣も立派だ
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北の脇へ着いたら林間の散策から
松林を風が吹いたりやんだりしながら
蝉などの虫の声、鳥のさえずり、
そして遠くに聞こえる潮騒が背景音となって
木洩れ日が明滅する。
森のこみちをたどる愉しさは言葉に言い表せない。
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植生に足を止めながら風を感じて進む。
(虫が多いので気になる人は虫除け対策を)
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やがて渚が見えてくる。
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沖合に浮かぶはイシマササユリが自生する伊島。
おだやかな表情の渚。
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海沿いの舗道は散歩する人、自転車の人なども
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海岸の南端へと足を向ける
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波打ち際まで近づいて目の高さを下げてみる
一足先にやってきた北の脇の夏、水に浮かぶ雲は等身大の水彩画
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人が多いのは海の家のある中央部
波打ち際で遊ぶ人たちの表情に癒される
(広い渚に10人程度しかいない。そもそも都市部にこんな海はないけれど、都会では考えられないこと。地元の良さは地元の人が知らないのはどこも同じかも)
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静かな砂浜に打ち寄せる波は太古から変わっていない。
ここは北の脇海岸。
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夏はそこまで来ている。
タグ:北の脇
posted by 平井 吉信 at 18:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年06月15日

天狗高原・四国カルスト 6月の薫風の森、晴れ渡る草原


四国を代表する観光地というと
まず室戸岬、次いで天狗高原・四国カルストかな。
後者は道が狭いので離合に苦労する。
だから連休中は行ってはいけない観光地のひとつ。
(関係者の方すみません。でも実際に渋滞を経験した身としては観光地の収容力を簡単に上回ってしまうのも事実なので)

四国カルストは日本3大カルストと呼ばれている。
高知県と愛媛県の県境に広がる高原状の地形に
放牧する風景が清涼感を呼んで人気となっている。

高知県津野町・檮原町から天狗荘へ上がる道は比較的楽にアプローチできる。
天狗荘からは天狗高原セラピーロードをめざす。
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水平トラバースのセラピーロードに入るつもりが
天狗高原の山頂(通称「天狗の森」1485m)をめざすルートへ入ってしまった。
しかし途中でセラピーロードに向けて降りるコース(カーレンコース)がある。
そこを通れば稜線コースと水平コースの両方が愉しめると気付いた。
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歩き出して登りに差し掛かるけれど
それほど急勾配ではない。
明るい森が歩みを快適に
しかしどんどん遅くさせる(快適さゆえに)。

すると足元の山野草が目に飛び込んでくる。
この日の主役はウマノアシガタ(俗称キンポウゲ)。
葉が細めだが花のテカリが印象的。
石灰岩質ゆえの変異(変移)かと思ったほど。
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これらはいずれも希少種だろう。
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天狗の森を目前に右折してカーレンコースへ
石灰岩の織りなす奇岩と展望が開ける
やがて樹林帯に差し掛かると森の営みへ
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天狗荘まで戻れば今度は西へ。
カルストの広々とした地形が人々の気持ちの凝りをほぐしていく。
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posted by 平井 吉信 at 00:14| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年06月14日

四万十川最上流の沈下橋 高樋橋


二十代の頃から四万十川へ通っている。
ビーチボーイズのカセットを聴きながら
国道56号線を西へと下っていき、
窪川から四万十川中流に沿っていく。
三島の瀬を下るカヌーイストを横目で見ながら
土佐大正では無手無冠でダバダ火振を購入する。
中流の広瀬(十和村→四万十町)をキャンプ地としていた。
近くの柳ヶ瀬温泉の熱い湯の感触を覚えている。

広瀬ではテナガエビやモクズガニを取りながら
夜通し若い男女が焚き火の火で語らう。
映画のような世界。
(帰路は眠気との戦い。須崎の手前ですでに渋滞が始まった。高速がない時代だったから)

仁淀川を見て四万十川上流を見て天狗高原をめざす途中で立ち寄った。
四万十川は江川崎から下流と、大野見から上流が道が狭い。
四万十川らしい里山の景色がいまも残存するのもこの地域。
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あいにくの曇りで冴えない写真だけど
思い出だけはぴかぴか光っている。
ここは四万十川最上流の高樋沈下橋。
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片思いだったあの娘も見ているかな?

追記
四万十川らしいというと下流の岩間の沈下橋だよね。
この橋も老朽化で橋桁が崩落したけどその後復旧したかな?
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タグ:四万十川
posted by 平井 吉信 at 23:37| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年06月13日

「高齢社会における資産形成・管理」(金融審議会WG)を読んで


令和元年6月3日に発表された
金融審議会 市場ワーキンググループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」が
話題となっているので読んでみた。
人生百年時代の資産形成と管理について問題提起を行ったもの。
特に不快な表現はなく、積算の根拠も示されている。
どこが問題なのかわからなかった。
これに対し与党の政治家(生活苦とは無縁の人たち)から
報告書を受け取らないなどの態度が表明されている。その理由もわからない。

大勢の有識者が集まって行政機関の名で出す報告書は
根拠を明らかにするとともに角を丸めて
控えめな表現(伝える意図よりも言いすぎないことが求められる)で
ニュアンスが伝わりにくいのが通例。
この報告書も問題提起を行っているが
それ自体が不当に危機を煽っているわけではない。
以下に置かれているので消されないうちにダウンロードして読まれることをおすすめする。
https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf

ここでのモデル試算はあくまで平均的な世帯像ということになっている。
しかしぼくのような国民年金受給者(若い頃はお金がなくてかけられていないのでもらえても月4〜5万円だろう)だと、毎月不足するお金はこの試算以上となる。
仮に月の生活費を26万円として国民年金の場合なら
不足額は月21万円の赤字で1年で230万円程度、
30年無職で生きれば預貯金は7千万円弱必要ということになる。

うちにあるテレビは現役のブラウン管テレビ(15インチと19インチ)。
持ち物には小学校から使っているモノもある。
エアコンは使っていないので夏場の気温は平均で32度ぐらいである。
スマートフォンは10年間導入の検討を行い
2年前に2012年製の中古端末を3千円で試験的に導入し
その動作を確認できた。
使ってみたところ特に用途が見当たらず
普段は電源を切って運用し必要なときは電源を入れて
レスポンシブWebの検証用に使っている(これだけで使う意味は十分にあるので買って良かったと思っている。フリップ入力という使いにくいインターフェイスが操作を遠ざけている)。
車も20万km未満の走行で買い替えることはない。
こんな生活態度の人間を浪費家と呼ぶ人は少ないだろうけれど、
2千万円の預貯金で30年はおろか20年乗り切るのも冗談でしょうと言いたくなる。

先の報告書の試算では月額の支出26万円のなかに
住宅リフォームや介護費用、重篤な病気の治療費は含まれないとしている。
うちは数年前に危険な状態であった屋根の葺き替えを行って
途方もない修繕費が入り用となったがそんな数字も含まれない。
冠婚葬祭や接待交際、旅行などもときどき行くとすれば月額30万円以上は必要だろう。
さらに老後にローンが残る人はどうなるだろう。
悲観論でも理想論でもなく
普通の世帯で老後の資金は5千万円〜7千万円は必要なのだ。
そのうち退職金で2千万円程度を充当できるとすれば、
3千万円〜5千万円の預貯金が必要ということになる。

若いときにやりがちな過ちがある。
それは過去の意思決定の後始末を未来に回すこと。
ローンを組んで大型ミニバンを買ってそのツケを6年後まで払うのではなく
身の丈の車を購入してローンを組まない、
もしくは必要なときにシェアカーといった手段もあり得る。
貯蓄がないといっても収入の多い少ないではなくお金の使い方に問題がある。
自分に投資するのは未来の種まきを行う有意義なお金の使い方だが
将来に果実を生まない資産に投資してそのツケを未来で払うというお金の使い方は
いわゆるマイナス生産の投資。これではこれからの時代に生きていけない。
投資すべきは自分自身。
自分が未来にやりたいことをやり切るための投資に振り向けるべきでは?

世帯の貯蓄残高に目を向けると
貯蓄がほとんどなく老後を迎えている世帯も相当ある。
さまざまな調査で数字が異なるが、
14%の世帯は貯蓄がないという結果もあれば、
30〜40代がもっとも貯蓄がない世帯の割合が高いが
どの年代でも貯蓄なしの世帯が3割程度あるという調査もある。

現実を直視すれば老後の貯蓄は2千万円で足りず
物価は年々上昇するなかで
消費税率が10%に改定されると生活を直撃する。
これでは老後にすらたどり着けないことにある。
ここ十年程度の政策は格差を広げるばかりで
将来への不安は増すばかり。
政治や行政任せではいけないというのが
この報告書の隠れた問題提起ではないかと思えるのだ。

政治には期待していないし、
政策を任せたい政党はどこにもないけれど
それでも次善の選択をあきらめることなく続けていく。
民主主義の義務を果たしていくことは
自分で意見を持って主張しできることから地道に実行していくこと。
そこから賛同者も広がっていく。
とにかく夢をあきらめないこと。
絶望的な未来に光を観るのは一人ひとりの行動の積み重ね。
30年後のことはいったん忘れて信念を持って毎日を積み重ねていく。
ただいまを生きる―。それが答え。

追記
金融庁では公的年金以外に必要となる老後の生活費を
1,500〜3,000万円と独自に試算していたことが判明。
(これも控えめで楽観的な試算だろう)

一方で非正規雇用が4割に達しており
そのほとんどの年収が200万円に満たないのが現実。
モデル試算はいまや日本から消えてしまった「中流」が前提のようだ。
生活格差の拡大で富裕層は以前より金持ちになり
平均値を押し上げていると思われる。
(平均値が中流より上となっていることに留意すべき)。

さらに経営者として多額の有利子負債(キャッシュフローと比べて大きいという意味)を抱えて入れば
まずは借入を返済しなければならない。
自分の代でそれができないと子息は事業を継がないので
返せない借金となる。
廃業してその費用で清算ができれば良いが
そのような事業所はほとんど見当たらない。
(売却時の資産がスクラップ価格になるからだ)

政府の言葉を信じて老後が一文無しになっても救済はない。
現実にお金は必要となるので
いまから自給自足で相当程度を賄える四国の山間部に移住して準備をするか
株式投資でも始めるかの自衛策が必要となる。

ただし平均株価は人口減少の日本の現状と内需を拡大できない政策では
上がる要素はまったくない。
リスクはあっても個別の銘柄への投資が次善の選択。
しかし投資した企業が市場の環境変化に翻弄されたり
災害多発期に入ってリスク対応の不備(BCPなど)で
株価が暴落すれば財産を失うことになる。
分散投資は基本ではあるが、一般の方は株式投資に手を出すべきではないのでは?
(ぼくは行っていない)

個人での防御策といっても
未来を切りひらく自己投資は積極的に、それ以外の支出は切り詰める以外に
やるべきことが見当たらない。
個人としての自助努力と国民の義務を果たすことは当然だが
政治や行政にもメッセージを伝えていかないと
(選挙やパブリックコメント、懇談会や議会への参加、インターネットでの意見表明、地域活動など)
この国はそう遠くない将来に「見たくない明日」になってしまう。



posted by 平井 吉信 at 23:24| Comment(0) | 生きる