2019年03月17日

水辺のツルニチニチソウ

川の畔の一軒家に咲いていた。
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三寒四温の「寒」の日は水辺に風がふきわたる
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posted by 平井 吉信 at 20:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月10日

朴葵姫さんからタレガ・ギターカルテット(朴葵姫、松田弦、徳永真一郎、岡本拓也)へ

前頁から続く
親父がクラシックギターを何本か持っていて
ヤマハのCA-400プリメインとベルトドライブのプレーヤーにシュアーをつけて
同じくヤマハの20センチ2ウェイスピーカーで
アコースティックギターの楽曲を聴いていたのがきっかけで
当時の流行歌には目もくれず
中学になる頃にはヴィラ=ロボス、ソル、スカルラッティ、スペインの数々の楽曲などを聴いていた。
(あの頃のヤマハのオーディオは質が高かった)
日常会話には手工ギターの銘柄が出てきた。
ヘルマン・ハウザーの表板がどうした、ホセ・ラミレスの高音がどうした、
サントス・エルナンデス、イグナシオ・フレタの伝達性は、ヤマハGCの弦長は…
など固有名詞が飛び交っていた(うちにあったわけではないけれど)。
ドイツスプルースや米杉の単板と組み合わせる裏板、側板などに
いまでは稀少なハカランダやローズウッドなどの南洋材が使われていた。

朴葵姫さんがカルテットを組む(タレガ・ギターカルテット)のメンバーの一人、
徳永真一郎さんは徳島市の出身。
彼のお父さんとのご縁がきっかけで当時小学生の真一郎さんも連れて
今切川に船を浮かべて川底の泥を採取したことがあった。
幼少の頃からギターに触れる機会があったこともあるけど
今日の真一郎さんの活躍はうれしい。


なお、真一郎さんは徳島のギター製作家 井内耕二さんの手工ギターを使用されている。
井内さんのギターの音色がわかる動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=4qNnBnMbhV4

次に仕事でもご縁のある四万十市の公式チャンネルの動画をご紹介。
タレガ・カルテットの一員、松田弦さん(高知県のご出身。お名前に「弦」がある)の演奏で
四万十川を上空から紹介する動画を掲載している。
(外国人に向けての発信はわかるけど日本語の注釈をタイトルに入れておかないと日本人や日本通に検索されませんよ、市役所さん)
https://www.youtube.com/watch?v=CuWk7gFOIMw



アコースティックギターには音量という壁と
弾き手の技巧の披露から
尖った弾き方をしてしまいがちだけど、
聴き手の立場でいうと、ソロ楽器として長く聴いていられない。
超絶技巧をどう使うかをカルテットの演奏家たちはそれぞれに答えを見つけようとされているよう。
若いギタリストの豊かな音世界がギターの可能性を広げていくと信じている。

posted by 平井 吉信 at 11:52| Comment(0) | 音楽

満石神社(美波町木岐)の椿に桜、足元のひらめきと波間のきらめき

美波町という地名に未だなじめず由岐町木岐というほうがしっくり来る。
日和佐道路ができてからは由岐I.Cを降りれば田井ノ浜はすぐ。
田井ノ浜を南へと越えていけば木岐の集落というわかりやすさ。

さて、2019年春、
地元の方々のお世話で椿祭りが開かれると聞いてやってきた。
(来てみて分かったが祭りは翌日とのこと。後の祭りだが、翌日の天気予報は雨とも)

満石神社を訪問したのは初めてだったが
地元のみなさんと話ができてよかった。
さらに人を包み込む風光明媚な風土がすとんと飛び込んできた。
陽が射すのも風がそよぐのも船が波間を横切るのも
陽光に照らされてたゆたう人生のひとこま。
写真を見て地元を訪れてみたら?

トイレがあって駐車できるところから満石(みついし)神社へと向かう小径
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登り口の花壇
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小径といっても海を眺める軽やかな逍遥
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やがて由岐町出身の書家 小坂奇石の石碑が見えてくる
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満石神社前の井戸はイボ取りに効能ありとか
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井戸の前の広場で地元の方々が集まって花時計を制作中
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満石神社に参拝
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春とは思えない透明度の高い空。明日も続いてくれればと願う
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神社の裏手には椿園が整備されている。それよりも足元の野草が気になる
寄り添う姿が愛らしい
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母に抱かれた子どもをさらに夫が包み込むよう(ムサシアブミか?)
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桜がちらほらと(花びらを陽光にきらめかせて)
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見上げれば椿 ただしそれほど開花していない。終わっている花も少なくない
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椿園めぐりも時間がかからない。満石神社まで戻ると
花時計が完成に近づいていた
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桜を見ながら渚へと近づいていく
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海へ続くこみちのなつかしさ。うれしくてしようがない時間
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菜の花にエンドウの仲間
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渚へ降りていくと砂利に自生している
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ブラタモリで取り上げたくなる岩
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港を出たすぐの渚の煌めく波間
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足元の岩の尖った形状に注目
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港の対岸を望む
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海沿いのこみちを戻るのもうれしくてしようがない
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木岐の港は水が澄んでいて魚がよく見える
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釣りをする人の気持ち良さはいかほど?
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帰りに田井ノ浜を俯瞰する
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足元のたんぽぽに日がまわって
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なぜ、春はアルペジオのような短い余韻を残すのだろう。

追記
木岐の渚を歩く感覚は朴葵姫の弾くトレモロかもしれない。







音をパチンとはたかず(ギタリストにとっては弾く快感があるけどそのように弾いていない)
抱え込んで滑らせる感じ。
(これね)「アルハンブラの思い出」
https://www.youtube.com/watch?v=zQnBstCaosE
聞き飽きているこの曲がいま生まれた感じ。
トレモノなのに旋律の流れを感じる。
音がギターから離れたがらない。
これまでのギター奏法と別の視点では。
名残手が音のない余韻を響かせる。


ぼくの好きなヴィラ=ロボスの5つの前奏曲でも
柔らかい余韻とレガートのなかに音楽が粒立つ。
木岐の海辺のように。
続く


タグ:神社仏閣
posted by 平井 吉信 at 00:13| Comment(2) | 山、川、海、山野草

2019年03月07日

蜜蜂とレンゲソウ

ミツバチがレンゲソウのまわりを飛び交うのも
水がぬるむのも
桜がはなひらくのも春だから
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この時期に寄り添うのは
ジョージ・ウィンストンの「Winter Into Spring」というアルバム。

澄み切った冬の星座が少しやわらいで
雪解けの水音をたたえはじめ
やがては春の草原でのなつかしい賛歌になる。
音楽は詩であり情景であり
季節を先取りしているつもりが
すでに春の先発部隊が訪れている。
それに気付いたら人生がどれだけ豊かになるだろう?



posted by 平井 吉信 at 21:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月03日

牧野公園に春の妖精(バイカオウレン、ユキワリイチゲ、福寿草、セツブンソウ)

野草が好きで
3月に高知県西南部を訪問されるなら
牧野公園は行ってみるべきところかも。
https://sakawa-kankou.jp/makino_park.html

標題を見ただけでわかるよね。
春の妖精(Spring ephemeral)とは気取っているのではなく
これらの山野草の総称(通称)。

牧野博士が幼少を過ごしたこの地で
地元のボランティアによって大切に運営されている場所。
休日は町役場に車を置いて歩いたとしても牧野公園まで5分。
まちなみを見ながらでかえってそのほうが好都合。
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役場の裏手の歩道を通って川を渡ると鯉の群れが目を引く(仁淀川に流れ込む柳瀬川の支流春日川)。
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佐川はウナギで有名である。
https://sakawa-kankou.jp/spot.cgi?SUB_GENRE_1368610461=1
造り酒屋から流れる米の栄養分があるため、と聞いたことがある。

さかわ観光協会が入る旧浜口邸の庭にもユキワリイチゲが咲いている。
(ここに寄って観光情報を入手)
https://sakawa-kankou.jp/hamagutike.html
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妖精たちを2種類のカメラで写してみた。
(フジX-T2+XF35mmF1.4 R、タムロン SP90/2.5Macro)
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(タムロンのマクロはファインダー越しにやわらかなオフピント部が感じられる。逆にいえばマニュアルでピントピークを掴むのが難しい。90年代はピークとぼけ味の両立が難しかったのかも)

ニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR
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暖冬の影響でバイカオウレンは例年より早い。
今回でも盛りは過ぎてしまったように見える。
(花は咲き始めが美しくしかも群落になるためには数も必要となればほんとうのピークは数日)
ロープや花壇に入らないよう望遠レンズは必須。
三脚は足元の植生を傷めるのでどうかな?
(ニコンの望遠レンズもすべて手持ちで撮影している)

また来年も咲いてくれたらいい。
花を数えながら季節を数えている2019年春。

そしてこれからも続いていく。
春の足音からあの夏雲の季節まで。

道標ない旅―永井龍雲
https://www.youtube.com/watch?v=NOfNmDGCZww
posted by 平井 吉信 at 22:44| Comment(0) | 山、川、海、山野草

四万十川赤鉄橋上流 入田の菜の花まつり


朝起きると曇り気味。
きょうから四万十市中村の四万十川河川敷で菜の花祭りが始まる。
イベント開始時刻前ということで散策路には誰もいない。
陽光が射さないのは残念だが、風景画の一部となって歩いてみた。
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2017年
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179274151.html

2016年
http://soratoumi2.sblo.jp/article/174789031.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/174341233.html

入田ヤナギ林菜の花まつりパンフレット
https://www.shimanto-kankou.com/pdf/2019nanohanamatsuri.pdf#view=FitV

四万十川パンフレット
https://www.shimanto-kankou.com/pdf/japanese2018.pdf

地図
https://www.shimanto-kankou.com/pdf/nakamura2018.pdf
タグ:四万十川
posted by 平井 吉信 at 22:30| Comment(0) | 山、川、海、山野草

5月の薫風を思って「田園」を聴く

小学校の音楽室にはピアノが置かれていた。
壁には楽聖たちの肖像画があり、いまでも脳裏に思い浮かぶ。
音楽の授業では音楽鑑賞の時間があった。小学校の高学年の頃である。
先生がその日かけたレコードはベートーヴェンの「田園」だった。

クラシックの音楽鑑賞は楽曲への理解を助けるために
言葉による解説という先入観を子どもに与える。
田園は各楽章に標題がついていてわかりやすい。
ぼくは標題というより音楽そのもの、
特に第一楽章の出だしに惹かれてしまったのだ。
音楽が心にすっと入ってきた感じ。
(岡本太郎の太陽の塔を見たときも同じだった)
レコードを最初に買うのなら田園にする、と決めた。
その後、パイオニアのラジカセを買ってもらって
FMで流れるというのでフジのカセットに録音して聴いた。

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 ☆、。 ・*'★ .。 ・':....*.:'☆        .。・:'*・':'・★

(ときは流れて)
おとなになっても好きな曲は変わらない。
ベートーヴェンは生涯の友となり
読むのに数ヶ月を要するセイヤー著「ベートーヴェンの生涯」(上/下)を読み
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001277679-00
(徳島県内の図書館には置かれていない。派手なパフォーマンスの影で文化予算は激減していると聞く。良質の本に触れる地道な文化振興こそ大切。予算は政治家のアピールのためにあるのではない)
総譜を集めては自分で書き込みを行い
ベートーヴェンのレコードやCDを集めた。
なかでも田園は月に1回は聴いているような気がする。

疲れたときふと部屋に籠もって聴きたくなる。
きょうはベーム/ウィーンフィルの1977年の日本公演(ライブ)を取り出した。

打ち水を踏みしめるように静けさのなかから始まる歩み。
しかしすぐに弾むような音楽の逍遥。
田園という曲に音符で描かれたカッコウや雷鳴は誰が聞いてもわかる。
雷鳴が近づいて炸裂して遠ざかっていく轟きの余韻など
自然のなかに身を置いているかのような現実感。
(楽器の音で音楽であってそれなのに写実的)
嵐のあと雲の切れ目から地上に降りてくる日射しのような終楽章の導入。

楷書か草書かでいうと楷書で描かれている。
それでも第2楽章の楽器をリレーするかのごとく
息の長いフレージングは楷書一辺倒ではないベーム(ベートーヴェン)の歌。
標題音楽というより純音楽の響きであり
ソナタ形式のドラマというよりは音を積み重ねて悠久を紡いでいくよう。
個々の楽器が浮き立っては溶け込んでいく耳のごちそう。

ベートーヴェンは古典の枠組みで標題音楽を作曲しているけれど
形式に則るのが目的ではなく手段に過ぎない。
だから後生の人間が自分たちの尺度や味方を持ちこんで
楽曲を再創造できる。
ベートーヴェンは音楽の遺産ではなくいまも生きている。
演奏はそのときどきの最良の楽器や手法でやればいい。

ベームのNHKライブはほかの田園とまるで違う。
もしコンピュータに田園の演奏を分析させれば
テンポや音量、速度など音符との対比を抽出したとして
この盤が傑出しているとは判別できないだろう。
例えば同じウィーンフィルを演奏しているアバドは
同じように楽譜のように進んでいくけれど
上等なムード音楽のようにも響く。
それなのに音楽が寄り添ってこない。

ベームのNHKライブでは
アバドよりも角が立っていて立体感があるのに
音楽は絶叫しない。
絶叫しないのに大地に根っこを貼った存在感がある。
存在感があるのに霧の向こうから響いてきたり
夢のなかから滲みだしてきた音楽のようにも感じる。
絹や木綿でていねいに紡がれた田園であり
木訥でのどかな田園であり
心を弾ませながら魂を鎮める田園でもあり。

このライブCDを聴くと
実演で聴いた人は一生に一度と思える音楽の体験になっただろうと思う。
CDに残された録音は響きの少ないNHKホールで各楽器はよく聞き取れる。
これを教会の一室などで再生したらさぞいいだろうと思うけれど
やれる人は電気的に残響感を加えてみたら夢のような体験が待っているだろう。

田園が輝く5月を思いながらきょうもベートーヴェンに浸る。


スタジオ録音で聴きたい人はドイツグラモフォンの輸入盤で

posted by 平井 吉信 at 22:11| Comment(0) | 音楽