2019年03月31日

人生のそのとき イチローを思いつつユキワリイチゲの谷へ

尊敬しているのはもちろん深いところで共感している。
イチローの真摯な野球への向き合い方は人生そのもの。

動体視力、バットコントロール、俊足という
3つの強みを磨き上げることで
首位打者、二百本安打、3割、ゴールドグラブにつながった。
盗塁、強肩、走塁技術も副産物である。

強みを磨き上げるとは
捉えた情報を身体が認識するとともに
骨格、筋肉(筋膜)、内臓、精神までもが一体となって反応できたこと。
それぞれが瞬時に情報を共有、伝達して動かす能力を
どう維持していくかが30代後半の課題ではなかったかと思う。

このことに気付かない選手(野球に限らず)は輝く時間が短い。
(20代後半で下り坂になってしまう)。
そんな選手を見ていると
若い頃と比べてマッチョな身体にはなったとしても
大切な何かを失ったとぼくは感じている。
(そこには精神に向き合わずに食生活の管理不足と特定のサプリメントの摂りすぎ、筋トレ偏重があるのでは?)

好きなことをやる、
そのためには「意思」を持って行動する。
されど本番(試合中)は無意識となって潜在的な身体能力を引き出す。
そんな選手ではなかったか。
イチローへの思いを語り出すと止まらない。

阿讃国境の谷へと向かった。
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この谷にはスプリングエフェメラル、ユキワリイチゲが咲く。
それも紫の色が濃いのが特徴。
おそらくは土壌の性質と
沢に沿った崖からの湧き水が多いという湿潤な条件が影響しているのではないか。
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最初に見つけた一輪
この日は曇りだったので日射しを感じないと開かない
イチゲちゃんは眠ったままかもしれない。
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ユキワリイチゲを探していると変わったたたずまいの植物に気付く
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木々や植生もおもしろい
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岩陰で開いている一輪があった
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腐葉土の豊かな土壌を持つ斜面に顔を出した一輪
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幾重にも折りたたまれた花弁は宝石(ブーケ)のよう
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開いている新たな花があった
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これは何の花だろう
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きょうもっとも美しいユキワリイチゲかも
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デュエット
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この谷のユキワリイチゲを今年も見られた。
けれど季節がめぐるように人生も駈けていく。
いつもと変わらぬ日々を積み重ねても
同じ日は二度とない。
だから春(いのち)はいっそう輝く。
posted by 平井 吉信 at 22:58| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月27日

冨岡西高校 よかったね

2019年3月26日、
冨西の試合があるというのに
県外出張が先に決まっていて
試合を見ることができない。

池田高校が活躍した時代からその兆候はあったが
高校野球は良い選手を集められる私立高校が優位となっている。
(甲子園で勝つことは格好の宣伝となる)
その傾向が顕著になればなるほど
公立高校の進学校で地元の生徒が通う学校が
甲子園で勝つことが難しくなっている。

21世紀枠とはいえ
初出場となったことで野球のまち阿南は盛り上がっている。
冨岡西高校(通称「冨西」)は創立122年の伝統校で著名人も多く
校風は質実剛健で卒業生は25千人を数える。

あいにく映像は見られなかったがラジオの実況で状況は伝わってきた。
2回の攻撃の前だったか校歌が流れた。
ベートーヴェンの音楽にも通じる胸弾む校歌である。
同点になった6回は球場が冨西一色となったような雰囲気すら感じられた。
http://tomiokanishi-hs.tokushima-ec.ed.jp/%E6%A0%A1%E6%AD%8C%E3%83%BB%E6%A0%A1%E7%AB%A0/

試合は1対3で敗れはしたが、見ていて悔しい気持ちはない。
むしろすがすがしいぐらい。
勝ち負け以上に大切なことを体験できたという潔さが選手には感じられた。

頭を使わず号令があれば猪突猛進するのが体育会系。
ところが冨西はノーサインで選手が考えながら野球を進めるというのだ。

一人ひとりが考えて考え抜いて(アイコンタクトすら取らずに)
一球ごとに訪れる「この状況でいますべきこと」をチームで創造していく作業。
それはスポーツを越えて芸術とか即興とか、光の速さでの以心伝心というか、
すがすがしい時間をつくりあげていた。
そのことを指摘する好記事があった。
https://number.bunshun.jp/articles/-/838795


傍観者、長いものに巻かれる、他人に不寛容、評論家のような人たちが多くなった時代に
自分のこととして捉えて(プレーヤーとして)
身の回りの人と意思疎通を図りながら
責任を持って未来をつくる意思を込めた。
いまの時代にもっとも必要なことがぎゅっとこの試合に詰まっていた。

母校に戻ったら春の日射しに桑野川の水面が輝いていたことだろう。
あの校歌のように。

琴江はきよく せゝらぎて  桜ふぶきの 風香る
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(琴江=桑野川の古称)

追記
翌日の新聞記事でわかったことだが
バッテリーは小学校から組んでいること、
3回の攻撃で右打ちの打者が左打席に入って
その後本来の右打席に戻ったが
これは仲間の緊張をほぐすためだったという。

初出場校が甲子園の舞台で大観衆(及びテレビ放映)を前に
こんなことを考えられる冷静さ、のびやかさ。
実にいいではないか。

posted by 平井 吉信 at 23:17| Comment(0) | 徳島

2019年03月24日

棚田を彩る菜の花 水の神を祀り少しずつ下流へ恵みを流す(神山町上分江田)

神山町にある棚田の美しい江田集落では
毎年春に菜の花まつりを行っている。
旧上分中学校から歩いて20分で到着する。
人が少なければ江田の集落まで車を進めることができる。
妙法寺前の広い駐車場(トイレもある)か
空いていれば棚田を見下ろす小さな駐車場に置かせてもらうといいだろう。

平成13年に県農山村整備課から発刊された「とくしまの棚田」(これは米田潤二さんによる会心の調査紀行だ)では
標高3百メートルにある約240ヘクタールの棚田を13戸が耕作しているとのこと。
さらに、水利をもたらす江田谷川の水源となっている雲早山の神社を
集落を上げて信仰しているそう。
近年になって3本の用水のうち1本が渇水してしまって耕作に影響が出ている。
針葉樹が増えて保水力が問題となったのだろう。
1994年の早明浦ダムの異常渇水の際に訪れて
お話を聞かせていただいた筒井さん(大川村の元教育長)も
同様のことを指摘されていた。
(昔は雨が降らなくても谷の水は涸れることがなかったという)
http://www.soratoumi.com/river/sameura.htm
江田地区でも水を大切にする気持ちが集落の人々に受けつがれている。

この日は棚田の真ん中で俯瞰写真を持った方が
集落の見どころと歩き方をご案内いただいた。
途中で道をお尋ねした方々も含めて
この集落に住まされている人々は柔和で仏様のような滋しみがあった。
風土が人間の形成に深く関わっていることを改めて知らされた。

そのような人々の生きている時間に比べれば
観光で押しかけて写真を撮ったところで
深みがないのは仕方ないのだけれど
それでも地元の人々の暮らしを伝える一助となればと書いている。

まずは神山のメインルートである鮎喰川に沿って東西に走る幹線から。
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ところどころで見かける民家が桃源郷のようと足を止める
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江田の集落に入った。
Googleマップの航空写真で集落全体を俯瞰できる
https://www.google.com/maps/@33.9464523,134.2877182,651m/data=!3m1!1e3

車は妙法寺前の駐車場に停めさせていただいた。
そこから歩くと菜の花を植えた棚田が広がる。
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オオイヌノフグリに近寄ってみるとネモフィラのようで愛らしい
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なおも江田谷川を上流へと歩く
水辺にも春が来ている
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用水路の取水地
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木々の重なりが色を浮かび上がらせる
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上に上がって見下ろすとみごとな民家のたたずまい
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くるりと向きを変えながらさらに上がっていく
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ケイオウザクラ(啓翁桜)と教えていただいた
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4枚の棚田を管理する民家の凛としたたたずまい
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江田集落と棚田が一望できる
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これはわさびの花?
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木々の花もいいし
つくしもそれぞれにいい
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江田集落の魅力を集めてみた
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ペルシャ猫がいた
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日本中に江田地区のような美しい農村集落(中山間地域)があるのだろう。
棚田の水守が都市部の暮らしを支えている。
その関係を意識していくことが大切。
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追記
帰りがけに明王寺のしだれ桜を見た
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posted by 平井 吉信 at 23:55| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月23日

赤い目玉おやじに似た山野草

四季があるから日本を感じる。
季節があるから生きていると思える。
それが決まり切った旬の語感であっても
その人だけの風物詩であっても。

岩場に咲く赤い目玉おやじはなかなか出会えない。
下から見ているから目立つように思えるけど
人間の背丈で見下ろすと岩に同化して見つけにくい。
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つぼみはこんな様子
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空が入るのは下から覗くように撮っているから
(可動液晶がないと難しい)
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この山野草が個性を発揮するのは花が終わって
実がなろうとするとき、らしい。
白髪の翁のようになるのでそう呼ばれる。
posted by 平井 吉信 at 21:37| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月22日

三寒四温の里の風景 春の七草と水仙と(羽ノ浦町)

羽ノ浦町といえば秋桜だけど
思い浮かぶのは、
蛇行する那賀川の広い河原と早い流れ。
それに桜の咲く頃ぼんぼりが妖しくゆらめく妙見山、
どんがん淵公園に北岸用水。
このブログでもそれらの断片を何度も取り上げている。

→ 秋の桜 田んぼに咲いた 羽ノ浦町のコスモス 
→ 
その昔はどんがん淵だった岩脇公園 いまではのどけし春のひだまり
→ いまがいい
→ 阿南市羽ノ浦町の妙見山 里山の春が還らぬ故郷と人を呼び戻す
→ 子どもの頃に見た小川をもう一度見てみたいと思ったことはありませんか? 那賀川北岸用水と浦川、そしてかつてあった小川の物語
→ 里山に道路ができる最後の夏 南の羽ノ浦町と北の立江町

南に開けて夜空を見上げれば射手座の銀河や
全天第二の恒星、りゅうこつ座のカノープスを見ていた。

幼い頃、那賀川でトバシ(※)をして小アユを釣ったのもここ。
(※毛針をいくつかつけて錘を付けずに瀬を流す釣り方。アユ解禁の初期の釣り)
ぺんぺん草を鳴らしたのもここ。
水難事故で若くして亡くなった叔父に続いて
長い年月、その家を守ってきた妻も先般亡くなられた。

それでもここは川面に春の兆しが踊っている。
土手に春の野草が太陽にすくっと立つ。

そのときぼくは子どもに戻って虫取り網を持って
桜並木に出かける。
いた、アブラゼミと思って網を動かそうとすると
枝にシマヘビがいた、驚いた。
道ばたでひっくりかえってもがく虹色の虫、
お、玉虫だ。

ピアノの鍵盤から同じ旋律を幾度も畳みかけるように
繰り返す光景。

2019年3月、またここにも同じ季節がやってきた。
でも、あのときの胸ときめく何気ない「神秘」や「謎」は
そこにある現実。

野辺送りから四十九日、家のまわりの畦に咲いていたホトケノザ
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土手から見える景色は変わることなく
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妙見山に上がってみた
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春は水辺。踊る水面が植物の成長を躍動させる。
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posted by 平井 吉信 at 22:10| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2019年03月21日

大方浮鞭(黒潮町)の海 風が強ければ強いほど波の頭が美しい

国道56号線がもっとも楽しいのは
土佐佐賀から大方までの海沿いを走る区間。

朝の早い時間の息を飲むような凛とした渚の表情、
朝日を浴びて遊ぶ人。
斜めの日射しと波飛沫が横溢する渚が黄金に輝く午後、
そこで人は影絵となる。
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佐賀の展望台 晴れていても曇っていても一度は立ち寄る
南に開けた土佐湾・太平洋を見下ろすと脱藩したくなる
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短い背丈の木が渚を博物館にしてくれる
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かつてここでTシャツ展が開催されたとき
その第1回目に居合わせた

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きょうは風は強めで波は穏やかな
だから波頭が白く崩れるのがケーキにふりかける砂糖のよう
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雄大な大方浮鞭の海は高知県西部の宝物。

posted by 平井 吉信 at 23:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

太陽が西に傾いても磯遊び 海渡る風ぬるむ大砂海岸(海南町)

することがないことが贅沢といえるといい。
でも、それはすることがないことに「退屈」しているのではなく
することがないことを「楽しめる」こと。

ここは海南町の大砂海岸。
徳島県内でも屈指の透明度を誇る渚。
かつて淡水であれば飲める、
という水質検査結果が出たこともあった。
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何もすることがないヒトにおすすめの場所。
駐車場が海岸とほぼ同じ高さにあって
トイレが完備していて
ここで弁当やパンを持ってきて
好きな飲み物を煎れて
(V60ドリッパーで手入れするのもよし)
野外用のアルミの椅子と机を置いて
本を見ながら眠たくなったらそのまま目を閉じて
潮騒と潮風に浸るだけ。

考えてみれば徳島に大砂海岸がなければ
移住してしまうかもしれない、という
宝物級の場所なのだけど
ここもあまり知られていない。

大潮の引き潮かもしれない。
普段は海中の岩の上を沖まで歩く。そこから砂浜を振り返る
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良質の海藻が岩に付着している 水の透明度が高いことが一目でわかる
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潮だまりには小魚やらウニ(ガンガゼ)やら海藻やら
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ハマダイコンは春の海辺の風物詩
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若いふたりの落書きは青い春の証し
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波打ち際に銀河のようにあらわれる貝のみち
近づいてみると無数の貝殻の集まり
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浜に打ち上げられた海藻やら波打ち際のおだやかな表情やら
そろそろ浜節句の季節、アンロクの酢みそ合えやら桜餅やら
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渚にいると普段考えないことも考えてみる。
県知事選だから県政について考えてみた。

観光の魅力度が全国最下位、
人口あたりの宿泊者数が全国最低、
糖尿病の罹患率が全国一などの注目すべき指標がある。
これらを改善しようと思ったら
課題の本質を見極めて
本質的な課題、つまり解くべき論点を間違えないこと。

非日常的なパフォーマンスの予算ではなく
日常の暮らしの質を高めていけば自ずと県民生活は向上する。
例えばトップの号令で1つか2つに集中している文化イベント予算を削減して
県立図書館の蔵書の充実や司書の待遇改善に回す。
良質の人材を確保できたら(もしくは既存の人材の志気を高められたら)
お金をさほどかけずとも
良質の蔵書が揃い魅力的な企画が上がってくるはず。

食の宝庫徳島であるから糖尿病が高いのは仕方がない、ではなく
健康な人(例えば健康保険の使用が少ない人)にはインセンティブを行う。
(例えば半額を県が補助するなど)
実際に霞ヶ関周辺を見聞している立場からみると
消費者庁の移転など我田引水の地域エゴイズムのように映る。
それよりも国の施策でおかしいときに県が異論を唱えられること、
「うちの県では地域振興券をやりません」
「軽減税率は事業所の負担が大きすぎるのでやりません」
(国税だから県が口出しできないではなく姿勢を打ち出して問題提起を行う)
逆に国が躊躇している良い施策があれば県が率先してやる。
そんなことが可能になれば
良質の移住者が増え、健康に気を配る人の割合が増加し
盛り上がった内需を経済で循環させることができ
地元の日常の魅力が上がれば観光客も地元をまるごと体験したくなる。

そのような施策は決して華々しいものではなく
むしろ現場に権限委譲して裁量を認めてやりがいを引き出すなかで
(KPIやPDCAサイクルは上を納得させる鉛筆のなめかたでしかないので撤廃)
当たり前のことを当たり前のように地道に積みあげていくことではないのだろうか。
同じ施策をやっているのに成果が違う、ということができうるのではないか。
(日本マクドナルドのカサノバ社長を見ているとそれが徳島県庁にも当てはまると思う)

議会との間には緊張関係をつくるために
不偏不党を前提に政策をめぐる議論をすべて公開して太陽の下で検討を進める。
(いまの県議会は機能していない。存在していなくても県民生活には影響がない)
それだと知事が議会の集中砲火を浴びるのでは?
それも含めて県民に判断してもらえればいい。

大きな変革はダメ。
資源(ヒト、モノ、カネ、ノウハウ)を動かすとき
そこに必ずロス(間接経費の増大、時間の浪費、ノウハウの欠如による失敗)が増えて
志気の低下が起こる。

前例踏襲のままでよいか?
それも違う。
まずは大きな理念を掲げよう。
その理念の下、経済政策やら少子化対策やら個々の課題を編み込んでいく。
例えば、この県の強み弱みを俯瞰するとき
県民の日常の暮らしの質を高めることがもっとも本質的な課題(すべてにきいてくる論点)
として理念に掲げたら
産業政策も農業政策も福祉政策も観光政策もすべてそのモノサシを行動基準とする。
政策が目に見えない一本の糸で結ばれるようになると
そこに同じ金額で同じ事をしても政策効果が上がるようになるのではないか。
個別の政策のアイデアよりも政策を編み込むモノサシ(価値判断)を据えること。
それが県政をよくする一歩。
(いまの徳島市政がもっとも欠けていること)

良い未来をつくりたいのなら
住民も政治家もエゴを捨ててどんな未来をつくりたいか
(そこに政党もイデオロギーも選挙区対策も要らない)
その1点だけが動機となるようなことはできないものか。
(だから候補者が何をしてくれるのかではなく、県民として何がしたいか、できるかを問い直すことが大切)
タグ:大砂海岸
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 徳島

前松堂前の河津桜と吉野川SAの桜


勝浦町の老舗の和菓子店 前松堂前の河津桜
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吉野川SAで四国三郎を背景に公園の桜
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タグ: 前松堂
posted by 平井 吉信 at 20:07| Comment(0) | 山、川、海、山野草

縄文時代の加茂宮ノ前遺跡(阿南市)の発掘

フェリーを乗り継いで屋久島に渡って縄文杉を見に行ったことがある。
東北を見聞しながら三内丸山遺跡を訪れたことがある。
岡本太郎が撮影した縄文土器の鋭い造形に見入ったことがある。
日本列島でもっともいい時代と思えるし
もしかしたら人類史のなかでも最良の時代(住まい)だったのではないかとも。

那賀川中流域の阿南市加茂谷地区に縄文の遺跡があり
発掘作業のあと埋め戻される前に公開されるときいて
忙中閑を見つけてやってきた。

那賀川の河原からそう遠くない場所で水利に恵まれた場所だが
洪水に遭遇しそうな場所でもある。
当時は河床が低かったのか、それとも流路が少し違っていたのかわからないが
なぜこの地に居住を定めたのか、現地を踏んでみないとわからないと思った。

縄文時代、縄文文化といっても幅が広い。
国立歴史民俗博物館の山田康弘さんは次のように定義する。
「土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの日本列島において、狩猟・採集・漁労を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や弓矢を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した日本列島各地における文化群の総称である」。
その年代も旧石器時代のあとを受けて1万6500年前から
3000年~2500年前までの時代とされるから1万年以上の長さがある。
しかも地域的な多様性と交易があったという。
縄文時代の研究はここ数年で深化している。
最新の知見ということで
2019年1月に講談社から発刊されたこの本をおすすめしたい。
(ぼくは電子書籍版で購入)



縄文の女神、ヴィーナスとも呼ばれるこの土偶もたまらない
https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html
https://www.youtube.com/watch?v=07kak67VMdw

さて、臨時駐車場から発掘現場まで歩いて10分で到着。
すでに多くの人が来訪されている。
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「縄文時代後期の集落跡から、石杵と石臼計300点以上のほか、表面に水銀朱が塗られた耳飾りや土器など計700点以上も見つかった」(朝日新聞デジタル記事から引用)とのこと。
朱とは血の色と見立ててそこから儀式の意味付けもできるような気がする。

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地元に縄文の息吹があったということは古くから人が四国東部に住んでいたということ。
縄文人も春の甲子園を応援してくれている、と考えて
2019年春に21世紀枠で出場が決まった冨岡西高校野球部の活躍を祈ります。
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posted by 平井 吉信 at 11:12| Comment(0) | 徳島

2019年03月17日

文殊堂の台湾桜(黒潮町) 誰もいない空の下 花びらを揺らす玲瓏艶々

ここは文殊菩薩を祀る黒潮町の文殊堂。
いつもお堂の周辺が掃き清められているのは
近所のおばあさんがお堂の手入れをされていることは知っていた。
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桜も見事だが、おばあさんもつつながくいらっしゃると願いつつ
今年も見上げていた。

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文殊堂は高知県黒潮町小黒の川地区にある。
近くを流れる伊与木川に小さなコンクリートの橋がある。
欄干がないから沈下橋なんだろうと思う。
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文殊堂は智慧(洞察力)を司る文殊菩薩をお祀りしているところから
転じて学業成就、志望校の合格を願うと解釈されたのだろう。
この桜が咲く頃はまさに合格発表の時期。
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本人や家族の願い事が綴られた絵馬が躍動する。
県外からも寄せられた願い、それぞれ叶うといいね。
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この桜はいまが盛りなのか樹勢が盛大で花の色が濃い。
花の気が遠くまで飛んでいるかのよう。
晴れ晴れしい―。
誰もが集まる観光名所ではないけれど
この時期にここへ来られることは
桜守のおばあさんとともに心に妙吉祥の光背をともす。
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この桜、見る方向によって趣が違う。
朝と夕方の光によっても違う。
いつ見ても玲瓏艶々なのだ。

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それなのにこの桜に気付かない人はまったく感知しない。
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再びやってきた出会いと別離の春。
人はめぐる季節に時間の流れを悟り
季節は人の一生を数えて流れていく。
それだけに儚くも燦々と照り返す木の花咲くや妙吉祥三月。
桜の精は人の心に投影された光粒子の揺らぎなのかも。
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タグ:幡多
posted by 平井 吉信 at 23:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草