2018年05月30日

国営讃岐まんのう公園という選択肢 


徳島からは室戸岬を回ったところの北川村にある
モネの庭 マルモッタンにはよく出かけている。
http://soratoumi2.sblo.jp/tag/articles/%83%82%83l%82%CC%92%EB

以前、台風の直後に行ったが花はしおれていなかった。
なんらかの対策を施してやり過ごしたのだろうと想像されて
スタッフの人の苦労が偲ばれた。
(日々の感動は目に見えない地道な積み重ねにあるね)

5月の上旬はネモフィラの季節。
ネモフィラといえば、国営ひたち海浜公園。
http://hitachikaihin.jp/hana/nemophila.html

四国に目を転じると国営公園は1箇所ある。
香川県の西部、満濃池を南端に臨む広大な里山が公園となっている。
西讃では、観音寺の銭形や荘内半島の紫雲出山
Instagram時代の観光地、父母ヶ浜などがあるけれど
ここも行ってみたらいいと思う。

かりん亭に来たら(カレンズもそうだが)
5分とかからないまんのう公園に行くのは当然でしょう。
国営讃岐まんのう公園
http://sanukimannoupark.jp/

しかもひたち海浜公園の規模ではないにせよ
ネモフィラが咲いている時期ではないかと。
(もう終わりかけているとも聴いていたけれど)

一度見ておけば来年はもっとも良い時期にネモフィラを見に行けばいい。
そう思って出かけてみた。

地図で見ると広大な敷地を持っている。
敷地内に野生の動植物がそのまますっぽりといるということ。
入場料と駐車料は庶民のための手頃な価格設定となっている。
ゲートには女性がいてお金を支払うようになっている。

後続がいないので園内の様子をうかがった。
「きょうが初めてのご来訪ですか?」と話しかけていただく。
「そうです。ネモフィラを見に来ましたが、まだ咲いていますか?」
(笑顔を浮かべながらも首をかしげて)
「まだ咲いていると思いますが、見頃は過ぎているかもしれません」
(さらに見どころなどを聴いて園内に入った)
2箇所の駐車場のうち、もっとも広い中央駐車場に停める。
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国営讃岐まんのう公園Webサイトから引用)

エントランス広場では竜の植栽が迎えてくれる。
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石畳のプロムナードから歩みを進めて竜頭の里へと向かう。
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やがて竜頭の里の象徴、昇竜の滝(人工滝)が現れる。
この滝が遠景に見える風景と丘の配置が
公園に静と動の抑揚を作り出している。
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竜頭の里はこんもりと盛り上がった芝生の丘が随所にあり
登った人が寝っ転がっている光景をよく見かける。
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ネモフィラは盛りを過ぎているが咲き残っていた。
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ネモフィラを過ぎて木道へと向かう。その先には飛竜池がある。
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飛竜池から地下道を通って南へ下ると満濃池が見渡せる空中木道がある。
満濃池の中間部は陸から接近できない。
この雄大な秘境感がまんのう公園の隠れた魅力ではないか。
夏はせみしぐれに包まれて湖畔を見下ろす納涼のひとときになるだろう。
(まるで南米の秘境の湖のようだ)
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空中木道を経て再び戻ってくると
子どもの遊ぶ空間となる。
水浴びしたりトランポリンをしたりフィールドアスレチックをしたり。
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昇竜の滝から流れる小川沿いの水辺を見て思うことがある。
例えば、まちなかの湧き水が流れる場所、西条市の紺屋町商店街などに
このような自然の小川を再現して
子どもが水で遊んだり蛍が飛び交う商店街になったら
来街者も出店者も増えるのではないか。
全国各地で画一的な商店街はあるけれど
生態系を取り込んだ商店街はひとつもない。
憲法にも生物多様性や生態系保全(遺伝子資源の保全と活用という意味もある)がうたわれていない。

小さな部分の集まりが公園をつくっているとしても
そのディティールは見える人にしか見えない。
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ネモフィラの野で夢中で写真を撮られていた女性も花に負けていない
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河畔林と水辺の生態系と蛇行する小径という組み合わせの妙
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小さなセンサーのフジX20でないと撮れない広角マクロの世界
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ハマナスもほぼ同じ季節
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ネモフィラには
ネモフィラ・インシグニスブルー(青)と
ネモフィラ・マクラータ(白に紫)の2種類がある。
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立体的な構造のため一日いても飽きない。しかもこの写真は公園全体の2割にも満たない。
(ただめぐるだけならともかく道草をしていると一日では廻れない)
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時間が過ぎていく。
それが意識されないとき
どこかに心を預けているのだろう。
もう夕方、閉館の時刻。


その少しの間に自然生態園へと急ぐ。
自然の地形を活かした里山を復元しているようだ。
生態系(生物多様性)に安らぐ人にはたまらない場所。
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でも門限の17時が近づいてきた。
スタッフの男性と散策路で出くわし
植生について話をうかがう。稀少な植物もあるようだ(名前は秘す)。
観察園の背後にはさらに「さぬきの森」があるが
ここは朝早く来て弁当を食べながら一日かけて巡りたい。
(スタッフの方も気持ちのいい人ばかり。自然を見つめながら人と会うこの仕事が好きなんだね)

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国営讃岐まんのう公園へはまた近いうちに。
(行ってみたい人、いますか?)
タグ:西讃
posted by 平井 吉信 at 19:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年05月29日

誰かと会うことの意味 ホタルが飛ぶかう夜の会議


誰かのために動いてみる。
それが認められても認められなくてもいい。
インターネットやSNSの時代になっても
人が会うことの意義は変わらない。
いや、むしろ大切になっているのでは…と。

さっきまで話をしていたこの国を代表するコミュニティビジネスの実践者の感想。
(いまの政治家に爪の垢を煎じて飲ませたい)
それがどれだけ大変であるか、(想像も交えて)関係者の一人として知っているつもり。
ぼくのまわりにいる人、かつていた人はみんなそう。
自分を誇ることもひけらかすこともなく、
(ほんとうは苦しいはずだが)笑顔を浮かべて信念を貫く人たち。
共感と実践―。行動せずにはいられない自分でいいと思う。

帰路につきながらひらめいた。
もしかしてホタルが飛んでいるのでは?
もう21時を回っていた。
それでもホタルは飛んでいた。
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ここは沼谷川のほとり。
ホタルを見納めれば20分先のわが家につく。

家に帰れば
2007年に有志で結成したグループの解散を祝う懇談の場が今週末にあるとのメール。
なつかしい顔に会えると思うといそいそと返信した。

ホタルが連れてきた夜は、いまはいない人も含めて
心に揺らめくあかりを灯す。






posted by 平井 吉信 at 23:57| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年05月28日

吉野川大橋を河口付近から眺めて見送る落日


吉野川にかかる橋と眉山は徳島市の象徴。
普段なら感傷的になる時刻だけれど、このところの国の状況が…。
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何事もなければ良いが…。
タグ:吉野川
posted by 平井 吉信 at 22:45| Comment(0) | 徳島

満濃池のほとりのうどん店 静かな湖畔の森の陰から


営業職で香川県を担当していた頃、
西讃に来るとたまに立ち寄っていたのが
満濃池の畔にあるこのお店、かりん亭。
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地元女性の生活研究グループが運営されている。
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静かな湖畔の奥まった場所にあって高台から湖面を見下ろせる。
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仕事で疲れて、うどんが食べたくなることはあるけれど
セルフの讃岐うどん店は県外人には敷居が高い。
(店の流儀を知らないので初めての入店は気を遣う)。
この店にはそのような気兼ねはない。

ところが、東讃に行きたくなるうどん店が数年前に開店した。
(来店の敷居が低く親しみやすさ、質素だけれど清潔感があって滋味溢れる料理を出す)

さてと、ここは満濃池の畔にある「かりん亭」。
http://www.shikoku-np.co.jp/udon/shop/958

かりん亭のスタッフは素朴で気さくな方なので
注文のときにあれこれ聴いてみたらいい。
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おすすめの料理や特徴、付近の見どころなど教えてくれる。
http://www.town.manno.lg.jp/karin/karintei.html

なんといっても日本一のため池、
空海がつくった満濃池のほとりで
いただく料理がおいしくないはずがない。
https://setouchifinder.com/ja/detail/16235

この日は、地元のひまわり牛を使った肉うどん(550円)。
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まんのう町はヒマワリの産地らしいのだが
その搾り粕を与えた牛肉を使っている。
甘めの出汁は濃厚だが後味が良い。
ヤーコンを練り込んだうどんで
塩を使っていないという。

グルメとは無縁のぼくが外食でいただくとしたら
ほっとする食事ができたらそれでいうことはない。
(地元素材の手料理というだけで十分でしょう)
気難しい親父に食べ方を説教される料理店や
流儀に従えという店には行きたくない。
撮影禁止の店ももったいないと思う。
その反面、お客様は神様なので何をしても許されるという考えもなじめない。
料理とは、もてなす人ともてなされる人の心の交流があってこそ。


大きな声で言えないが、ぼくは料理名とか菓子の名前はほとんど知らない。
例えば、次に挙げる料理は食べたことがないか説明することができない
(イメージすることもできない)。
ハッシュドビーフという名前を知ったのも数年前、
実物を見たらハヤシライスのことだとわかった。
インドネシアにも焼き飯があるらしいが、名前は忘れた。
スムージーも野菜ジュースのことだったとは。
バリカタという麺用の小麦があるそうだが、デュラム小麦とはどう違うのだろう?
ミルフィーユとクラムチャウダーの違いがわからないが
(どちらも牛乳で煮込む料理ではなかったかな)
タコスとタコライスもどう違うのだろう?
(もし間違っているとしたら、似た名前の料理と勘違いして覚えているのだろう)
フォッカッチャはときどき聴くけれど、語感からしたらラテン系の料理のよう。
ローストビーフもトースターで料理する牛肉と思い込んでいたのだ。昨日まで。
コーヒー店でラテという飲み物を注文した友人にアルコールは大丈夫と聞いてしまった。
(きっとラムと勘違いしたのかも)
インターネットで検索すればすぐにわかるのだけれど
知ったかぶりはしたくない。
(ほとんどの料理はつくれるのにグルメでないことがばれてしまった)
(Instagramをやってなくてよかった。とにかくセンスがないし単語を知らないから)
(外食をしないとわからなくなる。コンビニの店頭は数日毎に見るようにはしている。飲食店もできるだけ有名な店にはとにかく行くようにしよう。まずは丸亀製麺から。これでぼくもグルメになれるかな。でもセルフだったら怖いから注文している動画を探してみよう)


うどんをいただいたら
満濃池のベンチに腰掛ける。
自宅から持ってきた緑茶をすすりながら
湖面を渡る風に吹かれてみる。
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満濃池はリアス式海岸のような切れ込みを南岸に持つが
そこへはアプローチが難しい。
北岸も車道はかりん亭までである。


わざわざかりん亭に来るために高速道路を使って西讃までやってきた?
いや、近所には西讃の人だったら知らぬ人はいないあのパン屋がある。
明太子を使ったフランスパンが5分で20個ぐらい売れていくのを見ると
このパンだけで一日1000個はつくっているような気がする。
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店のスタッフも十数人が所狭しと動き回っている。
もちろんここから5分程度なので立ち寄って買ってみた。
食後のデザートに塩パンを食べながら午後を過ごしているところ。
(続く)
posted by 平井 吉信 at 22:39| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年05月27日

憲法を考える


ダム建設で意見が平行線をたどるとき
「人のいのちか、鳥のいのちか?」のスローガンが掲げられることがあった。
人命を守るための施設をつくろうとしているのに
自然保護団体が反対している。それは反社会的な行為だとでもいわんばかり。

長い間、地域で息づいてきた風土や人間の関係性に着目すると
人のいのちも鳥のいのちも守る方策があって
持続的な未来への道筋を確保することができる。
だから、先の議論は論点ずらしに過ぎない。

ダムが破壊するのは生態系だけでなく地域共同体そのものであるから、
人が生きていく拠り所を失ってしまう。
すると地域は崩壊するしかない。
(補償金で家を建ててもそこには幼なじみはいない。むしろ都市に出て行くきっかけとなるだけ)
ダムができてかえって危険になったと川を知る那賀川流域の古老は語る。
(ダムの上流側は土砂の堆積による河床の上昇による洪水の怖れ、下流は多目的ダムの運用から起こりがちな流量操作が引き起こす人為的な洪水)
それも定量的なデータという根拠を添えて。
地域社会、生態系のみならず
費用対効果と維持管理費用の経済合理性からも
ダム建設は分が悪い。

徳島には良い見本がある。というか生きた文化資産だ。
吉野川の第十堰はそのときどきに人が関わりながら
3百年近くに渡って存在した石積みの堰で
分水の役割を果たしつつ生態系に溶け込んでいる。

洪水を防ぐ効果があると訴求しても
広告の宣伝効果と同じで因果関係の説明が難しい。
その効果を発現させる他の方法、すなわち代替案の検討が行われるが、
環境影響評価や影響緩和策を含めて評価してもダム建設はあり得ない。
人口減少時代に社会インフラの維持管理が大きな問題となるし、
ダムの寿命が来たときにどうするかに答えが見出せない。

(ダムの問題ではないが、徳島では天神丸など剣山系の名峰に大規模な風力発電が企画されているという。これに対し知事は是としない知見。再生可能エネルギーとて大規模集約で行う限り費用対効果や経済合理性、買電に係る国民費用負担の増大などの問題がある。視点を変えて分散型、すなわち各家庭など電気を使うところで発電、蓄電して賄うのが理に叶っているように思われる。知事の判断は慧眼である)

何を解決したいのか、
そのための最適解は何かを説明できなければ論点ではないのだ。


政権はときにメディアを恫喝し
都合の悪い人物に圧力をかけて沈黙させ左遷させ見せしめて
政権に都合の良いように動けといわんばかり。
忖度させる状況を作り出せば為政者は楽だ。
関係者の会社が次々と国の仕事を受託したり補助金を受けたり
その一方で戦略のない思いつきのような法律を次々と成立させてきた。
(恥ずべき為政の先には国民大多数の弱体化でしかない)
そのような独善的な政権が存続しているのは
国民の無関心(無理解)も一因だけれど
政権の暴走を止める手段(憲法や法律)が機能していないからではないか。

近隣諸国をみれば日本の潜在的危機は高まっている。
専守防衛の国に向けて(上空を通過とはいえ)ミサイルを飛ばされる。
これでは先制攻撃を仕掛けられても防ぐ手立てはない。
(迎撃ミサイルで打ち落とせるなどと防衛省も本気で考えていないだろう)
何らかの異常を察知した段階で
行動の選択肢が可能でなければこの国は護れない。

日本国憲法は9条があるために
周辺国との摩擦を軽減しつつ
戦後の経済発展に注力することができた。
その功績は大きい。
戦争をしないというのは崇高な理念であり
受け継ぐべき目には見えない大切な資産である。
しかし現憲法はほころびが目立つようになっている。
例えば、生態系の保全について。

その問題を考える前に、無関係に見える人類の進化を辿ってみる。
とにかくホモ・サピエンス(現生人類)は特異な存在である。
赤道から両極の近くまで、島嶼から数千メートルの高地まで分布して
人口は70億人を越えている。
生態系を人為的に変えたり対応できる唯一の存在。
意図するかどうかにかかわらず、ホモ・サピエンスがいるところ、
他の生物が劣勢に立たされ、絶滅してしまう。

日本でここ数十年を振り返ってもニホンカワウソやトキがそうであった。
一度絶滅した種は二度と現れることはない。
植物や菌とて同じ。熱帯雨林の破壊でどれだけ貴重な遺伝子資源を失ったか。
(それらは難病の治療薬の原料となった可能性があるのだ)

生態系の破壊が他の生物のみならず
人類自身の生存を脅かす事態となっている。
急激に人口を増加させ、進化の道筋を乗り越える適応能力を持った人類は
地球の生態系の門番とならなければならない。
(すべての権利の最上概念が生態系の保全ではないかとさえ思うのだ)

ところが現憲法では、生態系の保全はまったくうたわれていない。
未来に承継すべき遺伝子資源という概念もない。
だから生態系の位置づけを憲法で明確にうたう必要がある。


改憲論者のなかには現状が憲法と合わないから
現状に合わせて憲法を改正するという考えもある。
しかしそれは違うだろう。
めざす国の方向性がまずあるべきで
そこから憲法改正の議論が始まるのではないか。
(何度も言うが、憲法改正ありき、反対ありきではなく、イデオロギーや政党を離れて中立に議論をする必要がある)

では、めざすべき方向とは?
ぼくは、アジアのスイスとなるべきだと思う。
独自の文化を持ち、歴史と文化を大切にし
洗練された国民とその風土に憧れる国々は少なくない。
内需を満たしつつ、何か特別な思いや世界観が伝わって
ブランディングにつながる。
そのことが生産性の高い国家の経済ではないだろうか。
賃金を上げる企業に補助金を打つやり方ではなく
賃金が上がるメカニズムを考えて国が誘導していくのが政策だろう。
(瞬間風速で達成するKPIを訴求しても自立的持続的なメカニズムは根付かない)

外交によってEU、中東、アフリカ、オセアニア、東アジアとも
等距離外交、いわゆる中立国としてやっていければいい。
とりわけ中国との関係性の構築にはそれが前提となるような気がある。
近隣諸国とは文化や経済で域内の一体感を醸成することで
平和を担保し海外展開を有利に進めていくことができる。

自衛隊の担うさまざまな機能のなかで、
災害対応は大きな役割となると思われる。
しかしそれでも防衛のための軍隊は必要ではないか。
害を及ぼす国へは先制攻撃も可能とする軍隊の存在が抑止力ともなり得る。
(ここ数ヶ月の近隣諸国の動きを見ていると危機感を持って生きていかなければと思える)

その場合は第9条の改正や追記などではなく(整合性が破たんするだろう)
理想国家へと向かう道筋を照らしてくれる新憲法が必要である
(現憲法をリセットして無から描く必要があるのではないか)。

中立国として必要最小限の軍備を明記するからには
政権や軍部の暴走を食い止める記述が不可欠。
(近隣諸国との関係改善のためにも)
すなわち、国家とはいったい誰のために存在するのか。
言い換えれば、国民の幸福とは何か。
国民の幸福に資する理念を深く掘り下げていく。
その一点からのみ憲法を考えることができれば
意義のある成果にたどり着けるのではないか。

posted by 平井 吉信 at 23:15| Comment(0) | 生きる

2018年05月18日

突き抜けようとした魂 ブルースカイブルー


歩いて買い物にいける範囲には八百屋が6〜7軒あった。
主に行く八百屋は決まっているが、
ときには子どものおやつはあそこで
パンはあの店でなどと買い回りをしていた。
(まだ子どもが1円玉を握りしめて買えるものがあった時代である)

自転車専門店、喫茶店、肉屋、すし屋(2軒)、キリスト教教会、ふとん店、餃子店、中華そば店、うどん店、仕出し屋、薬局、陶器店…。これらは全力で走れば1分とかからないところにあった。
歩いて2分の場所には子どもの遊ぶ広場(楠と小さな神社もあった)があり
フェンスの向こうは国鉄小松島線の広々とした線路が横たわっていた。
(JR牟岐線の中田駅と小松島港駅を結ぶ全長1.9kmの日本でもっとも短いローカル線でありながら、準急で四国の四県都と結ばれていた)

線路沿いには保線区(汽車の点検を行う車庫)、
石炭を置いておく小屋、
港に着いた乗客を徳島、高松、松山、高知へ向けて
いつ果てるともなく続く車列を踏みきりで見送っていた少年だった。
列車が通過する度、遮断機を人が上げ下げしていた。
路線バスには車掌が乗っていてお金を払って切符を切ってもらっていた時代である。
(岡崎友紀の18シリーズではバスガイドもあった)
https://www.youtube.com/watch?v=xSmRZzH5XS8
(今から見れば仕事の生産性はありえないが、それでもほとんどの国民が中流でいられた。その時代の歌の力と今が違っているのは当然かもしれない)
小松島線は昭和60年3月14日に廃止となる。その最後の日に汽車を見送った。

当時の小松島線の状況が掲載されている貴重なブログ
バッタやコオロギを追いかけた線路沿いの草むらがなつかしい
https://blog.goo.ne.jp/mazenannpuu260915uptodate/e/8d14e04b3976f3cdc009feaf6e3cfdf4

線路をはさんでまた別の公園があり、
地上から2メートルぐらいの高さの時計台の内部に潜り込んだりして遊んだ。
フェンスを跳び越えたボールをこっそり拾いに線路は入ると怒られたものだ。

映画館は2軒あった。
書店も2軒あった。
ハレの日には二条通の洋食堂コトブキに卵の乗ったカレーを食べに行く。
重厚な雰囲気のインテリアに囲まれて家族で食べるのはときめきだった。

その前にはハレルヤの本店もあった。
(同級生の女の子のご両親が経営していた)
いまでは別会社の経営になっているが
金長まんじゅうとたぬきのケーキは受けつがれている。
でも、あの至宝のアップルパイは復刻されなかった。
円形の土手が5センチぐらい盛り上がって多層になった焼き菓子で
このさくさくとした食感と
リンゴの切片がふんだんに載った中央の窪地に載せられて
その下にはラムレーズンのカステラ生地があったような。
(もはやレシピがないのだと思うが、再現されるときは記憶を総動員してお手伝いします)

まちなかに住んでいたように見えるけれど
桜が咲く公園、土だんごをつくれる場所、草むらのコオロギやキリギリス、桜に集まるアブラゼミの合唱、へびやトカゲもテントウムシもカナブンもコガネムシも日常の一コマ。
(近所を5分歩けば虫かごがたちまちあふれるのだ)
蚊にさされてぼりぼり掻きながら草むらに飛び込んだボールを探していると
夏草の草いきれの上に空が見えた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/102997084.html

高度経済成長期にぼくが好きだった絵本が「大きい一年生と小さな二年生」。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/69583506.html


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あの人の指にからんでいたゴールドの指輪を引き抜き…♪

年上の女性へのほのかな憧れをどうすることもできない少年の夏の日、
どこまでも空を駈けようとする思い、
焦燥とほろ苦さをまっすぐな歌唱で向かい合う。
突き抜けようとする魂が歌わせたのではないか。

確かに生きた足跡を刻まれた。
時代の後押しと、自らを信じて歌に力を込めた。
そんな人がバラードをうたった。
ブルースカイブルー、
いまはあなたのために送ります。
西城秀樹さん、ありがとう。
https://www.youtube.com/watch?v=9L3LJqhyfFY
posted by 平井 吉信 at 10:51| Comment(0) | 徳島

2018年05月14日

おいしさの向こうに見えたホモ・サピエンスの辿り着いたそれぞれの記憶 決して一人ではないことを幸福として噛みしめる 

料理人なら誰でも知っている。
徳島は日本有数の食材の宝庫であることを。

清流度では高知県と並んで日本1,2を争う。
そこから流れる川が山のミネラルを流域の土地に、
海に伝える。

海はというと、
鳴門海峡で狭められた水域と瀬戸内海、
吉野川、那賀川などの大河が吐き出す土砂やミネラルを貯えた紀伊水道、
そして海洋深層水の接近する室戸岬に近い県南部の黒潮洗う海。
肥沃な土、さらさらとした海岸性の砂地、水はけの良い山岳地帯、中山間地域の棚田…。

京阪神に近い立地と相まって多種多様な農産物や魚介が採れる。
京都にも近いから、京都から料理人が流れてくる。
産地に近いから手頃な価格で手に入る。
だから、食材をそのまま食べる愉しみがある。

例えば、トマトやイチゴ。
せっかくおいしい食材を食べずに
わざわざスイーツを取り寄せることもあるだろうけど、
おいしいときは、そのまま食べるのがおいしい。

ミニトマト(羽ノ浦町産、250円)
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イチゴ(勝浦町産、350円)
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トマト(徳島市国府町産、322円)
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同じ日に別々の場所で購入したものだけど、
口に入れてみたときの驚き。
脳の細胞が沸き立って消えていく。
その通り過ぎていく至福を言葉で表すことはできない。
それは人類数十万年の旅を噛みしめているのだ。

700万年前、チンパンジーの祖先と分かれ
直立二足歩行と夫婦単位で暮らし(アルディピテクス・ラミドゥス)、
集団で自らを守り栄え(アウストラロピテクス)
火や道具を使いながら末永く繁栄して極東まで歩みを進め(ホモ・エレクトゥス)、
中東で出会った芸術家のような同胞(ホモ・ネアンデルターレンシス)の遺伝子を受けつぎ
今日に至る遺伝子を受けつぐ一人(ホモ・サピエンス)の脳内に届けられた
数え切れない時間と思いの果てにあるもの。

食べることは生きる本能に基づく行為でありながら
(一日のかなりの時間をかけて草や根を歯ですりつぶして食べていたアルディピテクスやアウストラロピテクスにとってはそういうことだろう。それよりもっと後に火が使えて肉を家族や集団で分け合って食べた世代はどんな意味を見出していたのだろう)
食べることにそれ以上の価値を見出すのは人類ならでは。
それが味わいであったり、食を通じて関係性を確認したり、
その関係性が増していくことに歓びを感じたり、
食を通じて背後にある思想やかたちないものに思いをはせたり…。

それを奇跡と呼ぶのか感謝と呼ぶのか、
説明ができないから幸福感としておこう。
posted by 平井 吉信 at 00:06| Comment(0) | 生きる