2018年04月22日

夕方だから出たくなる 歩きたい 中津峰


出張が続いた週末は用事がたまっている。
時計を見ると16時前。
このまま身体を動かさないと身が持たないと感じて山へ行く。
登山ではなく山歩き(散策)。
(山歩きは疲れを取るために温泉へ行くのと同じ。精神論ではなく科学的合理的な理由から。ただし心拍数を上げない歩き方が条件。ぼくはナンバ歩きなので息が上がることはほとんどない)

この時間は山で出会う人はほとんどいない。
だから静かな山旅が楽しめる。
行くとしたら近場の山ということで中津峰しかない。

もはや日の陰った場所が多い。
そんな場所でこの季節の風物詩はシャガの群落。

ニコン(D7200)で捉えたこの絵がいい。
幽玄を彷徨うような、しかし忠実度の高い画像。
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フジX-T2+XF35mmF1.4 Rで捉えたシャガには虫がいた。
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シャガの群落を見下ろすように葉が絡まった幹が斜めに
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登山口にはスミレが多い。
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山菜が陽光を浴びて背伸びしている
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谷筋の地形に出くわした。どこまでも追いかけていきたくなる。緑と光のなす織物のような光景だったから。
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ツツジもちらほら。すでに盛りとなっている個体も
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山頂を過ぎて南西のゆるやかな尾根の踏み跡をたどる
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いままで通っていない踏み跡を進んでみると林道に出た。
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きょうは中津峰なので地図を持っていない。
たぶん知っている道へ抜けるだろうと思っていたらまさにそこ。

車道を歩けばそろそろ日没。
この辺りは人工林だが、間伐が機能している(混交林)。
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見上げた空に飛行機(複数)。
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飛行機を追いかけて黄昏。
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徳島市南部の標高773メートルの中津峰を夕方歩く疑似体験をしていただけましたか?



タグ:中津峰
posted by 平井 吉信 at 22:52| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年04月16日

沢が流れ込む先は明丸海岸 波打ち際は哲学者の時間


休日を南阿波サンラインで過ごすことぐらい
おだやかで心が弾むことはない。
海岸性照葉樹の森と海崖が一体となった場所を
道がなぞって曲がる度に新たな発見があり
生きていく気持ちが筍のようにふくらんでいく。
(気持ちがふさいでいる人、行ってみて)

外ノ牟井浜からさらに南下する。
明丸海岸へ降りる前に第3展望台へ立ち寄ると
花が散ってしまったソメイヨシノに
たった一輪(一房)だけ残っている桜があった。
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散った花びらからさえ蜜を集めて飛び交う
(世界の片隅で営まれている生命の一コマ。この積み重ねが進化と絶滅だね)
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路傍の花、その思いがけなく空間ににじむような純白に
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沢が流れ込む先は明丸海岸。
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波を見ているだけでごちそう。
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海辺に咲く山野草を探してみた。
これはキランソウで高さは1〜2センチ程度。
(何か特殊な機材を使っている? ミラーレスの標準レンズで中間リングを入れているだけ。フジX-T2+XF35mmF1.4 R)
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足元の山野草に目を留める人は少ないけど、目線を落としてやれば花は饒舌(コバノタツナミソウ)
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種類はわからないけどスミレの仲間
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かつて昭和の時代に観光開発が行われた南阿波サンラインも
いまでは道路だけが取り残された。
そこに息づく生態系とヒトとの濃密な関係は
ホモ・サピエンスが失いかけている自然への感性を覚醒させる。

「徳島には何もない」と自虐的に表現するのは
頭でっかちで感じない心。
自由で制約のない時間と空間に魂を遊ばせることができれば
もっとヒトは過去に戻れるし、そこから未来を俯瞰できるはず。

真空で鉛筆を完全な垂直に立てたとしても
いずれかの方向に倒れることから
南部陽一郎さんは自発的対称性の破れを発見した。
対称性が破れることで真空にムラを生じて(真空の相転移)
素粒子の動きにくさを生じ
質量を形成するヒッグス粒子にまで辿り着く。

ホモ・サピエンスに比べると
言語能力が劣っていても大脳のある領域が大きかったと想像される
ネアンデルタール人はもっと自由に時間や空間を認識し
それを自分が感じるままに表現していたはず。

70億人もいるヒトが地球上の独裁者のようにふるまう現代は
(政治も世界の随所で独裁政治がはびこっている)
人類滅亡への滑走路を滑っているように思える。
それは必然なのかもしれないが
そうでない生き方があるのではとも考える。
posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年04月15日

南阿波サンライン 外ノ牟井浜の休日


南阿波サンラインに入って
目に止まったボタンザクラに車を停めた。

花見と称して桜をほとんど見ない人もいるけれど
角度を変えつつ木から漂う花の精気を感じつつ
気がつくとほとんど1時間。
空が青いから余計なことを考えず、
桜だけに集中できる。
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トンネルを越えるとそこは太平洋だった。
すぐに外ノ牟井浜(とのむいのはま)へと降りていく。

波が打ち寄せる。
見ていれば時間が過ぎていく。
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休みの日だというのに誰もいない。
目で波を追いかけると
波の切り口から海底が見える。
太陽はそこまで達している。

動画にしてみた。
長くない再生時間だけど海を感じてみて。






目を閉じると陽射しがいっそうしみてくる。
そして波の重なりの多重録音が低い共鳴音を奏でたり
小石を巻き上げるときに小鳥のさえずりを奏でたり
ガラスのこすれるようなきらめきを放ったり。

外ノ牟井浜だけで一日が終わりそうだ。
いや、終わるのではなく、
生きることの始まりが毎日訪れているのだ。

追記
人家がほとんどない南阿波サンライン(室戸阿南海岸国定公園内)にあって
唯一、海洋生物の研究所が外ノ牟井浜にある。
(こんないい環境で研究開発ができるなんてうらやましい。昼休みに浜まで歩いて2分!)

この浜の清澄な海水を使ってプールで生産されているのが、
美波町特産のアオノリ。
この海域は無人の海岸線で流れ込む川がないこともあって
生活雑排水の影響がない。
(山から直接降りてくる沢はたくさんあるが水質汚濁は皆無)

砂やゴミなどの介在物がない人工環境での生育でもあり
安心して食べられる。
お好み焼きやみそ汁、パスタなど応用範囲は広い。
「日和佐あおのり」(2種類ある)
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200349/
http://www.pref.tokushima.jp/takarajima/docs/2014012200394/
道の駅日和佐では手に入るが、県内のスーパーで見かけることもあるかもしれない。
posted by 平井 吉信 at 22:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年04月10日

ネアンデルタール人への思いはいまも


強い者が生き残ると考えている人は多いだろう。
ところが進化については必ずしもそうとは言えない。
むしろ強すぎると生き残るのに不利になるような気がする。
(以下は生物学的な考察ではなく感覚的な感想に過ぎないのだけれど)

我が世の春を謳歌した恐竜は
6,500万年前の隕石衝突がきっかけとなって
一瞬のうちに絶滅したとされる。
(地球がその時々に全生命体に与える究極の試練、全球凍結や灼熱地獄などを経験した生命はその度に劇的な進化を遂げた。試練は機会となることを胸に刻んでおくとつらいことがあってもむしろ励みになるはず)

そんななかで生き残ったのは
強者の陰に隠れて細々と生きていた哺乳類の祖先だった。

強すぎるとどんな弊害があるのか?
環境に適応して勢力を伸ばす(増やす)ことになる。
これは間違いないだろう。

ところが環境の変化が起こり
生態系の変化が起こる。
生態系は連鎖しているので
頂点に立つ種への影響は計り知れない。

企業経営にも当てはまる。
あまりに我が世の春を謳歌している企業は
ビジネスの革新は自分の首を絞めることになりかねない。
(つまり収益の要となっている自社の主力事業を自社の新規事業が浸食していく)

ビジネスモデルの革新は
潜在的な需要を喚起するとともに
それまでの支配(競争)のルールを書き換えてしまう。
強みの源泉となっていたことが変化への障壁となって
ビジネスが成立する世界観が崩れてしまう。
強者の企業が強みを磨きつつも
多角化や複合化に走るのは革新への怖れからだ。

人類の場合、ぼくにとって謎であったことは
ネアンデルタールと現代人(ホモ・サピエンス)との関係である。

古い教科書には、ネアンデルタール人は現代人につながる旧人と記されていたが
いまでは紛れもない現代人として「ホモ」の冠称を付けて
「ホモ・ネアンデルターレンシス」ともいう。

ネアンデルタール人は、体格に優れ、脳の容積も
当時のクロマニョン人と比べても大きかった。
色白で褐色の髪をしていたとされ
スーツを着ていまの東京を歩いていても
誰も振り返ることはないだろう。

それなのに絶滅してしまった。
もっとも近い種族として
同じ地球上で試練や豊かさを分かち合った親しい仲間として
ネアンデルタール人への哀愁と感謝を込めて
ぼくは生きている(おおげさではなくそう思っている)。

おさらいだが
ネアンデルタール人は異なる人類である。
白人と黒人は随分見かけが違うので別の種類の人類のように見えるが
同じホモ・サピエンスである。
(70億人がほとんど同じDNAを持つということは、ホモ・サピエンスが小さな集団から再出発したことを意味している)
ところが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは
遺伝子の配列が異なる。
もしかして見た目の違いは
同じホモ・サピエンスの白人と黒人の差が
異なるヒト属である現世ヨーロッパ人(ホモ・サピエンス)と
ネアンデルタール人のそれよりも大きいかもしれない。

ネアンデルタール人はホモ・サピエンスとの生存競争に敗れたともいえる。
それはなぜか?
数年前のぼくは、言語能力の差があったこと。
世代交代につれて生存を左右する知恵の蓄積と
それを共有する能力の優劣につながったという説を信じていた。
(わずかな骨格の差から発音の明瞭さが異なるのではないかとの推測による)

もしネアンデルタール人がいまも生きていたなら
大相撲の横綱はすべてモンゴル人ではなく
ネアンデルタール人になっていたかもしれず
脳の容積は知性に比例するのであれば
ノーベル賞の受賞率はホモ・サピエンスより高かったのではないか。

当然、異なる人類同士なので争いは起こったはず。
(同じ人類同士でも争いはあったはずなので)
その際に1対1での戦闘は体力で勝る彼らが上だっただろう。

しかしここでも強者は生存につながらなかった。
約3万年前(諸説あるが)に絶滅してしまった。
ぼくにはネアンデルタール人が文化や芸術の素養を持ち
むしろ争いを避けたのではないかと思えて仕方がない。

ネアンデルタール人は魅力的であったのではないか。
それは科学的な検証を得て復元されたネアンデルタール人の顔から想像する。
ぼくがクロマニョン人だったなら
ネアンデルタール人の女性に惹かれていたような気がする。
ネアンデルタール人のなかにも
ホモ・サピエンスの異性に惹かれる場面があったのではないか。

そう思っていたら
数年前に衝撃的な本が出版された。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は混血していた、
現代人のなかにネアンデルタール人のDNAが生きているというのだ。

混血で獲得したDNAは特定の病気に罹りやすいデメリットをもたらしたが
それ以上に利点ももたらした。
異なる種族で受けつがれた遺伝子がもたらす多様性が
種の保存に有利に働いたのではないか。

ぼくが言いたいのは
現代に生きるホモ・サピエンスの画一的な生き方に危うさを感じるということ。
(みんなが同じものを良いと思って同一性を極限まで推し進めていく生き方)
言い換えれば、絶滅に向けて束の間の繁栄を謳歌しているようにも見える。

諸行無常、万物流転などの仏教の考え方や
生物多様性の価値や意義という生態系の視点に立てば
一人ひとりどのように生きていくかを自分で考えて
忖度とかSNSへの依存などではなく
自分のモノサシで生きていくことが何より必要なのではないか。

感情の動きをかたちにした非言語的な表現(芸術)をネアンデルタール人は持っていた。
一方で言語を道具に知識や知恵を体系化して承継していったホモ・サピエンス。
ホモ・サピエンスの社会で生きていくという現実を見据えながらも
ネアンデルタール人のような生き方や思いに共感しながら生きていきたい。

NHKで全3回シリーズで始まったNHKスペシャル「人類誕生」。
http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/
今回はCGでの動きに最新かつ細心の技術や感性を取り入れている。
アルディピテクス・ラミダス猿人の動きは出色であった。
次回(5/13)は「そしてヒトが生き残った」。
(いよいよネアンデルタール人が登場する。ホモ・サピエンスとの関係はどのように描かれるか楽しみ)

およそ20万年前に生まれたホモ・サピエンスは、アフリカを旅立ち中東へと足を踏み入れた。そこで待っていたのは、別種の人類ネアンデルタール人との出会い。彼らとの混血で獲得した遺伝子が、私たちの進化に大きく貢献したことが分かってきた。
しかし、出会いからわずか1万年ほどでネアンデルタール人は絶滅。なぜ私たちの祖先だけが生き残ったのか? カギを握っていたのは、ホモ・サピエンスの「弱さ」とそれを補うために進化させた「協力」だった。(番組紹介文から)


ライバルと比べて圧倒的に不利な状況や乏しい経営資源だったからこそ
大きな飛翔ができた。
それを企業経営やプロジェクトで描いたのが
プロジェクトXであった。
弱いからこそ、道を模索する。
そこに人類の繁栄につながる大切な行動があったとしたら
現代の人類の生き方はその方向から逸れている。
ネアンデルタール人がかつての友朋に警鐘を鳴らしているように思えてならない。

人類の起源と進化については
年々新たな事実が書き加え(書き換え)られているのだ。
https://amzn.to/2HpiPYC

posted by 平井 吉信 at 20:18| Comment(0) | 生きる

春なのにキリギリス?


出かけようと玄関に出た途端、
クビキリギスと目が合った。
4月3日のこと。
こんな時季にいるとしたら越冬個体?
(聞いたことがない)
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posted by 平井 吉信 at 19:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年04月07日

振り返っても誰もいないおいしさ 桜に莓に 季節が通り過ぎる 


大都会に住んでいるとマーケティングの渦に巻かれて暮らしている。
春が来ると(季節の先取りとして通常1〜2週間前)
春の季語に載せて購買意欲を刺激する記号が溢れる。
いちごのスイーツ、桜の和菓子…。
食と季節をわかりやすく見せてくれるのは
地方ではなくて都会かもしれない。

まずは季節があり、
季節の変化をもたらす万物の変移がある。
その気配を感じられたら
風土との一体を感じられる。
それには地方がいい。

徳島は知られざる食材の宝庫であり
旬の食に囲まれた暮らしは豊かである。
生命体の盛り、華がそこはかとなく感じられる。
それが栄養であり滋味であり
目に見えない精力をいただく気がする。
(思い出してください。瀬戸内海、紀伊水道、太平洋とミネラル豊富な清流が海に捧げるプレゼントを。自然界のミネラルに裏打ちされた多様性が徳島の食の本質)

ここ数週間、生活は桜とともにあった。
徳島の地で野に咲く花はもちろん
人がつくる果物や野菜も含めて
それを愛でつつ、食べることは口福であり
生きている幸せを実感できるのではないだろうか。


脇町の川田光栄堂で求めたのは桜餅。
和菓子は見かけで判断できないものだけど
この桜餅は香りを大切にていねいにつくられている。
目を閉じて、今年の桜に思いをはせるひととき。
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こちらは徳島市の郊外、佐那河内村だけで産するイチゴ。
さくらももいちごと名付けられている。
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ほとんどが大阪の卸売市場へ出荷されるため
徳島県人でも食べたことがない人、見たことさえない人も少なくない。
ぼくもこれまでの人生で初めて店頭に実物が並んでいるのを見た。
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(先端がやや色づきが悪いだけで味は変わらない。地元JAの売店で普通に買えるけれど価格はお伝えできない)

続いて莓のシフォンケーキの話題。
中土佐の風工房のイチゴのシフォンケーキは
甘さたっぷり、そして塩味とイチゴテイストのたっぷり感がわかりやすい。
(ベタな訴求は地域のソウルフードならでは)
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それに対して、素材感を大切にていねいにつくる人がいる。
→ 以前の紹介記事 http://soratoumi2.sblo.jp/article/182064450.html

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この莓のシフォンは
果物としてのイチゴが感じられる。
菓子を壊さないぎりぎりまで素材感を閉じ込め、
しかも香り立つ(佐那河内の莓を添えてみた)。
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人生の最後でこんなお菓子を食べられたらと思えるような―。
作り手はhowattoの伊豆田裕美さん

続いて桜のシフォン。
こちらはさらに精妙なる香り。
桜の塩漬けの風味を引き出しているのは小豆の甘み。
桜の風味がさざなみのように立ち上がるが、
それも一瞬のうちに通り過ぎる。
いまのは何?と振り返っても誰もいない喪失感。
ほのかな香りが吐息を潤すよう。
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素材感を直截的に伝えようとしながらも
素材の組み合わせを「おいしさ」として再構築している。
作る人のやわらかな感性を伝えてやまない。

posted by 平井 吉信 at 19:30| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

吉良のエドヒガン 神社と新緑が桜を後押し


つるぎ町は剣山への表玄関のまちである。
そこではどこまでも転がっていきそうな急傾斜地での農業が営まれている。
関係者のご尽力で先月(2018年3月)、世界農業遺産に認定された。
(篠原尚志さん、よかったでござる)
→ にし阿波の傾斜地農耕システム』について
http://www.town.tokushima-tsurugi.lg.jp/docs/294781.html

そのお祝いに桜を見るというのは意味不明だが、
吉良のエドヒガンを見たことがなかったので
行ってみることにした。
町の商工観光課に電話で確認すると
散り始めていますが、まだ残っています、とのこと。


貞光川沿いの細い道を右折して川を渡り
そのまま上がっていく。
標識があるので迷うことはない。
(吉良地区を一方通行となるように標識は誘導している)

ここには忌部神社がある(表示は御所神社)。
全国で徳島だけにしかない神社とされるが、
いくつか候補地がある。ここもそのひとつ。
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神社に隣接する丘に樹齢四百年を超えるエドヒガン桜がある。
神社から見た桜のある丘
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丘から見た神社
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地元の方がお接待で詰めておられた。
その方が連れて来たのだろう。決して吠えないおとなしい犬。
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エドヒガンの左手の椿
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落ちた椿の花、命尽きる瞬間に輝きを放つ、その静かな存在感
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吉良地区は花に囲まれた集落
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エドヒガンにやってきた野鳥
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すでに花の盛りを過ぎているエドヒガンだが
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むしろ葉の輝きを付加して別の魅力をまとっている
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吉良の里の桜を愛でつつ貞光川沿いへと下る
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タグ: つるぎ町
posted by 平井 吉信 at 18:47| Comment(0) | 山、川、海、山野草