2018年03月29日

春霞をたゆたう弁財天の微笑みと生名谷川の夜桜


夕方、仕事で面談していた女性が
学生時代にフルートを吹いていたといわれるので
「アルルの女」(第2組曲のメヌエットのこと)を吹いてください、
とお願いしたけれど、
練習していないので―
と笑顔でかわされてしまった。

その方が美しい独身女性というのもあるけれど
フルートを構えた姿が
春霞をたゆたう弁財天のほほえみ―と想像できたので。
(CDをかけるので音は出さなくても演奏する姿態だけでいいのだ、などと書いてしまったが、まさかこのブログをご覧にはならないだろうと)。

そこで春霞をたゆたう弁財天のような桜を見に行こうと
そのまま国道55号線を南下してやってきたのは
勝浦町の生名谷川の夜桜。
(写真だけ見てもらえば説明は要らんでしょ)
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(フジX-T2+XF35mmF1.4 R、フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS=すべて手持ち。水銀灯や人工光源の色がさまざまに被るので色の再現が予測が付かないところにご注意。高感度が必要なのでスマートフォンでは手に負えないと思いますよ。ところで、春霞をたゆたう弁財天のほほえみって何ですか?などと聞かないで)


タグ: 勝浦町
posted by 平井 吉信 at 17:18| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年03月28日

西条市加茂川河畔の武丈公園 そこから八堂山へ 石鎚が見えた春の桜日和


西条市での仕事の翌朝、
絶好の天気となった。
このまま山へ行きたいぐらいであるが
午後からは徳島で用事がある。
そこで西条市内の桜の名所を訪ねることにした。

加茂川沿いにありそうな気がして車を進めると
河川敷に桜が見えたのでそこに停めた。
ソメイヨシノにはまだ早く
しだれ桜は満開となっている。
土手では出店の準備をしている。
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石鎚山系から流れ出す加茂川流域は人口が少なく
河口近くになってもまだこの水質。
そこにあるのが武丈公園。
車は河川敷に置ける。
まちの中心から歩いていける場所にこんなところがある。
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春霞の今頃にしてはめずらしく空は澄んでいる。
そのため雪化粧の石鎚山がくっきりと見える。
西日本最高峰を従えて水の都西条市は住みやすいまちである。
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石鎚と桜を同時に納めようとしたがうまく入らない。
公園の桜はまだ部分的に咲いている程度
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河原のしだれ桜が人気を集めている
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白いタンポポとしだれ桜
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人が増えてきたので加茂川沿いを上流に散策していると
登山口があった。さらに行くと鳥居。
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標高197メートルの八堂山という。
どのぐらい距離があるかわからないが
登ってみよう。
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高度を上げるにつれて加茂川の下流がパノラマとなって横たわる。
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スミレが群生している。花の群生は今年初めてかも。
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山頂には集落跡がある。弥生時代後期の高地集落のようだ。
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落葉しない照葉樹の葉に生命を感じて立ち止まる
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下りも行きと同じ道だが、視線が違えば別の風景に見えるかも
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登山道では数え切れない人々とすれちがう。
多くは高齢の方。
こちらからあいさつがてら、会話を切りだして話をうかがう。
加茂川を臨みつつ下っていく二人の男性。
人生の過ごし方として充実を感じているのでは?
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再び河原へ降りてくると人がしだれ桜に集まっている
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アウトドアを楽しむ人のたたずまい
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麗しい女子が水面に映る自分たちを眺めているよう。
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加茂川に映える菜の花
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桜が見せる光と翳り 春のうららの加茂川
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久しぶりに西条そば甲(きのえ)でざるそばをいただいた
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タグ:そば 西条
posted by 平井 吉信 at 21:32| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年03月21日

雨に打たれる金長神社 春を迎える日はいつまでか


かつてここには無料の動物園があった(無料だったと記憶している)。
孔雀、狸、猿がいたように思う。
動物はコンクリートの箱形の建物で飼われていて
その建物に上がることができた。
(猿の檻は金網なので上がれない)

小学校の頃には写生大会があり
学校から歩いてきたことがあった。
遠足のおやつは、カバヤのジューシーとか明治のハイレモンとか。
森永ミルクキャラメルやチョコボールだった。
(それとバナナも忘れてはならないだろう)

金長公園にはいつも動物の鳴き声が聞こえていて
見上げると小松島の象徴、日の峰が背後にそびえていた。

金長神社は動物園の片隅にあった。
動物園の敷地には桜が植えられ、花見もできた。
妹を連れて来たことを思い出した。

小松島市では、来たるべき南海地震に備えるべく
この場所を防災機能を持つ都市公園に整備するということで
金長神社は撤去されるかもしれないとのことである。

ぼくはときどき金長神社を訪れているけれど
いまの金長神社が観光資源と呼べるかどうかはわからない。
低未利用地で数少ない種地でもあるこの場所を
市民生活に活かすために都市公園へ整備することは間違っていない。

ただし、金長神社のあり方については
都市公園と切り放して考えることもできると思う。
歴史や文化は未来へと続くまちづくりの資源(拠り所)であり
いまのかたちでなくても方策(リノベーションや再創造)はあるように思う。

公共の場所に宗教施設は御法度というのは理解できる。
しかし金長神社は宗教施設といえるかどうか。
昔からの由緒ある神社というよりは
映画のヒットへの感謝を込めて
昭和31年に映画関係者が建立したもの。
いわば神社というよりは顕彰施設。
(宗教法人ではなく自治会のような組織が運営しているのでは?)
だから市が宗教施設でない由来や経緯を付して
国土交通省に説明すればそれで済むような気もする。
(このようなローカルマターで国が市を指導する時代ではないだろう)
土地と建物を運営組織に管理してもらい、
地代家賃と相殺することもできるのでは?

いまの世の中、
権力を持った中枢に近い面々は
親族や知人の企業などが(まるで優遇されるように)
例外扱いやうまく大義名分を役所が忖度してつくることで
補助金を受けたり大きな事業を受託している。
(世間を騒がせているあの事件だけではないと思うよ)

その一方で
下々では法令を遵守することが目的となって
(法治国家である以上それは大切なこと)
法令を字義どおりに解釈して地元の事情とそぐわなくなってしまう。
(中央集権ではなく四国が判断すれば動かしていける自治が必要。そこがこの問題の本質だよね)

そして行政や議会に任せないで自分たちが考え動かしていくことが大切。
議員報酬など無償で良いから(議員報酬が低いから議員のなり手がいないのではないよ。誰でも議員ができるしくみを取り入れることが本質)。
どんどん市民が議決権を持って参加できる議会でありたいね。

父もぼくも狸に化かされたことがあることは以前にこのブログにも書いたけど
魑魅魍魎はどんどん消えていく。
小山助学館からかつて発刊されていた三田華子の「阿波狸列伝」はほんとうにおもしろいよ。
(スターウォーズやハリーポッターはこれと比べると人情の機微がない大味に見えてしまう)
関係者が電子書籍にしてくれたらもっと広まるのにと思いつつ。

だから雨がしょぼしょぶ降る夕方に金長神社に来てみた。
誰もいない。

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posted by 平井 吉信 at 22:20| Comment(0) | 徳島

雨が続く春の彼岸前

雨が続く春の彼岸前、
早咲きの桜も雨に打たれて散っていく。
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残っている花から滴る水滴が
早咲きの桜も雨に打たれて散っていく。

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うちの庭でも緑の勢力が入れ替わりつつ。
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雨が止んだ夕方、
日の峰に上がってみた。
そこから見える小松島の市街地がどのように見えるかと。
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遠き山に光が落ちて港の水面がさざめく黄昏。
雨が続く春の彼岸前。

(ニコンD7200+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED、フジX-T2+XF35mmF1.4 R)
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posted by 平井 吉信 at 21:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2018年03月18日

高校生に戻って電子辞書 生産性も上がる


今頃になって電子辞書を買ってみた、というのは理由がある。
受験に挑戦するから…ではなく、実は愉しいこと。

なぜ電子辞書がいいのか、どのような理由で何を選択するのかなど
興味がある人は別ブログにてどうぞ。

「ホワイトカラーの生産性を上げる〜電子辞書の活用〜シャープPW-SH5を選んだ〜」
http://soratoumi.sblo.jp/article/182729264.html
posted by 平井 吉信 at 22:32| Comment(0) | くらしとともにあるモノ

川はおもしろい 鷲敷ラインにて


春の山野草を求めてやってきたけれど
すみれをわずかに見ただけで
まだ冬眠中のよう。

本流は数日前の雨で増水して春らしからぬ勢い。
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でも、おもしろいのは沢の湧き水が河原を流れる生態系。
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クレソンが自生している
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河岸段丘もあれば、三角州もある。
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見ていて飽きない。

プロジェクション・マッピングでは
生態系の複雑なつながりは再現することも連想させることもできない。
(人類はいまだに閉鎖的な生態系すら再現できていない=>バイオスフィア2の実験)
ほんものを見ないとね。
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posted by 平井 吉信 at 12:58| Comment(0) | 山、川、海、山野草

大松川か多々羅川か? それとも勝浦川か?


タイトルを見て内容がわかる人は地理マニアである。
それも徳島在住。

中学に通うのに川の土手を自転車で走ったのは大松川沿い。
水鳥が羽根を休めている光景によく出会う。

とくしま動物園の西のため池から流れ出して
徳島市南部の渋野、西須賀、三軒屋を通って大松川へと合流、
さらに勝浦川へ合流するのが多々羅川。
多くの人が頭に描く里山の川といったところ。

この小さな小川が文学になっていることをご存知だろうか?
瀬戸内寂聴「多々羅川」(新潮社)。
場所」に収録されている。
http://www.shinchosha.co.jp/book/114436/

寂聴さんの母は、7月4日の徳島大空襲の折、
身体の不自由な祖父を守るように防空壕で折り重なって亡くなられたという。
寂聴さんの不戦への強い使命感もそのような体験があったからこそ。

大松川は、勝浦川下流の分流であった。
小学校の頃、祖父の持っていた地図には
大松川の記述が確かにあったことを覚えている。
(埋められる前の地勢)

川の下流は三角州が発達する。
ここで県内の河川の三角州を繙いてみる。

◆吉野川
もともと旧吉野川が本流であった。
お城下の水利を求めて水路を掘削(もしくは元々あった流れを拡幅)したところ
水が流れやすいほうへ流れるので
どんどん川が成長したのがいまの滔々と流れる吉野川。
その結果、藍住、松茂方面へ水が行かなくなったので
分流のための堰を設けたのが第十堰といったところ。
(諸説があるようである)
新町川ももともとあった田宮川からの流れと
吉野川からの引水でできたのかどうかはわからないけれど
大きく捉えれば吉野川デルタの一部だろう。

◆那賀川
河口付近で岡川(桑野川)と合流している(していない?)ようだ。
三角州というよりも
日本有数の雨の多い木頭地区からの水を集めた急流が
土砂を押し流してくちばしのように平野を海に突き出しているようにも見える。
急流河川ゆえ、三角州の形成よりも堆積の力学が働いているように見える。

◆勝浦川
自由蛇行という点では県内では勝浦川がもっとも三角州地域が広いように見える。
大松川から神田瀬川までもがかつての勝浦川の流路と考えられる。
特に園瀬川、多々羅川、大松川、勝浦川本流が競うように流れる下流は
人が住みにくい湿地帯となっていたはずである(いまも残る)。

前述の世に勝浦川の分流であった大松川は、
JR牟岐線鉄橋の下流付近から分波して北流する。
大松川下流は水を湛えているが
上流はというと川の痕跡があるだけ。
ということは、上流は伏流していたのではないだろうか。
だから人為的に土手を閉めて埋め立てられたのではないか。
(勝浦川の分流であった大松川を吉野川水系と記述しているウィキペディア(Wikipedia)は間違っているのではないか?)

堤が締め切られて表面を流れる水はなくなったが、
それでも不思議なもので小さな流れは残っている。
そして多々羅川から水をもらうと大河のような雰囲気に変わる。
つまり大松川は勝浦川分流の三日月湖の上流が締め切られた川となっている。

締め切られる前は勝浦川に挟まれた地域があったことになる。
南部中学校はおそらくは大松川の河床につくられたもので
バイパスから二軒屋方面へ左折すると橋がある。
明らかな土手の流れや河床のような地形があることから
かつて川であったことが容易にわかる。
ゆえにこの辺りの建物は沖積平野の地盤に建てられている。

勝浦川に限らず、川の下流は三角州が発達する。
小松島市田浦地区から清浄が池、菖蒲田池を経て
小松島旧港へと注ぐ神田瀬川も勝浦川のかつての流路だろう。
徳島市南部は居住に適した地域だが
そのほとんどが沖積平野のため
洪積台地など岩盤らしき地盤を選んで家を建てるのが良い。
(山の裾野などに見ることができる)

多々羅川と大松川は何度か合流と分流をしているため
どの部分が多々羅川でどの部分が大松川なのかわかりにくい。
さらにその多々羅川も
徳島市方上町付近からの流れを集めて並行して流れ
(間に植物が繁茂する中州が続く)
合流することなく片方は大松川と合流して勝浦川へ
片方は園瀬川へと注ぐ。
自然地形なのか、水利権などの人為的な要素なのか?
この地形を読み解ける人はいますか?

(グーグル航空写真から引用)
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(合流することなく並行して流れる多々羅川)
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さらに勝浦川はどこまでが勝浦川なのか?
多々羅川の下流はかつての勝浦川の三角州の一部と見える。
その中州の地形を利用して人為的に土手(道路)となっているようにも見える。
もともとの水面を閉じたのであれば多々羅川の下流の広がった溜まりは
勝浦川と見なすのが自然である。
一方閉めた部分を多々羅川と見なすと
多々羅川は園瀬川へと注ぐことになる。
真実を求めて勝浦川下流域のこれらの川は自転車でめぐるのがいい。

多々羅川はJR牟岐線で中田駅から勝浦川を渡ってすぐに見える小川がそう。
里山の風情を宿した流れはぼくが子どもの頃から変わっていない。
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そんなことを書いていると
きょうはこんな夕焼けが大松川にやってきた。
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ところで、電子辞書の購入が文章を書く時間を短縮できている。
→ ホワイトカラーの生産性を上げる〜電子辞書の活用〜シャープPW-SH5を選んだ〜

(X-E2+XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
posted by 平井 吉信 at 01:34| Comment(0) | 徳島