2017年04月09日

寒い3月のあたたかいラーメン


もう4月があと数時間というのに、高速道路の池田SAは雪景色。
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こんなときはあたたかいラーメンをと、
魚介の出汁をていねいにつくりこんでいるお店へ駆け込む。
たまたまのれんがかかった直後の1番客となった。
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(濃厚魚介らぅ麺 純)
タグ:ラーメン 2017
posted by 平井 吉信 at 00:23| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

たどりついた里山に台湾桜、幸福はすべてに優位する。黒潮町にて


国道56号線を北上していて右手に桜が過ぎった。
一瞬であったが風情があった。
桜が大量に列を成して植えられた○○公園とか
○○堤などの人が多い名所の桜もあるけれど
ぼくはあまりときめきを感じない。
それよりも、里山などでぽつんと存在している桜の存在感。
この桜も山全体を覆うのではと思えるほど。
そして誰もいない。
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と思ったら、樹木の下で女性が写真を撮られていたのでお話しを伺った。
いつも楽しみにされて中村から来られているとのこと。
今年は遅れているけれど、例年なら3月中旬が見頃のよう。
ご親切にも近隣の桜の咲いているほかの場所を
わざわざご案内していただいた。
気取らないのに品格がにじみ出ている女性である。
でも、ぼくはこの桜の枝振りや存在感に惹かれる。

看板があることに気付いた。
文殊菩薩がおられるとのことで
学業成就の願いごとを掲げた絵馬が掲げられていた。
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桜の種類はわからないが、あとで調べると台湾桜というらしい。
樹勢は元気がある。
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椿と新緑と桜が視線の先に並んでいる。
人間の脳はこれをごちそうと判断して大喜び。
四半世紀前のタムロンのマクロ90mmF2.5を付けてみた。
明るい色調でフジ純正とカラーバランスが異なる。
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在所のおばあさんが文殊堂のお世話をされている。
里の暮らしとともにこの場所は守られている。
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(黒潮町にて。フジX-E2+XF14mmF2.8 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS、XF35mmF1.4 R、タムロンSP90mmF2.5)

追記

朝のまばゆい光に吸い寄せられるようにこの場所に来てしまった。
桜の精が人と人を会わせるように
電子空間を彷徨ってここに辿り着いた人もいらっしゃる。
仕事の人間関係に苦しんでいたり
家族との関係性がぎくしゃくしたり
病に倒れて人生の危機を迎えている方々へぼくからお伝えしたいこと。
自分の境遇が恵まれていようとなかろうと
幸福感を持って生きていくこと。
お金があろうとなかろうと
健康であろうとなかろうと
幸福感を持って生きられたらと。
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それは身体も心も魂も喜ぶこと。
幸福がすべてに優位する―。
それは、DNAレベルでの修復にまで影響を及ぼしていることをご存知でしたか?
幸福優位7つの法則」← 2016年にもっとも感銘を受けた本
http://amzn.to/2oNo6CV
タグ:幡多 2017
posted by 平井 吉信 at 00:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年04月01日

いまだに春の妖精で構わないでしょうか?


春の妖精と呼ぶのは陳腐ではないかと思いつつ
春を告げる小さな生命体をそう呼ぶのも仕方ない、
いや、それがふさわしい、
などと逡巡しているうちに現地に着いてしまった。

すみれは、至るところで陽光に背筋を伸ばす。
(呼びたい名前でどうぞ。ぼくには「なに」すみれであっても構わない)
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シュンランは、ひっそりと道ばたの草陰に隠れながらも
これまた陽光に首をもたげる。
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日陰の林にあって
日が当たる数時間を心待ちにしている。
名前は、ミスミソウともスハマソウとも呼ばれるが
ぼくにはどちらでも構わない(呼びたい名前でどうぞ)。
名前がなくてもそこに実態があるから。
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追記

大きな枠組みで見ると
この国は独裁体制になってしまった。
(枝葉末節に捕らわれないこと)。
そのことの重大さと比べれば
すみれとひまわりを間違わなければそれでいい。
そこにたたずむ山野草のいのちに目を向けながら
たったいまを見送ることなく
未来から目を反らすことなく
俯瞰して生きていく。
(けれど大切なことは小さなことの積み重ね。枝葉末節と混同しない)


タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 23:35| Comment(0) | 山、川、海、山野草

ふと気付くと 熊谷寺の山門 白い木蓮が咲いていた 


高知県西部の出張からの帰り、
用事があって土成I.Cで降りようとした。
すると、その少し手前で寺の山門があり、
白い花を咲かせているではないか。

ちょっとだけ見ていこう。
人生は未定稿。

急いでいたのでご本尊を拝むことはできなかったが、
寺は熊谷寺(URLはkumatanijiとなっているが、
「くまだにじ」のようだ)とわかった。
外国からのお遍路さんもいるので、kumadani-jiで検索されるよう
Webページのタイトルとリンク先を修正しておいたほうがいいかも。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/08kumataniji/

山門の向こう、下っていく道の左に花が見える。
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ぼくは木の花は詳しくない。木蓮ではないのかな。
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堂々と山門の脇で、互いに引き立て合っている。
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暮れゆく田園風景のなかにいた。
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ベートーヴェンの田園が聴きたくなってきた。
この雰囲気だと、ブロムシュテット+ドレスデンがいいかも。
(無為の為といいたくなるような良い仕事をしているね。オーケストラの木質の豊かな響きに浸ってしまおう)
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1977年6月6-9日、ドレスデン・ルカ教会
http://amzn.to/2nKklN4 (←アナログ時代の名盤が1,000円以内で買えるとは)

(フジX-E2+XF35mmF1.4 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
タグ:2017
posted by 平井 吉信 at 18:34| Comment(0) | 徳島

四万十川桜づつみ公園に桜はなくても龍馬の知恵があった


さらに進むと、桜づつみ公園がある。
といっても寒風が吹くなか、桜は枝ばかり。
わずかに咲いている木が数本。
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こんなところに龍馬がいると思ったら
龍馬が築かせた堤防だったとは。

龍馬は居眠りをしているのに、彼が受け持つ区間はどこよりも早く完成した。
人材を見極めて現場を任せ競わせてその結果に報酬で報いたという。
幕末の世に人の心の機微を見つつ本質とは何かを問いかけたからこそ
時代を駆け抜けることができたのだろう。
彼がいま日本の首相だったら、どんな改革をするだろう。
少し想像してみる。

・消費税→ 撤廃(経済活性化とは内需を刺激することで補助金をばらまくことではないから)
・TPP → 参加せず(国内農業の生産力を上げることが国防の要と気付いているから。気象変動期のリスク管理でもある)
・教育→ カリキュラムの改造(創造性や自主性を尊重)
・教師→ 一般人を随時登用(職業教師ではなく)
・政党政治 → 撤廃(国民が参画する政治が独裁政治よりよほどいい)
・地域主権→ 連邦国家としての自治権を地域に付与(消費者庁の移転などではなく、四国の法律は四国でつくるのだ)
・同盟関係 → 全世界と等距離の中立国として各国の調停を行い信頼される
 
東芝の半導体売却には待ったをかけただろうし、
原子力の技術者を不遇にすることもできないだろう。
(これは原発賛成反対とは別の議論である)。
尖閣諸島の国有化も避けただろう。
(龍馬はあるべき理想の姿を描くけれど、こうあるべきにはとらわれない。その自由度があるから局面を拓くことができる)
いまの日本の外交で最大の成果を上げているのは首相や外相ではなく
天皇皇后両陛下である(一度の訪問で相手国に好印象を残すことがどれだけ大切か)。
龍馬だったら、世界にとってかけがえのない国となることで日本の国益を確保し、
中央集権を脱却して
個々の地域の創意工夫を活かせる地域政府のしくみをつくっただろう。
posted by 平井 吉信 at 16:21| Comment(0) | 山、川、海、山野草

四万十川 入田のヤナギ林の菜の花 笑って道をあけてくれた♪


中学校へ通うには、7時7分発の快速列車で徳島へ向かう。
学校は駅から歩いていける場所にあり、チャイムは「エリーゼのために」であった。
音楽の授業は女性の先生が担当した(黒田先生という)。
ピアノを伴奏しながら生徒に歌わせる。
1年生になって最初の授業で習ったのはこんな曲。

♪みんなで通うこみち 小さな川のほとり…柳の枝は笑って 道をあけてくれるが…

歌の題と歌詞を思い出せないから現物を当たってみよう。
部屋に入れば3秒で出てきた。中学1年生の教科書が(さほど埃も被っておらず)―。
(20年以上は見たことがなかったけどね)
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余談だが、ぼくが持っているもの、使っているものは
なくならない、壊れない、というのは不思議なもので
小学校から使っているものさえある。
(モノって大切に使う気持ちがあれば長持ちするどころか、ますますなじんでくるよ。断捨離だとかときめなければ捨てるとか、したくないよ、そんなこと)
カメラなどそれなりに使いこんでいるのに、
完動する美品としてオークションで高く売れそうである。
(20数年前のミノルタのMDレンズなどは箱から取り出したばかりのようである。ぼくと一緒に地球を駆け巡ったというのに)

さて、歌の題は、「学校へ行く道」という。
なぜ印象に残っているかというと
先生のピアノの伴奏が芸術的だったから。
もちろん楽譜どおりに弾いているけれど
曲調(曲の雰囲気)が変わるところで
わずかにリタルランドをかけて
その直後に小休止に満たない間合いを入れ
(本来入るべき瞬間よりやや遅れるのでぼくはかすかな小休止に気付いた)
そこから思い出したように駈けだしていくのが曲調に合っていたから。
当時のぼくはそのような技術的な言葉を知らないけれど、
小学校のピアノの伴奏とは明らかに異なる芸術の香りを味わった。
学生の授業といえども先生は全身全霊で曲に向かっていったんだね。
(教える人の姿勢、思いは伝播する)

同級生のなかに歌の上手な女の子がいた。
色白で品があって明るい女の子でしかも頭が良かった。
成績は彼女がクラスで1番でぼくが2番というのがお決まりだった。
順番に独唱をさせられると緊張するが
彼女が歌い出すと、清楚でありながら豊かな声量と美しい日本語の発声で
しばし聞き入ってしまう(同級生の歌声に呆然と感動していたのだ)。

中学ではLL教室があって、
英語はネイティブの音から入った。
入学当初、アルファベットぐらいしか知らなかったけれど
発音から入ったので、いまでも英語のニュース番組などはほぼわかる。
(LとRの発音の違いなど意識せずにできていた。大切なのは、サーファーが波に乗るのと同じで英語の波=抑揚に乗れるよう脳をなじませていくこと。発音が多少悪くても抑揚が合っていればネイティブには伝わるよ)
留学経験もないし塾も通っていないけれど、日常会話は困らない。
(外国旅行でトラブルに巻き込まれそうなときにも自分を救ってくれた)

さらに余談だけれど
ぼくは高卒で大学は行っていない。
しかも卒業したときの成績が400人中の上位95%にも入っていない。
(ということは、下から5%以内には入っているということ。すごいでしょう)
でも、一夜漬けの勉強ではないので
現役の高校生や大学生に聴かれても
いまでもたいがい教えられる。

自分は秀才だと言っているのではないよ。
(秀才だとそんな成績は取らないでしょ)
でも学歴は人生と関係ないと言い切れるよ。
(学歴詐称なんて意味ある?)

言いたかったのは、ほんものの教育を受けることが
(私立の中学校だった。このレベルの教育を公立高でも提供できるといいのだけれど)
その後の人格形成や生き方に影響を及ぼすということ。
変化の激しい時代に型にはめて思想を閉じ込める教育(教育勅語)からは
自分から変化を創り出せる人材は生まれない。
ほんとうに力を入れるべきは創造性を育み
自分も周囲も幸福感を感じることができる教育だよ。

いつも前置きが長くなってしまう。
ぼくが言いたかったのは、川沿いに柳が生えた小径に郷愁を感じるということ。
(ごめんなさい)

ここは四万十市中村の入田のヤナギ林。
もともと四万十川の河川敷だったところに
木々がうっそうと茂り人々が川に近づくこともできなくなって
洪水の水位は上がってしまう(逆に四万十川の大水が少なくなったことが原因では?)
(河川工学でいうと、川の流下能力を妨げる=粗度係数が上がる。えっ、普通科の高卒の人間がなぜそんなことを知っているかって? 日常生活で必要だったからだよ、マニングの公式が)。

昭和40年代の拡大造林、砂利採取とダムによる下流の河床低下、
流量の減少などがもたらした下流の瀬の減少などは
日本の大河の典型的な現象。
目を閉じれば入田付近の四万十川の半世紀の変遷が手に取るように浮かぶ。
近年になってそれらの木々を伐採したあとに、適度な密度のヤナギを残したのだろう。
そんな歴史的経緯を見ながらここを訪れるとさらに興味深い。

1か月前はちらりほらりだった四万十市中村の入田の河原は菜の花が満開となっていた。

今回は満開(ピークを過ぎようとしている)だった。
でも、観光客は誰もいない。
なにせ風が強く冷たい。冬のコートとマフラー、マスクでも寒いほど。

それでも風が収まる瞬間を待ってみる。
地面から菜の花の歓声が聞こえてくるよう。
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カメラを持った妖しいおじさんだけれど、あいさつしてくれてありがとう。
寒風をものともせず、子どもが駈けていくとうたの世界のよう。
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いつもの小川の生態系に今年も出会えた
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菜の花が横たわる銀河と木陰が織りなす光の綾
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ヤナギの枝は笑って道をあけてくれた…。

(フジX-E2+XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS)
posted by 平井 吉信 at 16:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草