2017年03月30日

四国巡礼 旅を想う カナダからのお遍路


春はお遍路の季節。
四国巡礼の旅、空海の遺徳を忍ぶ旅人は宗派も民族も問わない。
土佐佐賀の展望台はいつも小休止を取るところ。
抗うことを忘れたひねもすのたりのたりの海。
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車から降りて歩いていると展望台があった。
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展望台から海を眺めていると、ぼくの後ろから人影。
地図を眺めているようだ。
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ここは声をかけるのが礼儀と、
「何かわからないことはありますか? ここがどこかわかりますか?」
と日本語で話しかけた。
(外国人だから英語というのは先入観で、まずは日本語で話しかけてみる)
「ニホンゴ ワカラナイ」

ここからは英語で(それを日本語に訳してブログへ)。
「いまいるのはこの辺りですよ」(ローマ字表記の地図を指さして)
「ああ、わかります」
「きょうはどこまで行きますか?」
「ナダまで」
「岬のあるところですね。ここからだと10km少々でしょう。天候がいいのですばらしい歩きになりますよ」
「そう思います」(自分の身なりを指さして)「きょうはそこで泊まります」。
「灘には公的なキャンプ場ではありませんが、休む場所があって快適に泊まれるでしょう。四国に来て何日になりますか?」
「35日です。徳島ではお遍路をたくさん見かけましたが、高知県西南部ではあまり見かけません。公共交通を使っているのでしょうか?」
「距離が長いですからそんな人もいるでしょう」
(5本指のタビのような靴やハイドレーションを見て)
「アクティブな装備ですね。特に靴がいい」
 彼女はアウトドアの装備である。
「とても楽でいいですよ」
「合理的と思います。ぼくも遍路するなら白装束や杖や傘は持たずにあなたのようなアウトドア装備で行きたいですね。ところで、どちらから来られましたか?」
「カナダから」
「もし伺ってよければ、仕事は?」
「科学者です。研究が一段落して次の研究が秋から始まるのでこうして一人旅を楽しんでいます」
 なるほど、サバティカルリーブ(適当な日本語訳が思い浮かばない)のようなものなのだろう。
「うらやましい! ぼくはこれから仕事で四万十市へ行くところです」
「どんな仕事で?」
(略)
「あ、そうそう。写真を撮ってもいいですか?」
「どうぞ」
「一枚だけ。ありがとう。良い旅の幸運を祈ります」
「あなたも」

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旅はいい。
風が自由だから。
自由な旅をしていたことを思い出してなつかしくもあった。
日本人がめずらしいのか、子どもが照れながら付いてくる。
(いや、地方に行ったときは日本人の子どもも遊んでくれたけど)

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生きていることそのものが人生の旅ではあるけれど
旅心をどこかに置き忘れてはいないだろうか。
いや、置き忘れたのは旅心ではなく、旅に憧れる気持ち。
それさえあれば、いつでもどこからでも始められる。
いまはゆとりがなくても、時間をつくることができなくても
憧れを温めて続けて人生のいつかの時期にスイッチを入れてみる。
そんな時間はきっと訪れると信じて生きていく。
旅は、それがあると思い浮かべるだけで愉しく過ごせる人生快適化装置。

posted by 平井 吉信 at 23:07| Comment(0) | 生きる

2017年03月26日

モーツァルト ピアノソナタと協奏曲 日本人ならではの高みに辿り着いた


田部京子を知ったのは、吉松隆の佳曲「プレイアデス組曲」の演奏で。
http://amzn.to/2np3UWg
http://amzn.to/2nBkPFp

今回、発売されたモーツァルトの2作品が1枚に入ったCDを求めた。
モーツァルト:
ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331(トルコ行進曲付き)
ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488 
田部京子(ピアノ)
小林研一郎(指揮)
日本フィルハーモニー交響楽団 ※
オクタヴィアレコード OVCT-00125
2015年6月28日 東京・サントリーホールにてライヴ録音 (ピアノ協奏曲第23番)
2016年9月19-20日 埼玉・富士見市民文化会館(キラリふじみ)にて収録 (ピアノ・ソナタ第11番)
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K331は、第3楽章がトルコ行進曲として知られる作品。
トルコ行進曲は、リリー・クラウスのモノラル盤が忘れられない。
感情の趣くままに刹那に燃え立つ生命力を持ちながらも
端正な造形の古典美を誇っている。
録音は、パリのシャンゼリゼ劇場を愛してやまなかった名手、アンドレ・シャルランの手によるもの。
ワンポイントマイクが捉えた芸術の香気はモノラルながら珠玉の音楽。
ぼくが好きなのは、変奏曲の第1楽章。
豊かな感情を解き放つ旋律の展開に
この変奏曲をいつか弾いてみたい(=人生に重ねてみたい)と思いつつも。

K488は、モーツァルトのピアノ協奏曲で華麗さと情感が散りばめられた佳品。
かつて第2楽章の旋律を薬師丸ひろ子が日本語の歌詞をつけて歌っていた記憶がある。
手持ちのなかにもK488を収録したCDは随分持っている。

往年の名盤を置いておく棚は色あせることはないとしても
いまの時代を漂わせた盤を探していた。
そこでこの盤を買ってみた。
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音が出た瞬間に違いがわかった。
再生装置を感じない自然さ。
透明度を強調するなどハイファイ調の作為がない。
それなのに音楽がベールをまとわず、スピーカーから離れて鳴り響く。
ピアノは直接音がよく聞き取れるが、ホールの間接音が心地よい。
録音は聴衆のいないホールで取り直しをすることなく一発で行われたのではと想像。

オーケストラで始めるK488は、
弦の主旋律の鮮明さ、対旋律がエコーのように寄り添い
木管がぽっと浮かび上がってそれらが協奏曲となって紡がれていく。
これは指揮者の音楽に寄せる深い愛情があってこそ。
このような伴奏ならピアノが自由に羽ばたける。
細部のパートが浮かび上がる万華鏡と
それが混じり合ってひとつの音楽のうねりとなる。
どこまでがピアノでどこまでがオーケストラなのか。

こんなK488は初めてだ。
個性的な演奏という尖り方ではなく
モーツァルトの音楽の可能性を
こぼれ落ちた花びらを池にそっと浮かべるように
細部にまで心を通わせ
木管は空高く、弦は地を漂い、ピアノは空間をコロンと駆け巡る。
流れる大河のごとく悠然として自然。
この繊細さ、自然さはもしかして日本の風土そのものではないかとさえ思えた。
第三楽章のコーダでは、この高揚感はやはりライブだと気付いた。
(K331の端正な冒頭からは想像もできない)。

この演奏なら、モーツァルトの最後の協奏曲K595が史上最高の演奏になるのでは?と思った。
天国にたどりつきたい魂が奏でる無垢なまでのK595を
田部京子と小林研一郎/日本のオーケストラで聴いてみたいもの。
ジャパニーズウィスキーが世界を魅了したように
西洋の古典音楽の典雅な高みの作品を
日本人の感性で音に編み上げ、日本人演奏家でなければなし得なかった高みに。
その晴れ晴れとした聴き心地。
桜の季節に、桜のごとく舞い降りて煌めくモーツァルト。
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SACDとなっているが、通常のCDプレーヤーで再生できる。
http://amzn.to/2nBg1A0

追記

田部京子では、ベートーヴェンのピアノソナタを聴いてみたい。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番、第31番、第32番
http://amzn.to/2mE2Qip

視聴しただけだが、もっと聴きたいと思った。
音の構造が繊細だが凛としている。
作品109が心にしみ入る。
作品110はシューベルトのようにも響くが、そこに音の抑揚の張り詰めた余韻を残す。
作品111では、最後の審判のような凄みと静けさを感じる。
ベートーヴェンのピアノソナタの全集だけでも4セット持っているけれど
このCDは、往年の巨匠の演奏とは異なる価値を創造している。
芸術の香気が漂うけれど
ベートーヴェンの晩年の楽曲から人間のやさしさを感じることができるという意味で。


posted by 平井 吉信 at 19:17| Comment(0) | 音楽

2017年03月25日

桜さくら 行き過ぎがたき春の路 いかにか桜餅求めん


勝浦町の和菓子店で桜の精にたぶらかされて
菓子を求め損ねたという物語が数日前のこと。
それが潜在意識にあったのだろう。
通り過ぎようとすれば、散りゆく花びら手水鉢。
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見上げれば桜の枝、それから桜もちの張り紙。
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するりと入れば、本日のおすすめ、とのこと。
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桜ぷりん、も気になるが、
かくしてここに桜餅、煎茶をいそいそと。
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(福屋 盛寿の郷)

彼女はすましてこちらを見つめている。
なんで食べられようか。
文学よりも桜餅―。
(フジ X20)
タグ:菓子
posted by 平井 吉信 at 21:21| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

2017年03月24日

勝浦町の桜 そのときを映し出した


坂本地区からの帰りに見事な桜がちらりと見えたので
「よってね市」にハチミツを買いに行く際に立ち寄ってみた。

勝浦川の本流に沿って桜並木がある。
有名なのはソメイヨシノの生名谷川だが、
この場所も捨てがたい。
車は勝浦川の河川敷に置く。
川沿いに河津桜が満開になっている。

夕方で陽光は降り注いでいない。
冷たい色温度と夕刻を迎えるあたたかい色温度がないまぜになっている時間帯。
それゆえ桜が醸し出す感情もやわらか。
それが移ろいゆく季節を描くのだ。
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和菓子の前松堂さんとエドヒガン桜。
(桜餅を買って帰ろうとしていて忘れてしまった。桜の花の精が悪いのだ)
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だんだんとお店の灯りも明るさを増してくる。
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「どんな感じ?」と、フジX20で撮った画像を見せてもらう。雰囲気が出ている。腕を上げたね。
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この日、この時間は二度とやって来ない。
そのときを映し出す鏡でありたい。
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(フジX-E2+XF35mmF1.4 R、フジX20)
タグ:菓子 勝浦町
posted by 平井 吉信 at 00:33| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年03月23日

証人喚問


テレビで断片を見ただけ。
でも、その人は誠実に対応されているように見えた。
(ウソをついているようには見えなかった)
確かに一連の行為は誉められたものではない。
けれど、私人を招へいするよりも先に招へいすべき関係者がいるはず。
当該事件に関係した官僚は証人として国民に答える義務がある。

誰かの感情を損ねれば、手続きやルールは容易にねじまがる―。
この証人喚問の実現そのものが問いただすべき構造を象徴している。
この事件は、21世紀の日本であっても、
戦前と同じように、いやそれ以上の独裁政治が起こりえることを国民に示してしまった。
もし何らかの関与があったのなら、まだましだ。
働きかけがないのに、ねじまがったとしたら、
その力学こそあぶり出すべき本質だ。
今回は氷山の一角に過ぎない。

淡々と事実を確認している質問者(野党)があった反面、
下品で感情的に煽っていた質問者(与党)もあった。
自分たちは同じ穴の狢ではないという心象を植え付けるために
証人の証言に傷を付けようとしていた。
ここは国会の場であるというのにその品格のなさ。
それらの政党は国民の心象を損ねただろう。

証人には偏った世界観はあったとしても
それを実現するために手段を選ばなかったとしても
信念を持って生きてきた人と思った。
煽りにも同調せず冷静に対応していた。

ときの権力者がでっち上げれば
たやすく重大な犯罪者にされることを意味する共謀罪。
近隣諸国との対立を深めつつ
おとなしく従順な国民をつくる教育はそのシステムの仕上げ。
マイナンバー、マスコミへの恫喝(キャスターの退任)、
消費税引き上げ、円安誘導、一億総活躍、補助金ばらまきなども
個々の政策だけを見ているとわからなくても並べてみると
国民を統制する国家像が見えてくる。
そのようなつまらない未来は誰も選ばない。

経済ではなく、幸福感が生きる基準になる。
国に依存しない自主性、自律性、個性を大切にする(ぼくが理想と考える)未来。
安全な食糧が国内で安定的に確保され(これこそ真の安保だ)
生産者の暮らしが成り立つ。
憲法にうたわれる健康で文化的な暮らしが約束される社会であって
教育には熱心でその機会は誰にでも開かれている。
伸びようとする才能や、限りない知恵の探究を支える。
(カネになる研究だけでなく、じっくりと基礎研究や誰もが顧みない分野を深掘りするのもいい)

それでも学歴よりも創造性や職人の技が尊重される。
(日本がめざすべき生産性の高い経済のお手本はスイスだろう。ITやシステム化が進む社会で標準化の思想、合理化の手法、思想教育などを押しつけるのはかえって未来のリスク要因)
住民は直接的に政治や自治に参加している。
政治家は兼務で報酬はボランティア程度。
政党はなく、特定のイデオロギーにも支配されない。
自分たちのお金が、自分たちの考えで自分たちのために使われ、
その過程や結果が目に見えるので賄賂や利益誘導は自ずと発生しない。

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そこに日本ならではの文化や風土(世界中の人がうらやむクールな日本)が漂い、
ものだけでなく、生き方や風土や社会の姿が憧れの国となる。
そのための理念、中長期の方針、アクションプランも描けるだろう。

関心をそらす仕掛けやサプライズに惑わされず、
目に見える現実(そのように見させている構図に気付くこと)から
目に見えない背後の力を見よう。
悪意を持って与えられる社会ではなく、つくりたい未来を描く国になろう。
一人ひとりがその気持ちを強く持って行動することだ。

事件を解明して幕引きではなく
なぜこのようなことが起こりえるのか、
特定の人物や組織が国を支配しようとする動きを
どうすれば防げるのか?
政党政治ではなく、国民が未来をつくるしくみに転換していくこと。
(いつも言っているように、地域が主権を持つこと。四国のことは四国で決められること。そして多くの人が政治に関わることが必要。徳島と高知を1人の議員が担うなんて馬鹿げている。サラリーマン、子育て中の主婦、成人後の学生、場合によっては公務員すらも構わない。議員は兼業で実費弁償だけの報酬で良いのだ。国会議員と県議会議員を区別する必要があるとも思えない)
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追記
ぼくは、天皇陛下を尊敬し日本の国家も国旗もそして何よりこの国が好きな愛国者と思っているけれど、右でも左でも保守でも革新でもないし、どの政党もイデオロギーも支持はしない。日本は、東アジアの近隣諸国とはもちろん、イスラム圏も含めて中立的に良好な関係を築ける数少ない可能性をもった国と信じている。カネのばらまきや軍事力だけが外交ではないのだ(もちろん自衛力は不可欠で自衛隊の役割は大切)。近隣諸国の嫌がることはせず、公害防止や食品の安全確保など相手にとって必要な技術やソフトを支援することで良好な関係が築ける(それこそ相手国の国民が望んでいることだろう)。日本を批判する外堀が埋まってしまえば互恵的な関係を築くのは難しくないはずで、それが日本の国益に叶うことなのだ。



posted by 平井 吉信 at 23:32| Comment(0) | 生きる

雲の動きを追って


雲の撮影に出かけたわけではない。
移動の道中で信号で止まるときに車内から撮影したもの。

17時31分 信号に重なるような夕焼けの前兆
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17時38分 山の上で黄昏が進行する
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17時50分 牟岐線を特急むろとが行く。徳島駅でホームエクスプレス阿南行きとして折り返す。
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17時51分 文化の森の上空に丁字型の雲がたなびく
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子どもが石ころを蹴りながら鼻をすすり、
あったかいシチューを描きながら帰宅する場面かも。
(これから仕事なんだけど)

(フジX20にて)
posted by 平井 吉信 at 15:53| Comment(0) | 気象・災害

2017年03月21日

桜ぼんぼり 里山 神社 おひな街道をいく(勝浦町坂本地区)


勝浦町坂本地区は、小学校が廃校後、地元で活性化に取り組んだ。
その取り組みは衰退することなく長年にわたって続けられ、
集落のまとまりも良い。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html

ほんとうに良い取り組みは目立たない。
しかも長年持続できている。
「おひな様の奥座敷」もそうである。

イベントを行うと若い人たちが必ず顔を並べている。
しかもその人たちは地元であって必ずしも外人部隊ではない。
かきまわして出て行く自称専門家や特定の手法を押しつけるコンサルタントもいない。
(内面からわき起こる動機だからこそ持続できているのだ)

この日は、場をご準備いただいた地元のみなさまに感謝しつつ
そこに遊ぶ気楽な旅人として訪れてみた。
晴天の桜が坂本地区の北斜面の山々に映える。
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県道から降りていくと長福寺の桜が迎えてくれる
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おひな街道の案内がある。ぼくは徒歩なので左へ行く
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どこのおかみさんがモデルなのだろう?
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坂本川にかかる宮下橋。ここから民家の脇をすり抜けて上の道へ上がっていく
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川とともにある集落の風情
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畑のちょっとした場所に植えられたハナニラ
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秋祭りを行った八幡神社の鳥居を見上げる
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集落の象徴の里山。秋祭りではこの上に花火が上がっていたのでは?
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html
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草むらに、階段に、おひな様はあちらこちらに鎮座する
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白い軽自動車が集落をつなぐ旧道を走る。
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新しい県道ができるまでは
このつづら折れの旧道を親父のパブリカに乗せてもらって
1時間半かけて上勝までアメゴ釣りに行ったものだ。
親父が最後に釣りをしたのも月ヶ谷温泉前での友釣りだった。

万華鏡を覗く少女
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あざやかな花はなんだろう?
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「いつも満開です」と地元のおじさんが笑いながら指さす。造花でした。
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橋の欄干や手すりに並べられたおひなさま。高所恐怖症でなければよいのだけれど。
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通りの家々がそれぞれ飾り付けている
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これは「大賞」を上げたい
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みかんの詰め放題(100円)。申し訳ないと思いつつも。
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理容室のサインもひな祭りにいろどりを添える
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野に咲いてこそ
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さっきの女の子
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鼓をもったお姫様の気品のある表情
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1日6便の上勝町行きの上勝町営バス(徳島バスとは勝浦町横瀬で接続)に会えるのは幸運
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下に向かって降りていく
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つくしを見つけた
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集落の方々のご健勝と坂本の里山、いつまでも。
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追記

帰り道でひときわあでやかな桜を見かけた。
和菓子の前松堂さんの前にある。
今度は和菓子を買いにいくついでに見てみよう。
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posted by 平井 吉信 at 19:05| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年03月19日

春のおだやかな岬は瑠璃色と強い氣に満ちている 空と海が出会う室戸岬


正月、節分、桃の節句、端午の節句、梅雨、盆、秋祭りなどと
人は社会生活で季節ごとに繰り返す営みがある。
それは人の年齢の数だけ経験するもの。
それは巡礼のようなもの。

ぼく自身は「空と海」を名乗りながら四国巡礼には関心がない。
生きることのかたちにとらわれないので
巡礼というかたちにもとらわれない。
(巡礼をする動機を否定しているのではない)
八十八箇所を巡らずとも
生きることそのものが巡礼ではないかと。

年度末が近づいて
同時並行で走らせていた多数のプロジェクトがそれなりの成果を出して
なんとか終わることができそうな目処。
いのちの洗濯、魂の休息などというと陳腐だけれど
空と海の出会う場所、室戸岬へ。
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岬に着いたら天気は薄曇り。
もし陽光が立ちこめていたら
誰もいないところでは叫んでいただろう。

青年大師像の表情は険しい。
仏門に入る葛藤を興福寺の阿修羅のように表現したものか。
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運が良ければ幸福を呼ぶ白いタンポポが見つかるかも(確率は1/496程度)
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運が良ければ(悪ければ)波をかぶる遊歩道。
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実際に波をかぶりそうなご夫婦の写真を撮って差し上げた。
(渡されたのがスマートフォンではなくデジカメで安心した。だってスマートフォンはシャッターを押そうと構えるとシャッターが消えてしまうことが多い。いったいどんな魔法を使ったのだろう)

砂浜にオブジェのように転がるもの、生えているもの
(ニコンの生態系の描写は見ていて気持ちがいいほど現実感がある)
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遊歩道沿いには、ハマダイコン、ハマエンドウを中心に
万華鏡のようなミクロコスモスが明滅する
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そして、春の室戸岬の風物詩であって
ほとんどの人が気付かず通り過ぎてしまうものとは?
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ルリハコベ。
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でも、数年前来たときと比べて激減している。
台風の影響だろうか。

瑠璃色という群青からややくすんだ風合いが美しく
しばし地球の色に例えられる。
地球は決して鮮やかなブルーというよりは
大気をたたえてしっくりとたたなずむ瑠璃色がふさわしい。
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ルリハコベは海辺の植物だけれど、全国的には温暖な地域の海岸線や島嶼部に見られる。
英語では、blue pimpernelというらしいので
意外にもサクラソウの仲間なのだ。
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(D7200+AF-S Micro 60mm f/2.8G、フジX-E2+XF35mmF1.4 R)

室戸岬は観光地だけれど、一歩踏み入れば別の風土がある。
ここは、海難事故でなくなった方々を慰める場所。
地元の女性たちがいつもこの場をすがすがしく手入れされている。
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無数の如来、菩薩がアコウの木の下で魂を慰める。
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さらに周辺を散策中にとても強い力を感じる場所があった。
大きな岩とその右に沢のような空間があって水(風)が吹き抜ける。
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風の通り道は盆地につらなって別の大岩に囲まれている。
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そこに歌碑がある。
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少し遅めの昼はいつもの店で。
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書棚を見ると、店の方々の食に対する思いが伝わってくる。
気取らない、けれど居心地の良い空間で
目を閉じて食事をしている。
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グルメではなく、いのちの食をいただいている感じ。
カレーも紅茶も極上のお店が岬を折り返した場所にある。
海からの風を受けながらそこにある。
ごちそうさまの言葉を風に乗せて。
(シットロト)

岬を折り返し戻り
尾崎でサーフィンを眺める。
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ローカルのポイントだが、
きょうはそうとばかりは言えないよう。
(それもまたそれでよし)
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室戸岬は心と身体を高めてくれる特別な場所。
でも、特別な日もすばらしい生き方もない。
ただ、日日是好日、だから。
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追記

写真の技術を知らない(わからない)相方が腕を上げてきた。
使っているカメラは小さなデジカメのフジX20。
すべてオートで撮影している。
ただし接近して撮影するときはマクロモードに切り替えている。
えっ、ぼくの写真より良いと?(ときにはそれもよし)。
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追記2

大河「直虎」の柴咲コウの尼僧姿が超絶的に美しい。
おでんばの土着の生娘のようで、凛としたたたずまい。
仏門にありながら「生」、生でありながら「聖」をまとう。
ところで、精神的に落ち込んでいる人がいたら、
観音経を読経(もしくは聴いてみる)ことをおすすめしている。
ところが、しばらく前の放送で、柴咲コウが節を付けて観音経をうたったのに驚いた。
現世と彼岸を自在に行き来する魂を慰撫してやまない音楽(読経)だった。
ぼくも祝詞の奏上や読経は節を付けて歌のように響かせる。
室戸岬では、無数の魂を乗せた風や刹那の潮騒が幾重にも重なって
旋律というか抑揚のうねりのように聞こえることがある。
それはどれだけ美しくても構わない、どれだけ荘厳であっても構わない。

posted by 平井 吉信 at 20:58| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年03月12日

日射しこぼれるユキワリイチゲの谷から


なぜユキワリイチゲなのかと自問自答した。
きょうは6年目の3月11日。
春の日射しを浴びてすくっと開いたユキワリイチゲをぼくが見たかった。
そしてそのお裾分けをと思った。
身近な誰かに見せたくて花を撮ることは確かにある。
心のなかでそれを不特定多数に届けよう。
自己満足であっても。

ここは阿讃国境のユキワリイチゲの谷と呼んでいる場所。
四国のユキワリイチゲは白が基調だけれど
この谷は紫を帯びる。
明るく艶やかで花も大きいように思う。
(ミネラル豊富な広葉樹の腐葉土が影響しているのだろうか)
谷に陽が射す午後の数時間だけ開花する。

時期としてはやや早いのだけれど
もう心が行くと決めている。
行くと決めたときから時間は動き出す。

いまはどんな状態かを客観的に見るのではなく、
(そこにレッテルを貼るのではなく)
いまの状況を自分はどう認識して、どのようにしたいか。
運命は自分の意識のなかにあることに気付いたら
停滞している時間が刻みを入れるようになる。
(抽象的だけど)

北に向かって流れる沢がつくる渓相はおだやかだけれど
随所に岩盤を形成する。
数年前に足を滑らせて落下した鹿を見たことがある。
足元を見回しつつ、沢の水音も感じながら遡行する。
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斜面に雪が残る一角で開きかけたユキワリイチゲを見た。
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森はまだ春の妖精たちの居場所になっていない。
(イチリンソウ、ニリンソウ、ネコノメソウ、フタリシズカなど)
しかし森の恵みに立ち止まる。
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ユキワリイチゲは、この三つ葉が目印
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斜面に咲いているのを遠めで見る。
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岩盤を伝うこの渓谷の顔のような地形。
ぼくはいつもここで立ち止まる。
小さなグランドキャニオン。
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まだオネムなの、と瞬きもしとやかな娘。
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この日、もっとも艶っぽい娘が現れた。
日陰だけれど、ぱっちりと美形でなまめかしい。
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一足先に陽光が差し込める一角で仲の良いユキワリイチゲのペア。
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少しずつ沢の東側に光がまわっていく。
そして一足はやいユキワリイチゲの束の間の宴が始まる。
ぼくは耳を澄ませて風の気まぐれの一瞬をついて指先を反応させていく。
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日だまりに淡い紫が満面のいのちで輝く。
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2017.3.11
ユキワリイチゲの谷、ただいま14時半を過ぎたところ。
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陽光は誰にでも降り注いでいる。
そして、6年目を刻んだ。

【追記】
今回は沢の遡行と徒渉があるため装備を軽量化したかったので
たった2つの機材(レンズ)だけ。
・D7200+AF-S Micro 60mm f/2.8G
・X20
特にニコンの再現性の良さが光る。
オリジナルのflat richcolorというプロファイルを使用。
誇張のない忠実度の高い再生でありながら
やわらかい階調のなかに存在感と華やかさを両立させている。
(このしっとり感はフジのX-Transでは出せないかもしれない。ニコンのAPS-Cミラーレスに期待したい)




posted by 平井 吉信 at 22:56| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年03月10日

消防車 赤いヒーローは子どもの人気者


午前中に市役所で消防フェアがあると、
広報車が廻ってきた。
生きているのかわからないほどの日々だけれど
それはみんな同じ。
いまこのときも親の介護や資金繰りや子育てに必死の人たちがいるはず。
そんな人たちのひとときの安らぎの時間になりたい。

概観の凹凸とレバーの多さ、メカニカルな造形を後ろから見る
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真剣に聴く人、ていねいに説明する人。
フェイスブックなら「いいね」と押すところ。
(もう流行は下火になったようだけど)

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あのシリーズをつくった円谷プロ風でもあり
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このディティール、曲線の流れとそれが突然切られた視点の力
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空高く誘う。子どもの夢はいつも空にあるから
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こんな体験もいつか役に立つかもしれない。火に対する対処を心の奥深くに刻んで
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どんな道具が現場に役に立つか。想定内も想定外も隊員の使命感と勇気と工夫にささえられている
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竹輪を持った小松島のキャラ。これはたぬぽんだったっけ? 商工会議所さん
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→ 「こまポン」でした。

良い写真だな(ぼくの写真ではなくて、人々の表情がおだやかで)
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嫌なニュースが続くこの頃、
限界を超えてしまったかのような国際情勢、
国内でも独裁への道を進む勢力がちらりと見せた事件の断片、
あの日から6年を迎えるというのに教訓を進化できない私たち。
(暴力や主義主張に流されない静かな革命が必要だろう)
何が起こっても不思議でない危機的な社会に言葉にならない重さを感じる。
それでも、ヒトの営みが好きになる一日。
かすかな力であっても思いを込めた光が存在し
それを集めることはできる。
その力がいまにも消えそうな明日を照らすと信じて。

(フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4)

追記

こんなイベントでした。
【イベント内容】
●消防車両の乗車体験・放水体験・装備品の展示
●AEDの取り扱いを含めた心肺蘇生法等の救急体験
●防災スタンプラリー(景品プレゼント!)
●地震体験車で南海地震を体験しよう
●煙体験ハウスで煙の怖さを学ぼう
●炊き出し訓練(試食あり!)
タグ:小松島
posted by 平井 吉信 at 21:40| Comment(0) | 生きる