2016年07月31日

水とミネラルの聖地にて その2(南阿波サンラインから母川)


新しく買ったニコンD7200のテストを兼ねて
南阿波サンラインから海部郡の海と川をめぐってみた。
前回 → http://soratoumi2.sblo.jp/article/176187070.html

サンラインへ入ると里山の風景がしっとりとたたずむ。
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トンネルを越えて外ノ牟井浜へと下る。
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雨が降ればこの渚の北端に滝が出現する。
山から海へ直接落ちる滝はこちら。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/56521337.html

波の切り口が水晶のよう。
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第1展望台から牟岐大島が見える。
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牟岐の海岸線が近づくと南阿波サンラインも終盤
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豊かな海岸性照葉樹の森を散策すれば楽しい。
渚へとたどる踏み跡を見つけて滝を見つけることも。
これは何の実だろう?
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梢から湧き出る樹液が宝石のよう。その日そのときだけの贈り物。
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トンビは雄大だ。間近で見ると大きい。D7200が簡単に捉える
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古牟岐の海岸でひとやすみ。
小島の浜は、沖の小島と砂浜がつながって渡れるかどうか。
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モラスコ牟岐の館内から眺める浜
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続いて大砂海岸へ
その前に海が見える木陰でお昼を(711のハンバーグ定食だけど)
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漁船が接近しながら通過
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無料の駐車場、シャワー、トイレを完備した熱帯魚のいる渚。
波静かで水質も抜群なため家族連れが多い。
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混んでいないのが強み
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最後は海部川支流の母川で涼しい景色を。
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山からの湧き水を集める浅い流れにはナマズ、オオウナギが棲む
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木陰をこれほど美しく捉えるのはD7200の強み(Jpegそのまま)
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母川の分派流には親水公園もある
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母川は自然度が高いだけでない。ヨーロッパの小川のようにゆったりと流れる。
このような景観は日本ではあまり見られない。
海部川本流とともに南四国の宝ものといえる生態系。
(その価値に地元が気付いて欲しい)
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ニコンD7200の色の設定の変化はこちら
http://soratoumi.sblo.jp/article/176300314.html

このコースはだいたい半時間圏内だけれど
気に入ったところで腰を据えるのがおすすめ。
観光地ではなくてこれだけ楽しめればいい。
帰りには、地元の野菜、寒茶、麺、
室戸から宍喰界隈で取れた新鮮で安い地魚を手みやげに。

夏休みの半日、ミネラルの聖地を訪れてみては?

posted by 平井 吉信 at 16:49| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2016年 梅たちは


美郷で調達してきた小梅(竜峡)、大梅(南高)は
それぞれ、梅酒と梅干しに仕上がろうとしている。

仕事の合間を縫って梅を産地の美郷地区で入手するので
年によっては時期の早い小梅が入手できなかったり
鶯宿と南高梅がこれまた採れる時期が異なるが
そうそう通うわけには行かず、
同じ品種から梅酒と梅干しをつくらざるを得ない。
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それでも産地の採れたてを夜中までかかって仕込むのは
仕上りのときを思えば、しんどいけれども楽しい。

今年の方針は、
小梅(竜峡)の梅干し…当初はしそ漬けにしない予定だった.
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しかし、干して冷蔵庫に保存後に再度しそ漬けして天日干し(2日)。
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小梅(竜峡)の梅酒…熊本の米焼酎(35度)と蜂蜜で仕込み中。
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南高梅(梅干し)… 1か月の塩漬け後にしそ漬け数日(ややしその量が少なく日も短いので色は淡いが、干し後にしそとともに保存。写真は干しの初日3時間経過。
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南高梅(梅酒)… 鶯宿が入手できなかったので南高梅で。泡盛(久米島の久米仙35度)と蜂蜜で仕込み中。

小梅の梅酒が約2か月が経過し、途中で風味を見つつ蜂蜜をつぎ足している。
現時点では透明度のあるキレと香りが持ち味。
美郷の東野リキュール製造場の「ホーホケキョ」にも負けていない。
(梅酒メーカーでこれを飲んでみたら刺激を受けると思う。こんな切り口があったのかと)。
強いていえば、甘みは東野さんが優るが、これはこちらが蜂蜜のためだろう。
(一般的なのと比べれば、それでも甘さは控えめである)
新酒らしい心地よい突き抜け感はすばらしい。
こちらでは、香りとコクのせめぎあいをはかりつつ
梅を引き上げる時期を見極めたい。
(それほど長い時間はかからないだろう)

東野さんの梅酒づくりはマス生産ではなく手作りである。
小さな単位での管理は安定した品質の確保につながる。
手作りであってもPDCAサイクルによるマネジメントのものづくりが
特産品の製造に不可欠であることを証明している。

きょう取り入れた小梅の梅干しは
おやつ代わりにどんどん食べられる。
(もうきょうだけで10個は食べた)
来年は小梅の割合を増やしてみよう。

梅は古からの日本人の知恵。
うまく漬けた梅干しは千年のときを越えるという。
梅とともに夏を乗り切れば、実りの秋が待っている。


タグ: 美郷
posted by 平井 吉信 at 14:41| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

旬の夏野菜 オクラ


春先から夏にかけて毎食使ったトマトはなくなり
代わりにキュウリ、ナス、オクラの時期となった。

旬の野菜はいい。
しばらく続くと少し飽きそうになるけれど
料理法を変えては食卓に載せる。
この日は、1分ぐらいで茹でたオクラを細めに輪切りにして
手製の梅干し(南高梅梅干ししそ漬け 塩分18%仕様 2年もの)の
たっぷりとした梅肉とかつおぶしをからめた。

オクラのねばりは良い作用を持っていることが知られている。
スーパーで野菜を買うことは産直コーナー以外にないが
マルナカで直営農場の朝採れ(採った時間まで書かれている)のオクラが並んでいた。
直感的にこれはうまそう!と買った。
1カゴ198円。
素材としてなかなかよかったよ。
梅風味も食欲をそそった(写真を撮る前に食べてしまった、おお惜しい)
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エアコン要らずを支えているのは旬の野菜たちなのかも。
タグ:
posted by 平井 吉信 at 11:41| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

地方創世ではなく、地域主権では?


災害の際、自助、共助、公助それぞれの役割を果たすことが必要である。
それは今後の日本のあるべき姿を考える際にも置くべき視点でないかと。

自助…自分のために、家族のために、組織のために自分ができること、義務を果たすこと。
共助…地区、地域のために、できること、義務を果たすこと。
公助…国民のために国ができること、義務を果たすこと。

住みやすい国となるためにはこれらが有機的にからむことで
個人や地域の成果をほかの地域へ、
国の施策が個人の幸福へとつながっていく。

ところが、日本は人口が多く、小さいとはいえ、国土は長い。
国が大枠の理念(方針)を示すとして、
憲法、法律、防衛以外に国がなすべきことは多くないのではないかと。

消費者庁の移転をめぐって地元では押せ押せムードが見られる。
消費者庁の移転に賛成か反対かは論点ではない。
自助、共助、公助に串を通すためにどうあるべきかの議論が先にあると思う。

現在の中央集権の制度が改まらない限り、消費者庁の移転は意味を持たず、
行政にとって弊害が大きいものとなろう。

セキュリティーの問題は技術的に解決できるだろうが、
問題はそれではなく意思疎通と思う。
Web会議が成立するのは、
同じ組織で同じ目的を持って業務を行うグループのブレーンストーミングや
メールだけの情報共有では問題ありと判断して行う場合などに限られる。
少なくとも相談事があって異なる組織からの参加者が
名刺交換から入るような場面ではWeb会議はなじまない。
(セキュリティではなくコミュニケーションの問題である)

ただし研修機能やなんらかの作業部隊を置いて
東京にいれば検証できない作業を行う機能の設置なら意味があろう。

例えば、こう考えてみる。
すでに徳島県は、西部、南部に県民局を設置しているが、
県内でも過疎地を活性化するために県庁(万代町)を移転する案も考えられる。
すでにある旧役場の庁舎や廃校跡を活用し、
神山 → 上勝 → 海陽 → 木屋平 → 木頭 → 佐那河内 → 一宇などと
数年程度で本庁を移していく。

もし、消費者庁の全面移転を望むのであれば
県庁も万代町からの移転を検討すべきだろう。
かちどき橋周辺の渋滞緩和に貢献、
停滞した過疎地へ多数の職員が居住、通勤することで経済のカンフル効果、
なかには気に入って移住する人も出るだろう。
万代町を民間に賃貸すれば歳入を増やせる。
まさに良いことずくめ(机上の上では)。
ところで、県庁の移転に支障があるという理屈であれば、
消費者庁も東京から徳島には来られない。
(ものごとは立場を変えて俯瞰すると本質が見えるかもしれない)


国と地方の関係性に目を向けることが本質である。
地方は立法機能(州法)を持たせるぐらいの自治と予算を持つことで
それぞれの地域力と人材を活かすことができる。
道州制の自治単位で地域政府として権限を持つべきだろう。


鉄のカーテンの崩壊以後の共産主義の行き詰まり、
(なれの果ては独裁)
格差拡大による資本主義の危機的な状況にせよ
(これまたなれの果ては?)
管理する側とされる側に二分化されることが不幸の原因ではないだろうか。
ポピュリズムの政治に、1億総評論家兼傍観者。
(補助金ばらまきも同様の社会リスクを内包している)
人口減の税収減、老朽化した社会資本の更新、
高齢化を支える財源の不足などを補うために税率を上げていくと
国家も経済も破綻してしまうだろう。


そうではなく、誰もが権利を持つが、義務も負う社会。
自助、共助が機能することが未来をつくる前提ではないだろうか。
日本は、世界に範を示せる資質を持っているように思う。
既存の失敗パターンから脱却して
新たな価値を提案、実践することで
未来への夢や希望が感じられる国になれないだろうか。

縄文の森では自治が機能していた。
あの時代に持続的な狩猟採取生活が機能したのは日本だけであった。
遠い過去に学ぶべき社会がある。

小さな政府をめざすとすれば
中央集権を打破しなければならない。
この点において、官僚も政治家も抵抗勢力となる。
しかしやり遂げなければならない。
原動力は、政治(政党)ではなく、国民の意識を上げること。

中央集権からの脱却のプロセスとして
人材育成(というよりは活躍の場を与える)がカギとなる。
志、分析力、行動力のある人材を民間から登用して政策立案に当たらせればいい。
(あるいは議員報酬をなくして実費弁償だけにしておいて議員を増やすという選択肢がある)

そのために行政には人材の目利きが求められる。
これまでも、WS、アート、デザイン、地域ブランドなどで
著名な人材を行政が過大評価しすぎて成果が出せない事例が続出した。
地元の行政自らが熱い心と醒めた目で小さな実験などで戦略を検証しつつ
PDCAサイクルを回していかなければならない。

posted by 平井 吉信 at 11:08| Comment(0) | 生きる

2016年07月30日

空と海と四国 そして四国巡礼GO!


「空と海」ってなんですか?
いったい何を目的に、どのように生き方(活動)をしているのかわからない。

こんな変なドメイン、誰が取るの?
なぜか、人気のドメインで関連するドメインは10数年前に売り切れ。

人は「思い」があり、
それを信念にしたり目標にしたり拠り所にして生きている。
ぼくの場合、それを言葉に凝縮したのが「空と海」。
このブログもその世界観を反映している。

空海が好きだ。
(たまたま家が真言宗だった。徳島ではもっとも多い宗派であり、日本でもっとも真言宗の比率が高い地方)
司馬遼太郎の小説もおもしろかった。
それなのに、四国巡礼には出たことがない。

肉親を亡くしてその供養のためであったり
事業が失敗、人生の艱難辛苦を経験し生きることに思い悩んで
死に場所を求める気持ちで廻る巡礼者。
それを「お接待」で迎える四国路。

ぽつんとひとり、夕立に打たれ、嵐に巻き込まれ
みちを失って路傍に崩れ落ちた日もある。
(同行二人のもう1人は自分自身なのだ)
そんなとき、四国の風土が横たわっている。
そこには感傷もなければ、誰かの干渉もない。

みじめな自分は、みじめでありたいとの
自らの「願望」がつくった幻影であること。
お接待を受ける度に、
見返りを求めない行為を受け止めるうち、
これまでとは別の自分、自分を客観的に見つめる醒めた目があることに気付く。
そう、ただいまを生きていること、
そのことを受け止めるだけ。
(受け止めるためには、これまでの自分を「捨てる」、すなわち生まれ変わる)

死に場所を求めて旅だった自分が
生きることの「欲」を感じ始めている。
それが四国巡礼。

山のミネラルが川を通して海と結ばれる。
そこは空と海の境目のない世界。
学問の人でありながら実践の人でもあった空海。
四国をそのような世界観で見切ったところが「空と海」。
(言葉にすると伝わらないと思うけど)
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ただし巡礼に出たことはないし行こうとも思わない。
そのような時間もない。
(父の死後、通夜も告別式の翌日以降も仕事を休まなかった。けれど三回忌までは毎日朝の読経を行った供養を行った。空間に響く自分の声がふとどこか遠くから耳元で聞こえてくる感覚を覚え、燭光のなかにかたちではない輪郭を感じることもあった)

88箇所とは単なるきっかけに過ぎず、
刹那を感じつつ日々を生ききること、
それが巡礼と思う。

かたちにとらわれないことが真言とすれば
かたちをつくってかたちをなぞる四国巡礼のなかに
その危うさがあるとも言える(わかりやすくいうと商業主義)。
とはいえ、法具やアクセサリー、儀式から入って
わかりやすく体験させることで説得力をもたせることを
空海さんもやっていたので否定はしないけれど。
(理想と現実をうまく行き来して橋渡しをすることの天才だね、空海さんは。理想があるから現実的であり、現実的であるから理想を追いかけられるという意味で)
(白装束と傘を被っていれば、説明することなく「お遍路」とわかる記号の役割はある。ただしアウトドアメーカーなどが既得権を気にせず、もっと機能的な素材とデザインで提案すれば新たなビジネス機会と思うよ)

とにかく、かたちにとらわれず、
あなただけの巡礼を成し遂げてみてはどうだろう。


もしかしたら、それは自宅にいながらできるかもしれない。
どこかのゲームメーカーが
ウォーキングマシンのメーカーと提携して
遍路道の写真を元に仮想現実を構成し
歩きながら四国の遍路道を画面で見せる。

そのためには、「バーチャル先達」になるボランティアが必要である。
バーチャル先達とは、ビデオを装着して(歩いてもぶれない工夫が必要)
可能な限り遍路道を歩く。
そこで得られた画像を編集スタッフが3D化する。
(Googleマップでおなじみのあれである)
遍路道とともに歩き遍路に親しまれた街道があれば
別の機会にそこも歩く。
バーチャル先達はボランティアだけれど
自分が案内した道をバーチャル遍路がたどるとき
協力者として一瞬テロップが出る。
それだけでいい。

予めビューポイントも定めておいて、
景色の良いところでは360度の映像を堪能できたり
少し寄り道ルートで新たな発見ができるようにする。
(四国の自治体や観光協会が喜んでタイアップしそうだ。誰かが寄り道へ入って体感するたび、システム運営協賛費としてスポンサーに課金する)

これなら自宅で時間のあるときに巡礼の旅を始められる。
実際に歩き出すと景色が動き、止まると景色も止まる。
実際の歩行距離が到達すると、Web上で御朱印が得られる。
それを励みに続けられる。
自宅の歩行器で歩くので誰の迷惑にもならず、
時間のない人でも四国巡礼ができる。

歩く途中で、実際に地元の人が顔を出してWebから参加して
あなたの画面に現れて声もしくは文字のメッセージが送られる。
(これはリアルタイムで行われる。メッセージを送る人は少額が課金され、文化財の保全や遍路道の維持管理などに役立てられる)

そしていよいよ機が熟したとき、
リアル四国へ旅立つ。
(仮想だけで巡礼を終える人は少ないだろう)
予め仮想現実を体験しているので不安は少ない。
そして今度は拡張現実により
仮想現実での履歴をリアルに重ねて見ることができる。

ただし、スマートフォンを使わない。
巡礼者にとって道中の電源確保が容易ではないので
緊急の際の電話機能を消耗しないことが必要だからだ。
そのため専用ハードを準備する。

ハードを売るのが目的ではなく、巡礼者の視点から必要だと思う。
具体的には歩行器の表示部を小型化したもので、
自宅の歩行器とは同調が取れている。
防水機能は当然であるが、
リュックに取りつける太陽光充電ユニットから充電ができる仕様にもなっている。
(ケータイ電話にも充電できる)
汎用アプリケーションとしては、
GPS機能を持った地図で次の札所、登録された宿泊所までの距離、
進行方向の天気予報が表示される。
音声による翻訳アプリケーションを搭載して
外国人巡礼者と意思疎通や情報の提供ができる。
さらに簡易の健康診断機能も付いている。
最初からこれらのものがセットされていることが不可欠(その代わり拡張性は要らない)。
住民のリアルタイムの励ましのメッセージや
自治体境界を越えるたびに
自治体のミニガイドが必要に応じてポップアップする。
ドロップボックスのように、大容量の接続環境が使える場所では
撮りだめた写真や手記などをWeb上に格納もできる。
アクセスの設定により家族や友人も居場所やそれらのデータを閲覧できる。

ただしこのハード、動きを検知したら画面が更新されない(必ず止まって見せるため)。
ブームになったあの端末を見ていると、
開発者は、想像力を持って開発、調整を行わなければならないことがわかる。
四国巡礼を世界遺産に登録する前に検討してみてはどうだろう。
これらの機能をわかりやすいインターフェイスにまとめるためには
ハードとソフトの一体化が必要なのだ。
(あるいはレンタルサービスもあり得る)
自宅に戻れば、実際に歩いて味わった現実をマシン上で歩くことで再度体験できる。
このように仮想現実と拡張現実を行き来しつつ、
そこに必要最小限の情報ポータルと世界観を共有できるコミュニティを融合させるとしたら
インターフェイスの設計(コミュニケーションのデザイン)がカギとなる。


追記
水をさすようだけれど、
お遍路アプリもビジネスとして過度に期待しないほうがいい。
大切なのは、四国巡礼を通じてどんな価値を提供できるかを見極めること。
そしてあくまでも巡礼者の視点からコンセプトを練り上げること。
あのブームのアプリケーションを見ていると
急激に普及していることでビジネスとしての寿命は極端に短いことが予測される。
(半年持つだろうか?)
アートの名を借りたプロジェクションマッピングなどもイベントとしてはおもしろいけれど
そこから現実へ波及していかない(体験者の物珍しさがリアル世界への行動につながっていない)。
物珍しければそうであるほど、「ああ、あれはもう見た」の一過性で終わる。
(仕掛け人ももうそのことの危うさに気付いているはず)
アートとは、行動につながるものと定義しているので、ポケモンGoはアートだと思う。
現実と調整は必要だけれど。






タグ:巡礼 空と海
posted by 平井 吉信 at 11:00| Comment(0) | 徳島

2016年07月24日

国道55号線は「Pineapple」の季節 胸がつんと鳴る夏の日


室戸岬へと伸びる国道55号線、
パイナップルをめぐる季節は何度もやって来る。

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(南阿波サンラインの下りの直線。この次のカーブをどのようにトレースする?)

夏を迎えようとする1982年5月21日、
松田聖子の5枚目のアルバム「Pineapple」が発売された。
帯には、”シュロの香り、南風 いま、ココナツ色の気分”
ジャケットは、甘酸っぱい黄色の背景に
彼女の顔がいっぱいに映し出されたもの。

松田聖子 Pineapple(パイナップル)楽曲
01 P・R・E・S・E・N・T 
 作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗
02 パイナップル・アイランド
 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:大村雅朗
03 ひまわりの丘
 作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:船山基紀
04 LOVE SONG
 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:瀬尾一三
05 渚のバルコニー
 作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
06 ピンクのスクーター
 作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:大村雅朗
07 レモネードの夏
 作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:新川博
08 赤いスイートピー
 作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆
09 水色の朝
 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:大村雅朗
10 SUNSET BEACH
 作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗


デビュー当時、特に「裸足の季節」では
全力疾走で弾ける声が衝動を抑えきれず、
(100メートル走なのに200メートル走ってしまったかのように)
その音楽はマイクに収まらなかったが、ぼくらの心に届いた。
2曲目の「青い珊瑚礁」では
ハイトーンに添えられた甘いささやきが魅了した。
そして5枚目のパイナップルでは、
松本隆が二十歳の松田聖子の地平線を広げつつ
パイナップルという世界観に凝縮して見せた。

1曲目の躍動するリズムの刻み、浮かび上がる声が
夏という舞台装置を調える。
ふっと息を抜くところの表情がまばゆい。
伸ばした音がふわりと着地する直前の声のわずかな裏返り、
跳躍する音程を追いかけて伸びる間合い。
うまく歌おう、という意識よりも(音程を決めるよりも)
移りゆくときの流れに身を任せてみたの、と言いたげに。
(様式化された見栄を切る美空ひばり型ではなく、楽曲にのめり込みながらも、次のフレーズで別人のような表情を見せる、どこか醒めた目を持つちあきなおみ型に近い)

松本隆の世界観をミュージシャンがかたちにすれば、
水を得た魚のように泳ぐ人魚姫、聖子。
バンドやコーラスとのからみと声の浮き上がりのバランス。
アナログのマスターサウンド版を持っているが、
録音もプロの仕事だ。
(A面は朝、B面は昼下がりに聴きたい)
これだけの条件が揃った希有なアルバムであり、
(ハイレゾやSA-CDで聴いても愉しいと思うよ)
大滝詠一などと並んで日本のポップスの3本の指に入るアルバムと思っている。
(陳腐だけど、無人島に持っていく10枚のひとつ。残りの9枚はいつか)

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(北の脇)

人はなぜ、夏の日射しに憧れながら夏の翳りを感じるのか。
甘酸っぱいときめきは、まぶしさのせいであり、
若さがのめり込む衝動の裏には、ためいきの煩悶がある。

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(北の脇への森の散策路)

みずみずしい夏の朝に始まり
黄昏に漂う余韻で締めくくる。
夏に漂う若さの刹那を切なくうたう―。
これがパイナップルだ。
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(南阿波サンライン展望台の夕暮れ)

さらりと聞き流せば、さわやか。
入り込めば、さらにさらに深い泉へと誘ってくれる。
それはあなたしだい(聴く度に新たな発見があるのですよ、いまだに)。

朝焼けの海を、自転車で室戸岬に向かいながら
あのとき耳にこだましていたあの楽曲と、
波間に燦爛していた光を思い出す。

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(岬まで信号のない道は”空と海”をたどる旅)

室戸岬へと伸びる国道55号線、
パイナップルをめぐる季節は今年もやって来た。
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(田井ノ浜のハマボウ)

追記

もっとも音が良いのはステレオサウンドから発売されたSA-CD(廃盤。残念だけれど)
http://store.stereosound.co.jp/products/detail.php?product_id=2013

ネットワークプレイヤーを持っている人はハイレゾ音源
http://mora.jp/package/43000001/4582290406558/

CDプレーヤーならBlu-spec CD2(入手できる)
Pineapple


posted by 平井 吉信 at 14:50| Comment(0) | 音楽

2016年07月22日

人は水辺に立ち戻り太古の記憶を取り戻す 水とミネラルの聖地にて


熱帯魚と戯れたいと思って
朝、大砂海岸へ出かける。
(クルマで1時間ちょっとだ)
熱帯魚とは黒潮に乗ってやってきて
四国の海にとどまるのだが
冬を越せずに死んでしまう(死滅回遊魚という)。
ところが近年は水温の上昇で冬を越す回遊魚も出てきたのではないか。
渚の近くに岩礁があるこの海岸は熱帯魚と戯れるのに最適。

大砂海岸はぼくの遊び場。
気が向くと沖の小島まで泳いで渡ることもある。
浮き輪もシュノーケルも足ひれも付けたくない。
ときに潜ってときに漂い、空を見ながら浮かんでいたい。
そんなときに呼吸器やら足ひれは邪魔になるだけ。
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だから(仕事の名刺なのに)名刺の裏には
「地球の水辺をゴーグルひとつで遊ぶ」と書いてある。
南太平洋ポリネシアへもゴーグルひとつで
水深20メートルを潜り、サメに囲まれたり…。

いったん海へ入ると1時間ぐらいは岸へ戻らない。
いつも手足を動かしていないと沈むから大変だろうって?
そうでもなくて、
平泳ぎ、空を見る平泳ぎ、古式泳法、クロール、立ち及びに犬かきと
そのときしたいように動いている(漂っている)。
腰を折ってするりと入った水底からUターンをしたら
太陽をめがけて水面へ浮く。
頭を酸素のまっただなかへと突き出すと
まぶしい日射しと空気の層、たゆたう海に包まれて
声にならない叫びを上げてしまう。
(水と戯れた魂はもう違う世界を見ている)
水辺はぼくにとって(そして多くの人にとって)
生きる刹那の再生装置のようなもの。
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ただ、熱帯魚は見かけなかった。
(こんなの初めてだ)
わからない。
今年は庭の桃の木に例年わく毛虫もいなかった。
庭の菊に群がるあぶらむしもいなければ
それを目当てに集まるてんとう虫もいなかった。
生物界に確実に何かの異変が起こっている。



気を取り直して昼を食べようと
海部川へ向かう。
小さな支流の木陰で
ありきたりのものを食べる。
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(いつもは手作りするのだけれど時間がなかったので)
それはそれでごちそう。
背後には沢が流れて涼風が落ちてくる。
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目の前には河畔林と人里離れた渓流がある。
これ以上、必要なものってある?
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さらに、四国の山間部だけに自生するタキユリを見に行く。
もう咲いていた。
5年間ともに過ごしたニコンD7000の最後の映像を。
(充実した時間をありがとう。次のオーナーに喜んでもらえるといいな)
http://soratoumi.sblo.jp/article/176174123.html

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続いてフジX-E2で。
広角に強いフジと、マクロと望遠を受け持つニコン。
性格が異なるAPS-C16メガセンサーは抜群のコンビとなって
ぼくとともに海や山や川、まち、温泉、食べ物などをめぐった。
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太古の時代、ほ乳類の遠い祖先も海から陸をめざした。
水辺はその記憶が蘇る場所。
そして水辺から遠ざかると人は生き方を忘れてしまう。
人が一極に集中して失う時間と記憶に気付いたとしても
四国がその暫定的な住処となるためには
受け容れる意識を高めていかなければならない。

健全な生の営みを取り戻す人が多くなれば
魂が光で満たされる人が多くなれば
この国は間違った方向に行くことはないだろう。

四国は好きだ。そこに心理の県境はない。
でも、気付きをもたらしてくれるのは
四国の東南部、海部地域だと確信している。
(まずは地元が宝に気付くこと。そこが出発点)

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透明度の高い海、山のミネラルを豊かに含む飲める川の水、
風土を彩る山野草と里山の営みがぎゅっと閉じ込められている。
ここは観光地ではなく、心を洗う場所。
― 水とミネラルの聖地なのだから。







posted by 平井 吉信 at 23:58| Comment(0) | 山、川、海、山野草