2016年05月30日

4年越しの時間をかけて探した天真爛漫な野生のバラ 母川にて 


きっかけは、2013年6月の徳島新聞の記事に遡る。
「母川流域が希少野生種のバラ『ツクシイバラ』の全国指折りの群生地であることが、専門家によって確認された」とある。

大きな桃色の花弁と紅の縁取りを持った愛嬌あるはなやかさ。
しかも野生のバラ。
しかし、イバラとして河原の雑草駆除の際に刈り取られてしまうこともあるという。

そこで、毎年この季節になると、母川流域をくまなく探し続けた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/56492825.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/69158034.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/96850608.html

虫除けスプレーで蚊・ダニ対策、ビニール系の素材の服に身を固めて
河川敷の藪を探し歩いた。
華やかさをふりまく姿態から見つけにくい花ではないはず。

過去の経験から今年度も期待できないと考えて
特に予定は入れていなかった。
けれど、家人から「おいしい魚」が食べたいとの要望があり、
甲浦や室戸の地魚が安価に出回る海陽町のスーパーや鮮魚店を廻ることになった「ついで」に
花を探してみることにした。

ところが…。
ぽつりぽつりと空から落ちてくる。
午後からは大雨になるかもと道を急ぐ。
現地に着くと、これまで探していた場所を入念に探す。

雨に煙る母川のせりわり岩の付近(オオウナギの生息地)
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雨を待ちわびた植物、木々の芽、そして虫たちも
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食べられる木の実、野いちご
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秋が楽しみなアケビの群生
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濃密な河畔林の森 ここに分け入るのは勇気と装備が必要
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もしかしたらこれがそうか?(専門家の鑑定に委ねたい)
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これがその花か? 雰囲気が違うような?
希少種であろうとなかろうと
雨を宿して楚々として美しい花に声をかけずにはいられない
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湧き水を集めて悠然と河畔林を洗う母川の流れは
四国でも似たような川が見当たらない希少な特性。
オオウナギやホタルだけではない生態系の価値に地元は気付いて欲しい。
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傘を差していても湿潤な霧雨で身体が冷えてきた。
みずみずしい自然に触れていると、心がどんどん晴れやかになっていく。
今年(2016年)もツクシイバラが見当たらなかったけれど満足した。
帰ろう。
時計を見ると、飲食店の昼の時間も終わっている。
魚を買って阿南あたりでなにかを食べようかと。

それなのに、いましばらく河川敷を探していると…。(続く)


続きを見たい方は
タグ: 母川
posted by 平井 吉信 at 11:19| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2016年05月28日

ヒロシマでオバマ大統領が伝えたかったこと


安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから―。

この碑に刻まれた言葉の意味を
子ども心に感じていた。

これは慰めの祈りであるとともに
人類が未来の人類に対して誓った言葉だと。


原爆は多くの人の命を救ったやむをえない選択であった、
などと正当化する意見がある。
(これも偏った教育だろう)

しかし、原爆投下は誰も幸福にはしなかった。
人類の闇を見せられた誰もが被害者なのだ。
まずはそのことを自覚しなければならない。
だから、ヒロシマへ行くべきなのだ。
逃れることのできなかった被爆の苦しみを
我がこととして受け止めることが人の道だろう。


理想はわかっていても
遅々として事態が動いていかないと
人々はどうしても強硬意見に傾いていく。
(いまのアメリカはその病に陥っているようだ)
それは、解決をさらに遠ざける。

目に見えない暗黒の圧力は
若い日に平和を願い、プラハでは核のない世界を訴えた
ひとりの大統領の思いを呑み込んで流れた。

しかし、理念を訴えなければ
誰かの心には届かない、広がらない。
大国の大統領として、
核を行使した国として、
ヒロシマを訪問した意義は大きい。
(大統領退任後の責務を示したともいえる)。

ヒロシマ・ナガサキ、
そしてフクシマを経験した日本が
世界に貢献すべき道を示したできごとでもあった。

サミットでは、世界的な経済危機を演出してまで
経済政策の失敗を見せなくするとともに
消費増税の先送りの演出を腐心した一国の首相の姿があった。
(選挙で民意を問えばいいが、民意は気まぐれで本質が見えているかどうかわからない)

外交は本音と建て前が交錯する権謀の産物ではあるけれど
個人の思い込みでやるものではない。
日本で行うからには、世界に示す思想があるはず。

日本が誇れる目に見えないソフト。
それは、歴史や文化、科学技術、観光、コンテンツ産業、生産管理、災害対応など
あらゆる分野に及ぶ。
それらは未来を照らす燭光でもあるはず。
世界のどの勢力とも節度ある距離を持って
敵をつくらず貢献していく道があるはず。
国内で個性ある製品を、生産性の高いものづくりをしていけば
それを目を細めて買ってくれる人はたくさんいるはずだが、
そのマーケットは、スイスや北欧が占拠している。
人々の幸福を前提に、質の高い経済国家として先頭を切って走ることができるはず。
(いまやらなければならないのは、時代にそぐわない的外れの経済政策や理念のない五輪ではないはず)

冒頭の碑の言葉は、
主語をぼかしているのではなく
人類全体の責務として捉えて
核を含めた戦争のない社会へ取り組んでいく決意を込めたものと理解している。

オバマ大統領の功績は何だったか?
謝罪がなかった、などを問う前に
私たちはどんな未来に向かって
どのように行動するかを考えたい。


人の一生は限られている。
金持ちも貧乏も白人も黒人も関係なく
時間は等しく流れていく。
けれども時間の密度、
言い換えれば、満足感はまったく違う。
生きること―。
そこからの学びに感謝するとともに
楽しむことができたらどうだろう。


お金や経済といった尺度は邪魔になる、と排除することはしない。
(株価に一喜一憂するのはつまらないと以前から述べているのは経済システムを否定して仙人をめざしているのではなく、それらに左右されない社会をつくれば、自ずと経済システムも良くなるとの考えから)
お金や経済を否定するのではなく
その存在を肯定して(ただし捕われることなく)、
自分にも社会にも活かすこと。

実はそれは誰にでもできる。
たったひとつのことができたら。

それは、生きることに幸福を感じること。
(置かれている現在の環境のまま幸福を感じること)。
他力本願でも人と比べるのでもない。
視点を変えればできる。

テロや他国の脅威に名を借りて軍事産業の闇の力が
覆い被さってくることを身を持って知ったとしても
一人ひとりの幸福感が核なき世界への道のりを拓く。
オバマ大統領はそこに一縷の望みをつなごうとしたのではないか。


ぼくは幸福を感じる処方箋を伝えていこうと思う。
哲学、宗教、心理学、科学、芸術などの垣根を越えて
道は違えど同じ目標をめざして人は生きている。
幸福へ向かう道はある。
それに気付くことの大切さと処方箋を伝えていきたい。
(自分の利益のために動いた時点でメッセージは伝わらなくなる。新興宗教が人々の心に浸透しないのもそこにある。行為は無償であるべき)



posted by 平井 吉信 at 17:28| Comment(0) | 生きる

2016年05月21日

千と千尋の道後温泉へ参る


伊予鉄の道後温泉駅はそれぞれの日常、非日常が行き交う
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待機中の 坊ちゃん列車。ここに車掌と運転手が乗り込む。
そういえば、かつての路線バスも車掌がいたっけ。
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温泉のある商店街の入口で定時を付けるからくり時計
赤シャツ、うらなり君、マドンナ、山嵐(ぼっちゃん?)が動き出した
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商店街の店の表情、行き交う人々を見ると、人の営みの安堵感が
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道後温泉本館前に着いた。着色するとたちまち昭和に.
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おすすめは、「霊の湯3階個室」。
浴衣を着てまちを見下ろしながら
坊ちゃん団子と茶で涼むのだ。
皇室専用の浴室や夏目漱石ゆかりの坊ちゃんの間などの見学もできる。
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店の前をいったん通り過ぎたが、意を決して門をくぐった
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この坊ちゃん団子は旅の疲れを癒してくれる
(量産されていないのでここで求めるしかない)
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道後温泉の雑多な賑わいはアジアに共通のテイストがある。
絹の道を抜けて東方へたどりついた人々の末裔の祭りのよう。
実際に道後温泉を見下ろす丘からは縄文人の遺跡が発掘されている。
(もしかして縄文人も湯浴みをしたのだろうか)

重要文化財である道後温泉本館は耐震補強のため、2017年から改修を行う。
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posted by 平井 吉信 at 17:16| Comment(0) | まちめぐり

2016年05月19日

相生森林美術館 雨でも崖崩れでも音楽は踊る


友人の親しい知人が出演するということで
相生森林美術館へ出かけた。

ところが、当日の朝刊では…
美術館の手前の国道で前日の午後に崖崩れがあり通行できないとある。
幸いにも迂回路があって事なきを得た。

ミュージアムコンサート「トリオ・ルーチェ 新緑の光のなかで」
5月15日(日)午後2時開演
出演:トリオ・ルーチェ
(綾野幸恵:ヴァイオリン/田上和子:チェロ/釘宮貴子:ピアノ)

同時に開催されていた美術展では、
日本とフランスを行き来した三岸節子(みぎしせつこ)展も開かれている。
時系列で見ると作風の変化を感じることができる。
壮年期の花の絵が好みだ。
画家の若い頃の凛としたたたずまいが印象的。
(いずれも含めて入場料は500円)。

コンサート終了後に木のオブジェを見る。
どんなふうに曲げられた(接合された)のだろう。
このすぐ横で演奏されていた。
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小さなホールでありながら
フラッターエコーの発生がなく
木質であることもあって過剰な響きはない。
演奏者から5メートルぐらいで楽器の響きが直接飛び込んでくる。
(ただ、壁が近いこともあって楽器のバランスはとりづらく、室内がデッドで近距離なので溶け合うことは難しい)
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当日は雨で、最初は楽器が湿っていたようだけれど
途中から俄然鳴りが良くなった。
麗しいお三方の美演は、雨とともに地上に潤いをもたらす天使となった。
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外に出ると近所のお宅の庭が来場者を楽しませる
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赤いバラが桃色の小さな花の仲間に入れて欲しいと思っている
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この浮遊感はなんだろう。美術館の外でも展示が繰り広げられたわけだ。
(カメラはフジX20)

追記
館内の庭にあるハンカチノキの花は終わっていた。

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posted by 平井 吉信 at 16:38| Comment(0) | 生きる

2016年05月18日

600万画素のデジカメを使って2016年の日本を上空から眺める


全国から専門家と国の担当者を集めての会議の後、
新橋で知人の会社経営者と打ち合わせを兼ねて会食をしていたとき、
ぐらっと揺れた。
揺れる直前に通報が鳴っていたようだ。
(ぼくのはPHSなので通報機能は付いていない)

さて、今回の出張のお伴はフジのF31fdという
平成18年に発売されたデジタルカメラ。
 → FinePix F31fdの仕様

上空から眺める日本列島には感慨がある。
機内では窓に顔を寄せて飽きることなく下界を眺めている。
頭のなかの地図や地形を取り出しながら
模型のように見える日本列島の里山、都市が愛おしい。
この空の下、人々の営み、歴史と文化、それぞれの家族の物語がある。

小学校の頃の通信簿には、
休み時間にぼおっとして窓の外を眺めている子ども、
などと書かれたこともあった。

ところが、日本地図や世界地図を自在に描ける特技があり
「理想の住みたい架空のまち」の地図をチラシの裏に書いていた。
それは海辺であって、港と砂浜と岩礁地形、岬と湾があり
川が湾に流れ込んでいるもの。
少し遡れば渓谷に入り、子どもが冒険をしたくなるような沢がある。
河畔林をたどる子どもの冒険と魑魅魍魎との出会いを書いた物語(ファンタジー)も書いた。
(ご希望の方には読んでいただけるようにしたい)

国土地理院の地図を集めて、そして眺めてうっとりしている。
地図のどこがおもしろい?
そこから実際の風景を想像するのが楽しくて。
地図を見て、描いた世界と実際の違いを見るのが楽しくて。

当時見ていたテレビは、NHKの「新日本紀行」。
(風変わりな子ども)
先般亡くなられた冨田勲さんのオープニングが聞こえてくると
胸が高鳴る小学生だった。
高度経済成長で変わりゆく日本と変わらない日本がせめぎあいながら
ひとつの時代をつくっていた。
そこに生きる人々が時代に流されながらも紡いでいった。
そんなドキュメンタリーを食い入るように見つめていた。
(いまも変わっていないけど)


気流は安定していない
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やや高い高度を飛ぶ他の飛行機が見えた。
距離はそれほど離れていない。
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眼下に見下ろす雲が海に溶け込んでいくたたずまい
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(元画像を縮小しただけだが、600万画素ならではの階調とコントラストが美しい)

やがて雲の上に南アルプスの北岳をはじめとする3千メートルを超える山々が見えてきた。
やはりひときわ高く突き抜けた富士山が見えた。
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宿泊していたホテルの窓から。
東京には意外に緑が多いことに気付く。
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大井川だろう。黄色く濁っているのは増水しているから
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画像処理で先鋭化
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ヤマハのお膝元、浜名湖(先鋭化)
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伊勢志摩を遠くに見つつ、宮川と五十鈴川。伊勢神宮も見える
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数年前の紀伊半島の災害の爪痕か
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和歌山の風力発電所は晴れた日には四国からもよく見える。
あと少しで徳島空港に着陸。
変わりゆく日本、変わらない日本に思いを馳せつつ。
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タグ:東京
posted by 平井 吉信 at 22:34| Comment(0) | 生きる

2016年05月12日

庭のムラサキカタバミ 晴れて


久しぶりの快晴の朝、
先日開花した濃い色のムラサキカタバミを見た。
雨で花弁は少し痛み、
相棒の花はしおれてしまったけれど
五月の陽光を受けて風に揺れている。

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フジX-E2+XF35mmF1.4 R手持ち撮影(プロビア=JPEGそのまま)
タグ:
posted by 平井 吉信 at 09:31| Comment(0) | 家の庭

2016年05月11日

5月上旬の徳島県内の山域で見かけた花(初公開)


5月上旬の山歩きが1年中でもっとも心弾むかもしれない。
新緑が萌えている ― それが目のごちそう。
点在する山野草のそれぞれの存在感 ― 見つけてあげたい気持ちと見て欲しい気持ちの通じる瞬間。
野に咲いてこそ、の山野草だから、生きた証しを見つめたい。
(これまで公開していないものから追加の掲載)

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色もかたちもたたずまいも違うけど
見つけてあげたい気持ちと見て欲しい気持ちの通じる瞬間。
野に咲いてこそ…もしかして、人も?

posted by 平井 吉信 at 23:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2016年05月09日

庭の小さな変化 鮮やかなムラサキカタバミの出現


猫の額ほどの小さな庭を毎日眺めていると
思いもかけない変化があって楽しい。
季節を問わずムラサキカタバミが、日向に木陰に出現するが
ほとんどは桃色から淡い赤紫である。

ところが、5月上旬に発見したこの個体は
それまで見たことのない赤紫系である。

シコクカッコウソウの無念を思うと
胸が痛んだ数日であったが、
雑草に宿る思いがけない生命の輝きは
心にひとときの明かりを灯す。

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中心部の色合いが複雑で万華鏡のよう。
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フジX-E2+XF35mmF1.4 Rで手持ち撮影(JPEGそのままの色再現)
(中間リング使用)
タグ:
posted by 平井 吉信 at 10:30| Comment(0) | 家の庭

2016年05月08日

初夏の海部川 ひっそりと饒舌に


70年代の青春ドラマには湘南の海があった。
学校の近くににぎやかなまちがあり、
ひとりになれる海があるという状況。

自然はそれがわかる人にとっては饒舌だ。
周囲1メートルにも小さな生き物たちの宇宙があるかと思えば
遠い眺めが視野に収まる。

広い河原があって、清冽な水が流れていて
まちから近くにある、海からも近い、JRの駅からも―。
里山ごと味わえるのが海部川の良いところ。

たくさん人が来てもすれ違うことはない河原
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鵜が水面を飛ぶ
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連休というのに誰ひとり会うことはない
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目を閉じても
目を開いても
自然はごちそうをくれる。
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初夏の海部川 2016。
自然の川は、こんな姿ということ、
目で眺めて、耳を澄ませて
手を入れて、身体ごと浸して感じてみませんか?
(宍喰からも目と花の先なので)
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写真で伝わらない水の表情は動画で


タグ:海部川
posted by 平井 吉信 at 19:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草

かけがえのないこと 宍喰の寒茶のある暮らし そして甘みと旨味が溶け込んだ「寒茶物語」


1億総評論家が飲食店、宿泊施設、家電品を評価する時代。
自分で実際に判断すれば良いことだが、
失敗したくない、自分で判断できない人たちが
レビューを求めてネットサーフィンをする。
そこに途方もない時間が消費されている。
それを増長しているのがスマートフォン。

そこで、わかりやすいキャッチコピーとシズル感のある写真を見せ
限定などの煽りをきかせて買わせるのがマスマーケティング(楽天など)の手法となっている。
それゆえ、このようなサイトや○○○セレクションなどに登録されたものには
良いモノはほとんど見かけない。
(自分が生きていく身の回りのことは自分で実際に体験して判断しようよ)

「匠の技」「こだわりの逸品」「厳選した材料」
「有機JAS認定」「○○使用、だからこれこれ」などのフレーズを用いた商品を、
買わないようにしている。
(あくまで個人のモノサシですが)

その一方で、良いものは、なかなか浸透しない。
「○○産の○○グレードの材料を○○グラム使用して
手間のかかる○○製法でつくった逸品」といった情報はわかりやすいので
先入観(脳が味わう情報)に弱い私たちは飛びついてしまう。

星の王子様は、ほんとうに大切なものは目には見えない、という。
目に見えないことなので文字では伝えにくい。
社会にはほんの一握りだけれど、
目に見えることから、目に見えないものを推し量っていける人がいる。

目に見えることは、「何を」。
目に見えないけれど大切なことは「どのように」と定義すると、
豊かな人生とは、
「何を」ではなく、「どのように」を大切にする生き方と思う。

なぜ、それをつくっているのか?
どんな気持ちで取り組んでいるのか?
何を伝えよう、届けようとしているのか?

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徳島県最南端の海陽町宍喰(ししくい)地区には寒茶(かんちゃ)という茶がある。
山に自生している山茶を寒の時季(真冬)に摘み取って製茶していたもので、
全国的に寒茶と自称する製品はあったとしても
このような製法を見つけることは難しい。

茶が自生している宍喰の山中は
水をすくって飲めそうな清流、野根川の上流部。
携帯電話すらつながらない地区である。
そのような場所で、農薬を使わず自然に任せて生育した山茶を
わざわざ一年でもっとも寒い時季に摘み取るのはなぜか?

冬の寒さに耐える分厚い茶葉は
旨味を貯えるとともに、カフェインが少ないからである。
しかし、風味が奥に閉じ込められているので
高温の湯で抽出する必要がある(煮るという感覚に近い)。
だから寒茶は、急須に湯を注いですぐに飲んでも出ない。
やかんに煮だして、野良へ持っていて水筒代わりに飲むこともあったのではないだろうか。
地元では普段飲みのお茶として親しまれてきた。
いわば、暮らしの飲み物である(これが従来の寒茶)。

いまから数十年前、
野根川の夏を楽しみに宍喰町を訪れたとき、
キャンプ場の管理をされていた女性から楽しいお話を伺ったことがある。
山峡の地でそよ風に吹かれるような笑顔の女性は、石本アケミさんという。
そのとき、寒茶の存在を教えていただいた。
(同じ徳島県人にも知られていないのである)


生産者は70歳を越えているだろうか。
もともと、まとまった茶畑があるわけではなく
野根川に落ちる急峻な地形とも相まって
山峡の集落では効率的な生産は望めない。
それを高齢者が細々と
しかし、この茶を子どもや孫たちに伝えたいと
作業に励んでいる。
いまも、集落の高齢者が励まし合いながら寒茶の生産を続けている。

このままでは消えゆく運命にある宍喰の寒茶であるが、
東京からIターンで移住されたご夫婦が
地域と寒茶の可能性を信じて、地元の生産者を支援しつつ
寒茶の可能性を極限まで引き出した製品を開発された。
日比光則さん、裕子さんご夫妻である。

それは、寒茶の地平線を切りひらいたもので
水で抽出することもできるティーバッグ「寒茶物語」として提供されている。
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コーヒーでも水で抽出すると、まろやかな風味になることは知られている。
しかしそのために、数時間かけて抽出することが一般的である。
その抽出装置もそれぞれ工夫されている。
(私が行きつけの四万十市の喫茶ウォッチもそうである)

しかし、この製品「寒茶物語」は、水で数分で抽出できるよう茶葉を加工したもので、
オリジナルの寒茶とは異なる価値を提案している。

その風味は、茶の甘みが感じられ、飲んだあとに旨味があとを引く。
(すっきり風味のあとの名残感が飲んだ人をなごませる)
もちろん、湯で抽出してもいい。
その場合は、ウーロン茶で感じられるような、心地よい酸味が鼻腔に抜けていく。
この1杯の茶には、それを育てる自然の営みと
真冬の時期だからこそ茶葉に宿る風味を取り出したことと
寒茶のある風土と人々に共鳴して、惜しみなく支援を行ってきた思いが込められている。

寒茶物語の風味は、乳酸発酵で現在ブームとなっている阿波晩茶をはじめ、
一般的な紅茶や緑茶とも異なる風味である。
それでいて、誰が飲んでもすうっと飲める。
(個性と普遍性を高度に両立させているので、お茶に目がない人たちに味わっていただきたい)
そして、胃腸が弱い人や子ども、高齢者が飲んでも身体にやさしいのがいいところ。
(カフェインが少ないので)
真冬の茶葉に閉じ込められた旨味成分を「どのように取り出すか」を研究し
試行錯誤の末に実現できた開発者のひそかな高揚感すら感じられる。

寒茶物語は、徳島県南部の一部の場所でしか入手できない。
インターネットでの販売も検討されているようだが、
現時点では、道の駅宍喰温泉 産直市場「すぎのこ市場」(ホテルリビエラししくいの隣,道の駅宍喰)で入手できる。

facebookすぎのこ市場

ティーバッグなので飲みたいときにすぐに飲める。
けれど、わざわざ寒茶だけを味わい尽くす休日の時間も素敵。
このお茶には、ゆったりとした暮らしを楽しむきっかけが詰まっているから。
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徳島県最南端の宍喰町久尾の集落へ出かけて
野根川の清流と茶が自生する斜面を見ていただけると
寒茶に託した人々の思いが伝わってくる。
川からの薫風を感じる初夏からせみしぐれの夏、
寒茶の里を訪ねてみては?
(商品を買って産地を応援できるけど、それだけではなく直接現地を訪ねてみては?)

追記

寒茶を練り込んだ手延べ乾めんも完成した。
麺本体だけでも稲庭うどんに匹敵するおいしさである。
この麺は、つるぎ町の製麺所(本田製麺)に特注してつくられたもの。
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麺になにかを混ぜ込むことはどこでもやっているけれど
たいがいは風味よりも話題性が先行しているように思う。

ところが、「手延べつけ麺 寒茶」は、
麺だけですでに完結している世界観を持つ。

使用している国産小麦は、日比さんがかつて数ヶ月かけて
全国を訪ね歩いて見つけたものを生産者から直接購入されていると伺った。
安全安心とおいしさへの思いは深いが、そのことは売り文句として語らない。

そこに宍喰の寒茶の茶葉を使っている。
麺のゆで汁を飲んでみると
すでに寒茶の旨味が溶け込んでいる。

つけ麺は、日比さん特性の塩だれ。
(もちろん化学調味料や保存料は使用していない)
麺の風味を壊すことなく、塩で麺の甘みと旨味を引き出している。
茹でる時間は、5分程度。ゆであがりを水で締めてできあがり。
あまりにもプレーンでさりげないだけに
夏の暑さをものともしない涼しさを感じさせる。
手延べ乾めんに寒茶の旨味を閉じ込めた
この突き抜けた世界観は唯一無二のものだろう。
「手延べつけ麺 寒茶」は現代の千利休に味わっていただきたいと思う。
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手延べつけ麺は、日比さんの経営されているChannel R55が全国初と聞いている。
お店でもいただくことができるが、現在は、一時休業されているようである。
再開されれば本ブログでもお知らせしたい。


posted by 平井 吉信 at 17:46| Comment(0) | 生きる