2016年04月14日

ハモ、アシアカエビ。徳島の川が育む海の幸と文学


鹿子沢ヒコーキさんが徳島に取材旅行に来るということで
事前にご連絡をいただいた。
鹿子沢さんは、歴史ある出版社の編集長らしいのだが
それ以上は明かせない。

しばらく腰を据えて四国を取材されるという。
年度末で忙殺されている当方と
奇跡的に1時間だけ互いの時間と場所が接近することがわかった。
眉山に関連する取材をされるということで、
眉山がもっとも秀麗に撮影できる場所として、
吉野川橋北の情報をお伝えしておいた。
ある日の16時過ぎに和田乃屋さんでお待ちすることにした。
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何か旧知の間柄のようだが、
それまでは仕事関係での電話とメールのみ。
この日が初対面となった。
和田乃屋さんでの情報交換は社長ご夫妻も交えて楽しかった。

鹿子沢さんは、いくつかご紹介した飲食に入って
店の料理に感動したとおっしゃった。
その店では、ぼくはランチにすることが多いのだけれど、
鹿子沢さんが注文したのはハモ定食。
東京では絶対に食べられないとのこと。

それならばぜひ行ってみようと思っていたら、
午前中に川内で仕事の打ち合わせがあり、
午後から香川県東部での面談があったので、
自ずとその店に行けることになった。
(行きたいと思ったらそのような巡り合わせになるのが人生)

もちろん同じ料理を注文。それがこれ。
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徳島の吉野川、勝浦川、那賀川から供給される肥沃な粒子の細かい土が、
紀伊水道の海の豊かさを形成している。

瀬戸内海から太平洋までを備える徳島には多様な水産物がある。
スジアオノリ、鳴門わかめ、通年取れるタチウオなど。
なかでも忘れてはいけないのが、ハモとアシアカエビ。
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前者は京料理の食材に不可欠だし、
後者はクルマエビよりおいしくて手頃。
徳島の水産物は実は全国有数なのだ。

先日は、金目鯛が630円で売っていたので3枚に降ろして、
オリーブオイルとニンニクで炒めて白ワインでフランベ。
お頭は昆布だしで吸い物に。
ともに絶品であった。
(魚介料理は裁きから調理までわが家ではぼくの役割)

鹿子沢さんは翌日、ご紹介した室戸を代表する料亭で
キンメ丼を召し上がられたそうだ。
これも感動モノとおっしゃっていた。

さて、ここで問題です。
これは、どの店で売られているハモ定食(焼き霜つくり、天ぷら付)でしょうか?(1,280円)
(ヒント:徳島市と鳴門市の間で地元魚介料理を得意として野菜ソムリエがいる店です)

タグ:ランチ
posted by 平井 吉信 at 01:03| Comment(0) | 徳島

2016年04月13日

徳島市の活性化を考える


(この記事は4月9日の記事に加筆したので改めて投稿したもの)

四国の四県都を振り返ってみると、
徳島市の中心市街地の衰退が四国の県庁所在地で著しい。
高松では三越のある丸亀町の再開発が進行中。
華やかなハード整備に目が向きがちだけれど、原点には食や医療なども含めて、
まちなかでのくらしを見つめる目がある。
さらに、南部の瓦町駅では天満屋の撤退後、
琴電の主導で商業とコミュニティ施設として生まれ変わり、
大型のライブハウスが誕生するなど波及効果が出ており、
駅の乗降客、周辺の商店街の通行量が増加している。

松山では、2つの百貨店と商店街が連携しつつ、
大街道の入口の大型空き地に複合商業ビルが稼働を始め、
街区のなかほどでも再開発の動きが見えている。
道後温泉本館の更新を間近に控えながらも
道後は海外からの観光客も含めて賑わっている。
3月には、民間のまちづくりの関係者が石破地方創生相にプレゼンテーションを行っている。
その内容は、自立した組織によるまちづくりを行う必要性と
市民を巻き込むことの重要性を訴求したもの。
民間のまちづくりのあり方としては、日本でもっとも先進的な事例のひとつだろう。
資料は、以下に公開されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/meeting/chiiki_shigoto/h28-03-26-siryou2-3.pdf

高知は、平成27年夏に関係者の期待を背負って
複合商業施設「帯屋町チェントロ」が開業。
そこには地元資本の書店が出店するなど全国FCに負けていないところが長所。
ローカルと観光客がともに賑わうひろめ市場や日曜市に加えて、
よさこい、おきゃく、まちゼミ、エスコーターズといったソフト事業をからめ、
地元商店街の団結のもと意地を見せている。
さらには、隣接する小学校跡地に数年以内に図書館の開業を控えている。
高知の近年の著しい活性化の動きは地元住民が肌で感じている。
このように3県都の中心市街地は県の顔となっている。

高松の再開発は所有と使用の分離をめざした最先端の事例であり、
松山のまちづくりの組織は、目線の高さがひときわ高く内閣府も注目している。
徳島はというと、まちなかから経済センタービルの機能が郊外に移転し、
さらには郊外に大型SCの誘致をめざすなど中心部をますます衰退に誘導しているようだ。
また、県市の協調ができておらず、ちぐはぐで無策といえる。

高松の都市計画を見ると、どんなまちにしたいかの中長期の道筋が描かれている。
今回の徳島市長選では、
各候補は新町西地区の再開発の是非を争点にしたものの、
まちの中長期のビジョンは示していない。

かつての駅前と東新町の二眼レフ構想の失敗に学び、
それぞれの地区をどのように位置づけて百年後の大計として
今後数年で取り組むべき課題はこれこれ、と抽出する必要がある
だから、新町西地区の再開発に賛成か反対かの二者択一ではない。
街区の更新は不可欠なので、論点とは何かを考えることだろう。

音楽ホールについては文化センターの耐震補強という主張があったが、
ホールは楽器の一部であり、強度やデザインだけで語れない。
良いホール(音響)があるところに感動(文化への求心力)が生じる。
興業ベースで成り立つ適切な規模はどれぐらいか? 
県民の足の実情、県外からのアクセスを考えてどこに配置するのが望ましいか?
近隣や他県とのホールの連携や補完も含めて差別化要素は何か?
音楽に限らず、集客イベントの開催に際して会場の確保に苦労することが少なくない。
数十年先まで俯瞰して、ハコもの行政と一括りにすることなくあるべき姿を考えて欲しい。

子どもの頃、丸新百貨店へ連れていってもらうのは、ハレの日だった。
おもちゃ売場、食堂、屋上の遊具など子ども心に気もちが晴れやかになる場。
ダイエーへ行ったついでに商店街の専門店で買い物をしたり飲食をしたり。

先の計画では再開発で音楽ホールを整備する構想であった。
それは、ハレの場である。
しかし、いまの東新町は、日常の生活機能が求められるケのまちである。
音楽ホールを整備したところで、飲食関係以外に周辺に集客効果が波及せず、
まちの活性化にはつながらないと考えられる。
そのなかで、川の駅のような地勢を活かした構想は悪くない。
また、とくしまマルシェはぶれないコンセプトが奏功し
月に1回という絶妙の頻度は出品者に過度の負担とならず、
市民にとって、まちにハレの場を提供できる機会となっている。

徳島市に必要なのは市民や経済界が共感できるグランドビジョンを示し、
地区の特性に応じて、官民のプロジェクト、イベントなどが散りばめられる政策誘導を行うべき。
国土交通省の立地適正化計画はそのひとつであるが、基本はハード整備である。

それを補うのは、まちづくりをマネジメントとプロデュースをする機能である。
新しい公共という考えに基づいて人々に居場所と出番を提供すること
(これがあるのが高松、松山)。

徳島市に必要なのは、ハコをつくる前に、
まちを動かしていく動機をつくることだろう。
新町西地区に地区更新が不可欠であり、地権者も覚悟を持って取り組んでいるはず。
リスクを背負って事業を行う際に、行政としてどのように関われば良いのか、
市民としてできることはないのかを考えてみたい。

(以下は着眼点)
施設のコンセプトは、人々に居場所と出番をつくる実験的な場とする。
駐車場は基本になるので、有料であっても廉価な月極Pを提供できれば、
銀行、駅、官公庁が近い利便性とステイタスがある街区なので
郊外に出た事業所や事務所が戻ってくる。
利用者に向けては無料もしくは低廉(1時間50円〜100円程度)の駐車場を用意する。

実験的な事業所を集めたフロアは出会いの場である。
古い家屋のリノベーションが流行しているが、構造上の限界はある。
ひとつは通信ネットワークと省エネルギー、さらにはセキュリティの確保である。
新たに整備するのならこの点で有利。

商業、サービス業、小さな町工場やコーヒーの焙煎程度も可能なレイアウトとする。
また、会議や趣味に同好会のための恒常的な賃貸、時間的な賃貸なども交えて
居場所と出番を提供する。
このような場ができれば人が集まるので自ずと商業床も埋まる。
また、周辺に連鎖的に地区更新が波及する可能性がある。

かつて新町地区は徳島でも先進的な地区であった。
いまの時代の先進とは何かを定義する。
仮に、居場所と出番を創造する場とすると、
何をどのように提供すれば良いかを
事業のリスクを背負う再開発の地権者、組合が中心となって、
建設的な考えを持つ市民有志が膝突き合わせて、
短時間(数ヶ月以内)に方向性を出すことが求められる。

まちづくりに行政と市民が公式非公式の枠組みを超えて取り組める流れをつくること。
そのなかで身の丈の事業、リーン・スタートアップの手法による創業、
まちに必要なコミュニティ機能の担い手の発掘など
まちなかに埋もれている予備軍に居場所を提供できるはず。
活性化とはそういうことではないのだろうか?

追記

清貧の大統領として人気があり、
権力に屈することがなかったホセ ムヒカさんが来日された。

お顔を拝見すると、すでに悟られているように見える。
不屈の闘志とぶれない軸を支えていたのは、
おだやかな暮らしへの憧憬と祈りにも似た平和への使命感。
いつも民衆とともにあって
切れ味よりは包容力が優る人。
あるがままを受け容れることができるから
どんな境遇でも濁りに染まることもなければ、
地位に奢ることもない。
なぜなら、すうっと魂の高さを引き上げることができる。
その俯瞰があればこそ本質が見える。
論点を高く広く持つとはそういうこと。
いまの日本の政治家で近寄れる人はいるだろうか。

政治家は無償(実費補償)であるべき、と考えている。
利害得失から離れて大所高所から論点を整理し
かつ現場を知るためにはそうでなければならないのだ。

タグ:高知
posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 徳島

2016年04月11日

家から10分シリーズ 文化の森図書館の山上の公園


ときどき本を借りに行くことはある。
すでに絶版となっている図書や
書店ではほとんど見かけないいにしえの郷土図書など。

図書館はそうであっても、その上の公園ともなると…。
小学生の姪っ子を連れて来たのがいつ?

四国中を駆け巡っていても足元は意外に行っていない。

階段を昇りきると、山上の公園が現れた。
もはや夕暮れが近づいているけれど
まだ、残照が最後まで花開きそして散っていく桜を照らす。
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飛行機がたくさん飛んでいる。
飛行機雲を直角に横切って飛ぶ場面も。
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斜めの光は植物にあでやかな空気を与える。
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なあ、キリンてジラフでおうとう?(合っている?)
そんな声が耳元で木霊した。
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幼い女の子は、おとぎの国に住んでいて
ときどき現実世界と混ぜ合わせておとなを驚かせる。
そんな時間が愛おしい。

北西の園瀬川の俯瞰
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北東方面はビルが建て込んで、霞の向こうに淡路島と沼島が見える。
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ストーンサークル? UFOがここに舞い降りる目印。
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どんどん上に上がっていく。ここは初めての場所。
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さらに上がると森のなかの踏み跡。尾根を辿って南へ伸びているようだ。
小学校の頃、日峰山の道なき踏み跡や沢を求めて歩いた。
怖い物見たさ、でも好奇心が優る。
そうして胸ふくらむ冒険のとき。
その経験が「風の回廊」となった。
どこまで行くのだろう。この続き、見てみたい。

残照が宿る官能的な根っこ。
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でも、きょうはここまで。
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太陽が山に落ちたあとのふしぎな明るさがほんの一瞬公園を浮かび上がらせる。
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烏に誘われて子どもが家に帰る刻。
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空には三日月が羽を広げて見守る。
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また、逢う日まで。
そう言いながら、月日は同じ場所に戻ることなくめぐっていく。
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タグ: 日峰山
posted by 平井 吉信 at 23:49| Comment(0) | 徳島

近くなのに小学校以来だった 丈六寺の境内を散策


車で10分ぐらいの距離に丈六寺がある。
この寺は、細川氏、さらには阿波藩の蜂須賀氏と縁がある。
小学校のときに遠足で歩いて行った記憶がある。
妹を自転車に乗せて連れていったのもその頃。

眼下には勝浦川が流れる。
子どもの頃、初めてアユのドブ釣りをしたのも丈六寺下の淵。

こんなことを書いているのも
前回に丈六寺に来たのがいつか思い出せないから。
もしかして小学校から来ていないのかもしれない。

日曜の午後のひととき、行く当てもなく自宅を出て
佐那河内方面へ行こうとすると、
道路工事で通行止めという表示があったので
回れ右をして法花方面へ抜けようとして
丈六寺が目に止まった。

久しぶりなので、ときめきを感じつつ、車を停めて散策を始める。
門前の通りはこんなだったか?
石舞台から上流の明日香川にも似ている。
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勝浦川の水を取り込んだ水路に鯉が泳ぐ
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新緑が迎えてくれる。
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広い境内にぽつんと。
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右に、暗殺の際の血が飛び散ったとされる「血天井」がある。
小学校の遠足でも見た記憶があり、誰でも見ることができる。
(写真は割愛)
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境内の周辺は細川家、蜂須賀家ゆかりの墓地となっている
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ここから驚く場所へと。
墓地の裏山に散策路がある。
行き止まりかと思いつつ、登り切ると神社があった。

そしてそこに桜が。
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眼下の勝浦川。ここで初めてのドブ釣りをしてアユを釣った淵。
谷崎鱗海さんの名前とともに蘇る。
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里山を降りて周辺の民家を散策する。立派な石垣が目に付き、
墓守をしていた子孫のご家系ではないかと推察。

桜に触発された。
ここから5分のとくしま植物園へ。
(あとは写真を並べるだけで語る必要はないでしょう)
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タグ:神社
posted by 平井 吉信 at 22:48| Comment(0) | 徳島

2016年04月06日

四万十川 中村から大正まで 菜の花 桜 トロッコ列車


中村の赤鉄橋上流の河原では
菜の花が盛りを過ぎてなお。
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春の小川のようなこの場所の風景は子どもの頃を思い出す。
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河原の森と菜の花はおとぎの国の物語のロケ地
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河原で地元の女性が野菜を販売していた。
タラの芽(1箱100円)、トマト(5個入200円)であったが
完熟トマトの酸味の強さ(=旨味、糖度が高い)はしびれるほど美味。
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(もっと買っておけばと一瞬思ったけれど、多くの人が味わえるほうがいい)。

川を遡上するアユの気分で中村から上流をめざす。
下流なのに岩壁が迫る。岩を映す水鏡。
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水は山裾を洗い、蕩蕩と曲線を描いて海をめざす。
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口屋内から岩間までの区間は道路は狭く、
離合に慣れていない都市部からの運転手は立ち往生してしまう。

口屋内から支流の黒尊川へ入る。
なぜこんなところに?と川べりの桜。
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春の気配をたたえつつ、しずしずと。
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神社の境内から狛犬の向こうに白き花。これが白き神なのかも。
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風に揺れるスイセン、水と同じ向きになびく。
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一本の枝から花の色いろいろ。
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まだ水量は少なくアユの姿はないけれど
盛夏に向けてアユを迎える準備をする黒尊川。
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本流に戻ると川面に張り出した山桜
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春の兆しを告げる花 スミレの仲間のようだが。
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岩間の沈下橋から飛び込んだ夏の日。
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でもいまはまだ菜の花の季節だから。
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江川崎を過ぎると四万十川はくるりと西を向く。
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土佐大正を出発したトロッコ列車が橋にさしかかる。
沈下橋との饗宴を果たし、人々の歓声を載せて土佐昭和へと。
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四万十川2016年の春、
桃源郷の入口をちらり見ただけ。
一度や二度では四万十川はその姿を見せないよ。

posted by 平井 吉信 at 18:57| Comment(0) | 山、川、海、山野草

吉野川 四万十川 この季節 桜の水面のきらめき


従来型観光地としての魅力では
四国は他の地域に叶わない。
けれど、観光地の仮面をはずして
人と川のかかわりと見つめると、価値が見えてくる。
それは、「生きる」ことを見つめることであり
「住む」という選択肢にもつながること。
 → 四国の川と生きる

川文化については、
残念ながら4県の観光行政が気付いていないので
(住んだことのない全国の代理店にも魅力をコンテンツ化することは不可能)
四国は静かなままである。

(漢和及第…いつもの誤変換)

さて、吉野川と四万十川は四国の大河である。
それぞれ194kmと196kmでほぼ同じ長さ。

もし、地域ブロックで川の甲子園を開催したら
優勝候補の筆頭はまちがいなく四国。

打順は、以下のとおり。

1番 海部川(徳島県)
2番 野根川(高知県〜徳島県)
3番 那賀川(徳島県)
4番 吉野川(高知県〜徳島県)
5番 四万十川(高知県)
6番 仁淀川(愛媛県〜高知県)
7番 肱川(愛媛県)
8番 安田川(高知県)
9番 土器川(香川県)

代打 穴吹川(徳島県)
   新荘川(高知県)
   加茂川(愛媛県)
   勝浦川(徳島県)
   面河川(愛媛県)
   黒尊川(高知県)
   吉野川源流(高知県)
   津田川(香川県)

その理由は…

日本の国土から、四国の川がなくなれば
日本の川の8割の魅力が失われる、
と言えるほど人を惹きつける力が凝縮されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

吉野川の中流域で車を停めた。
ここは吉野川SA(上り下りもハイウェイオアシスに歩いて行ける)。

陽光を受けてきらめく午前の吉野川、
太陽は光を水面に落とす、
桜は風雅な衣を散りばめる。
さざなみに浮かぶ花の断片、
悠久を刹那に閉じ込める。

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(ニコンD7000+AF-S NIKKOR 70-200mm f/4)

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(フジX-E2+XF18-55mmF2.8-4)


(四万十川に続く)


posted by 平井 吉信 at 10:31| Comment(0) | 山、川、海、山野草