2016年03月27日

ときめきのさぬきうどん山 春は27%の秘密を持つ 


誰が言ったか、「春は、27%の秘密を持つ」
という言い回しが記憶に残っている。
10代の頃、この言葉の意味がわかったようでわかっていなかった。
いまはなんとなくわかる気がする。

27%に含まれる要素は
ときめき、晴れやかさ、
その裏返しとして切なさ、寂しさ。

普段は、(27%は)背後に隠れているのだけれど
それが泉のように湧き出すことがある。
しかしそれも日常に紛れていって
あれはなんだったんだろう、
とはしかのように過ぎていく。

秘密が27%になるとお椀のようにふくらむが
それはあくまで秘められていなければならない。
秘められているから存在がある。


さて、長年憧れていた山がある。
いいかたちをしている―。
ときめきときめくときめくとき。

こんな山に登るルートはないだろう、と思ったり
いやいや意外に頂上まで車道が走っていてテレビ塔があったりして
がっかりするかもしれない、などと妄想を膨らませたり。
それも通り過ぎると忘れてしまう。
時間は光速(高速)のごとく過ぎていく。

そんなふしぎな山が香川県にある。
偶然にも高松に住んでいる人が
行きませんか、と誘ってくれたので思い出した。
誘ってくれた人も実は行ったことがないらしいが
登れるルートがあると聴いてみんなで行ってみることにしたという。
(山やではなく、サーフィンをやっている人である。あいにく、日時が合わなかったので同行は叶わなかったが…)


さてさて、前置きがさぬきうどんのように長くなってしまった。
山へのきっかけはは意外なところからやってきた。
泊まりの出張の翌日、その付近を通ることになったのである。
(仕事を入れる入れないは自分で決めるので)


1/25000地図だけを手に
地図にない踏み跡を半日かけて踏破してみた。
カテゴリーごとに並べてみよう

山頂の杏子の花。杏子の花には27%の匂いがある。
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讃岐平野を一望できる展望台
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見晴らしの良い岩場
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ロープで降りる
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見晴らしの良い岩場では鬼がときどきうどんを食べているという
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散策の途中で見つけたかれんな花。
ユキワリイチゲかと思ったが花のかたちが違うようだ。
カタバミの仲間のようでもあり、
シコクカタバミイチゲ(仮称)としておこう。
(個人的なコード番号なのでみなさんはこの名前は引用しないように)

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実は「春の妖精」という名前がついているのだが
人間は勝手に人間の名前をつけたがる。
花にとっては自分がなんと呼ばれようと構わない。
(ただし、ヘクソカズラなどというのはやめてほしい)
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紅白歌合戦の様相を示してきた
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白もいいが、紅もいい、紅もいいが、白もいい
そう思っていたら紅白ミックスもある
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ザ・ピーナッツの出番
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これまた人のかたちをした変わった花だが、ランの仲間のようにも思える。
ハルマチヒトラン(仮称)としておこう。
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意外に多くの人が訪れる
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春という言葉を使わなくても
黄色、淡い青紫の2色で伝えることはできる
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春は27%の秘密を持つ―。
この言葉は数日後、別の場所でこだますることになる。
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タグ:佐那河内
posted by 平井 吉信 at 14:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2016年03月19日

春の絵の具を混ぜ込んで仕上げる 神山 阿川梅の里


一年でときめくのはやはりこの季節。
梅が咲いて桜へ向かう序章の時期、
人の別れと出会いの区切りの春。
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一日あれば、ものごとはどんどん進んでいく。
3日前に何をしたかが忘却の彼方になってしまうような。
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観光という非日常感をもたずに
日常の仮面を外しに行くとしたら神山がいい。
(といっても日常も非日常も変わらない生活を送っているけれど)

この時期は、中央から消費者庁長官とともに関係者が来ているようだ。

鮎喰川はきょうも澄んでいる。
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さらに、ひだまりがたたずんでこちらを見ている。
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そのとき風の神様が現れて
水面に一筆描きの紋様が走った。
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噂には聞いていたけれど
河畔林に沿って疾走するという神様を久しぶりに見た。
(この神様については「風の回廊」という物語がある。Kindle形式で作成して読んでいるのでいずれ公開をと)
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阿川梅の里に着いたのは昼下がり。
梅は盛りを過ぎているように見える。
阿川地区は里山の商店街というおもしろい風情がある。
(里山商店街は、神山の象徴かもしれないけれど)
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坂を上がってみると
この場所は水の神が宿っているよう。
(かつて蜂須賀家の姫が療養に訪れたという石風呂の隣の社)
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咲き残っている梅に午後の光が惜しげもなく降り注いで
梅も人も日だまりの精となる。
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タグ: 神山
posted by 平井 吉信 at 23:24| Comment(0) | 徳島

2016年03月12日

境内に滝があるというふしぎな寺 春はまだ遠い


年度末を迎えて仕事は…。
こんなときに気分転換なら近所の里山へ行こう。
先週行った中津峰ではなく
その南面にある星の岩屋へ。
(思い立って自宅を出たら半時間もかからない)

ここは勝浦町星谷の大宮八幡神社付近からではなく
木尾谷から農免農道から入って農免農道に車を置いていくのがいい。
https://goo.gl/maps/SCGLQZiQRVn
(標識のある道からのアプローチは、まち暮らしの人には酷な細くて曲がった道なので)

春の気配を探しにやってきたけれど寒い。
しかし、このところ花は見ていない。
ユキワリイチゲの季節にはまだ早い。

路傍の花を散策しながら星の岩屋へ上がっていく。
中津峰南面を流れる岩屋谷川の河原。
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これはなんだろう。
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ホトケノザ
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ゲンゲ
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ネコノメソウ
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星谷寺の境内周辺には滝が幾重にも。
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ふと思ったのは外国人観光客に受けそうな要素では。
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まだまだ寒く春は遠い。

追記
撮影した時刻は17時頃であり光量が少ないが、
フジX-E2での手持ち撮影。
レンズは、XF14mmF2.8 R、XF35mmF1.4 R、XF18-55mmF2.8-4 R LM OISの3本。
ゲンゲとホトケノザの拡大にマクロレンズは使わず
35oにエクステンダーを使っている。
これらも手持ちであるが、ビニールシートに寝っ転がっているため
肱が疑似三脚となっている。
手持ちでまったくぶれていないのは電子シャッターによるところが大きい。
シャッターを押すのではなく、落ちるという感覚で切るのもコツ。
(一眼レフでは間違いなく手持ちで手ぶれしていたはず)

なお、ここから中津峰に上がる登山口があるとされるが
時間の関係で見つけることはできなかった。
中津峰のなかでは人が通らない登山道であるため
荒れているかもしれない。

posted by 平井 吉信 at 21:58| Comment(0) | 徳島

2016年03月06日

原田一美さんの児童文学「博士になった丁稚どん」「青い目の人形」と原田家の蜂須賀桜


幼い頃、父にドブ釣りに連れていってもらった。
ドブ釣りとは、アユの解禁後初期に淵で毛針を上下に動かす釣りである。
天候、太陽の位置、水の透明度、川底の珪藻などによって毛針を選ぶ。
当時小学生のぼくも毛針の固有名詞を覚えている。
(岡林1号、青ライオン、八つ橋など)。

毛針は近くで眺めるとなかなか美しい工芸品のようでもある。
ドブ釣りは錘を付けるので、ときたま底にかけてしまう。
鉛は惜しくないが、毛針は惜しいので
鉛が仕掛けからはずれやすくなっていたと記憶している。

谷崎鱗海さんという釣り名人がいた。
どこでその名前を知ったかというと
父が口癖のように「鮎釣りを谷崎名人におそわった」「谷崎鱗海さんが…」。
谷崎名人の自称弟子ということなのだろうが、真偽はわからない。

鱗海さんの本名は義男という。
那賀川中流の相生の生まれで
子どもの頃から那賀川の主といわれる鮎釣りの名人であった。
しかし勉強もせず、親に隠れて釣りばかりしていたので
とうとう勘当され、12歳で徳島市佐古の美馬商店で丁稚奉公を始めた。

熱心な勤務態度が主人に認められて、
(こっそりと勉強していた)勉学を認められて
丁稚をしながら学校に通わせてもらえることになった。
ひとりになって勉強ができるありがたさが身にしみたのだろう。
17歳で店の最年少の番頭となり、その後ご恩を返したあと、故郷で油屋を開業。
誠実な商売で事業を発展させた。

若い頃、肋膜炎にかかった奥様を至れり尽くせりの手当を行って数年で回復させた。
商売で貯えたお金をすべて吐き出してしまった谷崎さんであったが、
ご恩のある美馬商店がのれん分けとして徳島市南部の二軒屋に店をもたしてくれた。
小学校の恩師樫原先生、それに命を救った奥さんの後押しで勉強を再開、
次々と合格を果たしていく。
ついに、小学校中退でありながら高等文官(いまでいう国家公務員のキャリア)の試験に合格
(当時は2万人に1にといわれた)。

しかし…谷崎さんは、商売を続けることにした。
野に咲いてこそと、徳島で商売を続けながら生きていくことにした。
(感動的なくだりなので原書でどうぞ)

昭和11年のある日、谷崎さんは吉野川の河口に釣りにやってきた。
そこで自らの人生を振り返って感慨にふけっていたかもしれない。
その足元に一生を終えて身を横たえたアユの姿が…。
短い一生だったけれど、アユの鱗に刻まれたいのちの証し。
鱗海の誕生する瞬間である(これもぜひ原書で)。

順調な商いを番頭と丁稚に任せて、自身は鱗海と称して
一生をアユの研究に捧げることとしたのだった。
やがて14年をかけて吉野川に棲む魚種を39種類と結論。
同様に那賀川では41種類と特定。
これは川という生態系を知る土台となった。
鱗海さんは自由な研究の真実の愉しさに気付いてしまった。
アユの生態調査は30年にも及ぶ。
(まるでアユを隣の人を観察するかのように、血の通った生き物の生態を解き明かしていく)

アユは夜も遡上するという説に対し、
夜の川に入って何時間もじっとしながら
闇に目を慣らしてアユの寝顔を観察すると
昼間のどう猛な顔つきと違うことに気付いた。

県内のどの川のアユがおいしいかを釣り人に尋ねたところ
鮎喰川という答えが圧倒的に多かった。
その理由は、良質の苔を産すること、
その原因は、伏流水と山から入る沢の影響で水温が低く保たれることにあった。

谷崎さんの研究はダムができる前の時期であった。
吉野川、那賀川、勝浦川は昭和40年代にダムが整備され、
その後は下流に土砂が供給されなくなる問題や
川底の藻が泥をかぶる状況などの弊害が問題となるが
これはそれ以前のこと。

ひとつは川の大きさも関係しているのではと思う。
大きな川の魚は、水流の多さから(=水圧の大きさ)から
骨が太くなる傾向にあるのではないか。

四万十川本流よりもおそらくは黒尊川、
吉野川よりも穴吹川や鮎喰川など
支流が優位になる可能性はある。

流域の山々の微量ミネラルも影響しているように思う。
(ミネラルは骨の形成に影響があるだろう。骨そのものがミネラルの貯蔵庫なのだから)
これらの要素も鮎喰川に有利に働いたのではないかと考えるのだ。
そういえば、きき鮎で上位に選ばれる川、
例えば安田川などもそうだが
必ずしも水質(同じ地域の野根川は日本有数の水質だろう)で最上級とは言えないのに
鮎の風味は佳い。


ここで谷崎さんの話題に戻そう。
終戦を迎えるとGHQの民主化改革により
74人の店員を雇用した谷崎さんの財産は没収された。
さらに奥様が難病にかかり、それまでに貯えた富を吐き出してしまった。

最後は小さな釣り道具屋を経営しながら、
一家がささやかな暮らしをしながら
店を息子に譲り、自身は釣りの知識を活かして指導や講演を行うようになっていた。
京都大学の研究者に声をかけられたことがきっかけとなり
47,234文字の論文「海水温、淡水温によるアユの生態、習性について」が認められて
博士号を取得する。

理学博士の学位は、その不屈の意志と、限りない努力に咲いた花でした。
徳島の海と、川と、魚たちが、鱗海さんに捧げた賛歌でした。


(「博士になった丁稚どん」。この著書が絶版でもはや入手できないのは徳島県にとって文化の喪失ではないだろうか。また、谷崎鱗海さんの名前もWeb上ですらなかなか見つけられないのが残念)

しかし、この実話を著作にまとめられた原田一美さん、
書籍に編集された(株)教育出版センターの乾孝さんに心から感謝したい。
(郷土図書にかける乾社長の強い思いを存じ上げている)

原田一美さんは、冨田小学校の元校長で徳島の児童文学作家。
つい先日の2016年3月1日に89歳で亡くなられたとのこと。
ご冥福をお祈りいたします。

原田先生は、美郷でのホタルや神山町の神領小学校のアリス人形についても取材され
それぞれ「ホタルの歌」「青い目の人形―海を渡った親善人形と戦争の物語」にまとめられた。
 → ホタルの歌 (動物の記録 1)

 → 青い目の人形―海を渡った親善人形と戦争の物語

昭和2年に国際親善を担った人形のたどった過酷な運命とそれに抗い守ろうとした人たちの物語、
(阿部ミツエ先生もすでにこの世にいないけれど…)
http://e-school.e-tokushima.or.jp/kamiyama/es/jinryou/html/htdocs/?page_id=24
それから大南さんらのご活躍でアリスは里がえりも果たすことになった。
(アリスとともにあった人々がいまの時代を見たらなんと言うだろうか…)
http://www.in-kamiyama.jp/diary/8533/

美郷や神山が注目を集めているが、
その背景には自然や文化を大切にしてきた人たちの伝統があることを忘れてはならない。


写真は3月6日、一般公開された徳島市の原田家の蜂須賀桜。
曇り空に晴れやかな桜が別れの春をうたっている。
(重文の原田家と原田一美さんの関係は不明)

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タグ:神山 美郷
posted by 平井 吉信 at 23:02| Comment(0) | 徳島

2016年03月05日

四万十川に春がほんのりやってきた


中村で仕事を終えて
赤鉄橋の上手に行ってみた。
風は冷たく、菜の花の名所はまだちらりほらりだけれど、
風に揺れる菜の花を飽きずに見ていたとある日の午前。
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ここがやがて一面の菜の花になるのだけれど、
花はまだ咲き始め、山で例えるなら1合目。

河原の林が信州の森のようにも見える
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春の小川はさらさら行くよ、のモデルは
現在では姿を消してしまった東京渋谷の小川だったという。
http://www.mizu.gr.jp/bunkajuku/houkoku/004_20120205_haru.html

けれど、誰の胸にもそれぞれの春の小川はある。
南四国では、こんな小川を連想する人が多いのでは?
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ここが新緑に彩られる頃は
さらに瀬音高く本流は流れるだろう。
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風が鎮まったとき、太陽が背中にじんわりと届く。
菜の花もぴたりととまって温もりを感じている。
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春は見つけに行かないと見えてこない。
わざわざ出かけた人にほんの少し季節を先取りして魅せてくれる。

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続いて佐田の沈下橋へ。
四万十川最下流の沈下橋でもっとも長い。
屋形船は四万十川下流の風物詩。一度乗ってみたいと思いつつ。
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手すりも欄干もないので、自転車が歩行者が車とすれ違うときは慎重に。
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四万十川は下流に入っても流域に人家は少なく道幅も狭い。
陽光に踊る水辺の河畔林。
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三里の沈下橋。
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勝間の沈下橋。
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南四国にはこのような沈下橋(ちんかばし=高知県での呼び名)、
潜水橋(せんすいきょう=徳島県での呼び名。いずれも同じ構造の橋)が点在する。
橋は恰好の飛び込み台となる。口屋内や岩間ではよく見られた。

対岸とを最短距離で結ぶため、
工費が安く工期も短くて済む。
渡る人にとっては距離が短くて済む。
環境に与える影響も少ない。
なにより大水のときに潜ることで流されることを防ぐとともに
上流のせきあげを軽減する。
いわば災害対策でもある。
大水のときは沈下橋のはるか上(10メートル以上)を水が流れることもある。
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四万十川ならではの穿入蛇行(せんにゅうだこう)。
1983年のNHK「日本最後の清流」が代名詞になった。
人はなぜ、日本の桃源郷、四万十川に憧れるのか。
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それは、水は流れたいように自由に流れているから。
それでいて、山裾の岩盤に当たればくるりと向きを変える。
奔放でありながらも身を任せるときは任せる融通無碍。
過疎地であっても洪水常襲地帯であっても
四万十川はいつも四万十川として
自らがそうであるように人々を受け容れる。
そのあるがままの包容力に惹かれるのだ。

大河の下流でありながら平野がなく
山裾を満々と湛えた水が洗っていく。
四万十川の魅力はカヌーで味わうのが一番。
(ぼくも自分の舟=組み立て式ファルトを持っている)
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かつて江川崎から鵜ノ江まで下ったことがあった。
岩間では橋から飛び込み、口屋内では黒尊川のほとりで休んだ。
(黒尊川は四万十川の宝石とも呼ぶべき支流である)

口屋内集落に入った。
ここから人は沈下橋へ降りることができる。
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しかし、老朽化が進んだ沈下橋は通行止めとなっていた。
陥没の怖れがあるという。
しかし、四万十川は変わることなく橋桁を洗って流れる。
ときは流れても時間は止まったまま。
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昼は中村まで戻り、喫茶ウォッチへ立ち寄る。
きょうは沈下橋めぐりで歩いたため
焼きカレーを注文することに決めていた。
チーズ、卵まで加わって栄養価が高い。
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パラゴンとソナスファベールが置かれている。マッキンで鳴らす。
この日はパラゴンでジャズが鳴っていた。
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なき店主が手塩にかけて店をつくられた。
水出しコーヒーのしくみやこのオーディオ装置、
店内の落ち着く内装と光の演出。
ここは地元の女性たちの客足が絶えることがない地元の名店。


旅の道のりは長いけれどお伴の音楽もある。
あとは、中村から南四国を北東へに上がっていくだけ。
幡多の国 2016春 晴れ時々曇り―。
posted by 平井 吉信 at 15:16| Comment(0) | 山、川、海、山野草

お菓子の店にも春がやってきた


ふと訪れたお店にも春が来ていた。
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店長の気配りの店頭の草花
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いまは鳴門金時を使ったこの焼き菓子がおすすめとのこと。
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協力/ハタダ鴨島店


タグ:菓子
posted by 平井 吉信 at 12:41| Comment(0) | 食事 食材 食品 おいしさ

土佐佐賀に春が控えめにやってきた


中村から国道56号線を北上して佐賀にやってきた。
公園の展望台に立ち寄る。
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高知県は国境を四国山地の山々で閉ざされているが
太平洋に向かって広々と開けている。
大志を持った人たちは大海原に何を想ったのか。
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黒潮を感じる公園で子どもを遊ばせたらいい。
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ここから遊歩道で海岸に降りていくこともできる。
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潮だまりの崖に咲く花を見つけた。
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誰も見ていなくても
そこに生命があり、光を受けて生きている。
生命そのものが存在の光を投げかける。
2016年、幡多の海辺にきざした春。


番外編

佐賀のまちに、道の駅ができたのは近年のこと。
鰹のたたきを買って帰る。
(流水解凍したあと、バーナーで焙る。冷たすぎると風味が損なわれるから)
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高知道 立川SAでいつも食べているのは
そば10割の立川そば。
飾らないなかに、おいしさの幸福感のエッセンスが詰め込まれている。
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posted by 平井 吉信 at 12:25| Comment(0) | まちめぐり