2015年08月15日

避暑地の支流 ひと夏の涼 ひと夏の寒茶―。


知人にいただいた和釘の風鈴が涼しさに一役買っている。
この世ならぬ、天上の音を奏でる。

それと似ているのが川のせせらぎや水の音。
川から離れては生きていけない。
DSC_1775-1.jpg

やってきたのは自宅から1時間少々のいつもの支流。
地元のスーパーで食材を調達。
ヨーグルト、チーズ、オリーブオイル、塩を使い、
ベーコンの代わりに阿波尾鶏のすきみを使って
(この辺りが産地なので手に入る)
自家製のオクラを添えて
「夏の支流パスタ」をつくろうとして気付いた。
DSXE2917.jpg

あっ、麺を忘れた。
(パスタ麺ではなく中華麺を使う予定だった)。
麺のないパスタは、
「麺要らずの夏の支流パスタ」と改称。

幸いご飯を持ってきているので
卵とともに合わせて丼風にする。
そこで「麺要らずの夏の支流パスタご飯入り」
気取った店なら
「零麺夏のせせらぎジャポネカ with rice and オドーリ 渓谷風チーノ」
と名付けて2200円(税抜)とするだろう。

DSXE2932-1.jpg

漢和及第。
天気は薄曇り。
川のほとりの昼食、誰もいない。
(お時間がある人、いつかご案内しましょう)
河畔の木陰を吹き抜ける風に気付く。
水は冷たくない。

DSXE2937-1.jpg

そこへ、地元のおじいさんが棒と網を持って近づいてきた。
にこりと会釈をされるので
どうぞ、(ここから川へ)お入りください、と合図。
DSXE2961-1.jpg

大きな網と棒を持っている。
棒でたたいて網へ誘導する。
初めて見る漁法に興味をそそられる。

アメゴですか?
アユだという。

良い川海苔が生えている。
ここは人家がないので
流れる水で茶を点てたり料理に使えるのだ。
D7K_4634.jpg

D7K_4637.jpg

食事のあと、林道沿いを歩いて自然を観察。
D7K_4642.jpg

D7K_4651.jpg

D7K_4648.jpg

適当に折り返して引き返す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

麺をどうしても食べたいと
車で海沿いに移動(すぐそばなので)。
地元の寒茶を麺に用いた「手延べつけ麺 寒茶セット」がある。
寒茶を練り込んだ麺に、それを活かすつけ汁、
水出しと思われる寒茶が付いてくる涼感あふれる料理。
(Channel R55)
DSXE3081-1.jpg

ぼくは満腹感があるのでコーヒーにしたが、
寒茶セットを少しいただいてみる。
「ひこうき雲」のように
どこまでも伸びていくプレーンな味覚。
咽をすっと通しながらも
詠み人知らずとさらりと流す涼しさ。
(同じ料理でも初夏とは明らかに違う。夏に向けて人の体調や味覚が欲する点もあるだろうけど、汁の温度にその理由があると見た)

さらに、店主の日比さんが調整された音響を聴いてみる。
タイムドメインという時間軸を重視する理論に基づくスピーカーと
従来の周波数特性を重視するスピーカーを
空間でブレンドして心地よい音世界をつくりあげている。
その音は席によって異なる。
ホールの前席の場所、音が回り込んで包まれる場所などさまざま。
DSXE3089.jpg

人の声、口を忠実に再現するタイムドメインが音の輪郭をつくり
研ぎ澄まされた自然体の中域を軸に据える。
これは寒茶の世界に通じる。
しかしこのままだと、なにかが足りない。
蒸留水のような味気なさも音源によっては感じられる。

そこで、人の耳が心地よく感じる低域の響きと心地よい高域を
従来スピーカーから取り出して背景に据え、
声を浮かび上がらせる。
(さまざまなスピーカーを1o単位で調整された)
タイムドメインの素朴でやさしい風味を壊さないように。
足りない味覚をつけ汁で補うことで
寒茶の世界観を壊さぬよう注意を払った一筆書きのように。
ひと夏の涼 ひとの音楽 ひと夏の寒茶―。



追記

ぼくもタイムドメイン・ライトのチューンアップ版を持っている。
この再生音を人に聴かせると
信じられない顔をする人が少なくない。
(11月4日か10日に大勢の人に聴いていただく機会を持つ予定)
オリジナルとチューンアップの違いは大きい。
オリジナルは高域の広がりに力点を置いて
清冽に音楽を奏でるけれど
チューンアップでは、
スピーカーの存在が消える実在感がある。
声を隣の部屋で聴いていたら
誰かが歌っていると錯覚するほどだ。

まずは、オリジナルのまま購入して数ヶ月聴いてみる。


購入してしばらくすると音の変化が現れるから。
その変化を見極めてから
チューンアップを依頼するのがいいやりかた。
http://www.timedomain-lab.co.jp/customize/


posted by 平井 吉信 at 14:59| Comment(0) | 生きる

夜の山口百恵 朝が来ればときめきの露。夏の川へと続く道


川で遊ぶのが好きな女性がいて
運転ができないこともあって
川遊びに出かけるようになった。
初めてこの川へ来たとき、
子どものようにはしゃいでいた。
DSC_9376a.jpg

D7K_4817c.jpg

そりゃ、そうだ。
こんな川に生まれて初めて出会えたなら
純粋な心の持ち主なら誰だって。

DSC_9364nxd.jpg

たまたま居合わせた少年も川から離れなかった。
南四国はミネラルウォーターの川が標準仕様。
水の表情は一期一会、いまだに慣れなくてときめくけど。

DSC_1708nxd.jpg

その余韻が覚めないうちに
帰りの車内でお礼にと歌をうたってくれた。
(麦わら帽子とワンピースが似合う女の子だった。映画のようだけど確かに存在した時間)
身体でリズムを取る彼女、低く艶のある声を小鳥のように歌わせる。
運転するぼくは聞き入っていた。
曲は山口百恵の「夢先案内人」。

♪朝は半分 ビロード製の幕上げて
水の表面(おもて)を鏡にしていく…

ドラマ性がないことで
日常の場面にシンクロする。

流れ星を見に行ったこともあったかもしれない。
きらめくイントロから星が降るような
「乙女座宮」。

♪ペガサス経由でおうし座廻り蟹座と戯れ…

どちらも山口百恵のつくられた世界観に合わなかったせいか
小粒のヒットであったが
ぼくはこっちのほうが好きだ(いまもときめく)。
(ヒット曲は紋切り型でつまらないのに、ヒットしない曲はなぜ輝いているのだろう)

日常と非日常を織り交ぜ、
夜(ファンタジー)と朝(めざめ)にたゆたう。
まるでヴィーナスのように均整の取れた楽曲の描く世界は完璧。
幸福感に包まれて、何度か再生を繰り返し、
この2曲を行き来しつつ夜が更けていく。
(限られた音域で魅せるプロの仕事だなと)

さらにもう1曲上げるとしたら
最後のアルバムから「想い出のストロベリーフィールズ」。
初恋の女の子と大雪の冬にまちで再開した場面。
もしかしてあのとき彼女が口ずさんでいた曲だったか。

はなやいだ夏も
木枯らしの冬も
モノトーンにきらめく微笑みが山口百恵の持ち味。
ときどき取り出して聴いてみる。







ミュージカル音楽の絵巻物として不死鳥伝説。

タグ:音楽
posted by 平井 吉信 at 02:09| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2015年08月11日

終戦の詔(平成27年8月)と長崎平和宣言(2015年)


「日本のいちばん長い日」(半藤一利)を読むと、
軍部の思惑に引っ張られて
ポツダム宣言受諾をめぐるやりとりが一向に進まないのがじれったい。
降伏を迫られてなお出口のない議論を行う。
当事者はそれぞれが正しいと信じた根拠や信念に則って
命がけの主張を行っているのだろうが、
読み進めるのが嫌になる。

しかし置かれていた状況は厳しい。
戦争を続けるも地獄、止めるも修羅場。
いずれの決定も国の内乱の怖れや
敗戦へつけ込む外国の思惑を見据えれば
英断ですっぱり決着をつけることは困難であったことも確か。

超法規的な「聖断」によって決着を図るという鈴木首相。
昭和天皇の存在がなければ議論が延々と続き、
原爆が次々と落とされ、ソ連が本州に上陸して国土は分割されていたかもしれない。
終戦の詔書に作成は、反乱を懸念しつつ時間との闘いのなかで
クーデターを企てる不穏な空気もあったが、
玉音放送へとつなげることができた。
(いまの内閣にこれだけのことがなしえるとは到底思えない)

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
(中略)
耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
(「大東亜戦争終結ノ詔書」)
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/pdf/syousyo.pdf

平成27年8月1日、宮内庁から
「戦後70年の節目に当たり、
70年振りに玉音放送用の録音原盤の再生を試みたところ、
直接、昭和天皇のお声の再生に成功、録音することができました」
ということで、原盤からの音声が公開されている。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/index.html

命をかけて戦争を終わらせるという昭和天皇の強い意思、
国民への思いが感じられる。
歴史の経緯を知ったうえではさらに感慨深いものがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
DSXE4494-1.jpg

現代の長崎へ戻ろう。
一瞬の閃光がもたらした廃墟と
現在の緑の大浦天主堂の対比から
過ぎ去った70年に思いをはせる。
戦争の記憶が薄れれているという実感。

原爆は戦争終結に役立ち有意義であったという他国の世論に対し、
淡々と事実を伝えていかなければならない。
市長は、以下のくだりで
被害者、加害者を越えて向き合うべきとのメッセージを込めた。

「単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。」

そして、2015年のヒロシマ、ナガサキで
いまも被爆者が苦しんでいる現実。
そんな戦争の反省から日本国憲法が生まれたと綴る。

田上市長はさらに個々の相手に呼びかける。
日本政府への呼びかけで、
集団的自衛権への言及を取り上げるマスコミは少なくなかった。
(またもや部分的な引用に意味づけして対立を煽る)。

個々の問題への「はい」、「いいえ」、「どちらともいえない」を尋ねる電話での世論調査。
何度かかかってきたが、一度も答えたことはない。
本質の問いに気付かなければ(設定ができなければ)
見せかけの問いに答えたところで意味がない。

集団的自益権、安保関連法案の是非を問うのなら
それ以前に本質の問いがある。
平和とは何か? それは必要なものか?
平和は誰に何をどのようにもたらすのか?
平和の本質は何か?
それを獲得し維持するために
どのような行動が必要か?を考えるべきだろう。

ときの政権は本質をずらして強引に導こうとしている。
生命や安全までもが「記号」に置き換えられてしまう。
集団的自衛権や安保法案も道具でしかない。
(「戦争法案」のレッテル貼りも同じ穴のムジナ)
行動のもととなる理念、精神、運用の方針など
「どのように」使いこなすかが大切。

アジアを中心とする時代情勢を分析したうえで
なお採択に突っ走ることが問題である。
多くの人々は法案の中味よりもその行動が問題と感じている。
都合の良い解釈で盲目的に突き進んだあのときのように。
日本の歴史でこれほどの痛みと汚点はない。
その責任は子孫である私たちも負わなければならない。
それは、過去に学び、未来を拓くことだ。

政治に無関心なのは「丸投げ」を容認すること。
本来、人の生死は究極的には
その人の「判断」に帰属するもの。
政府に命を預けますか?
何でも政府に求めますか?
自分のことはまず自分で考え行動すべきでは?
どんな国(地域)にしたいのかも含めて。

○○が必要、○○があればだいじょうぶ、ではなく、
「どのように」の視点が欠けているのがいまの日本。
機能不全の政治と行政が補助金をばらまく。
日本の津々浦々で行われている地方創成の実態。
事業の例示や紐を付けたりすることなく
地域に任せたらいい。

残念ながら現在の市町村や県に自治の能力はないだろう。
(行政は全知全能になる必要はなく、民を活かす施策を考えて実行すれば良いのだが)
住民もサービスを当然のごとく受けるとして
義務を果たすことなくお客になってしまっている。

自分たちで生きていくことに目覚めること。
行政機構は、地域が自分で決められる小さな地域国家のような単位が必要だろう。
沖縄の問題は日本全体の問題であり、
我がこととして考えるべきだが、
決めるのは沖縄・宮古・八重山の人たちでありたい。
国は平和外交と民の活動が活発になる規制緩和や制度づくりで
民の活動を支えればいい。

DSXE4488-1.jpg

再度、長崎平和宣言に戻る。
国籍を問わずこの世を去らざるを得なかった人たち、
その傷を背負ってなお生きていく人々の気持ちを
平和宣言は背負っている。
過去に学び、振り返ってはいまに活かし、
未来につなげていくべきもの。
時代の空気を反映させることは自然なこと。

淡々と綴られる田上市長の宣言には
市民の思いを背負う責任、覚悟とそれゆえの客観性が感じられる。
それを踏まえたうえで、
長崎の市長だから言えること、言わなければならないことがある。
(それを政治色とレッテルを貼る御用マスコミの論調も常套手段)。

自分が考え判断すること。
田上市長の長崎平和宣言をご覧になってどうお感じになりますか?

長崎平和宣言(長崎市)
http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

宣言の動画
https://www.youtube.com/watch?v=FtmIK5BgyyE
posted by 平井 吉信 at 23:09| Comment(0) | 生きる

2015年08月04日

酸酸と梅干し 燦々と夏の太陽 情熱のトマト 嗚呼情熱の人生


台風に邪魔されてなかなか明けなかった梅雨。
梅雨明けというけれど、
この言葉が表しているのは、
「梅雨が明けた」のか、
「梅雨を明けた」のか。
(どちらの意味もあるのではないかと推察)

それでようやく漬け梅の土用干しができることになった。
週末から4日間、人間が5分もいたくない炎天下にさらす。
5kgのうち、1kgは梅酒にしたので4kgを梅干しにする。
(土用干しの間は夕立に備えるため近所にしか出られない)

子どもの頃から梅干しが好きで
大粒の真っ赤な(しそが滴るような)梅干しを
口に放り込んで舌の上で転がす。
ときどき歯をからませて、ぐちゃぐちゃぐちゃ。
すっ、すっ、ごくん。
(ああ、親の目を盗んで3個食べてしまった子どもの罪悪感)。
種を出して熱い茶をすするときの充実感!
(千利休が奥の細道に旅に出たようなちょっと場違いなストライク感)

(よだれが出た人、いますか? いや、文章だけでは出ないでしょう)
(でも、よだれが出たという人はとても想像力が豊かで感性の磨かれた人ですよ、芸術家になれると思います)
写真ではどうですか?
DSXE2810.jpg
干して3日目。
これたまらん、食べたくなったでしょう。
では、みなさんの代わりにひとつだけ。ほんの1個だけ。
試しに食べたら、今年の完熟の南高梅もまた絶品。
もうひとつ試食を、いや切りがない。
DSXE2817.jpg
市販品には負ける気がしない。
一部は塩抜きをして蜂蜜漬けにしてみよう。

こちらは2年目の熟成梅酒。
熊本の35度の米焼酎と蜂蜜で漬け込んだもの。
まろやかでおだやかな酸味が夏バテを防いでくれる。
古酒の良さは感じるけれど、
3か月程度の新酒のみずみずしさも甲乙付けがたい。
これをそのまま氷で割り、原酒を味わった後、
炭酸で割るのが日課。
DSXE2394-1.jpg

外気は連日35度超だけれど、
自宅ではエアコンは使っていない。
信号待ちの駅、日陰で待つ人は多いけれど
ぼくは日向で太陽を全身で受け止める。
暑い夏を楽しみたいから。
(これは理屈じゃなくて本能)

徳島ではもうひとつ良いことがある。
それは、夏野菜をたっぷり食べられること。

毎日食べるのがゴーヤーのサラダ。
2oぐらいに薄く切って好みのドレッシングで食べる。
(1日1本は食べているかも)
ゴーヤーチャンプルーも本場仕込みの風味でつくれるけど、
冷蔵庫でサランラップをかけて少し冷やしたサラダがいい。
香味として、ミョウガのスライスを添えることもある。

オクラは1分程度茹でて輪切りにして鰹節を振りかけ
そうめんつゆをかけて。

シシトウは終わりかけているけれど
キュウリ、県内でも高地のミニトマト、カボチャは真っ盛り。

毎日野菜をたくさん食べていると
これも生きているって実感。
朝採れた野菜が近所で売っているのは
野菜の宝庫徳島ならでは。

寝る前はシャワーではなく風呂で代謝を良くする。
Kindle Voyageをジップロックに入れて
風呂で読んでいるのは「鳴門秘帖」。
(阿波藩は悪者なのだ)
夏だから、少しのわくわくを楽しみながら少し長めの風呂で汗をかく。

健康診断の結果が戻ってきた。
医者があきれるぐらいの完全A級の数値。
でも、数字に一喜一憂せず、生きていることを楽しむ。
一瞬一瞬を楽しむために生きていくこと、
それはもちろん、誰かに必要とされている実感があること。

時間の積み重ねに
こうありたいという意思(意識)をどれだけ込められるか、
そして結果に頓着せずに受け容れていくこと。
(だから、寝ていられない)

エアコンすらはずして
夏の暑さを楽しもうとするのは
エコのためでも身体を鍛えるためでもなく、
ただ受け容れることを幸せと感じているから。

近所の酒屋(多積商店)ですすめてくれたオリーブオイル。
ここには店主の目利きで有名になる前の良いワインや焼酎が揃っている。
(磨かれる前の原石の発掘や蔵元との交渉に努力されているので酒の銘柄は書けません)
食材や調味料も然り。
これまでおすすめで裏切られたことはない。
オリーブオイルの銘柄は、サジターリオ(250ml、1,750円)。
(ぼくは射手座生まれ、日出とともに生まれたのでアセンダントも射手座。太陽と射手座=銀河系の中心が重なる月と時刻に生まれた。サジターリオはイタリア語で射手座の意味と見た)

トマトに少々の粗塩とともにかけてみる。
青臭さが美味でおいしさ濃厚、どんどん身体に吸い込まれていく。
これは料理に使うだけではなく、飲んで味わえる。
DSXE2298-1.jpg
赤はいい、情熱の人生。熱い魂は暑い。
(涼しい部屋にこもって心と身体を冷やしてはダメですよ)

DSXE3670-1.jpg

梅干しもトマトもその根底には情熱が流れている。
降り注ぐ夏の太陽が育んだ。
暑いの好きだ。
暑い夏は生きている実感を与えてくれる。
暑いって、空を見上げるのは、
人間と夏の契約だから。

タグ:
posted by 平井 吉信 at 01:04| Comment(0) | 生きる