2015年07月30日

浜辺のカニ 見守るハマボウ 田井ノ浜


わっつ!
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脅かしてみる。
(かにを脅かすのでははなく、このWebページを開いた方へ)
足の早いカニと競争して
小さなカメラ(X20)でカニとの距離3センチ。
クロベンケイガニでしょうか?
(レンズをハサミで直撃されたらどうしよう)

オイ、チカヨルナ!
アカテガニでしょうか?
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ここは由岐地区。
田井ノ浜海水浴場と臨時駅が開設され、
海から遠くない田井川沿いのハマボウの群生地。
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posted by 平井 吉信 at 22:02| Comment(0) | 徳島

2015年07月25日

タキユリの王国 危うし大水と崖崩れ


花は旬があってそれは短いもの。
仕事はやまほどあって睡眠時間を確保するのがやっと。
それなのに、わずかな時間に出かけてしまう。
花のいのちは短い。

7月中旬から終盤のタキユリは、
高知から徳島にかけての山岳部で見られるカノコユリの変種で
崖から垂れ下がる。
動物のような愛嬌と媚態がなかなか。

でも、この天気だから。
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10数年前、目前10メートルで崖が崩れて通せんぼされたのもこの辺り。
本流、王餘魚谷は増水しているが、さほど濁っている感じはない。
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神社の奥にある滝への歩道は冠水しているが
靴のまま進む。
夏だから。

しぶきがあるので写真は一瞬だけで退散。
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王餘魚谷に日が射してきた。
写真を撮るにしても長居は無用。
五感を集中させて
水音や小石が落ちる音、路面や斜面の変化に注意を向ける。
一瞬、だいじょうぶと判断してシャッターを押した。
(ところが…。翌日崩れたのはもしかしてこの辺りでは?)
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タキユリだけでない夏の花が背伸びする。
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2015年夏のタキユリは雨に打たれていた。
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山深い場所で、色白の美女が雨に打たれて頬を染めていたら?
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雨が上がったので
金ちゃんヌードル(金ドル)で
キンドル(Kindle)を読む。
瀬音に包まれヒグラシに囲まれて
エドガー・アラン・ポーの黄金虫を繙いていく。
(Kindleだと無料で読めるので)
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雨のしずくをたたえたタキユリを見上げる人間の目には
青空の雫を従えた姿態が見えた。
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posted by 平井 吉信 at 17:40| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2015年07月22日

モネの庭 四国高知に息づく印象派の世界 青いスイレンがつなぐかけはし 


南四国は滞在して良さがわかる。
徳島から入って国道55号線を南に下り、
南阿波サンラインを経由して
室戸岬へ南下していく海岸線こそ、日本の白眉ではないだろうか。
室戸だけでも2泊3日は必要だけど、
岬を折り返して高知方面へ向かうと
やがて北川村への分岐がある。
モネの庭マルモッタンは近い。

モネの庭マルモッタンのコンセプトや由来はこちら。
http://www.kjmonet.jp/about_01.html

小さな日本の田舎がモネの庭をつくる?
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冬を除いて花が咲いている庭園、というのはどこでもあるけれど
モネの庭というのは、
フランスのモネの庭の関係者から認められたもの。
しかもここは散策する楽しみがある。
一度来るとときの経つのを忘れるほどで
この日も弁当を持っていって半日ほど楽しめた。
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台風11号が南四国を直撃し、訪問日はその2日後。
今回の台風は室戸岬に上陸したことからまさに台風の通り道。
高知、徳島では農作物や家屋に被害が甚大で
浸水した家屋や倒れた樹木も少なくなかった。
モネの庭は樹木と無数の山野草がある。
花は散り、草花はなぎ倒され、樹木の葉がちぎれて
園内は修羅場だろうと考えた。

ところが…。

信じられない光景が広がっていた。
倒れた草花はあったとしても、ごく一部。
言われてみなければ誰も台風の痕跡に気付かないほど。
一つひとつの草花をいのちとして扱うために
身体を張って風雨を防いだのでは?と思えた神業。
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この庭には、フランスの思いも
日本にモネの庭を再現しようとした人々の思いも
それを楽しみに応援、来訪する人々の思いが詰まっている。
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花に囲まれて夢のような時間を過ごす。
ユリはこのブログでも紹介しているタキユリの近種カノコユリ。
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緑に塗られた木の橋に辿り着くと最初の印象派が現れる。
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モネの模写と風景を対比させるためキャンバスが点在している。
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池にかかる橋の上にはバラの橋梁。
こんな木陰に椅子を置いて本を読んでみたい。
人生ってそんな時間をつくるためにあるんでしょう―。
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橋の上から眺めた池の全景。
スイレンを浮かべながら色彩が明滅する美に般若心経の無常観さえ漂う。
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かたちあるものは滅びる。
とらわれを捨てて、花の色彩さえ透明になって
心の目で観る庭の非日常感。
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その奥に確かに在るもの。
在るがゆえに美しく、美しいがゆえに存在しない。
来訪者の賑やかな歓声で日常に戻ると、
真夏の太陽の下、庭の花たちの饗宴。
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フランスの庭園に日本の夏の足音。
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庭だけでなく散策の小径がいい。
そこかしこに光が落ちていて
人の見知らぬ間に小人と妖精が歩くのだろう。
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小径もまた夏の叙情
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青いスイレンは熱帯の植物。
モネはアフリカ原産の青いスイレンをフランスで咲かせることを夢見た。
しかし、その願いは叶わなかった。
ここ南四国の高知で青いスイレンが開花する。
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アフリカから南四国へとかけた夢をフランスのモネの魂に返す。
それは水面に映る睡蓮の極楽浄土。
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台風で傷ついた羽とからだを投げ出すように
カノコユリの間を翔ぶ。
ぼくはここに生きている!と声が聞こえた。
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蝶が舞い、トンボが横切り、蜂がうなる。
その鱗粉のきらめき、葉音のときめき。
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蜂を引き連れてどこへいく?
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太陽にきらめく紺色の燐
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自らの可能性を信じていま咲き誇る花も、
散る前に最後の輝きを放とうとする刹那の花も、
すでに散って舞台から去った名残の花も、
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みんな愛されたのだから。
人は誰だって愛されるのだから。
花は庭に、花は心に。
(このブログもそうなりたいのだ)

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花に魂を奪われた人は花を愛でる。
守られた花は魂となって夏の太陽に溶けていく。
そのやりとりを感じられたら―。
ここはモネの庭 マルモッタン。
posted by 平井 吉信 at 21:22| Comment(0) | 生きる

2015年07月21日

虫は一瞬立ち止まる 虫だった頃の記憶と人間につながるDNAの原形が見つめる 


このブログには昆虫の近接写真が出てくる。
でも、特殊な機材は使っていない。
X20という富士フイルムの小型デジカメで取ることが多い。
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(クマゼミとの距離3センチ)

車のボンネットの上にいたゴマダラカミキリ。
触覚が指に触れてくる距離で撮影。
(距離2センチ)
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同じ日、散歩していてバッタに遭遇。
ハンミョウのようにすばしこい。
(せわしなく動いてとどまらない)
でも、ぼくもナンバ歩きで気配を消して瞬時に移動する。
(バッタは驚く、いつのまに?)
そして、バッタの前2センチにカメラを置く。
(これはなんだ?)
ピントが合うまで時間がかかる。
(バッタのなかにはカマキリのような危険因子とは認識されない)
(その合間をついて)
― 撮影できた。
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それも一瞬のできごと。
バッタは、すたこらと路肩の草むらへ走り込む。
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花や虫は相手(人間)が安全かどうかを
本能的に判断しているのではないだろうか。
花は人間に認めてもらいたい。
人がいなければ、花を愛でる存在はない。
観測という行為が存在の根源にあると量子力学は語る。
だから、存在を認めて語り掛ける。
すると風に揺れていたのがぴたりと止まる。
無意識に押したシャッター音で我に返る。
その瞬間、光が花と人間を往復する。
光の粒子には意思疎通がある。
それをテレパシーと呼ぶのかも。

花はそれで良いとして
虫は自分の直前にレンズが来ると嫌な感じがするだろう。
それでも危険かどうかの処理に判断の空隙ができるのではないか。
空隙 ― それは好奇心(と仮にしておく)。

人間には海を泳いでいた微生物や虫の遺伝子がある。
だが虫にも人間につながる原形の遺伝子があるのだ。
危ないもの見たさの躊躇とスリルが人間の遺伝子から間借りしてわき起こる。
けれどそれも束の間、
現在の姿として持っている本能で
虫の性に戻って逃げていくのだ。


posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 生きる

2015年07月18日

台風一過 クマゼミの羽化 こぼれおちる太陽 空に向かって歩みをすすめる 

(サスペンスドラマの紹介文のような長いタイトルになってしもた)

どんよりとした雲が広がる朝、
朝起きると庭を見て回る。
すると、蝉の抜け殻に気付いた。
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ここの土で七年過ごした宿主はどちらに?
と探していたら軒下にいた。
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距離は約3メートル。
わざわざ桃の木に行かなかったのは
朝は雨がぱらついていて
退避していたのかも。

羽根はまだ伸びきっていない。
足取りもおぼつかない。
人間と視線を合わせるも先を急ぐ彼女(メスである)。
小さなオーバーハングを10分ほどかけて
越えようとしたそのとき、地面に落下した。
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誰かに踏まれたり小動物に食われる危険がある。
少しだけお節介をして桃の木にとまらせた。

雲の切れ目からこぼれ落ちる太陽をめざして
少しずつ上へ上へと。
(それをニコンD7000を片手に樹上から撮影するアクロバット)
(こないだも沢沿いの岩場に咲く山野草を撮影していて沢に落ちたっけ)
(それは慣れっこ)
(それよりも桃の木こそ迷惑)
(でも今年は毛虫を数十匹退治してウシガエルにやったから)
(食べたの?)
(わからない?)
(ウシガエルを飼っているの?)
(そうではなく、近所に住んでいるつがい)
(きょうもいるかな、とあいさつをするのが日課)
(ひとりごとはとりあえずおいといて)

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キキョウの花を背後に少しずつ上がっていく
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彼女は、人でいう額に
宝石のようなアクセサリーをまとっているのにお気づきだろうか?
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(実はこれも目。セミには5つの目がある)

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視線を合わせるセミとヒト。
残された時間は異なるけれど、
どちらも夏の太陽の下、息をしている。
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翔べ、大空をめざして!
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クマゼミの危機に対して手を差し伸べたのは集団的自衛権ではなく
誰かが救うだろう、未来にツケを回せという集団的無責任ではなく、
ただ生きている個体の判断。

この国よ、翔べ、大空をめざして!

(ニコンD7000+AF-S Micro 60mm f/2.8G)
posted by 平井 吉信 at 13:23| Comment(0) | 生きる

2015年07月15日

嵐の前の静けさ 歴史の過ちを照らす真夏の太陽


歴史に残る暴挙が行われた一日、
付和雷同する与党の議員一人ひとりが痛々しかった。
(以前から指摘しているように政党政治は弊害ばかりが目に付く)
権力への問題提起を行おうとしない公共放送。
国民の政治への無関心をいいことに、
越えてはいけない一線を越え
戦争犯罪人と同じ道を歩む。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雄大な吉野川と吉野川橋。
かつてここに水陸両用機が離発着していたという。
徳島市の象徴、眉山は紀貫之の土佐日記にもうたわれた。
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土手に咲き誇るコオニユリ
夏の太陽がすばらしい包容力で照らす。
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暑い、などと不満はみじんも感じず
ただ、夏の余韻がじんと迫る
ざわわ、ざわわと繰り返すあの歌のように。

水辺の草原 広い広い空と水の空間 そして吉野川大橋。
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振り返ると、
やはり夏の日射し
鉄の雨にうたれて死んだ人たちへ誓った不戦の誓いは?
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そこから遡ること10km少々で第十堰
この堰を眺めて目を細めたあの人はいない。
それでも土佐からやってきた水は変わることなく
軽々と石積みを越えて流れる。
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子どもが自転車で対岸へ渡っていく
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海まであと14kmというのに
堰直下流の水質は飲めるほど。
多様な生物を育む奇跡の生態系を目の当たりにしたことがあるだろうか?
維持費がかからず天然のミネラルウォーターをはぐくむしくみ。
それとて第十の堰のほんの一部でしかない。
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ウィキペディア(Wikipedia)の記述は間違っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B7%9D%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%A0%B0
環境か安全かの二択、賛成か反対かの対立ではないのだ。
(賛成派と反対派のレッテルを貼って対立を煽るのはレベルの低いマスコミと権力者の常套手段)

反対派も反対運動も存在せず
ただ普通の市民が自ら立ち上がっただけ。
江戸時代の治水思想が未来を示す箴言であることに気付いて。

第十堰の本質には対立要素はない。
治水も利水も環境も安全も財政も経済も
文化も土木技術も持続的な農業も人々の暮らしもすべてを包含し
過去から未来へと流れ永らえる生きた資産。


その日の夕方、虹が出た。
ドロシーが夢見た虹ではなく、淡々と社会を直視して歪んだ虹。
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空に感情はないはずだが、
自らを朱く染めたのはなぜ?
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明日以降に大型台風が日本に向けてしずしずと近づいてくる。
一人ひとりが自分ができることを見つめよと。



posted by 平井 吉信 at 23:01| Comment(0) | 気象

2015年07月13日

「かさね」という言葉 ― かさねとは八重撫子の名なるべし ―


この春に「紫の上かさね」と名付けた山野草のことを書いた。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/118377747.html

希少種ではないかと自生地を明らかにしなかったが、
その後、勝浦川沿いの堤防に至るところに生えていることがわかった。
その名前はクサフジという。

そのとき浮かんだのは、
芭蕉が「おくのほそ道」を綴ったなかで
那須野を訪れた際に弟子の曾良が詠んだこの句。

かさねとは八重撫子の名なるべし
 

馬をひくおかっぱの童女の名前が
「かさね」という鄙にはまれな名前であったことに着想したもの。

「おくのほそ道」は推敲された紀行文学だけれど
それでいて飄々とした一筆書きの潔さがある。
空間に響かせたときの余韻がいい。
(音の情景を楽しむともいえる)

「おくのほそ道」は学生時代に授業で習っているはずだけれど
いまのあなたの年齢で振り返ったとき、どんな世界観を感じるだろうか。
とはいえ、古典をひもとくには気が重いという方、
Kindleならこの解説本がいいだろう。
(リンク先は電子書籍)
おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典<ビギナーズ・クラシックス 日本の古典> (角川ソフィア文庫)<ビギナーズ・クラシックス 日本の古典> (角川ソフィア文庫)

(紙書籍はこちら)
おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)


東日本大震災をきっかけに日本国籍を取得されたドナルド・キーンさんは
「おくのほそ道」の世界を英訳で紹介している。
宮田雅之さんの切り絵が句ごとに挿入され
午後の紅茶を飲みながら読み返した名著。
「かさね」の句には次の英訳を施している。

Double--that must be
The name somebody gave to
A double-petalled pink.


全編を通してキーンさんが綴る
夢のような余韻を楽しめる本である。
この本は一句ごとに挿入されたカラーの挿絵を楽しみたく
めくりつつ出会いを楽しめるので
Kindleで買う選択肢はない。
(リンク先は紙書籍だが、入手は難しいかもしれない)
対訳 おくのほそ道 (Illustrated Japanese Classics)

クサフジという名のありふれた山野草だが
那須野にいた童女を思わせる素朴でありながら
遠くは万葉のあずまうたに通じる世界がある。
源氏物語への遡及は無理があるかもしれないが
京都に生まれたら優美な姫になれたかもしれないと
「紫の上かさね」と名付けたもの。
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仕事は多忙をきわめていても
ほんの10分だけ、ネットサーフィンの手を休めて
遠い時代の旅を胸にあたためることができれば
それはまたそれで生きる力になるのではないか。
(仕事の合間にこれだけのブログを更新しながら頭は仕事の着想を得ようとしている)
タグ:勝浦川
posted by 平井 吉信 at 11:28| Comment(0) | 生きる