2014年12月31日

一年を終えてベートーヴェンの第九


ベートーヴェンに出会ったのは十代の終わり頃。
心の糧としてしみこんできた。
畢生の大作、セイヤーの「ベートーヴェンの生涯」(上下)を
数ヶ月かけて読み込んだ。
作品を録音したレコードを集め、
9つの交響曲の総譜を見ながら
いつか指揮する日が来ると信じて
感じたことを書き込んでいった。

年末は第九という人は少なくないけれど
ぼくもそのひとり。
生きていることの証しとして
身体で受け止めながら聴く。

第九で年を越えるのではない。
第九で一年を終えるのだと思う。

ベートーヴェンとは何だろう?
向き合ってきて
ベートーヴェンの人間像が近く感じられる。
ぼくには音楽室に飾られた楽聖のしかめっ面をした印象はない。

もっとおどけてもっと陽気で
器用な人ではないけれど
生きることの歓びと哀しみを背負って生きた人だったのだろうと思う。
どんな場面でも人生肯定の匂いがする。

うたう人を、聴く人を
知らず知らず高みに押し上げてしまう。
しかも、踊らされた感はまったくない。
一人ひとりが自ら駆け上がろうとする。

そのような人はいそうでいない。
第九は第九であって
ほかの作曲家には書けないのだ。

個と全体の結びつきを切り放すことはできず、
さりとて個は世界を染めることはなく
身近なできごとを昇華して
宇宙の響きに高めていくなど
宮沢賢治の世界と近い気がする。

第九の第1楽章の冒頭の崩れ、
展開部から再現部の魂の振り乱し、
第2楽章の妖精のクールな熱狂の舞、
第3楽章の人間が書いた最良の天上の響き、
第4楽章の単純さは人を世界の歓喜に押し出す。

第九のレコードやCDはたくさんあるけれど
年末に聴くのはこれだけ。

ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]

第九で終える理由?
ベートーヴェンがいなければぼくは存在していないから。
posted by 平井 吉信 at 15:43| Comment(0) | 生きる

地元の産するものをいただく


今年の梅酒は良かった。
泡盛と蜂蜜でていねいに漬け込んだ。
新酒でありながらふくよかで
香りが跳ねながらも旨味は落ち着いている。
市販品とは比べられないほど。
ひねものではこの感じは出ない。

梅干しも良かった。
塩としそだけでていねいに漬けただけ。
ふくよかで後味が良く何個でも食べたくなる。
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ゆこうのジャムも良かった。
流通に乗せる商品は賞味期限を伸ばすために甘さを控えることはできないから。
だから、酸味のなかの果実の風味がうねる。

塩レモンも良かった。
人の体が欲するからか、何でも使いたくなる。

地元で採れたものを自分でつくる。
地産地消とはマーケティングではなく
生き方を指す言葉。

お金を持っている、
地位を持っている。
それよりも、食べることで
地元の人たちの顔が見えること。
地元で生きていく覚悟をすること。

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posted by 平井 吉信 at 15:42| Comment(0) | 生きる

沢沿いの小さな温泉宿にて

小さな沢に面した温泉で
湯船に浸かっている自分を想像するだけで
幸福感が得られるならそれもまたいいこと。

1年間お疲れさまでした、
と誰かに言ってみる、
言われてみる。

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大分の小さな温泉宿にて
posted by 平井 吉信 at 13:59| Comment(0) | 生きる

2014年12月28日

徳島の風土にねざした菓子 徳島の風土への挑戦 VS徳島!


地産地消とは食品会社の合言葉のようになっている。
(厳密な定義はともかくとして)
菓子にその考えを取り入れてみたらどうだろう、と考える。

その土地の水、空気、そこで採れるものを活用することであるが
その際に、ゆずを混ぜてロールケーキをつくりました、
かたちを地域の名物に似せてみました、で終わらせたくない。

風土に宿る精神を菓子というかたちに昇華するとでもいうか、
作り手の思いが込められた(それは祈りのようなものだろう)菓子づくり。

たとえば、鳴門にちなんだ菓子をつくるとする。
鳴門は渦潮であり、塩田があった場所であり、
鳴門金時(商標はなると金時)、レンコン、
海には鳴門わかめ、潮流にもまれたマダイが採れる。
塩やにがりをテーマに世界的な企業が育った場所でもあるが
その鳴門の風土を菓子にするとはどういうことだろう。

鳴門金時を使ったケーキをつくる、誰でも浮かぶ連想だけれど
それなら、東京のメーカーが材料を仕入れてつくったのと
どこが違うのかということになる。
作り手が徳島人だからという答えもあるだろうが、
そこから風土と成果(商品)の関連を説明することは困難だろう。

鳴門は特に砂糖を重宝する土地柄である。
赤飯にごまと砂糖をまぶして食べる習慣や
砂糖そのものといった菓子も存在する。

砂糖といえば、その対として
塩とミネラルが思い浮かぶ。

地球上の生命の誕生と進化に月が大きく関わっている。
その月の作用が朝夕である。
生物はその血液中に海を持ち、骨が海そのものである。
すなわち、破骨細胞と造骨細胞の働きで
いつでもミネラルを骨に貯え骨から取り出すことができる。

鳴門にちなんだ菓子ならは
塩(ミネラル)を取り入れたい。
幸福感のスイッチを入れる甘みの作用を引き出す塩の作用、
旨味の導きを行うミネラルの作用、
渦のような立体的な味覚の変移を表しつつ
それらを地域の素材で活かした菓子のようなイメージが浮かぶ。

もしかして、大潮のときと小潮のときでは
人は食べたいもの、塩分やミネラル濃度が異なる可能性がある。
もしそうだと仮定すると
毎日風味を変えるのが自然ということになる。
人の体調を考慮して
日によって風味を変える菓子は楽しいのではないか。

鳴門の菓子を例に地産地消を考えてみたが
徳島らしさといえば、川(山からのミネラルを運ぶ通り道)に尽きる。
味覚と風土、人の生理現象とミネラルとの関係を理解しつつ
人を楽しませる感性と、おいしさの心理学で菓子は完成する。

手作りか機械でつくるかは問わない。
(それは会社の事業規模=固定費を賄う売上高やフードセキュリティへの対応等で変わってくる)
どこかの人、もしくは会社が
徳島の心を表現する菓子をつくってくれることを願っている。

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風土にねざした菓子のことを考えていて腑に落ちた。
徳島県の観光キャンペーン「VS東京」の違和感もそこにあるのだ。

挑戦すべきは東京という既成の価値観ではなく
自らの風土ではないか。
自らに学び、自らを変えていく姿勢とその過程。

徳島の良さ、すばらしさ、手本とすべきこと、誇るべきことと
そうでない価値観を厳しく峻別していく。
表面的なパフォーマンスはここですべて落とされる。
そして、残ったものを磨き上げていく。
つまり、VS徳島

磨き上げるその過程に多くの県民が関わることがさらに大切だろう。
魂を持ったファシリテーターが参加者の心を刺激しながら
時間をかけて挑戦していく過程が見えてくる。
県の予算を使うのではなく、県民の心に眠る風と土を引き出していく。
広告代理店へのプロモーションやキャッチフレーズではない次元が見えてくる。
それが、「脱・観光」。

最初は数人でもいい。やり始めること。
すでに挑戦は始まっている。


日常の暮らしで地球のことを肌で感じていたい(続きを読む)


タグ:菓子 鳴門
posted by 平井 吉信 at 20:45| Comment(0) | 徳島

2014年12月10日

五人の仲良しがケンカしない場所は四国の東の果て  幸福の黄色いシオギクの崖  終日のたりのたりかな蒲生田岬


五人の仲良しがいました。
ひとりは、海が好きで海を見に行こうと言いました。
ひとりは、山が好きで山に行きたいと言いました。
ひとりは、温泉に行っておいしいものが食べたいと言いました。
ひとりは、どこか人の行かない果てのような場所がいいと言いました。
ひとりは、花が咲いている場所へ行きたいと言いました。
この5人が、にこにこできるところがあれば良いのですが。

鏡のような椿湾を抜けて
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四国の東端、蒲生田(かもだ)岬はいかがでしょう。
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龍神が鎮まっている池、という説明はなかったが。
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計算された曲線ではないにしても
天に昇る階段のようでもあり。
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見下ろす海の崖、連なるツワブキ
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人は満たされたとき
饒舌になるのか、寡黙になるのか。
海が静かなのは心が静まっているからなのか。
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室戸岬に群生していたシオギクがここでも。
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ある晴れた日の岬にて
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アセドウナとの黄色の競演はみごと
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海岸の岩棚で背伸びをして見つけた薄紫のノギク。
風と飛沫とやっと見つけた人の視線を浴びて。
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花ひらく。歓迎されないことはわかっていても(外来種)
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花落ちる前に最後の輝きを放つ椿。
いのちの潔さ、深さ。
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崖はサスペンスドラマの専売特許じゃなくて
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蒲生田(かもだ)岬、覚えておいて損はないかも。
シオギクは、室戸阿南海岸国定公園の宝物。


タグ:室戸岬
posted by 平井 吉信 at 00:53| Comment(0) | 生きる

2014年12月01日

室戸阿南海岸の冬の宝石 海岸の崖のシオギクの物語

なにげない日常のなかに宝物が隠されているように
観光地でない四国や徳島に宝物があると
このブログではお伝えしている。

ぼくが真っ先にめざめたのは川だった。
小学生の頃から、自転車に乗って川を見に行った。
子どもの足で無理な場所へはクルマに乗せてもらった。
夏に毎日のように川遊びをしている勝浦川が
ひとまたぎできるほど小さな流れ(源流)を見たときは感動した。

NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で
イギリス人の庭師ポール・スミザーさんが紹介されていた。
イングリッシュガーデンが全盛のこの国で
イギリス人の彼が訴え続けたのが
日本独自の植生(それも多年草)だった。

吉野川の第十堰が良い方向で決着したあと、
ぼくの目は山野草に向いていった。
このブログで取り上げることが多いのもそのため。
それも日々の暮らしと密接につながっているので
食生活や気付き、生き方といった要素も盛りこんでいる。

秋から冬にかけては植生が寂しくなる季節だけれど
室戸阿南海岸には日本でここだけというシオギクがある。

まずは室戸岬だ。
四国にこの岬があることがどれだけいいことか。
四国のエネルギーを受けて大地に踏ん張っているような地形。
深海からの力を受け止めつつも四国の礎として構えているよう。

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遊歩道が密林をうねる白い川のよう。室戸の魅力のひとつ。
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だからこの土地の持つ力は大きいと思う。
世界ジオパーク遺産に選定されたのも当然のこと。
四国の東南部の観光は室戸を軸に考えたらいい。
(県で境界を引くことはない)

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この季節ですら室戸は花が咲き乱れている。
黄色のシオギク、アセドウナが主役。
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X-E2でもシオギクを
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シオギクには花びらがない。
それなのに、シオギクの混血児がある。
園芸種のキクと混じってしまったのだろう。
花そのものは美しいが、生態的には除去しなければならない。
(花には罪はないのだけれど)
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ウスベニニガナ
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あでやかなハマナデシコ
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これはなんだろう
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岬ねこ
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シットロトさんの阿波尾鶏を使ったスパイシーなカレー
いつもていねいに仕事をされている
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室戸阿南海岸のシオギクは
続編、蒲生田岬のシオギクをお楽しみに。

posted by 平井 吉信 at 23:52| Comment(0) | 生きる