2017年11月06日

秋の高丸山 ブナの森に霧がかり 音のない世界がしんと


春の桜は生きる糧となっているけれど
秋の紅葉は、しみ入るものがある。
子どもの頃、唱歌の「紅葉」が好きで
秋が来ると近所の山中を駆け巡っては口ずさんでいた。
そこには山から下りてくる小さな沢があって
色づいた落ち葉を集めていたのだ。

この曲の歌詞は日本語を磨いて言の葉の玉が透きとおるようだ。
このような端正で耽美な世界が唱歌にはときどきある。

「紅葉」を感じたくて山へ出かけることにした。
秋の山の天候は安定している。
昼過ぎに家を出て高丸山へと向かった。

勝浦川最大の支流、旭川は光が差し込めて水が踊る
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駐車場は満杯だが、ほとんどがまもなく降りてくるだろう。
その人達をやり過ごしたら
秋の残照を浴びてブナの森の静かな逍遥が待っている。
それこそ秋に浸ることができる。
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高丸山は、千年の森として県が保全と活用を図ろうと
指定管理制度によって地元の有志や団体でつくる組織がその役割を受託している。
高丸山はその中腹にある神社周辺のブナ林が白眉。
けれど、増えすぎた鹿のため
ブナの森のススタケが消えようとしている。
そこで、この団体が柵で囲って保全活動を数年前から始めた。
(県からの要請ではなく自主的に行っている)
また、枯れ枝が宙にぶら下がっている箇所の下を立ち入り禁止にしたり
迷いやすい東側の尾根ではロープを張って踏み跡をはずさないように配慮している。
駐車場から下には植樹を行い、幼木とはいえ森の様相が感じられるようになった。

とはいえ、南限に近いブナの森であるため
今後の温暖化の進展でブナが生きていけない環境に変わるかもしれない。
鹿が増えすぎた最大の要因も温暖化で冬を越しやすくなったからだろう。
生態系をめぐる危機的な状況を理解し
森を守る思いを感じつつ散策するのも良いかと。

登山道が沢から離れるところで尾根を登るのと
神社のあるブナの森へと分岐がある。
その平坦な森で植生の回復を図ろうとしている。
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曇りがこの日の基調。ときどき薄日が射すと登山道に秋のぬくもりが宿る
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秋は単調な色彩に無限の階調を見せる
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樹木のトンネルの光の明暗を新鮮に感じる
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山頂へ着いて遅い昼を食べる。
手作りのそば米雑炊、おにぎり、柿とともに煮込んだ根菜がおかず。そして、バナナ。
(こんなところで味の濃いコンビニ弁当は食べたくない)。
行動食にはチョコレートも。
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雲早山が左端に見えるが、やがて雲に隠れた。
難路といわれた高丸山からの縦走路もだいぶ踏まれるようになったが
高低差が大きく距離が長い。しかしそこを一日で往復する強者もいる。
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食事のあと尾根を東へ下っていく。
登りとは異なって低木の自然林のゆるやかな尾根が横たわる。
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スズタケかクマザサかはわからないけれど、存在に安堵する。
山の表土を守ってくれるはずだから。
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背の低い天然林を降りていくと人工林の森に出て
西へと向きを変えて戻っていく。
人工林は沢を渡ったところで天然林に変わる。
神社のある一体が高丸山のブナ林である。
しばらくは森のオブジェを探しに森を歩く。
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いよいよ核心に入って頃、
霧が立ちこめるようになった。
もはや高丸山の山域に誰もいない。
物音ひとつしない、風の音すらしない、葉ずれの音も聞こえない。
無音の森が一日の終わりを迎えようとしている。
いい、こんな時間がたまらなくいい。
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曇りのやわらかい光が全体にまわることで紅葉は鮮やかさとともに
幽玄の照り返しを見せる
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霧が出てくると森は深沈と沈み、湿度が音のない世界をさらに包み込む
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相方がフジフイルムの小型のデジカメ(X20)で写したもの。
いつのまにか無意識にレンズの目を持つようになったよう。
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上勝町の中心部まで戻ってきたら夜の闇に包まれた。
秋なのに桜が咲いていたので写真を撮ろうとしたが、
夜の帳に花びらは溶暗し
月ヶ谷温泉は湯屋の光をまとって川向こうで瞬く。
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タグ:高丸山
posted by 平井 吉信 at 21:59| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2017年11月04日

文化の森のPJM 人は足早に立ち去っていく


文化の森でプロジェクションマッピングを行っていた。
誰も見に来る人はいなかったが、10分ほど滞在していると
親子連れが1組やってきた。
というより、図書館の帰りに立ち寄ったらしく
ほどなく場を離れた。
もう見慣れてしまったのだろう。

最新の技術は時間とともに色あせていくことが人々の行動から見て取れる。
それでも税金を投入して行われている以上、
多くの人に楽しんでもらえたらと紹介することとした。
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光と音のプログラムは制作者自慢の技術なのだろうが
琴線に触れてこない。
参加者が関われる仕掛け、参加者とともにつくる創作というところは買えるが、
そこに風土の匂いがしない。
(ほんものの滝だったら、半日滞在しても飽きないのに)。

先月見た勝浦町のあかりの里さかもとはこんな感じ。
住民の手作り感がある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/181290730.html
http://soratoumi2.sblo.jp/article/177277035.html

虫の声、風のざわめき、遠い国から聞こえてくる足音…
まるで昔話が出現したような錯覚を受ける。


posted by 平井 吉信 at 19:14| Comment(0) | 徳島

2017年10月29日

機械の刻む音楽をずらして人間の感じるリズムで奏でる(生きていく) 


前ブログからの続き
ベートーヴェンが好きで
9つの交響曲、32のピアノソナタ、5つのピアノ協奏曲、16の弦楽四重奏曲の全集を
それぞれ何セットか持っている。

ベートーヴェンのピアノソナタで名演とされるバックハウスを聴くとわかる。
バックハウスは効果を狙わないピアニストで感傷的な表現はほとんどない。
ぶっきらぼうに聞こえるぐらいだが、一方で慈しみや愛おしさが伝わってくる。

バックハウスはインテンポではなく、実は細かく揺れている。
表現のために「揺らしている」(アゴーギク=テンポの伸び縮み)のと
演奏者も意図せず「揺れている」のとでは違う。
バックハウスは「揺れている」。
指導者によっては船酔いのような感じ、技術的な欠陥と指摘する人もいるかもしれない。

ぼくはそうは思わない、感じない。
むしろ、正確なリズムで刻まれた音楽は生理的に退屈してしまう。
(これって言葉に説明できないけれどわかる人はわかるでしょう)

人間の耳には機械的に刻まれたリズムは音が出た途端にわかる。
なんだか独特の「退屈感」が漂う。

ポップスやロックにおいてもリズムの揺れがあるのが普通。
それをメトロノーム(リズムボックス)を置いて合わせると
期せずして出てくる「つまらない感」は音楽の生命を奪っているよう。
マルチトラックでリズム合わせをしての被せ(多重録音)を否定はしないけど
名作「A LONG VACATION」はスタジオだけでしか再現できない。

フルトヴェングラーのベートーヴェンはテンポの変化を効果的に曲想に活かしている。
そのフレージングは思いつきではなく、潮が満ちて引いていくように深い呼吸で自然だ。
テンポの揺れというよりは意識的に動かしているが、
表現のための人工的な技術ではなく深い呼吸を感じさせる。
人間の音楽であるベートーヴェンは
指揮者の大きな呼吸のなかで意識を持って再創造されていく。

ぼくが中学1年生になって音楽の授業を受けたとき
衝撃を受けたのがこの自然な動きを取り入れたピアノ伴奏なのだ。
こちらのブログに書いてある。
http://soratoumi2.sblo.jp/article/179274151.html

渡辺真知子の初期のほとんどの楽曲は
人間が奏でている。
座長は羽田健太郎だったそうだ。
(マクロスでもいい仕事をしたよね)
調べてみるとこんな人たち。
(業界の人には説明の必要もないメンバーでしょう)

田中清司 ドラムス
高水健司 ベース
矢島賢 ギター
ラリー須永 パーカッション
栗林稔 キーボード
羽田健太郎 ピアノ

この人たちはレコーディングメンバーであるとともに
コンサートツアーも担っていたという。息が合っているわけだ。
FM音源だが、スタジオライブを聴くことができる。
しかもリバーブがかかっていない自然体。
(これは珍しい。これはいい!)
素のままのヴォーカルとともに、
ミュージシャンが一発勝負の腕と魂で乗っている。
https://www.youtube.com/watch?v=GoMcVKgfGqg
(1978年のFM音源)

ここでの「かもめが翔んだ日」(37分56秒〜)も
1番から2番の間奏で加速、さらに終盤に向けても。
もともと乗っていくタイプのアーティストであるだけに
健太郎さん率いるリズム隊が彼女の鼓動を感じつつ(多少の煽りも入れつつ)、
渡辺真知子が勢いに乗じて歌い上げる。
疾走感がたまらない快感や共感を生み出している。

人工知能に取って代わられる仕事が多く出てくるが
AIを使いこなす新たな職業も出てくる。
それは「論理的に正しいこと」と人間の感情を調整する役割だろう。

音楽っていいな。

posted by 平井 吉信 at 11:34| Comment(0) | 音楽

2017年10月28日

渡辺真知子「いのちのゆくえ〜〜My Lovely Selections〜」から


富岡の阿南駅前のセイドー百貨店のエスカレータを上がっているとき
店内を流れてきた音楽に釘付けとなった。
 
現在、過去、未来、あの人に逢ったなら… 

「掴み」の冒頭からあふれだす才能のきらめき、
 
ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて迷い道くねくね

いつでも、という言葉の代わりに畳みかける新鮮な語感、
こんな曲があるのか、と足が止まった。

久保田早紀の異邦人と同様、
これまで聴いたことがない世界からきこえてきた音楽だった。

続いて「かもめが翔んだ日」「ブルー」と提示された三部作の世界観。
(特にこの2曲は突き抜けているよね)
切なさが疾走する。
でも、べたべたしない。
失恋は若者の特権だけど、
自分の体験に触れてそして高い空へと昇華してくれた―。
そんな思いが多くの人の琴線に触れたのかも。

しかも自作自演(「かもめが翔んだ日」のみ作詞が伊藤アキラ)。
この「ブルー」の映像を見て。
憂いをたたえた表情から一転して情念で迫る。
https://www.youtube.com/watch?v=AB1rX49xGws
目の語り掛けの強さ、リズムの躍動感、
情念の深さにぞくぞくする。
ふっと目を上げる、伏せるなど歌と一体となっている。
女優のようだ。

生の一発勝負でこのパフォーマンス。
「かもめが翔んだ日」
音符の洪水、歌の氾濫、音の空間を泳ぎわたる。
https://www.youtube.com/watch?v=R2vr0KwtgfE
なお、スタジオ録音(つまりシングルレコード)でも
曲の後半に向けて加速しているように聞こえる。
3分少々の時空間が渡辺真知子に染まり
その空間がさらに彼女に力を与えているようにすら見える。
(若さっていいよね。いまの時代の音楽とは好き嫌いではなく優劣かも)

歌しかない歌手と、形容する言葉もない聴き手。
この三部作は贅の極み(ごちそうの大盛り)なので
あとに続く楽曲が大変ではなかったか。

それからしばらく経った頃の映像と思われるが、
太田裕美との競演も同窓会のようで愉しい
https://www.youtube.com/watch?v=Ejzg9Jun5OM

たがが恋の絶唱
https://www.youtube.com/watch?v=hxC0MKVK70o

CDはといえば、手元に当時1,000円でヒット曲を6曲収録したアルバムを持っていた。
でも、彼女は現役のシンガーである。
「現在」と「過去」をつなぎながら「未来」へのメッセージを受け取ってみたい。
そこでいのちのゆくえ〜My Lovely Selections〜と題された
3枚組のCDを買ってみた。

ヒット曲、ファンが好きなアルバムからの楽曲が1枚目と2枚目に、
そして2010年以降の歌唱を中心に、
デビュー前も含めたライブ音源で構成された3枚目。
本人選曲の選び抜かれた楽曲を
ソニーの誇るCDスタンプ技術、Blu-spec CD2で提供。
ぼくの装置でCD選書の録音と比べたら、やはりBlu-spec CD2が良かった。
一聴して「選書」盤が鮮度と音場感が高いように聞こえるが
音楽の実在感に優るのは後者。
帯域では中低域の充実感がきいている。
それと声の成分(中域から中高域)がストレスなく伸びていく。

このCD、本人直筆のサインが入った写真集が付いてくる。
(この特典はソニーミュージックの直販のみ。冒頭の写真は宮崎あおいかと思った)
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?cd=MHCL000030313
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YouTubeの音源を見て
スタジオ録音を聴いても温度感が変わらないのは
いつも全力でぶつかっているからだろう。
感動を伝える前に本人が崩れてしまう(テクニックの破たん)ライブパフォーマンスがあるよね。
テクニックが失われても魂が伝わるライブパフォーマンスもあるよね。
でも、テクニックと歌の魂を高い次元で持っていたら
スタジオとライブは変わらない。
(レコード盤を買って、スタジオ録音のおとなしい整然とした演奏に物足りなさを感じた人はいるでしょう)
渡辺真知子はいつも全力でぶつかっていったのだろうし、
荒削りであってもそれを制御する歌唱力を持っていた。
(表現こそ違うがキャンディーズもそうだった。スタジオとライブの差は感じられない完成度があった)
瀬戸際のような楽曲をうたっても
その4分を描ききれるから陳腐にならない。
何を伝えるかではなく、いかに伝えるか―。
切なさへの共感と、きれいごとではない情念のうねり。
この表現力、浸っても心地よさを感じるのは
彼女が真剣勝負をしているから、そして聴き手をいつも楽しませようとしているから。

まとわりつく情感と大胆なフレージングが近年の歌唱。
ゴスペルシンガーのようだ。
かもめが翔んだ日も3枚目に収録されている2013年ライブ音源では
スペイン語が紛れ込んできたと思ったらファドの世界だ。

往年の名曲が、コード進行も曲調も一部転調なども取り入れ
ソロの楽器が活躍するジャズの要素もある。
もはや外観など取り繕わない。あるのは歌のみ。

でも、かつてのヒット曲はあの頃のほうが好きだ。
表現しようとすれば楽曲のみずみずしさから遠ざかる。
(年輪のうまみが曲想を活かすとは限らない)
あの頃は何もせずそのまま歌うだけで音楽と一体だった。
世阿弥のいう「時分の花」(何もしなくても匂い立つ表情が魅力の二十代)。
20代に咲く花もあれば、60が近づいて咲く花もある。
そこには35年の歳月がある。


渡辺真知子の人生をかけたメッセージには
過去の回想だけでなく、未来への伝言も含まれている。
渡辺真知子 いのちのゆくえ 〜My Lovely Selections〜

posted by 平井 吉信 at 13:50| Comment(0) | 音楽

2017年10月27日

砂美の浜 地球の休日


仕事で牟岐にやってきたら砂美の浜を見る。
ほんのひとときだけれど、これがいい。
いつもこの時期はアオリイカ釣りを誰かがやっている。
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時間を波で描いたらこんな描写にならないかと。
だって、時間が遅く過ぎていくような気がしたから。
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posted by 平井 吉信 at 23:08| Comment(0) | 山、川、海、山野草