2023年02月07日

里海のまちなみ 阿南市椿泊 漁港から阿波水軍を源流に持つ集落をたどる 写真編


前項から続く

海沿いのみちに漁港がある
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海が見えなくなると椿泊の集落が始まる DSFT6702-1.jpg

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ところどころに寺社がある 森家歴代を祀った道明寺にはおごそかな雰囲気がある
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墓所の高台から集落と海を見下ろす 椿泊は山と海のわずかな隙間に東西に細長く集落が形成されている
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郵便局があるL字クランクは運転の最難関
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この細い道が手前で90度に曲がっている
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ここを抜けると左手に長い階段を持つ神社が見えてくる。阿波水軍の長、森家の先祖佐田九郎兵衛を祀った佐田神社
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時計台を持つ入口
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長い階段を上がる
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椿泊小学校が見えてくると終点が近づく 相変わらず細い道が直角に曲がる
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小学校を過ぎると燧崎への道は堤防直下 石垣に植物が飾られている
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先端部の突堤に来てしまった
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燧崎への散策路 崖崩れに注意しながら灯台へと向かう
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灯台直下の竜宮神社
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灯台から眺める東の海 正面は舞子島 ここに壮麗な古墳をつくった豪族はやはり海を支配した氏姓だろう
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ところでなぜこの地に阿波水軍の長が拠点としたのか。ぼくは歴史書を繙いていないし水軍に詳しいわけではないが、地政学的に推察してみた。

ここは四国の東端蒲生田岬の近くである。江戸や土佐から大阪や瀬戸内海、あるいは阿波をめざす船は必ず見つけられる。晴れた日には対岸の和歌山の建物を視力の良い人なら見分けられるが、紀伊水道を横切る船団はさらに識別しやすい。夜陰に紛れて航行するには座礁の危険がある。なにより友ヶ島水道や鳴門海峡を案内人なしに夜間に通過できるとは思えない。以上は防御や見張りの観点からの利点である。

次に阿波水軍が出航することを考えてみる。徳島や大阪には黒潮に乗って出航すればたどり着きやすい。江戸に向かうにも徳島や鳴門から出るよりは距離が短くなる。背後に山を従えているので冬の季節風(北西)をさえぎることができ、時化の際には椿泊湾の奧へ待避できる。橘湾の内湾性の魚と黒潮流れる外洋性の魚が狙える。ワカメ、アラメ、アンロクといった海藻も採れる。

徳島にいる藩主からの招集には船運でただちに駆けつけられるが、陸路からは適度な距離を置くことができる。これは窮屈でない立ち位置ではなかろうか。以上が水軍を椿泊に置く利点として考えてみたのだがどうだろう。

そんなことを考えながら来た道を戻っていると夕暮れとなった。
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椿泊の海は西方浄土の光景を鎮めるように湾の奥に残照。
posted by 平井 吉信 at 22:01| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年02月05日

里海のまちなみ 阿南市椿泊 漁港から阿波水軍を源流に持つ集落をたどる 序章


阿南市の橘湾は阿波の松島にも例えられる多島海である。
橘湾の北には那賀川、桑野川が流れ込み、淡島海岸、北の脇といった海浜を形成する。
湾の最奧部には橘のまちと橘港がある。
橘港は小勝島を控えた天然の良港である。その小勝島には四国電力の石炭火力発電所が2000年7月から発電を開始。この火電が阿南市の経済を潤したのは間違いない(電源立地地域対策交付金)。

橘湾の内湾部には打樋(うてび)川、福井川、椿川が流れ込み、その下流部が海進を受けて入り江を形成。いわゆる溺れ谷、リアス式海岸(現在ではリアス海岸)である。

阿南市の人口密集地を持ち、湾の奧では停滞することから橘湾、椿泊湾はときおり赤潮が発生する。ぼくの認識では蒲生田岬を境に水質が変化すると考えている。

徳島県と和歌山県の間に広がる紀伊水道は、幅約50km、最深部で約70メートル。淡路島との境目にある鳴門海峡、友ヶ島水道では潮の流れが海底が浸食されて水深が紀伊水道より深くなる。前後1kmの川幅を持つ吉野川が岩津橋で150メートルに狭まることで水深は30メートルを超える。このように狭い場所では水を流す断面を確保するため深くなる(河床が低下)。

紀伊水道は浅い海で瀬戸内海と太平洋の接点でもあり、徳島側からも和歌山側からも川の土砂やミネラルが供給されている。紀伊水道は徳島側でやや浅く、特に吉野川、勝浦川、那賀川の吐き出す砂地とミネラルが名産のアシアカエビ(クマエビ)、アカエビ、ハモを育んでいる。

おそらくは黒潮が南南西(時計の7時の方向)から流れ込むこと、蒲生田岬が通せんぼするかたちで張り出していることなどから紀伊水道の和歌山側を黒潮が多く通過するので深くなるのだろう。黒潮の一部は紀淡海峡、鳴門海峡を通過して大阪湾、瀬戸内海へと流入するが、ほとんどは紀伊水道内で反時計回りの流れを形成するのではないか(外へ向かう流れを蒲生田岬が囲い込む)。

蒲生田岬と日御碕を結ぶ線が外洋との境目である。和歌山側はこのラインより黒潮が北上して優勢となるが、淡路島に当たって紀伊水道内で反転流が起こり蒲生田岬で居座る。従って徳島側は内湾性の水といえる。そこにあるのが橘湾、椿泊湾であるから外の水と入れ替わりにくい構造がある。

海底には産業要因によるヘドロの堆積が懸念されるし、栄養塩の供給による有害プランクトンの発生が起こりやすい。見た目にも透明度の高い海の印象はない。水質基準では、椿泊湾はA類型(CODの基準値2mg/l)の海域である。同じ基準値であっても海部郡内の湾と比べて透明度が低い。生活排水の負荷も高いことからCODも海部郡の湾岸より高いだろう。

しかしこのことが漁業にマイナスかといえばそうとばかりは言い切れない。ノリや海藻にはある程度の栄養塩が必要とされる。海に栄養が多いと海藻が増え魚の餌となるプランクトンも増え(行きすぎると赤潮になるが)その結果漁獲高も増えるという関係がある。
ところが近年の人口減少や公害対策、家庭排水対策(合併浄化槽への更新推進)などで栄養塩は少なくなった(海は浄化された)。漁業関係者によっては沖合へ糞尿を計画的に投棄するよう求める意見もあると聴く。

それはともかく、藻場の減少とヘドロの堆積は生態系(ひいては漁業)に悪影響を与える。藻場の減少には貧栄養化よりも温暖化に伴う水温の上昇が大きいのではないか。山では冬を越せなかったシカなどの個体が温暖化で生存率が上がって増加したため、草木はことごとく獣害にあって消滅している。海では水温が上がることで磯にいつく魚種や数が増えたこと、特に藻場減少の犯人としてアイゴを上げる漁師は多い。

アイゴは徳島ではアイノバリとも呼んで背びれに毒を持つ磯魚でその独特の臭みを嫌って流通しにくい魚である(店頭に並ぶアイゴは背びれを切除している。死んでも毒は消えないので注意。ただし肉には毒はない)。
父はアイゴが好きで、お前も来いと何度か同行したのがが徳島の最南端の那佐湾の波止。当時の国道55号線は蛇行しており一部は生活道として集落の間をすり抜けながらであったので那佐湾は世界の果てにあるよう。車に乗せられて車酔いするなどうんざりしたものだが、高校になると自転車で自分で来るようになったから不思議だ。海部川沿いの国道193号線も舗装されていない区間があった。

アイゴ釣りは繊細な釣りだ。小さなアミエビを針に付けて岸壁からウキ釣りで狙う。大きな型はなく20センチ未満。釣れると長靴で踏んで針をはずし、手袋をしてクーラーに入れる。食べてみて磯臭いと思ったことはなく、徳島の県南部ではウツボやヒメチ、カゴカマスなどとともに干物もよく見かける。
→ 徳島出身のぼうずコンニャクさんのアイゴの記事

海藻ではわかめが徳島の名産である。鳴門わかめの定義は以下のようになっている。

本県と香川県との県境から鳴門海峡までの播磨灘沿岸及び鳴門海峡から蒲生田岬までの紀伊水道沿岸で収穫され、県内に水揚げされたわかめ(以下「鳴門わかめ」という。)をいう。

ということで椿泊で水揚げされたわかめも鳴門わかめとして売られている。

もう一度陸地へ話を戻す。橘港を外に出ると椿泊の半島状の地形がリアス式海岸となって地形が一変する。その先端には燧崎と灯台がある。阿波水軍ゆかりの地区で漁村のまちなみで有名である。

燧崎の沖合800メートルには舞子島があり、絶壁に囲まれた無人の島に6世紀末から7世紀初頭と推察される古墳群があって注目される。なぜこんな場所に?との謎が深まるが、海にゆかりの豪族が存在したのではないか。

椿泊のまちは椿泊湾の北岸の山が迫る狭い場所にいくつかの漁港を従えて東西に伸びる集落である。目の前には椿泊湾、湾の対岸にはリゾート気分あふれるかもだ岬温泉、さらに四国の東端、蒲生田岬がある。

壮大な海の概観のあと、いよいよ人の暮らしに入っていく。今回は橘湾の奥座敷といえる椿泊(つばきどまり)の地区を見ていく。この地区の魅力を教えていただいたのは県南部にお住まいでエリアを隅々まで足跡を残している和那佐彦さんである。事前に情報をいただいて地区に入っている。

椿泊地区といえば、ほとんど足を踏み入れたことがない人が多い。その理由は狭い道路である。椿泊のまちなみを見て椿泊の漁港や椿泊小学校、さらには先端の燧崎まで足を伸ばそうとしたら逃げ道のない路地を運転する必要がある。

漁港が連なり漁協があり民間の水産会社がある椿泊は漁業のまちである。竹内水産のシラスは県内ではどこのスーパーでも入手できる。わかめも比較的良質のものを産する。

地元の人はまだいい。慣れているので車がどこにさしかかるとどれだけハンドルを切るかを身体で覚えているし、すれ違いができそうにないところですれ違うコツを知っているから。

でも地区の外からの訪問者が集落に車を入れるのは止めたほうがいい。椿泊漁協まではトラックでも入れるが、そこから先、竹内水産から奧へは軽自動車でも狭いと感じる。なにせ手を伸ばせば(伸ばさなくても)家屋や壁が車のすぐに迫るのだから。道を知り尽くし車幅感覚を1センチで見切れる人であれば、全幅1.7メートル、全長4.3メートルまでが限度だろう(数カ所あるL字のクランクでは全長もきいてくる。消防車、宅配便、引っ越しの車、救急車などはどのように入っていくのだろう?)

以上のことを知ったうえで漁協に行くまでの十分に広く地元に邪魔にならないと思われる場所に車を置いていく。すると先端の燧崎まで4〜5kmの道程でほどよい散歩コースとなる。今回はこのコースで椿泊の集落を見ながら燧崎まで行くことにする。半島の南側、椿泊湾に面したルートである。ちなみに半島の北側のリアス式海岸の地区を地元では「うしろ」と呼んでいるらしい。それでは行ってみよう。





posted by 平井 吉信 at 00:45| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年02月04日

今朝の庭


前日と同じような構図だけどやはり見入ってしまう。
ま、写真も撮っておこうと。
周辺の草木も含めて。
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(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 11:05| Comment(0) | 山、川、海、山野草

2023年02月03日

いつまでも「大切な言葉」燕奈緒美・燕真由美 


だれかを好きになる。
悶々とした日々を過ごす。

意を決して前を向く。そして動く。
……報われなかった。

失恋はこころの栄養になるはず。そのときはつらくても。
失恋の手前は苦しさの極大、そうでありながら甘美のきわみ。
もしかして叶うのではないか、もしかして…

そんなことを何度か、何度か。いや、何度も重ねて。
それは人が生きる試練というより、しあわせに近づくみちなかば。

歌にしてみたらこうなった。
「大切な言葉」
燕奈緒美・真由美姉妹の1985年の作品。

失恋のラブソングの理想を描いたような
失恋の体験を同調同期して共感の振れ幅を大きくする楽曲。
ラブソングを10曲選ぶとしたら、ぼくは選ぶ。
普遍的でどんな人の胸にも響くだろうこの曲を。

燕真由美さん、2023年1月24日ご逝去。
ザ・リリーズとして姉妹で活動を始めた頃、ぼくは知らなかった。ヒット曲「好きよキャプテン」を。
この楽曲はリリーズ名義ではなく、二人の名前を並べてクレジットされている。
そしてこの王道のラブソングは現在いかなるパッケージメディア、配信でも入手できなくなっている。

手持ちのシングル盤 ビクター音楽産業から発売
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レコードはいいよね
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久しぶりにターンテーブルを回そうにもアーム直出しの出力コードでアース線が断線している。
MCカートリッジのダンパーも動くのだろうか。

忘れないあなたから贈られたあの大切な言葉(ワンワード)
永遠にせつなくて……


この曲をうたってくれた燕姉妹をぼくは忘れない。

動画配信サイトで聴いてみてください。
燕奈緒美・真由美−大切な言葉(ワン・ワード)
posted by 平井 吉信 at 21:59| Comment(0) | 音楽

桃の開花 花は咲く時季を知っている


ここ3か月ほど冬の庭で咲き続けたノギクも花の時期を終えようとしている。
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代わりに開花しているのがニオイスミレ
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空を見上げて気付いた。桃も咲いていると。
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出番を待ちながら次々と花のときを迎える。いつかは散るとしても。


(フジX-T30+XF60mmF2.4 R Macro)
posted by 平井 吉信 at 21:09| Comment(0) | 家の庭

2023年01月25日

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その4 越ヶ浜の集落の痕跡を想像する


その3から続く

日峰山、小神子、越ヶ浜、大神子への経路を含む山域全体を理解できる地図を作成してみた。

赤線…日峰山山頂から北東へ延びる尾根筋から大神子へ降りる踏み跡
赤線…日峰山山頂から北東へ延びる尾根筋から越ヶ浜へ降りる踏み跡
赤線…遊歩道のもっとも下がった地点から沢沿いに越ヶ浜へ向かう踏み跡
桃色……遊歩道(阿波の道・讃岐の道・伊予の道・土佐の道をつなぐ階段の道)
緑…小神子と日峰山から灯台への尾根筋からのトラバース道(遊歩道/越ヶ浜方面)
空色…日峰山山頂から灯台へ向かう尾根筋の散策路(展望所や石像あり)
オレンジ破線…小神子から大神子までのトラバース道がかつて存在した可能性(わずかな痕跡あり)
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(国土地理院電子国土から切り出した地図に平井吉信が書き込み)

国土地理院地形図で描かれているもう1本の遊歩道を横切るトラバース道は廃道(道の痕跡がわずかに入口にあるのみ)である。地理院の地図にも誤りはあるし、かつての地形や地勢が変化してもそのまま残されていることがある。

けれどここに何らかの人為的な痕跡(家屋、田畑など)があったなら、そこから東の山裾と沢をなぞるように海へ出るルートがあった可能性は想定できる。地形図の点線はかつての名残で現在は痕跡を見つけるのが困難となっている

それではここにあった人為的な痕跡とはなんだろうか。真ん中の沢沿いに平坦を感じる地形があり、遊歩道から外れて足を踏み入れてみると石垣が沢と直角に連続していることを確認。見た目は砂防ダム(コンクリートではなく石垣だが)である。
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そこでこの施設(工事)は何のためにあったかを考えていくこととする。見た目で明らかなように自然が形成したものではなく人の手によるものである。


(1)沢筋にあることから砂防の床止め工
床止め工とは砂防ダムのようなものでコンクリートを使わない時代に石積みで行ったと想定。その目的は下流や護岸を守る治水にある。
ところが下流は越ヶ浜であるが、その手前に湿地(荒れ地)がある。3つの沢を集める湿潤(家がじめじめしてカビが生えてたまらないだろう)で海風をまともに受ける場所に家屋があったとは考えにくい。よって治水の床止めではない。普段は水はわずかしか流れない沢でも大水時には一変するものだが、所詮は集水域(流域)が小さいので治水目的ではない。

(2)棚田もしくは段々畑
沢筋といってもこの場所は涸れ沢であり、棚田(段々畑)の跡ではないか。というのも「平坦を感じる場所」と書いたように、もともとはある程度の平坦な場所が崩落した土砂で埋まったのではないかと考えた。

20年以上前にはじめて小神子からのトラバース道をたどったとき、確かに廃屋(作業小屋かもしれない)があった。それがこの真ん中の沢沿い(★印付近)ではなかったかと記憶している。それが近年はまったく見かけなくなった。

その理由としてこの沢筋で崩落があったと記憶している。その崩落で廃屋が流されたが埋まったか。いずれにしてもそのときの土砂が棚田(段々畑)の痕跡を埋めてしまったのではないか。
ところがそれから年月が経ち、沢の澪筋を水が流れて堆積した土砂の一部を流したとすれば、このような痕跡となるのではないか。廃屋比定地の周辺でやはり人為的な地形と石積みがある。
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ここからはさらに不確かな推論となる。小神子地区には水利が良くないためか水田がない。そこで水の得やすいこの場所で棚田をつくって集落の食糧としたのではないか。そのときの農機具の置き場所(納屋)、作業小屋、もしくは人が住んでいた可能性も捨てきれず、なんらかの建物があったのではないか。ぼくが二十数年前に見た廃屋はそれではないか。

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徳島市と小松島市から近いのに無人の渚である越ヶ浜とその周辺はまったく忘れ去られていたが、21世紀になって遊歩道ができて歩きによる接近ができるようになった。

かつて徳島市から小松島市にかけての沖合には地震で沈んだ島(お亀千軒)があるといわれる。昭和の時代には、鳥居が沈んでいるといって海中の探索をする人たちがいた。父は根井鼻を通り魔と呼んでいた。

大神子は病院やテニスコート、バーベキュー場、フィールドアスレチックがある静かな保養所。かつて徳島藩蜂須賀家の保養所が勝浦川河口南岸にあったという(いまのスーパー銭湯のあたりか)。

越ヶ浜はこのブログで探索したとおりかつての人為的な痕跡はあるけれども現在では無人の渚。

小神子は静かな里海の集落で集落を見下ろす丘には、海を眺められるレストラン、やがては一部上場企業の保養所に変わり、いまではそれもなくなって廃れてしまった。

歴史がどうであれ里海の記憶はここにあったのであり、(地権者のご理解もあって)21世紀の私たちが立ち寄れる場所となっている。そのことを記しておきたい。
posted by 平井 吉信 at 22:12| Comment(0) | 山、川、海、山野草

忘れられた里海の記憶 小神子〜越ヶ浜〜大神子への小みち〜その3 日峰山山頂〜灯台〜小神子トラバース道へ

その2からの続き

数日掛けてこのエリアの探索により、これまでわからなかった地形や踏み跡を把握することができた。まちの近くにこんな場所があると改めて良さを確認できた。

今回は日峰山山頂から灯台までの尾根をたどりながら、灯台周辺の展望を愉しんだあと、再び尾根を戻る途中で小神子へのトラバース道へと降りていく道をたどる。トラバース道は越ヶ浜へも通じる遊歩道と交わるので、越ヶ浜を見て遊歩道から尾根へ戻る道程。歩けば1時間少々かもしれないけれど、そこはゆっくり歩いてみたら?

この散策路は人とすれ違うことが多い人気のみち。山頂からは急に下るが(帰りは登り返す)ほどなくなだらかな椿の咲く尾根筋となる。
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ツワブキらしい葉と落ちた椿花
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休憩所を左に降りていくと菱形に一周する遊歩道(阿波の道→讃岐の道→伊予の道→土佐の道)へ。右は灯台へと伸びる尾根道。まずは灯台へ。小神子からのトラバース道は阿波の道と讃岐の道の間と、伊予の道と土佐の道の間をつないでいる短絡路ともいえる
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灯台に向かう尾根
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ゆるやかな起伏を灯台まで向かう。灯台は空に映える。このまま元根井漁港へ降りていけるのだが、きょうは小神子へのトラバース道をたどるのでここで引き返す
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子どもの頃おいしい紅茶をいただいた喫茶店/レストランは追憶の彼方に
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引き返すとまもなく右へ降りていく道がある。これが小神子の集落上部から派生するトラバース道と合流する
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尾根から北へトラバースしながら下る途は小神子の集落の上部からのトラバース道と出会いそのまま遊歩道/越ヶ浜方面へと水平移動する
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小神子の集落に近いせいか竹林が茂る。イノシシの寝床があるとしたらこんな場所だろうが、痕跡は見いだせない
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岩を切り拓いた場所
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椿の季節 落ちた花と芽を出した若木 通る人のほとんどない道に生命力のやりとり
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小神子からのトラバース道は越ヶ浜へと降りられる遊歩道(阿波の道と讃岐の道の間)に出る
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讃岐のみちをいったん降りて越ヶ浜をめざす。道ばたに東屋がある
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posted by 平井 吉信 at 00:00| Comment(0) | 山、川、海、山野草